錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

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希代のミステリー作家・打海文三の傑作「時には懺悔を」が映画化されます‼

 「鏡の国のスパイ 灰姫」で横溝正史賞、「ハルビン・カフェ」で大藪春彦賞を受賞した希代のミステリー作家、打海文三の傑作「時には懺悔を」(角田文庫)がついに映画化されます。

 

 2025年元旦に公開された情報によりますと、この映画は「重度の障がいを抱える子どもを通して描く親子の絆の物語」と謳われていますが、「告白」や「渇き。」「来る」「嫌われ松子の一生」などで知られる中島哲也監督が、「原作を読んでから約20年。ずっと映画化を切望しましたが難しいと言われ続け、中止になってもおかしくない事態に何度もぶつかりながら、障がい児関連の人々など多くの人の協力と努力に支えられ、やっと完成しました。こういう映画が人々に受け入れられる土壌がようやく整ったことを強く実感しますし、嬉しい限りです」と述べていますが、中島哲也監督の熱意と執念で完成した映画といえるましょう。 

 

 出演者は、カンヌ国際映画祭脚本賞やアカデミー国際長編映画賞などを受賞した「ドライブマイカー」に主演した西島秀俊さん、またカンヌ国際映画祭男優賞やアカデミー国際長編映画賞などを受賞した「PERFECTDAY」に主演した役所広司さん、満島ひかりさん、黒木華さん、宮藤官九郎さん、柴咲コウさん、塚本晋也さん、片岡鶴太郎さん、佐藤二朗さんなど錚々たる名優が出るそうで、今年2月のベルリン映画祭や5月のカンヌ映画祭に出品して、6月に上映されるようです。 上映されるのを首を長くして待っているのですが、上映はまだ大分先であり、また上映に備えて「時には懺悔を」を再読しましたので、ここではネタバレにならない範囲で、この小説がどんなに魅力的な作品なのか触れてみたいと思います。

 

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 この物語は、5月のある日、探偵の佐竹が、探偵社アーバン・リサーチの探偵見習で、男の股間を傷つけたことある中野聡子とともに同業者である米本の探偵事務所に盗聴器をしかけに出かけると、米本が何者かに殺されていたのです。佐竹は探偵見習いの聡子とともにその真相を調べていくことになります。
 調べていくと、次々に不可解なことが明らかになっていきます。
 殺された米本の調査依頼書のなかに意図的に依頼者の名前が隠されたものがあり、その不明な依頼者は、たまたまテレビに映った、クリスマスイブでにぎわう府中のケヤキ通りの画面の写真を持ちこんで、米本に何事かの調査を依頼したようなのです。
 そのテレビ画面の写真をなんとか手に入れた佐竹と聡子は、それを手掛かりに調査を進めていきますと、ある中年の冴えない男が府中の市営住宅で「この子は生きているのが奇跡、だとさ」〈では奇跡が起きたのさ〉といえるくらい重度の障害児と暮らしていることがわかるのです。
 聡子は近くのアパートに潜み、ずっとその男の監視を続けるのですが、9歳ながら赤ちゃんのような、シンちゃんという重度障害児のことが次第に気がかりになり、そのシンちゃんが、クチャクチャとモノを食べる音や、アー、ウーだけですが、楽しそうに声を出して歌う様子や、はてはブーと臭いおならをする様子に、いつしか感情移入してしまい、シンちゃんに首ったけになっていくのです。その様子がなんとも微笑ましく、秀逸なのです。
 それほど、シンちゃんはまつ毛がカールして可愛い子供らしいのです。小説のなかではシンちゃんは「生涯にわたって、怒りや憎しみを決して見せないであろう、きれいな顔」と描かれていて、とても切ない気持ちになります。

 そして8月のはじめのある日、その冴えない中年は、シンちゃんを乗せて茨城の海水浴場に出かけます。尾行して行った佐竹と聡子は、その海水浴場で思わぬ光景を目撃するのです。その場面を引用しましょう。

