錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

本日、日経新聞朝刊「世界を魅了 明治の焼き物 十選」に錦光山宗兵衛作品が掲載

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  明治・大正時代、直径28センチ、京都国立近代美術館

 

 本日、2021年7月19日の日経新聞朝刊最終面、

「世界を魅了 明治の焼き物 十選」に、

 わたしの祖父七代錦光山宗兵衛作「花蝶図大八」が掲載されました。

 その記事のなかで、美術史家の森谷美保さまは

「たっぷりとした鉢の見込みと周囲には、牡丹や菊など色とりどりの花が隙間なく描かれている。その中で数羽の蝶が愛らしく舞い、口縁の金彩が華やかさを演出している。製作者の錦光山宗兵衛は、京都の粟田口で代々窯業を営む家の七代目。錦光山家が輸出品制作に目を向けたのは、幕末、六代目の時代であった。窯を訪ねた外国人の様子を見て、彼らが好む製品の制作を志したのだという。そして完成したのが、精緻な薩摩焼を模した『京薩摩』の製品だった」と述べておられる。

 さらに森谷美保さまは

「『本薩摩』が不振となる中、それに代わって台頭したのが、錦光山の『京薩摩』だった。薩摩焼の単なる模倣にとどまらない、錦光山家に連綿と伝わる京都の伝統、美意識を表出した作品は、外国人を魅了した。現代では再現不可能とされる細密描写は、超絶技巧という言葉だけでは言い表せない、技術と芸術が融合した作品といえるだろう」と述べておられる。

 さすがに、森谷美保さまは美術史家だけあって、錦光山窯の成り立ちの経緯および「京薩摩」を簡潔に述べておられるだけでなく、その美の本質を適確に捉えてられていて、深く敬意をささげます。

 また、前回の「世界を魅了 明治の焼き物 十選」では、錦光山窯の絵師を指導するために錦光山宗兵衛が招聘した春名繫春の「色絵金彩飛龍文大香炉」が紹介され、また春名繫春が「京都の錦光山宗兵衛の仕事にも関わったという」という形で錦光山宗兵衛の名が出ていたこともあり、もしかしたら錦光山宗兵衛の作品は紹介されないかもしれないと思っていただけに、日経新聞社および森谷美保さまに感謝したいと思います。錦光山宗兵衛作品をご紹介いただきまして、どうも有難うございます。

 また今回、錦光山宗兵衛の作品として「花蝶図大鉢」が紹介されたわけですが、これは「花尽くし」シリーズのひとつであります。「花尽くし」の作品が、なぜ、これほど人々の心を魅了するのかと考えてみますと、四季折々の花が人の心に深くむすびついているからではないでしょうか。人々はなにかにつけて花に心を寄せてきた、そんな心情が「花尽くし」の作品に心惹かれるのではないかと思われます。そして花はやがて散ります。そのはかない、無常ともいうべき、一瞬が、「花蝶図大鉢」にはいまが盛りと華麗に描かれています。その命に対する哀惜の情が、いわば幽玄という優美さが、一層この作品の魅力を高めているのではないかと思われます。

 

 ところで、わたしに錦光山宗兵衛の作品のなかで今回の「花蝶図大鉢」をはじめとしまして「花尽くし」の魅力を気づかせてくれたのは元大学院生の原あゆみさんであります。彼女が修論で錦光山宗兵衛の「花尽くし」の作品を取り上げてくれて、いろいろお手伝いしているうちに、わたしも「花尽くし」の作品の魅力に気づいたのです。

 あらためて彼女の先見の明に敬意と感謝の意をあらわしたいと思います。

 

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 #日経新聞 #世界を魅了明治の焼き物

 #森谷美保

 #京薩摩 #SATSUMA

真夜中の観覧車:錦光山和雄初期短編小説集より

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 丘陵の上にある病室から観覧車がみえた。観覧車は、夕方になるとライトアップされ、夜空に色とりどりの光を点滅させている。光の点滅が止まると、三本の太い鋼管で支えられた観覧車の円い縁の白いイルミネーションだけが光っている。

