錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

西川満をめぐる台湾の旅 ⑴台南編

台南の 孔子廟に面した通りに咲く鳳凰

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 西川満をめぐる台湾の旅に出かけた(文中、敬称略)。

 最初、台南に向かった。

 西川満の鄭成功の孫をめぐる幻想的な小説「赤嵌記(せつかんき)」の舞台となった赤嵌楼を訪れるためである。

  なお、鄭成功というのは、17世紀中頃、明が清に滅ぼされると、明朝復興のために清朝と戦い、その志ならずして台湾に渡り、当時台湾を支配していたオランダを追放した民族的英雄であり、日本でも近松門左衛門の「国性爺合戦」のモデルになった人物でもある。

 小説を読んで赤嵌楼は薄暗い廟をイメージしていたが、眼にしたのは南国の光をあびた明るい廟であった。まさに早稲田大学時代の恩師・吉江喬松が色紙に

 南方は 光の源 

 我々に秩序と

 歓喜

 華麗とを

 与える

と書いて、

台湾で独自の日本文学をうち立てることこそ男子一生の仕事だと言って、西川満を台湾に送り出した南国の風景そのものであった。

 

赤嵌楼

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 もう一つは台南の麻豆区にある真理大学文学資料館の張良澤名誉館長にお会いするためである。

 そこでわかったことは、西川満の直弟子である葉石濤(ようせきとう:西川満が台南で講演するときに、背の低いやせぽっちの中校生がよく質問してくるので、西川満がその少年・葉石濤を誘い、自宅に住まわせて「文芸台湾」の助手にした)が台南で「葉石濤文学記念館」ができるほどの戦後台湾の代表的な作家になっていたことである。

 葉石濤は、1960年代に国民党政権の徹底的に言論を弾圧する戒厳令下で白色テロに会い投獄された作家で台湾の川端康成といわれているそうである。なぜ投獄されたかというと、葉石濤は当時高雄で小学校の先生をしながら、コツコツと執筆活動をしていたが、読書会に参加していて、白色テロの時代で知識人や若い人は内心不満を持っていたが、抵抗もできない。そうした状況で、各地に読書会ができ、そのなかのリーダーにはおそらく左翼関係の人が紛れ込んでいた可能性もあり、国民党政府はこれを取り締まりの対象にしたという。

 なお、白色テロというのは、台湾では1947年2月28日に外省人の取締官が闇煙草の販売していた本省人婦人に暴行を加えたことをきっかけに全国的な抗議デモが発生し、国民党政府が弾圧・虐殺(2・28事件)が起り、これが引き金となって1987年まで戒厳令が敷かれ、その間、反体制派の台湾人(本省人)に対して徹底的な政治的弾圧・虐殺を行い、多くの犠牲者を出したことをいう。

 

葉石濤文学記念館

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西川満から葉石濤への手紙

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  さらに台南の国立台湾文学館でも、たまたま「葉石濤」展が開催されていた。

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 なお、台湾の戒厳令時代には西川満の文学は昭和十二年の日中戦争の始まりと共に起こった皇民化運動の走狗として批判され、西川満の文学が再評価されるには戒厳令後の台湾の民主化まで待たねばならなかった。また皇民化運動の一環として、漢文禁止令、日本人名への改姓名、家庭生活を日本式に改めることなどが実施されたという。

 張先生のお話では、漢文禁止令といっても、漢文を読む際に中国語の発音が禁止されたので台湾語の発音は禁止されず、台湾人は当時北京語はしゃべれなかったので日常的にはそれほど困らなかったという。

 また日本人名への改姓は、強制ではなく申請制で、日本人名に改姓すれば物資の配給が受けられるというものだったという。

 さらに、家庭生活を日本式に改めるというのは、衛生管理を進めるということで、畳の上で生活することや食事面ではみそ汁を飲むこと、年4回大掃除してフトンを干すこと、便器を寝室に置かないことなどで、これは警察が調べたそうである。張先生は冗談まじりに、台湾人は年1回正月しかフトンを干さないから、これはそんなに悪いことではなかったという。 

 こういうお話は本を読んでもなかなかわからないことで、張良澤先生だからこそのお話なのでいたく感銘した。それにしても、不幸な時代の出来事で、この話を聞いてどこかホッとさせられた。