「パラソルから4,5メートル離れて、ほっそりしたからだつきの女が立っていた。麦わら帽子をかぶり、水玉模様の黒っぽいワンピースを着ていた。右腕に布製の袋をささげ持ち、左手に黒いヒールをぶらさげている。
 <中略> 
二人は波打ち際へ移動した。聡子は車椅子を背にして立った。佐竹はカメラをかまえ、手真似で腰をおろせと伝えた。聡子が腰をおろした。佐竹はファインダーをのぞいて、女の表情をとらえた。優しい感じのする嫌味のない顔立ちだった。目に涙があふれてくるのがわかった。急いで数回シャッターを切った。女の顔がくしゃくしゃに歪んだ。ハンカチが顔を隠した。佐竹はカメラを下ろし、荷物のある場所にもどった」 

 この場面、そこに立ち現れた女が、いろいろ複雑な思いを抱えて思わず涙する場面なのですが、佐竹が敬愛する、大手探偵事務所アーバンリサーチのベテラン相談員、ウネ子がこの女のことを「怒り、哀しみ、自責、死への衝動、諸々」をかいくぐって来たような女と称した女であり、この場面はこの小説のなかでもっとも美しいシーンの一つだと思われます。

 そして真相が次第に明らかになるにつれ予想外の展開になっていきます。でも、ここではネタバレにならないように、小説のなかの一文を引用しましょう。
「まったく人間は無力な生き物。だけど無力な人間が、痛ましい悲哀から癒されるプロセスにこそ《感動》ってものがあるわけでしょ」

 この一文は、どこか斜にかまえて、乾いた目で、しずかに物事を見つめている、希代のミステリー作家、打海文三の優しさが隠されているのではないかとわたしには思われるのです。

 わたしは、意外な展開に一気に読み進めていったのですが、探偵米本を殺した真犯人は最後の最後までわかりませんでした。それだけこの小説はよく考え抜かれたミステリー小説の傑作なのです。そして、かつて障害児を扱ったこんなミステリー小説がなかったことを考えると、あらためて打海文三という希代のミステリー作家の才能に驚嘆するのです。 それだけでなく、わたしは「その子は神様かもしれないから、大事にした方がいいですよ、って」という小説のなかのセリフには胸がつまりました。それほど、この小説は、読んだあとも深い余韻を残す作品なのです。 

 「時には懺悔を」という素晴らしいタイトルの、こんな傑作ミステリー小説が、探偵の佐竹は西島秀俊さんが演じるようですが、多くの名優たちが出演して、どのような映画になるのか期待が高まるばかりです。

  かつて深作欣二監督がこの小説を映画化したいと言ってきたことがあったそうで、そのときに、打海文三氏が断ったという噂を聞いたことがあります。どんな思いで断ったのか知るよしもありませんが、今回、中島哲也監督によって完成されたこの映画がベルリン映画祭やカンヌ国際映画祭で受賞することを願ってやみません。また、上映された暁には皆さまと感想を述べあえることを楽しみにしております。

https://eiga.com/news/20250101/1/

 なお、打海文三氏の作品は、「時には懺悔を」以外にも、横溝正史賞受賞の「鏡の国のスパイ 灰姫」大藪春彦賞受賞の「ハルビン・カフェ」現在の分断された戦争の時代を予見した「応化戦争記シリーズ」の「裸者と裸者」「愚者と愚者」「覇者と覇者」切ない恋愛小説集で打海文三の青春の断面を彷彿させる「1972年のレイニー・ラウ」などの作品もあります。併せてご紹介させていただきます。

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打海文三

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右、打海文三

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映画「不思議の国のシドニ」を観る

 

 フランス人の女性作家シドニが、自分のデビュー作の小説「影」の日本語版再販のプロモーションのために日本を訪れます。関西空港に着くと、編集者で無愛想な溝口健二がアテンドのために出迎えます。初めての日本にシドニはいろいろと戸惑います。