 夏も終わり近くなり、少し蒸し暑い風が病室の開け放たれた窓か入り、室内の冷えた空気と混じり合っている。しのぶは窓際の椅子に寝間着姿で腰かけていた。身体に負担をかけないようにゆったりと座っている。

 しのぶの顔にピンク色の光の筋が映った。観覧車の消えていた光が夜空に点滅しはじめた。白、橙、黄色、水色、青、緑とさまざまな光が華やかな幾何学模様を描きだしている。

 しのぶは窓の外に顔を向けたまま、「夜の観覧車は綺麗だね」とつぶやいた。幾何学模様は、ひまわりや矢車草のような光の花を一定の間隔でリズミカルに描いている。「闇のなかに浮かぶ蜃気楼みたい」娘の操が答えた。「青と緑の扇子みたいな模様がキラキラしてまわっている」しのぶは立ち上がり、おぼつかない足どりで窓に近づいて、両手を軽く胸の前で合わせた。

 しばらく観覧車を眺めていたが、突然、窓の下を見ながら、「おや、重治さんが、あそこでわたしたちを見ている」と言った。「エッ、おかあさん、変なこと言わないでよ」操は困惑の表情をした。

 重治は二十年以上前に脳溢血で亡くなっていた。操は窓から身を乗り出して下を見た。観覧車に向かう道には若いカップルがたたずんでいる。男はTシャツにデニムの短パンをはき、女は両肩を出し、スリムなジーンズを身につけていた。ふたりとも腕をあげて携帯でイルミネーションで輝く観覧車を写していた。年配の男の人影はない。

 「お父さんが、いるわけないじゃない」。「そんなことないよ。あそこの木の下にいるじゃないの」しのぶは木陰の方を指さした。操が、その方角に目をやると、木立の下にベンチがあり、若い男女が寄りそって座っている。木立から少し離れたところに池があり、水面に観覧車のイルミネーションが揺らぎ水面ににじんで見える。

 「今度は、観覧車の切符売り場に並んでいるよ」。「しようがないわね。おかあさんは……」ととがめる口調で言いながら切符売り場の方を見た。切符売り場には、昼間は多くの家族連れが並んでいたが、夜はカップルが多かった。「おかあさん、しっかりしてよ」操は情けない気持ちであった。

 しのぶは重治が亡くなってからも、操が一緒に暮らそうよ、と誘っても一人の方が気ままでいいよ、と断り続けて一人暮らしをしていた。しのぶは長年続けていた趣味を生かしてタピストリー教室を開き、生徒の若い主婦からも慕われていた。それが、二週間ほどまえに膀胱がんの手術を受けてから急に衰えが目立つようになっていた。

 「お父さんがいるなんて変なこと言っているけど、おかあさん疲れているのよ」操は心配そうにしのぶを見た。「疲れてなんかいないよ……。あら、今度はあの女と一緒にいる」しのぶは大きく目を見開いた。「エッ、あの女って誰のこと?」操が怪訝な顔つきをして尋ねた。「重治さんの会社にいた女だよ」重治は定年まで食品会社に勤めていた。

 「あの女が離婚してから深い関係になったんだよ」。操は驚いて、「それは何時ごろのことなの?」。「おまえが結婚するまえだよ」。「じゃ、お父さん、五十代の半ば頃ね」しのぶがゆっくり頷いた。「若い女だったの?」。「重治さんより年上だよ」。「そう……。その人、まだ生きてるの」。「重治さんより先に病気で亡くなったよ。その時に重治さんが、わたしに頼んだんだよ」。「何を?」。「自分が糖尿病で動けなくなったものだから、あの女の葬式に連れて行ってくれってね」。しのぶは眉間にしわを寄せている。

 操は、重治が定年になって数年もしないうちに糖尿病が悪化して動けなくなったことを思い出した。「それで、おかあさん、連れていったの?」。「連れていったりしないよ。ホント、あの人は自分勝手な人だったよ」しのぶは不満そうな口調で言った。

