錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

2 六代錦光山宗兵衛はいかなる星の下に生まれたのか

 

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-satsuma, Kyoto ceramics that touched the world

 

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~出立編2

 これから錦光山宗兵衛の世界へ遥かなる旅に出るわけだが、ここで取り上げる錦光山宗兵衛は二人いる。

 ひとりは私の曾祖父に当たる六代錦光山宗兵衛、もうひとりが私の祖父に当たる七代錦光山宗兵衛である。最初に曾祖父六代錦光山宗兵衛への遥かなる旅に向かうわけだが、その前にまず京都の粟田焼(粟田口焼)に触れておきたい。

 というのも、粟田焼がどんな焼物で、また粟田焼の歴史のなかで錦光山家がどのような位置を占めていたのかがわからなければ、六代宗兵衛がいかなる星の下に生まれたのかのかもわからないであろう。

 いわば粟田焼の歴史を語ることは、六代宗兵衛の前史を語ることになるのである。

  

 〇添付写真は六代錦光山宗兵衛の肖像画(油彩)。

 

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