 


 ホテルに着くと、一瞬、亡くなった夫、アントワーヌの幽霊が見えて、シドニは驚き戸惑います。彼女は夫を交通事故で亡くし、深い喪失感を抱えていて、彼女は新しい小説を書けなくなっていたのです。
 編集者の溝口は、彼女をアテンドして京都に向かいます。その京都の宿で、シドニは夫の幽霊をはっきり見て、語りかけ、手で触れようとするのです。それで分かったことは、その幽霊は彼女だけに見えるもので、触れても肌に触れ得ない実体のないものだということです。彼女は夫の幽霊が実体のないことに寂しさを覚え、不満を口にします。

 


 そんなことがありながら、シドニは、溝口とともには旧都ホテルの会場でインタビューを受けたり、書店でサイン会をしたりしながら、法然院谷崎潤一郎の墓を訪れたり、桜並木の道を車で走り抜けたり、奈良の東大寺などを訪れたりします。このあたりは、日本人のわれわれにはあまりに典型的な日本の観光地すぎて、ちょっと勘弁してほしいと思うところですが、フランス人の感性からすれば、やはり抑えておきたい日本の情緒であり光景なのかもしれません。

 


 その間、無愛想な溝口は過度にシドニに関わろうとせずに随伴者に徹していますが、ホテルのバーで自分は妻と何年も口をきいていないと自らも喪失感を抱いていることを洩らしたりします。そんな溝口をシドニは、手がきれいだと褒めますが、距離感は一挙には縮まりません。
 そんな関係が瀬戸内海の直島に行ったあたりから変わっていきます。二人はいろいろ話し合って刺激し合い、美術館を訪れて手をつないだり、またシドニは海辺の砂の上を官能的に裸足で歩いたり、すこしづつ関係が深まっていくのです。直島の風景も旅情にあふれていていい感じです。シドニの硬かった表情も次第に生き生きとしてきて、輝きを増していきます。それはまるで日本の美しい風景がシドニの心を少しづつ変えていったように見えるのです。そして、直島のホテルでは、幽霊の夫の姿が半透明になり、半ば消えかかっているのです。シドニが、どうしてかと尋ねると、夫の幽霊は生と死を分かつ川の向こう側にいくからと言うのです。そして、あまり精神的にならないようにとシドニに言うのです。すると、不思議なことにシドニは手書きで何事かを紙に書つけることができるようになり、新しい作品が書けそうな創作意欲が少しづつ蘇ってくるようなのです。そしてこのあたりはとてもフランス的だと思われるのですが、シドニが溝口をベットに誘うころには幽霊の夫の姿は完全に消えてしまうのです。
 シドニを演じるイザベル・ユペールという女優はフランスの名優だそうで、もう70代に達しているそうです。そのイザベル・ユペールに対して溝口健二監督のオマージュである同じ名前の溝口を演じる伊原剛志は60代だそうですが、フランス語を猛特訓してよく応えていると言えましょう。
 それにしても、そのイザベル・ユペールが演じるシドニが、詩情あふれる日本を旅し、桜に癒され、溝口と関係を深め、創作の意欲を取り戻していくというこの映画は、もしかすると、エリーズ・ジラールという女性監督が年を重ねた女性に対して送るエールではないかと思えてくるのです。一般的に言って、女性の平均年齢は男性よりも長く、多くの女性はパートナーの男性に先立たれて喪失感を抱えて生きていくのかもしれません。でも、エリーズ・ジラール監督は、そんな女性たちに、喪失感を喪失感として見つめながらも、いつまでもしなやかに、ちょっとしたたかに、美しく生きていってもいいのでは、というメッセージをこの映画に込めているのではないか、とわたしには思えるのです。
 なぜなら、日本の自然や文化を通して新しい人生のステップを踏み出す、そんな女の情念を、フランスの名女優であるイザベル・ユペールは、肩肘を張らずに、美しく自然に演じているからです。さすがに、フランス映画だと思いました。