 操は窓から身を乗り出すようにしてしばらく外を見ていたが、後ろを振り返った。「お父さんが、浮気をしていたなんて知らなかった」しのぶが少し困った顔をした。「おかあさん、何でいままで黙っていたの」。「済んでしまったことだから。それに……」。「なあに?」。「わたしも恋をしたからね……」。「エッ、恋! 相手は誰なの」操はあっけにとられたように尋ねた。「おまえの知らない人だよ。達次さんっていってね。職人さんだよ。重治さんみたいに気難しくなくて、優しい男だよ」しのぶの顔に生気が少し戻ってきた。

 「おかあさんの恋はプラトニックラブだったの」。「なんてことを聞くんだろうね。この子は」しのぶがいたずらっぽく笑った。「わたしは達次さんと夜の観覧車に乗ったんだよ。達次さんがわたしの胸にいつまでも手を当てているから、赤ちゃんじゃないのにいいかげんにしなさい!って言ってあげたの」操は思わず苦笑した。「でも、レディはこんなはしたないこと人前で喋ってはダメよ」しのぶは片目をつぶってみせた。

 操は外の観覧車に目をやりながら言った。「おかあさんも素敵な恋をしたなら、お父さんのことも許してあげたら」しのぶは黙って俯いている。「おかあさん、お父さんと仲直りのしるしに三人で観覧車に乗ろうか」操は微笑みながら子供にもどったような口調で言った。

 観覧車のイルミネーションの輝きが増し、しのぶと操、重治を乗せた観覧車はゆっくりと上がっていく。しばらく上昇すると、暗い海が見え、河口近くに五、六隻の屋形船の灯りが小さく見えた。船の胴のところが、夜の闇のなかを泳ぐ熱帯魚のように光っている。

 巨大な円盤の頂点まで来ると、観覧車は展望を楽しめるように数分間止まった。重治は半そでの開襟シャツに灰色のズボンをはいていた。膝の上に手を置いて、二人を見つめてぼそっと言った。「家に帰りたいが、帰れないんだ」しのぶが少しとがめるように言った。「本当に、長い間、帰ってこないね」

 しばらく沈黙があって、観覧車がふたたび動きだした。観覧車はゆっくりと地上にむかって降りていく。次第に駐車場が迫ってきて、駐車場に並ぶ車の一台一台が水銀灯にぼんやり浮かびあがった。観覧車が乗降場まで来ると、係員の女性が素早くドアを開けた。操はしのぶを抱きかかえるようにして客室のボックスから降りた。

 後ろを振り向くと、重治は降りようとせずに、自分でドアを閉めた。重治を乗せたボックスはそのまま上昇していく。重治がガラス窓に顔を押しつけるようにして、こちらを見ている。何か叫んだようだが、何も聞こえない。操が観覧車を見上げると、巨大な恐竜が骨格をさらしてそびえているように見えた。「お父さん、何で降りなかったんだろうね」。「また、しばらく帰ってこないつもりだね。あの人は無口で不器用な人だから」。「おかあさん、お父さんが帰ってこなくてさびしくないの」。「さびしくなんてないよ。おまえたちがいるからね」しのぶが一人きりになると不安がるので、操が連日病室に泊まり込んでいた。

 窓から風が入ってきた。夜半になって風は涼しくなっていた。カーテンが少し揺れた。観覧車の切符売り場に並んでいた人の列もなくなっている。しのぶは顔を少し歪めて「お腹が痛むよ」と言った。操はしのぶをゆっくりとベッドまで連れて行った。「おかあさん、疲れたでしょう。そろそろ、薬を飲んで寝たほうがいいよ」操はコップに水を注いで薬を飲ませた。しのぶは安心したようにベッドに横になり目を閉じた。操はしばらくしのぶの痩せて小さい顔を眺めていた。しわだらけの顔に幼い童女のようなあどけない表情があった。手をとると、温もりが伝わってきた。

 操は病室の窓から外に目をやった。夜の闇のなかにライトアップされた観覧車が見える。じっと眺めていると、観覧車が音もなくゆっくりと回っているように見える。腕時計を見ると十二時近かった。

 光の幾何学模様がリズミカルに繰り返されている。操はしのぶの心臓の鼓動のような気がして、思わず目を閉じた。

<錦光山和雄の初期短編小説集より>

 

