京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて
Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln
A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the world
昨日8月4日テレビ東京「美の巨人たち」で錦光山宗兵衛の京薩摩「花見図花瓶」(清水三年坂美術館蔵)が放映されました(次回は8月18日土曜日夜6時からBSジャパンで全国で放映)。錦光山作品を常設展示しているのは京都の清水三年坂美術館ですので京都に行かないとなかなか実物にはお目にかかれません。ところが東京でも12月25日までならご覧いただけます。
上野の東京国立博物館(TOKYO NATIONAL MUSEUM)で「明治150年」展が開催されておりまして、
錦光山宗兵衛の「色絵金襴手双鳳文飾壺」(Ornamental Jar Pair of phoenixes design in overglaze enamel and gold:By Kinkozan SobeiⅦ、Dated 1892 Meiji25:Gift of Japan Delegate Office for Wold's Columbian Exposition.Chicago)
が展示(会場18)されております(明治150年展終了後は展示されません。なお写真撮影許可です)。
この飾壺は「京薩摩の最高傑作」とも称されているものですが、いろいろいわくつきのものでもあります。その辺りを私の拙作「京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛伝」から一部抜粋させていただきますと、
「宗兵衛が26歳になった明治26年(1893)にコロンブスの新大陸発見400年を記念してシカゴ世界博覧会が開催され、宗兵衛は『色絵金襴手龍鳳文獅子鈕飾壺』を出品したのである。ところが、彼のその飾壺は受賞を逃しただけでなく、シカゴ万博の白亜の美術館に展示されることもなく、一群の陶磁器とともに工芸館の片隅にひっそりと置かれていたのであった(以下略)」
「『世紀の祭典 万国博覧会の美術』によると、賞牌を受賞したのは竹本隼人、宮川香山であった(賞牌を受賞した竹本隼人の『紫紅釉瓶』も展示されていますので、ご参考までに画像を添付いたします)。その一方で当時20代半ばの錦光山宗兵衛の作品は美術館に展示されることはなかった。現在のわれわれの目からみれば、京薩摩の最高傑作ともいうべき錦光山の作品は竹本の作品よりも魅力的である。ところが1893年のシカゴ万博では、竹本の作品は当時世界的に流行しつつあった清朝陶磁の高い技術に迫るものとして評価され、錦光山の京薩摩の力作は評価されなかった(以下略)」
いわばこの飾壺は、若き七代宗兵衛にとって絶対的な自信作が評価されず大きな衝撃を受けた苦い思いの作品であるとともに、ジャポニスムの終焉ともに、父である六代宗兵衛を乗り越えて日本の窯業近代化へ改革の一歩を踏み出していく記念碑的な作品でもあるのです。
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