 いずれにしても、日本ではほとんど忘れられた作家になっている西川満が台湾を代表する葉石濤という作家を育てたことは、嬉しい驚きだった。西川満の文学および足跡がこんな形で台湾に残っていることがわかったことは大きな収穫であった。

 また戦前の台湾の文学を代表する作家として西川満と張文環がいるが、張文環は西川満が設立した浪漫的な台湾文芸家協会および「文芸台湾」から袂を分かち、リアリズムの「台湾文学」を設立して二人は対立したように見られている。

 しかし、張良澤先生によると、西川満は日本人としてのアイデンティティを持ち、張文環は台湾人としてのアイデンティティを持ったということで、二人は決して仲が悪かったわけではないという。

 また張文環という作家は、日本語の文章はトップクラスの純文学作家で、著作数は15作ほどで数は少ないがとてもいい作品だという。また戦後、国民党政府が日本語の使用を認めず、北京語での作品発表を強制したことに対し、抵抗の意味もあって筆を断ったという。凛とした気骨のある作家だったのだろうか。

 

張文環全集   真理大学台湾文学資料館蔵

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 最後に台南の鳳凰木(ほうおうぼく)の赤い花咲く並木を見たかった。5月に咲くと思って半ば諦めていたところ孔子廟の前の通りで鳳凰木を見つけた。南国にふさわしい清々しい木ではないだろうか。

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 なお張良澤先生が名誉館長をされている真理大学文学資料館には、わたしの恩師西川潤先生の色紙も飾られていた。ただ昔は5000名の学生がいたそうだが、いまは大半が台北の本校に移ったそうで閑散としていた。

 なお台南と嘉義の間に広がる不毛の地であった嘉南平野に、いまなお台湾の人々から慕われリスペクトされている日本人技師・八田與一が戦時中に作った灌漑用水のダム・烏山頭水庫は真理大学から少し離れたところにある。

 台湾の嘉義農林高校が、日本人教師と台湾の若者たちが交流し、1931年に甲子園に出場し活躍したことを描いた映画「KANO1931」のなかにも八田與一の灌漑用水が流れて、台湾の人々が喜ぶ感動的なシーンが出てくる。

 

真理大学文学資料館

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真理大学台湾文学資料館蔵

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 真理大学台湾文学資料館蔵

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八田與一

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 張良澤先生には大変貴重なお話をうかがうことができ大満足であった。張先生のご尽力で西川満文学の再評価の道が拓かれたことを思うと、張先生をリスペクトするとともに飾らないお人柄が最高で、そんな張先生に甘えさせていただいて、拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」も台湾デビューさせていただいた。謝謝です。

 

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 なお張良澤先生は、下村作次郎の「概説・20世紀台湾文学ー台湾文学研究の手引き」のなかで「では、このような状況のなかで、台湾の人々が日本統治期の作品を直に読むことができるようになったのは、いつ頃からだろうか。それは、1976年頃からで、雑誌『夏潮』に楊〇や呂赫若、頼和、張文還、呉濁流らの作品が取り上げられて、その存在が少しずつ知られるようになっていった。またこの時期に台湾文学研究の開拓者として活躍したのが張良澤である。張良澤は、台湾文学の研究が、戒厳令のもとで正当な学問対象となっていない、いわば研究それ自体がタブーであった時代から、埋もれた台湾作家の資料を蒐集して大部な作品集や全集にまとめていった。張良澤によって出版された全集には、『鍾理和全集』全8巻(遠景出版社、1976.11)、『呉濁流作品集』全6巻(遠行出版社、1977.9)、『王詩琅全集』全11巻(徳馨室遠景出版社、1979・6)、『呉新栄全集』全8巻(遠景出版社、1981.10)がある。」と記載されている。つまり張良澤先生は、戦後国民党政府の戒厳令のもとで大陸から移住してきた中国人作家による中国文学の「移植」のなかで、縦の継承を断たれていた日本統治期の台湾文学にひかりを当て、継承を可能にした開拓者であったことを付言しておきたい。

 その後、張先生はお忙しくてご一緒できなかったが、西川満先生の宗教的側面を研究されている台湾首府大学の黄耀儀助理教授と新営の「華味香」で夕食をしながらお話をうかがった。

 台南の真理大学台湾文学資料館にて 張良澤先生と黄耀儀助理教授とともに。

 

 

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張良澤先生とともに

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張良澤先生とともに

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張良澤先生とともに

張良澤先生とともに

 

 西川満をめぐる台湾の旅 ⑵台北編に続く

 

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