わたしは、この小説が名古屋で開催された「台湾文学」の講演会で謝惠貞台湾文藻外語大学副教授が、戦前の昭和初期の台湾人作家巫永福(ふえいふく)を現代日本青年として登場させ、日本の文豪ゆかりの地を散策する小説だと紹介されたのを聞き、どうして戦前の台湾人作家巫永福を登場させたのだろうかと興味をもち、またどんな風に巫永福が登場するのか見てみたくて読んでみました。
その場面は次のように書かれています。
富山から上京して女子大に入学した主人公の真智は、文京区小日向にある、昔ヒッピーだったらしい志桜里おばあさんの家に下宿し、坂マニアの志桜里おばあさんからその辺りの坂の話をたくさん聞かされます。
そんなある日、友人に誘われて文芸サークルに入った真智は、地図を頼りに同人誌の会合に向かったものの迷子になり1時間近く遅れて行きます。
だが、集合場所にはもう誰もいないので、仕方なく、植え込み近くでメールをしていると、横光利一の「機械・春は馬車に乗って」という文庫本を読んでいた、しゅっとしてて、清潔感があり、几帳面な雰囲気の白いシャツを着た、クラシックな格好した背の高い男と目が合うのです。その男はエイフクと名乗り、自分も会合に遅れて来たのだと言います。二人は一緒に帰ることになり、真智は靴擦れのできた痛い足で九段から靖国神社や駿河台下まで歩きまわるはめになるのです。
後日、エイフクは自己紹介して、自分は永福颯太といい、父親の仕事の関係で、台湾に生まれ、小学校まで台中で育ったが、日本人だといい、なぜ九段上に行きたかったというと、自分は日本統治期の台湾文学を研究していて、そのなかの巫永福は「戦前に日本に留学していた台湾人の小説家で、……彼は西片に下宿して、M大の文学部に通っていた。……九段上なら行ってみようかなと思ったんだよね。巫永福さんの『首と体』っていう短編の舞台だから……東京を漫歩する短編で。その舞台を歩こうと思ってね」と言うのです。
なんと、こういうかたちで、巫永福は現代の日本青年永福颯太としてこの小説に登場するのです。この発想が面白いと思います。
この小説では、巫永福以外にも、坂については江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」ゆかりの団子坂が出てきます。江戸川乱歩は団子坂に住んでいて、殺人事件の舞台となる古本屋はその近くにあったようなのです。
また遠藤周作の「沈黙」ゆかりの切支丹坂も出てきます。さらには森鴎外の「鼠坂」ゆかりの鼠坂や安部公房の「鞄」ゆかりの蛙坂、夏目漱石の名作「こころ」の先生とKの物語の舞台の富坂などが出てきて、文京区の坂がいっぱい出てくるのです。
こういうかたちで、過去に書かれた文豪ゆかりの地を現代の若者に漫歩させる、中島京子という作家は、昔の話と現在をむすびつけるのがとてもうまい作家だと感心します。
この辺りは、オフィスが本郷の白山や鳩山会館近くの音羽、小日向にちかい春日にあったので、それなりの土地勘があり、また夏目漱石や樋口一葉ゆかりの場所をめぐった こともあり、この小説を楽しみながら読むことができました。
印象に残った、樋口一葉が金策のために通った質屋のあった「菊坂」や坪内逍遥が明治17年から20年に住んで「小説神髄」「当世書生気質」を発表した「炭団(たどん)坂」の写真を掲載させていただきます。