 

 

 

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鼻血顛末記

 

 私事で恐縮ですが、鼻血がなかなか止まらなくて困ったことがありました。
 朝起きて鼻をかんだりすると、左の鼻から血が出て止まらないのでティシュを詰めて静かにしているのですが、それでも止まらないのです。仕方がなく血で真っ赤になったティシュを何度か取り替えるのです。

 鼻血が出ても、いずれ止まるだろうと、そんなに心配していなかったこともあり、鼻血はかれこれ一カ月くらい続いたでしょうか。それでも、ウォーキングしている最中にも鼻血が出るので、ティシュを慌てて詰めて、マスクで隠して歩いたり、外出先でも鼻血が出たりして、なかなか止まりませんでした。仕方なく耳鼻咽喉科の医者に行ってみることにしました。

 医者は、鼻腔は繊細だからティシュを乱暴に入れないでそっと入れて、取り替えてはいけない、止血の方法としては鼻を指でしばらくつまむこと、あんまり止まらなければ、少し痛いけどレザーで鼻腔を焼く方法もあると言っていました。

 どうしょうかと考えましたが、臆病なわたしはレザーで焼くときに痛かったらどうしょうと怖くて放っておくことにしました。その後も、鼻血が出ると指でつまんで止血するものの、鼻血は頻繁に出るし、友人たちも、子どもじゃないんだから痛くても、レザーで焼いてもらった方がいいのでは、と言うので1週間後に医者に行きレザーで焼いてもらうことにしました。
 痛かったらどうしょうと固まっているわたしに、医者は麻酔薬に浸したガーゼを両方の鼻の穴のなかに入れくれたので、わたしは少し安堵しました。十分後、レザーで鼻腔を焼いたのですが、少し鈍痛のようなものを感じ、また肉の焼ける異臭がしましたが、無事に終わりました。正直ホッとしました。

 医者に一週間くらいの間に鼻腔にかさぶたができるので、それは取ってはいけないと言われたのですが、2、3日するとかさぶたができ、鼻のなかがモゾモゾするので、しばらくは我慢していたものの、どうしても取りたくなり、ついに何度も取り出してしまったのです。困ったもんです。
 そんな話を知人にしていましたら、鼻血を止める治療をしたのはいいけど、その原因を直した方がいいんじゃないかと言うので、2、3日考えてから内科の病院に行って相談しますと、血圧を測ってくれました。そして血圧が160ー100、脈拍53で血圧が高いから、血圧降下剤を飲んだ方がいいだろうと血圧降下剤を処方してくれました。

 人によっては、血圧は頭や足に血液を送るのだから、あんまし血圧をさげると痴呆症になりやすくなると言う人もいて、少し複雑な気持ちですが、とりあえず飲んでいます。

 また有名なタレントさんが亡くなったこともあり、寒暖差が少なくなるようにヒートショック対策をしたり、そんなこんなで、今年の10月から12月にかけて鼻血にふりまわされる日々となりました。

 同じ鼻血でも「ナミビアの砂漠」の河合優実さんの鼻血ならまだ可愛いくて救われるのですが、年の瀬も押し詰まったお忙しいなか、わたしがごときの鼻血など、なんとも、つまらない話におつきあいさせてしまい、申し訳ありませんでした。
 新春を迎えるにあたって、皆さまのご健康をお祈りいたします。

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呉明益「自転車泥棒」を読む

 日経新聞の読書欄の「半歩遅れの読書術」で作家の高山羽根子さんが、台湾の作家呉明益さんの「自転車泥棒」のことを「奇跡みたいな本、というものがいくつもある。こんなものどうやって書くんだ、とか、人生のうちこんな作品がひとつでも書けたら、というふうな。これはまちがいなく私にとってそういう作品のひとつで、ことあるごとに触れていくことになると思う」と書いていて、どんな本だろうと読んでみました。