 〇©錦光山和雄 All Rights Reserved

 

 #錦光山和雄

#真夜中の観覧車

少年の日のびわ

 

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#房総びわ

    少年の日

    屋根にのぼりて

    びわの実を    

    口いっぱいに頬ばりて   

    大きなタネを飛ばしけり

 

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    #房総びわ

    #初物

    #台風被害からの復旧応援

大阪薩摩・藪明山の新たなる発見&知見: YABU MEIZAN

 

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平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」展より

 私が敬愛しております大阪歴史博物館学芸員の中野朋子さまより大阪歴史博物館・研究紀要(第19号)掲載の論考をご恵送たまわりました。

 そこには中野朋子さまが長年研究されてこられた藪明山の新しい知見・発見が記述されており、その成果に目をみはるとともに、とても嬉しく思いました。

 

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  中野朋子さまは、大阪歴史博物館「近代大阪職人図鑑」所収の「アートプロデューサーの先駆け 藪明山」において、

 「藪明山(1853~1934)の日本における知名度は必ずしも高いとはいえないが、国外ことに欧米において”YABU MEIZAN”は明治日本の”SATSUMA”を牽引した作家のひとりとして高く評価されている」と述べ、

 海外で藪明山が高く評価されている要因のひとつとして

 極小の器胎に施された精巧な上絵付にあるが、その精巧な上絵付を実現するために、藪明山工房では凹版銅版による絵付技法を導入していたことに触れ、

 藪明山は自身では絵付を行わず、工房経営者として独自の図案を考案、絵付の品質管理・効率化を進めた、先覚者的なアートプロデューではなかったかという画期的な論考を発表しておられます。

 

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大阪歴史博物館

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藪明山「花づくし花瓶」

平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」より

YABU MEIZAN

 

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同上

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藪明山「稲荷明神正月図窓絵飾皿」

平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」より

YABU MEIZAN

 

   今回、論考「『陶画工』藪明山とその作品制作ー銅版を活用した下絵転写技法に関する一試論ー」において、

 中野朋子さまは、新出史資料を得たこと、新たに器胎表面をデジタルカメラやマイクロスコープで撮影・観察を試みた結果、素地に黒インクを圧着した印刷紙圧着法だけでは説明できない釉薬の変質が確認されたという。

 さらに、『陶業時報』のなかに京都の銅版師村上吉次郎(昇進堂)という人物がおり、彼が大阪の辻惣支店の高木文五郎と相談して新しい転写技法を開発したという知見を得て、

 素地表面の釉薬が軽く溶解する程度のごく低温で焼成を行い、転写紙を素地の表面に貼り付け、低温の窯に入れてそのまま焼くことで、ごく細密な描線を確実に転写した可能性があるのではないか、

 との従来の定説をくつがえす、新しい試論を提示し、今後実証実験を実施して検証を進めていきたいとされている。

 さらに中野朋子さまは、藪明山作品の緩衝材として詰められた「反古紙」のなかにあった新出の「藪家文書」から、

 嘉永元年(1848)、大阪生まれの銅版画家・銅版彫刻家の若林長英と藪明山との間に取引が存在していたことが判明した、という新しい発見があったことが書かれています。

 これらは非常に重要な発見であり、今後のさらなる解明が待たれるところであります。

 

 

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藪明山「大輪牡丹蝶文花瓶」

平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」より

YABU MEIZAN

 

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藪明山「風景図菊詰双耳三足香炉」

平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」より

YABU MEIZAN

 

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藪明山「緋連雀図口細花瓶」

平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」より

YABU MEIZAN

 

   

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藪明山「桜並木風景図飾皿」平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」より

YABU MEIZAN

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藪明山「藤絵菊詰金襴手花瓶」

平成記念美術館ギャラリー「藪明山の世界」より

YABU MEIZAN

    わたしは、このブログの記事「錦光山と藪明山」のなかでも触れていますが、錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文四方瓶」(下の画像参照)の紅葉の図案と、ナセル・D・ハリリの「SPLENDORS OF MEIJI」に掲載されている藪明山の図案がよく似ていることから、藪明山と京都の絵師たちとの間にどのような関係があったのだろうかと大変関心を持っています。

