錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

映画「不思議の国のシドニ」を観る

 

 フランス人の女性作家シドニが、自分のデビュー作の小説「影」の日本語版再販のプロモーションのために日本を訪れます。関西空港に着くと、編集者で無愛想な溝口健二がアテンドのために出迎えます。初めての日本にシドニはいろいろと戸惑います。

 


 ホテルに着くと、一瞬、亡くなった夫、アントワーヌの幽霊が見えて、シドニは驚き戸惑います。彼女は夫を交通事故で亡くし、深い喪失感を抱えていて、彼女は新しい小説を書けなくなっていたのです。
 編集者の溝口は、彼女をアテンドして京都に向かいます。その京都の宿で、シドニは夫の幽霊をはっきり見て、語りかけ、手で触れようとするのです。それで分かったことは、その幽霊は彼女だけに見えるもので、触れても肌に触れ得ない実体のないものだということです。彼女は夫の幽霊が実体のないことに寂しさを覚え、不満を口にします。

 


 そんなことがありながら、シドニは、溝口とともには旧都ホテルの会場でインタビューを受けたり、書店でサイン会をしたりしながら、法然院谷崎潤一郎の墓を訪れたり、桜並木の道を車で走り抜けたり、奈良の東大寺などを訪れたりします。このあたりは、日本人のわれわれにはあまりに典型的な日本の観光地すぎて、ちょっと勘弁してほしいと思うところですが、フランス人の感性からすれば、やはり抑えておきたい日本の情緒であり光景なのかもしれません。

 


 その間、無愛想な溝口は過度にシドニに関わろうとせずに随伴者に徹していますが、ホテルのバーで自分は妻と何年も口をきいていないと自らも喪失感を抱いていることを洩らしたりします。そんな溝口をシドニは、手がきれいだと褒めますが、距離感は一挙には縮まりません。
 そんな関係が瀬戸内海の直島に行ったあたりから変わっていきます。二人はいろいろ話し合って刺激し合い、美術館を訪れて手をつないだり、またシドニは海辺の砂の上を官能的に裸足で歩いたり、すこしづつ関係が深まっていくのです。直島の風景も旅情にあふれていていい感じです。シドニの硬かった表情も次第に生き生きとしてきて、輝きを増していきます。それはまるで日本の美しい風景がシドニの心を少しづつ変えていったように見えるのです。そして、直島のホテルでは、幽霊の夫の姿が半透明になり、半ば消えかかっているのです。シドニが、どうしてかと尋ねると、夫の幽霊は生と死を分かつ川の向こう側にいくからと言うのです。そして、あまり精神的にならないようにとシドニに言うのです。すると、不思議なことにシドニは手書きで何事かを紙に書つけることができるようになり、新しい作品が書けそうな創作意欲が少しづつ蘇ってくるようなのです。そしてこのあたりはとてもフランス的だと思われるのですが、シドニが溝口をベットに誘うころには幽霊の夫の姿は完全に消えてしまうのです。
 シドニを演じるイザベル・ユペールという女優はフランスの名優だそうで、もう70代に達しているそうです。そのイザベル・ユペールに対して溝口健二監督のオマージュである同じ名前の溝口を演じる伊原剛志は60代だそうですが、フランス語を猛特訓してよく応えていると言えましょう。
 それにしても、そのイザベル・ユペールが演じるシドニが、詩情あふれる日本を旅し、桜に癒され、溝口と関係を深め、創作の意欲を取り戻していくというこの映画は、もしかすると、エリーズ・ジラールという女性監督が年を重ねた女性に対して送るエールではないかと思えてくるのです。一般的に言って、女性の平均年齢は男性よりも長く、多くの女性はパートナーの男性に先立たれて喪失感を抱えて生きていくのかもしれません。でも、エリーズ・ジラール監督は、そんな女性たちに、喪失感を喪失感として見つめながらも、いつまでもしなやかに、ちょっとしたたかに、美しく生きていってもいいのでは、というメッセージをこの映画に込めているのではないか、とわたしには思えるのです。
 なぜなら、日本の自然や文化を通して新しい人生のステップを踏み出す、そんな女の情念を、フランスの名女優であるイザベル・ユペールは、肩肘を張らずに、美しく自然に演じているからです。さすがに、フランス映画だと思いました。

 

 

 

©錦光山和雄 All Rights Reserved

#不思議の国のシドニ #イザベル・ユペール #伊原剛志 #エリーズ・ジラール監督 #アウグスト・ディール #フランス映画 #フランスの名女優 #京都 #奈良 #瀬戸内海  #Isabelle Huppert
#直島 #シネスイッチ銀座 #銀座 #幽霊