 

  

 この小説は、主人公の父が台北の中華商場で仕立て屋をしていたのですが、二十年前に「幸福号」印の自転車とともに忽然と失踪してしまい、長い年月を経て、その自転車がもどってくる物語なのです。


 その「幸福」印の自転車をさがすなかで、過去を語る物語なのです。主人公の祖父は1905年の旅順でロシア軍が日本に投降した年に生まれ、とても高価だった自転車を持つことが夢であったこと、さらに日本統治時代や国民党支配の時代から現代まで、およそ百年にわたる家族史が語られ、また蝶の翅で工芸品をつくる話や、主人公が次々といろんな人々に出会うことによって、話は台湾だけにとどまらず、マレー半島の日本軍の銀輪部隊に従軍した話やミヤンマー(旧ビルマ)における日本軍のゾウによる輸送部隊の辛酸を極める話、はては台北円山動物園オラウータンの話までてんこ盛りなのです。

 「幸福」印の自転車探しは、髪の毛がボサボサのアブーというガラクタのコレクターと知り合ったことに始まります。アブーは「幸福」印の自転車のコレクターであるナツを紹介してくれたのです。ナツに会ってみると、その自転車は自分のものではなくて、自分の知り合いのアニーの、さらにその友達で戦場カメラマン志望の原住民青年のアッバスが貸してくれたものだというのです。主人公がアッバスと会うと、アッバスは兵役で日本軍の第二高雄海軍航空隊のあった場所に赴任し、そこで知り合った老人ラオゾウと廃墟の建物のなかにある地下水道に潜り、水に押し流されて、気がつくと岸辺に打ち上げられていた、という不思議な体験を話してくれるのです。


 このほかにも、いろいろな人が登場し、過去と現在を往還する形で語られるのです。長編小説でいろんなエピソードが出てくる、かなりややっこしい小説であります。
 とても説明しきれないので、その一端を著者呉明益さんの描いた、日本兵や密林から顔を出すゾウやオラウータンなど細密な絵でご想像願いたいと思います。

 

  

 この絵とは別に、印象的なシーンをご紹介したいと思います。それはアッバスからの手紙に書かれていた情景です。


「私を連れて村の西のはずれの森に行くという。村から一時間ほど歩いたころ、森の縁に出た。遠くに巨大なガジュマルの樹が見えた。……男は、流暢ではないが自信満々の英語で、これが「天国へ向かう魂を捕まえる」樹だ、と言った。……彼が指さした先にー天を覆いつくす枝葉にぶら下がる自転車のフレームを、私は見つけた」というシーンです。

 当初、この小説はマジックリアリズムの小説ではないかと思って読んだのですが、この小説には村上春樹のように、ねじまき鳥もめくらやなぎも出てきません。また、中国のノーベル文学賞作家、莫言(ばくげん)の「豊乳肥臀(ほうにゅうひでん)」のように、激動の中国の歴史のなかを混血男児金童とその八人の姉妹が奇妙奇天烈に生きる、そんな奇妙奇天烈さもありません。その意味では、わたしの好きなカオス、エネルギュな混沌は描かれていません。


 どうしてかと思って、著者の呉明益さんの「後記」を読んでみますと、「ぼくは、この世界をはっきり見通すことができないから、自分の心に不安と無知があるから、小説を書いている」「この小説は「なつかしい」という感傷のためではなく、自分が経験していない時代とやり直しのできぬ人生への敬意によって書かれた」と記しています。著者はかなり真面目な方のようで、マジックリアリズムとは少し距離があるのかもしれません。


 なお、呉明益さんは97年に「本日公休」で作家デビューしたそうで、わたしはたまたま映画「本日公休」を見ていて、けれんみのない穏やかでいい映画だと思いました。

 