 河合りえ子さまも関心をお持ちのようで、錦光山と藪明山の作品の裏印を見てみたいとのことで、錦光山の一風変わった裏印を見つけて送ってくれました。

    

 

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河合りえ子さまより

 中野朋子さまも、

  今回の論考のなかで「『藪明山ブランド』の制作は明山の工房内のみ行われていたわけではなく、京都・粟田口ほかへの『外注』にも支えられていた可能性がある」とし、詳細については別稿にて報告すると書かれています。 

 まさに大阪の藪明山と私の祖父錦光山宗兵衛が窯を開いていた京都・粟田口との間でどのような展開があったのか、大阪薩摩と京薩摩の見えない糸が繋がるのかどうか、考えるだけでもワクワクドキドキいたします。

 なお、先程、粟田口という地名が出てきましたので、粟田口の窯元であった錦光山宗兵衛の作品「花鳥図薩摩大花瓶」も掲載いたします。

 このところ、コロナ禍で変異株が急増しておりますので、中野朋子さまにはご自愛をお祈りいたしまして、研究の一層の進展を願ってやみません。首をながくしながらも、楽しみにお待ちしたいと思います。

 

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錦光山宗兵衛「色絵金彩花鳥文瓶」錦光山和雄家蔵

KINKOZAN SOBEEⅦ

 

 

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七代錦光山宗兵衛「花鳥図薩摩大花瓶」

KINKOZAN SOBEEⅦ

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七代錦光山宗兵衛「花鳥図薩摩大花瓶」

KINKOZAN SOBEEⅦ


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藪明山「色絵金彩紅葉図花瓶」

YABU MEIZAN VASE 「SPLENDORS OF MIIJI」より

 

    ©錦光山和雄 All Rights Reserved

 

 

 

#藪明山 #大阪薩摩 #大阪

大阪歴史博物館  #中野朋子

#焼物 #陶磁器 #工芸

#錦光山宗兵衛 #粟田焼 #京焼 #京薩摩

#SATSUMA #POTTERY

 

追憶のオーガスタ:The Memory of Augusta

 

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 松山英樹がマスターズトーナメント優勝という快挙をなしとげた。

 TV画面を見ていて、オーガスタの記憶がよみがえってきた。

 2005年4月7日から10日、米ジョージア州オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで開催されるマスターズトーナメントを見れることになった。オーガスタで泊まったホテルは、線路の近くで、明け方ちかくに列車が通ると、プッポー!とラッパのような汽笛が鳴り、目がさめた。

  オーガスタの天気は気まぐれで、その日も雨でなかなかはじまらなかった。ようやく雨があがり、会場にいくと白亜の建物がむかえてくれた。

 

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 参加証を首にさげて、会場でウロウロしていると、初老のアーノルド・パーマーがゲストにサインをしているので、わたしも帽子にサインをしてもらった。

   コースのほうに出てみると、小高い松の樹々のしたに青々とした美しい芝生がひろがり、馬糞のにおいがした。芝を養うために土に馬糞をまぜているのかもしれない。初めてなので、全体のロケーションがわからないので、とりあえず一番ホールにいってみた。

 

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 人垣を縫って、前に出て待っていると、タイガー・ウッズの番がやって来た。当時29歳の全盛時のタイガー・ウッズである。

 タイガー・ウッズは、ドライバーショットを打つまえに何かつぶやいているように見えた。あとでガイドの人に聞いてみると、あれは”Bless me!"とつぶやいているという。真偽のほどはわからないが、何かに祈りを捧げているように見えなくもなかった。

    タイガーのドライバーショットは信じられないような勢いで青空に吸い込まれるように、はるか遠くに飛んでいった。早速、タイガーの”追っかけ”をしようと思ったが、タイガー・ウッズは早足でファウェーを歩いていくのでとてもついていけない。

