SATSUMA DENSHOKAN
2018年12月24日、わたしは、河合りえ子様のブログ「Atelier la Primaverra創造の扉」を拝読して大変興味を持ち、鹿児島空港から一路バスに揺られて指宿(いぶすき)をめざしました。
指宿白水館(Ibusuki Hakusuikan)に着き、薩摩伝承館の玄関扉が開くと、メインエントランスの中央の
右手に沈壽官(Chin Jukan)様の「色絵金襴手菊流水図宝珠紐壺」
左手に錦光山宗兵衛(Kinkozan Sobei)の「錦手雁図花瓶」と「錦手白梅図壺」
が左右対称に飾られていました。
わたしは正直驚き、かつ感激いたしました。鹿児島の薩摩伝承館といえば、本薩摩の本場の美術館ですから、本薩摩と並んで京薩摩のわが錦光山宗兵衛の作品がメインエントランスに展示されているとは夢にも思っていなかったのです。
沈壽官様の作品は菊の花が繊細に描かれ、華麗な壺であります。
Chin JuKan
わたしが、薩摩伝承館のガイドの上奥様に「沈壽官様の作品、素晴らしいですね」と声をかけ、わたしは七代錦光山宗兵衛の孫ですと自己紹介をさせていただきますと、
そのガイドの方が宗兵衛の「錦手雁図花瓶」の解説をしてくださいました。
「錦光山宗兵衛のこの作品は、よく見ると、空の上に月を描き、その月の上に雁が飛んでいる姿が描かれており、いわば三重の絵付けが施されているのです。このような作品を作るのは技術的にとても難しく、素晴らしい作品なのです」とおっしゃるのです。
わたしも目を凝らして見ますと、うっすらと青味を帯びた宵闇のせまる夜空に、はかなげな満月が浮かび、二羽の雁がねぐらに帰るのか、大きく羽を広げて、着地しようとしています。水草のあいだに描かれている黄菊も白菊も盛り付けられたように輝いています。
わたしはその意匠を見つめて、これは京都粟田焼の繊細でみやびな絵付けの伝統を継承した絵付けではないだろうかという感慨にとらわれました。
Kinkozan Sobei
次いで、やや左手後方にある宗兵衛の「錦手白梅図壺」を眺めました。白梅の凛とした気品が感じられる一品でありました。その後方には、なんと帯山与兵衛の「色絵黄地桜下梟図花瓶(一対)」が展示されているのでありませんか。
帯山与兵衛は禁裏御用の京都粟田焼の窯元で、六代錦光山宗兵衛ととても親しい間柄で、ともに京薩摩の製作、輸出開拓に苦労した仲なのです。
わたしの拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」から引用させていただきますと「『明治5年ニ至リ、錦光山宗兵衛、帯山与兵衛等ハ大ニ販路ヲ海外ニ試ミント欲シ……神戸港ナル外国商館ニ至リ試売ヲナス、之レ京都ニ於ケル海外ニ販路ヲ開キタル始祖トス』(略)帯山与兵衛というのは、粟田で代々禁裏御用を勤めていた窯元であり、瑠璃釉に妙技を発揮してきた陶家である。東京遷都により禁裏御用がなくなり、彼も外国貿易に活路を開くという志を同じくしていたのであろう」という人物なのです。
Kinkozan Sobei
Taizan Yohei
Kinkozan Sobei
Kinkozan Sobei
そのあと、館内をめぐっていきますと、京薩摩の展示コーナーもあり、錦光山宗兵衛の初期の京薩摩の典型である瑠璃地金彩に窓を開け、その窓のなかに婦人が描かれた「瑠璃地婦人図花瓶」や竹に鶏が描かれた「瑠璃地色絵金襴手鶏図花瓶」(二階のサツマスタイルのコーナー)などの作品がありました。
さらに二階に上がると、宗兵衛の「瑠璃地色絵金襴手花見遊興図大花瓶」および「瑠璃地色絵金襴手藤に鳥図花瓶」が展示されておりました。
わたしのブログの「黎明館『華麗なる薩摩焼』展」のなかで申し上げましたように、これらの作品はすべて瑠璃地金彩で縁取られた窓のなかに花鳥図や人物図が描かれたものであり、本薩摩にはほとんど見られない京薩摩の特徴ではないかと思われます。
色絵には色絵の良さがあり、焼き締めには焼き締めの良さがあるのですが、上記の宗兵衛のお花見をする子供連れの婦人たちのみやびで華やかな世界は、どこかそれを見る人のこころをなごませてくれるところがあるのではないでしょうか。また藤の花にたわむれる小鳥たちの姿を描いた花瓶、その側面に描かれた鶏、花々も含めてとても端正に描かれていて、わたしが愛しやまない無名の天才絵師素山(Sozan)の筆になるものではないかと思わされます。
本薩摩や京薩摩において、金彩のきらめきの華麗さだけでなく、こうした繊細な絵ごころのなかにこそ、世界の人々に「SATSUMA」として愛された理由があるのではないでしょうか。
Kinkozan Sobei
Kinkozan Sobei
薩摩伝承館を出て、白水館のラウンジで美味しいコーヒーをいただきながら、以下のようなことを思いました。
日本の伝統的な美は「侘び(わび)、寂び(さび)」にあるので、SATSUMAはそれとは少し違うのではないかという意見があります。わたしはそれを否定するつもりはありませんが、ただ安土桃山時代は狩野派の絵画のように絢爛豪華な意匠がもてはやされた時代でもありました。また室町時代には冴えた銀のかがやく銀閣寺だけでなく、あたりに光りを放つ金閣寺もありました。京都の料亭・菊乃井の村田吉弘さんも日経新聞TheSTYLEのInterview(2019年1月13日)のなかで「豪華絢爛なバカラにはだれにも分かる絶対美がある。『絶対美があって初めて侘び寂びが成立する。千利休が黄金の茶室を造ったようにね。』とおっしゃっている。日本の美といってもその時代により多様な美があったのではないでしょうか。また侘び、寂の本家ともいうべき千家の歴代の家元のなかにも、侘び、寂のなかに一瞬のきらめきの華やかさを求めた家元もあるやに聞き及びました。興味あるところです。
なお薩摩伝承館には「SATSUMA」だけでなく、明、清時代の逸品が展示されています。そうしたすべての所蔵品を見ますと、オーナーの下竹原家が二代にわたって収集した賜物であり、その鑑識眼の確かに敬意を表したいと思います。また薩摩伝承館の展示内容をプロデュースしましたのは鹿児島県歴史資料センター黎明館の学芸員・深港恭子様とお聞きしましたが、ガイドの上奥様も含めまして、本薩摩だけでなく京薩摩にも温かいリスペクトのまなざしを注いでいただきまして、京薩摩愛好家のひとりとしまして感謝いたしたく存じます。
噴煙たなびく桜島を思い浮かべながら、夢の空間のような薩摩伝承館に想いを馳せつつ、筆を置かしていただきます。
HAKUSUIKAN
Sakurajima in Kagoshima prefecture
京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて
kinkozan Sobei: the story of an Awata Kiln
A study of Kyo-Satsuma ,Kyoto ceramics that touched the world
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