 訳者の天野健太郎氏が「あとがき」で「彼(呉明益)の作品は、…自らを「振り返る」ことを長らく忘れてきた台湾で、それまで世代間、エスニックグループ間、地域間などで断絶し、共有されてこなかった「記憶」を互いに再発見しようという社会的な関心を呼び起こすきっかけとなった」と書いています。


 また今年のノーベル文学賞作家、ハン・ガンさんが受賞記念講演会で「当初は、「現在が過去を助けることができるか」「生者が死者を救うことができるか」という問いが浮かんでいた。だが、次第にこうした問いは覆され、「過去が現在を助けている。死んだ者たちが生きている者を救っている」と感じるようなったという」と語ったそうです。

 わたしも「記憶」や「過去」を書くことにどのような意味があるのか少し考えてみたいと思いました。

 

 

 

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「浅井忠。あちこちに行く」展との縁

 浅井忠は、わたしの祖父七代錦光山宗兵衞と浅からぬ縁があることもあり、千葉県立美術館の「浅井忠、あちこちに行く」展に行って来ました。 

 


 浅井忠は安政3年(1856)に下総佐倉藩重臣の子として江戸で生まれたましたが、7歳で佐倉に移住、20歳で工部美術学校に入り、イタリア人のフォンタネージから西洋画を学び、明治22年(1889)に明治美術会を結成します。1890年代には東京の根岸近辺に住み、正岡子規と親しくなり、後にパリから雑誌「ホトトギス」に寄稿したり、また子規との縁で夏目漱石とも交友し「吾輩は猫である」の挿絵を描き、ロンドンに留学した夏目漱石の下宿に泊まったりしたそうです。


 習作もふくめてその頃の作品の画像をアップしましょう。

 

 その後、浅井忠は、東京美術学校教授になり、1900年に文部省の命で渡仏し、マラコフ通りのアパルトマンに住みながら、当時開催されていたパリ万博会場にあしげく通い、最盛期を迎えていたアールヌーヴォー様式の絵画をにつぶさに見て、「諸外国の競争にはさまれて、日本画も洋画も実に顔色がない。その前に立ちどまるのも恥ずかしい」と衝撃を受けます。

 

 

 わたしの祖父七代錦光山宗兵衞も日本画の巨匠、竹内栖鳳や現在の京都工芸繊維大学の初代校長になる中沢岩太博士などとともにパリ万博を視察し、日本の窯業が遅れていることにショックを受け、当時パリにいた初代宮永東山と知り合い、日本の窯業の近代化のために是非とも錦光山窯の顧問として来てほしいと招聘し、また宮永東山を通じて浅井忠とも知り合い、中沢岩太博士の招聘に応じて浅井忠も京都高等工芸学校の教授として京都に来ることになるのです。
 京都に来た浅井忠は、聖護院洋画研究所や関西美術院などで梅原龍三郎などの弟子を育てるかたわら意匠研究団体である「遊陶園」などを中心に陶磁器や漆芸の図案制作を指導、みずからも陶磁器制作を行い、錦光山窯で焼いたのです。
 このあたりのことは、わたしの拙著『京都粟田焼窯元錦光山宗兵衞伝 世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて』『粟田、色絵恋模様』に詳しく書いてありますので、ご興味があればお読みください。

 

「遊陶園」の記事のなかに七代錦光山宗兵衞の名前がありました。また、宮永東山の作品もありました。

 

  宮永東山さんと言えば、初代宮永東山さんは宗兵衞の姉と結婚したのですが、子供に恵まれず、早逝したこともあり、初代宮永東山さんは再婚し て、三代宮永東山さんとは血の繋がりはないのですが、当代の三代宮永東山さんが2023年度の日本陶磁協会賞の金賞に選ばれて、日本橋の画廊、壺中居で受賞記念展を開催して、
その記念の品が送られて来ました。
 浅井忠画伯を偲び、三代宮永東山さまの末長いご活躍をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

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