 オーガスタ・ナショナルはよく手入れされた素晴らしいコースであるが、もっとも美しいのは、やはりアーメンコーナーといわれる、十一番、十二番、十三番ではなかろうか。 

 燃えるような紅や赤、白のアザレアが咲き誇る植栽をバックに、緑の芝生のところどころに、クリークが張り巡らされた一帯は、まさに神に祝福された聖地のように美しい。アザレアの花言葉は"恋のよろこび”というらしいが、このアーメンコーナーは数々の悲劇がくりかえされた名物ホールでもある。わたしもその光景に見惚れたように、一番長くいたように思う。

 

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 最終日、なだらかな丘のような十八番ホールの上で緑の布とスチールパイプでできた携帯用の椅子にすわってタイガーがあがってくるのを待った。C.デイマルコとのプレーオフの末、タイガーが勝利した瞬間、ゲストが大歓声をあげて、スタンディングオベーションで祝福する。アスリートは、超絶的なパフォーマンスによって人々を熱狂させるが、タイガー・ウッズもその例外ではなかった。

 今回、その栄誉を松山英樹が受けたことは、とても素晴らしいことと思われる。

 

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 その晩、オーガスタ・ナショナルのロッジで食事をした。今年のマスターズでは実況担当したTBS小笠原亘アナウンサーが感極まり55秒間沈黙したことが話題になったが、1976年以来マスターズを中継してきたTBSの社長や解説の中島常幸氏、また、なかにし礼ご夫妻(?)もいらした記憶がある。

 その後、オーガスタではマスターズの見学だけだったので、その年の全米オープンが開催される地まで飛んで、開催コースのPINEHURSTでプレーさせたもらった。いうまでもなく、結果は散々であった……。

 

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  ©錦光山和雄 All  Rights  Reserved

 

    #松山英樹 #オーガスタ #マスターズ #タイガー・ウッズ

    #TBS

 

英語の本と苫米地英人博士、ヤングマガジン

 

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 語学系出版社に加えまして、昨秋からまったく畑違いの若者向けのヤングマガジン&Webマガジンに関与することになりましたので、ご案内させてもらいます。

 語学系出版社では、良書の出版に努めてきたこともありまして、斬新な言語学書である「認知言語学の大冒険」、ハリーポッター・シリーズで有名な女優のエマ・ワトソンのスピーチを扱った「エマ・ワトソンの国連スピーチを英語で読む」、丸善丸の内本店の「丸の内語学塾・語学書部門」で3位になりました「大学で英語を教える父が高校生の娘に贈る プレミアムな英文法・熟語」などが大変好評を博しております。

 

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 また一般書では、脳機能学者でコーチングの世界的権威であります苫米地英人博士の「苫米地英人コレクション」シリーズ3巻の「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める」、苫米地式コーチング認定グランドマスターコーチの田島大輔著・苫米地英人監修「マインドの教科書ー自分が変われば、世界が変わる」がともにベストセラーになっております。

 

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 なお、コロナ禍でキャリアアップ&収入アップをめざして、苦労しながら日々英語の勉強をしている方々を応援するために、語学書を毎月、抽選でプレゼントするキャンペーンを行っています。ご興味ある方は下記をご覧ください。

 Twitterの「開拓社広報」 @hAKr43LUDit658

 また苫米地英人博士は、毎週月曜日午後9時からの地上波9チャンネルのMXテレビバラいろダンディ」で、毎週ではないですが、普通のメディアでは絶対聞けないような貴重なお話をされているので機会があれば視聴されたらいいのではないかと思われます。

 一方、ヤングマガジン&Webマガジンの方は、雑誌「月刊サイゾー」同電子「サイゾープレミア」のほか、Webマガジンとして、

①日刊サイゾー②ビジネス・ジャーナル

サイゾーウーマン④WEZZY(ウエジー

⑤ウーコミ⑥GJ⑦メンズサイゾー

⑧関連会社の「エンタMEGA」

などを出しています。Webマガジンはもちろん無料で視聴できます。

 月刊サイゾーは有料ですが、お蔭様で、最新号の3月号は、内閣府クールジャパンアンバサダーに任命されているコスプレイヤーのえなこさんのポスター付きのAmazon限定版は完売となっています。

