錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

京焼のなかの粟田(粟田口)焼(1)

ところで、京都の粟田(粟田口)はどの辺りかご存じだろうか。

 粟田はどこに位置するかというと、京都東山に近い三条通の白川橋から蹴上(けあげ)にかけての一帯であり、京都七口のひとつで粟田口ともいわれている地域である。

 近くに門跡寺院の青蓮院や知恩院、将軍塚などがあり、古来より人の通りも多く、東海道五十三次の京の表玄関ともいうべきところである。

 現在は平安神宮に向かう神宮道や蹴上に向かう三条通には、都ホテル佛光寺、良恩寺、粟田神社、京和菓子司「平安殿」などがあり、整然として落ち着いた佇まいの街並みになっているが、かつては黒煙をあげる窯が立ち並んでいたのである。

 往時を偲び「明治40~45年頃の粟田附近窯要図」を掲げてみよう。

 

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錦光山をはじめ青木木米、安田家、一文字屋家、雲林院家、岩倉山家、帯山家、丹山家、高橋道八家、楠部家など今はなき陶家も含めて、錚々たる陶家の窯があったことがわかる。

 

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