錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

「少年が来る」ノーベル文学賞作家、ハン・ガン(3)

    この小説は、光州事件を舞台にした小説です。

 光州事件とは、ネットおよび映画「光州5・18」、「ソウルの春」によると、韓国の全羅南道の光州市で1980年5月18日から27日にかけて、全斗煥の賭けともいえる強行策で軍事クーデターを行い、それに抗議した市民・学生が、戒厳令が布かれるなかで戒厳軍によって鎮圧され、多数の死傷者を出した事件のようです。

 


 さらに全斗煥を調べてみると、全斗煥というのは朴正熙大統領の軍内親衛隊グループの秘密結社である「ハナ会」のメンバーになり、1979年10月に朴正熙大統領が暗殺されると、合同捜査本部長として捜査を指揮、クーデターを実行して軍および政権の実権を掌握。1980年5月全国各地で多発する労働争議や学生デモに対処すべく、戒厳令を拡大して金大中を含む野党政治家を逮捕、これに反発した光州での民主化要求デモを弾圧、同年9月に第11代大統領になった、きわめてアクのつよい人物のようです。

 

 さて「少年が来る」の 第一章の「幼い鳥」では、「君」の視点で語られます。

 その日、15歳で中学三年生の「君」は、空色のトレーニングパンツを身につけて、光州市の道庁の廊下に横たわっている遺体の中から借家人のチョンデとその姉さんで紡織工場で働いている二十歳のチョンミを探しています。すると、戒厳軍に撃たれて損傷の酷い遺体の処理していた二人の姉さんに、人手が足りないので今日だけ手伝ってくれないかと声をかけられ、その少年は遺体の身元確認を手伝うことになります。


 後に、「君」と呼ばれた、その少年はトンホといい、二人の姉さんは、女子高3年生のウンスク姉さんと、ブティック勤めのソンジュ姉さんだと分かります。そして次第に、この小説は、トンホという少年をめぐる物語だということが分かってくるのです。

 遺体があまりにも多く運びこまれて来て、道庁が手狭となったことから、尚武館で遺体を受け入れることになり、ウンスク姉さんとソンジュ姉さんが尚武館に行くことになり、トンホ少年も彼女らについて尚武館に行き、遺体の身元確認を手伝います。


 そのうちに戒厳軍が今夜再びやってきて市民を皆殺しにするという話が伝わってきます。ウンスク姉さんやソンジュ姉さんは、トンホに危ないから家に帰りなさいと言いますが、彼は帰りません。というのも、彼には心に掛ることがあったのです。彼が、デモ隊のなかにいたときに銃声が鳴り響き、逃げまどうなかでチョンデの手をはなし、チョンデが脇腹に銃弾を受けて倒れるのを見たのです。トンホはチョンデをその場に残して銃声が響くなかを逃げたのでした。そのことが彼が家に帰ることをためらわせたようなのです。

  第二章の「黒い吐息」は、トンホ少年の借家人で殺されたチョンデの魂の視点で語られます。余談ながら死んだ人の魂の視点などという発想ができることが素晴らしいと思います。

 魂が見た光景ですが、殺されたチョンデの遺体は、トラックに載せられ、市街地を抜けた暗い野原に、鈍器で殴られて頭の骨が陥没した遺体や血だらけの遺体が十文字状に積み上げられた下で押しつぶされ、その遺体が高く積み上げられた塔のうえに石油をぶちまけられ、火をつけられて、燃えて灰になってしまうのです。

 第三章の「七つのビンタ」は、ウンスク姉さんの視点で語られます。

 戒厳軍が襲って来る夜、ウンスク姉さんはソンジュ姉さんとともに道庁に残っていたのです。二人の姉さんは、トンホ少年の長兄であるチンス兄さんから街頭放送で人々に呼びかけてくださいと頼まれて、街頭に出て、人々に家から外に出て、夜が明けたら道庁前に集まって広場を埋めつくしてくださいと声をかけるのです。


 そのとき、空色のトレーナーに教練服のジャンパーをひっかけ、小さな肩に銃を担いだトンホ少年を見つけたのです。一緒に帰ろうよ、と呼びかけると、トンホは階段の方にすばしっこく走り去り、二階の欄干につかまって震えていたのでした。