 サイゾーでは次々と新しい企画を考えているようですので、皆さま楽しみにお待ちいただくようにお願いいたします。

 

 

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 ©錦光山和雄 All Rights Reserved

 

  #苫米地英人 #開拓社 #田島大輔 #サイゾー #えなこ

 #コーチン

 

 

「錦光山宗兵衛伝」の秘密:The secret of Kinkozan Sobei ,the story of a Awata Kiln

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「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」

 
 「錦光山宗兵衛伝」の秘密とはなにか。

 秘密といっても自らの不手際をさらすようなもので決してほめられるようなものではありません。

 まず冒頭の画像をご覧ください。そこに拙著「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」の表紙をふたつならべてあります。よく見比べていただきたいと思います。違いがおわかりになりますでしょうか。

 

 正解は「錦光山宗兵衛伝」の文字が左側が金箔、右側が銀箔になっているということであります。

 なぜこのようなことになったのかと申しますと、当初、この部分は白抜きにしようと考えていたのですが、拙著のなかで触れておりますように「茂兵衛氏の代に幕府の御用達となり、錦色燦爛(さんらん)とした見るも見事な絵模様の陶器を納めたのでその時から特に錦光山の姓を与えられこれを称するに至った」と錦光山と金彩とは縁が深いこともあり、その錦光山の評伝であれば金の箔押しにしたほうが良いのではないかと思いいたりました。

 そこで色味を調べまして、村田金箔の艶消し金NO.105が気に入り、その金を箔押しにすることにしたのですが、あいにく印刷会社の方にその在庫がないということで、仕方なく銀の箔押しにすることといたしました。銀の箔押しにしましたところ、銀は銀で闇夜に輝く月のごとく冴えた色合いがあり、それはそれで魅力的に感じられましたので印刷にかけました。

 ただ錦光山と金とのむすびつきを考えますと、なにか釈然としませんでしたので、迷った末に費用はすべてこちらで持ちますのでということで、印刷会社に一旦500部で印刷を中止してもらい、村田金箔の艶消し金NO.105を10キログラムばかり仕入れてもらい、残りはすべて金の箔押しで印刷いたしました。

 こうして「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」は金の箔押しと銀の箔押しという微妙に違う本が流通することになったのであります。

 

 この金の箔押しと銀の箔押しの両方の「錦光山宗兵衛伝」をお持ちの方はいないと思いますが、ひとりだけいらっしゃるのです。そのかたは当時、大学院で京薩摩を研究されていて、2018年11月に初めてお会いしたときに、私の拙著をぼろぼろになるまで読み込んでおられて、わたしはそこまで読んでいただいたことにいたく感激・感動して、持っておられなかった金の箔押しの拙著をお贈りさせていただいたのです。

 その方、原さんは錦光山宗兵衛の「花尽くし」を主に研究されて、その生成過程やヨーロッパや中国との関係、製作時期を推定した素晴らしい論文を書かれました。その内容は公表されておりませんので、ご紹介できないのは残念ではありますが、わたしはとても素敵な業績とリスペクトしております。

 

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原さまと宗兵衛伝

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原さまと宗兵衛伝

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原さまの論文

  次に秘密というよりも、偶然といったほうがいいかと思いますが、わたしが拙著を上梓いたしましたのが2018年2月13日で、その日はわたしの祖父の七代錦光山宗兵衛の生誕150年の誕生日と重なったことです。

 それはまったくの偶然なのですが、あまりにも出来過ぎていて、なにか目に見えない力に導かれたような運命的なものを感じました。

 そしてその日から3年が経ったいま、わたしは「錦光山宗兵衛伝」の姉妹編ともいうべき、錦光山宗兵衛をめぐる家族および女性たちを描いた外伝的なものを上梓できたらと考えております。

 

 

 最後に拙著の表紙について触れましたので、内容についても目次とプロローグの引用という形で触れさせていただきたいと思います。すでに拙著をお読みのかたは下記は省略でお願いいたします。

 目次は下記の通りです。

 

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 次にプロローグを引用いたします。

 ロンドンでの運命的な宗兵衛との出会い

 錦光山宗兵衛といってもいまや知る人はほとんどいないであろう。錦光山宗兵衛というのは京都粟田焼の窯元である。その子孫である私にとっても、錦光山宗兵衛および粟田焼はもはや歴史の遥かかなたに没したワンダーランドとなっている。そんなワンダーランドとなってしまった錦光山宗兵衛の作品と私の出会いは妙なところで始まった。

 それは1988年11月、ロンドンのクリスティーズのオークションの下見の部屋であった。私は1987年8月にロンドンの和光証券(現みずほ証券)の現地法人ワコー・インターナショナル・ヨーロッパに赴任し、当時、機関投資家相手の日本株セールスを担当していた。十数名の機関投資家のファンド・マネージャーが私の顧客であったが、そのなかにトウシュ・レムナントの取締役のマイケル・ワットさんという英国シティの古典的なバンカータイプの気難しい客がいた。ワットさんは私の英語があまりうまくないこともあり、私をブローカーとしてほとんど相手にしてくれていなかった。そのワットさんから、ある日突然、「今度、クリスティーズで日本の陶磁器のオークションがある。そのなかに錦光山の作品があるから一緒に見に行かないか」という誘いを受けた。私は耳を疑った。皮肉っぽいワットさんからそんな誘いがあるとは夢にも思っていなかったのである。

 11月9日、私はキングストリートにあるクリスティーズの玄関前でワットさんと待ち合わせて、クリスティーズの重厚な建物のなかに入って行った。左手に近く開催される「ジャパニーズ・ワークス・オブ・アート」というオークションにかけられる陶磁器や工芸品が展示されている部屋があった。私が目を凝らして見ていくと、陳列棚のなかに錦光山宗兵衛の作品が二つ陳列されていた。二つとも19世紀の作品で、ひとつは秋草模様の花瓶であり、もうひとつは牡丹を眺める婦人像の花瓶であった。それは、海外で私が初めて見た錦光山宗兵衛の作品であった。

 私が錦光山宗兵衛の陶磁器がロンドンのオークションに出ていることに驚いていると、ワットさんが「いまでも錦光山の陶磁器は、キンコウザン・ウエアとしてロンドンで流通している」と言った。それは私にとって衝撃であった。歴史のなかに没していたと思っていた錦光山宗兵衛の作品が古美術品として現在もなお流通し売買されているのだ。なぜ日本では忘れ去られてしまった錦光山宗兵衛の作品が海外では取引されているのだろうか。不思議だった。その後、私が1991年12月に帰国するまでの間、クリスティーズの「ジャパニーズ・ワークス・オブ・アート」は1989年3月、1990年3月と定期的に開催され、サザビーズでも1991年3月に「ジャパニーズ・ワークス・オブ・アート」が開催された。

 1980年代の後半は、日本経済のバブルの絶頂期であり、ロンドン全体が日本企業のファイナンスで沸き立つような活況を呈していた。私の連日サイニング・セレモニーに参加していた。そうした熱狂的な喧噪の真っ只中で、私はふとイギリス人はなぜこんなに古いものを大切にするのだろうかと思った。日本は、明治維新以降、遅れてきた資本主義国として近代化に狂奔し、古いものには価値がないものと見なし、新しい物の製造に邁進してきた。しかし、もしかしたらそれは日本の資本主義の底の浅さを表しているのではないだろうか。そんな疑問が湧いてきた。私はロンドンでバブルの余韻に酔いしれながらも、どこかで夏目漱石が明治44年に「これを一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである」と述べているような感じを抱いていたのかもしれない。

 そんなある日、私はいつかワンダーランドとなってしまった錦光山宗兵衛の世界へ遥かなる旅に出てみようと思うようになっていた。京都で将軍家御用御茶碗師であった錦光山宗兵衛の陶磁器が、なぜ、いまロンドンで流通しているのか、どのような経緯でそのようなことになったのか、その歴史をひもといてみようと思ったのである。それは、私の出会ったことのない曾祖父と、祖父の錦光山宗兵衛との邂逅(かいこう)の旅でもあるだろう。

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