 ウンスク姉さんは、光州事件のあと、浪人して何とか大学に入学するのですが、2年で大学をやめ、小さな出版社に入っていて戯曲の本を担当するのですが、当局の検閲に合い、厳しい取り調べを受け、頬の毛細血管が切れるほどビンタを何回も受けるのです。光州事件後も韓国では厳しい言論統制が続いていたようなのです。

 

 第四章の「鉄と血」は、ヨンジョという男の視点で語られるのですが、「あいつ」という形でトンホ少年の長兄であるチンス兄も出てくるのです。

 戒厳軍が襲ってくる夜、16歳のヨンジョが押し寄せてくる眠気をこらえきれずに居眠りしていると、いつの間にかトンホ少年がソファにもたれて座っていたのです。それに気づいたチンス兄さんが、さっき帰れと言ったじゃないか、おまえがここで何をするって言うんだ。銃の撃ち方も知らないくせに。いいか、おまえは降伏しろ、手を上げて出ていけば、子供は殺しはしないはずだからと言います。


 ヨンジョとチンス兄さんは戒厳軍に捕らえられて、夜が明けるころ道庁の庭に引っ張りだされ軍靴で背中を踏みつけられます。そこに両手を挙げ、一列になって五人の生徒が二階から降りて来ます。そのなかには、チンス兄さんの弟のトンホ少年もいたのです。チンス兄さんの背中を踏みつけていた戒厳軍の将校は、M16自動小銃をためらいもなく五人の生徒に向けて撃つたのです。


 その後、ヨンジョとチンス兄さんは収監されて取り調べをうけ、拷問を受けます。そして軍法裁判にかけられヨンジョは九年、チンス兄は七年の刑を言い渡されたのですが、翌年恩赦で釈放されます。その二年後、チンス兄は自死してしまいます。

 

 第五章の「夜の鐘」は、ソンジュ姉さんの「あなた」という視点で語られます。

 光州事件から20余年が経ち、ある人から光州事件の本を書きたいので、ソンジュ姉さんに光州事件の市民軍参加者の一人としてインタビューを受けてくれないかとの依頼を受けますが、断るのです。


 ソンジュ姉さんは光州事件当時、メガホンを手にして、真っ暗な窓に向かって、明かりをつけてください、皆さん、と声をからして呼びかけましたが、夜が明ける直前に逮捕され、収監され、保安部隊に移送され、出血の末に気を失うほどの過酷で屈辱的な取り調べを受けるのです。

 そしてある日、再び光州を訪れて、カトリックセンターの外壁にトンホ少年の殺された写真が貼られているのを偶然見つけたのでした。トンホ少年は道庁の中庭に横たわっていた。銃撃の反動で、腕と足が交差して長く伸びていた。顔と胸は空を向き、両足はそれとは逆向きに開いた状態で、その爪先は地面を向いていた。脇腹が激しくねじれたその姿が、いまわの際の苦痛を物語っていたのです。

 

 この小説は光州事件当時だけでなく、それにかかわった人々のその後も、当時を往還させながら描いています。訳者のあとがきによりますと、「光州事件後も韓国では軍事政権が続き、事件について語る際に人々は声を極力潜めなくてはならなかった。1987年6月に盧泰愚大統領候補が民主化宣言を行った後にようやく、徐々にこの事件について語ることができるようになったのだった」と書かれています。韓国で民主化されるまで長い苦難の歴史があり、光州事件で亡くなった多くの死はその礎になったと書かれています。

 

 ところで、この小説は、章ごとに話者の視点が異なり、こんな書き方もあるのかと感心する一方で、その話者もすぐには分からないので読みにくいといえば読みにくい小説です。また内容も暗く、暗鬱な気分になってきます。


 しかしながら、今も世界で多くの人々が殺されていることを考えますと、光州事件で命を落とした数多く人々の鎮魂の書であるこの小説から目をそむけることはできないのではないでしょうか。


 なお光州事件を扱った映画として「光州5・18」と「ソウルの春」があるそうです。

 

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