錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

粟田焼窯元鍵屋安田の安田浩人様の茶陶展が開催されました。

 

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 粟田焼窯元鍵屋安田の安田浩人様の茶陶展が11月初旬京王百貨店で開催されました。安田浩人様も「京焼の祖でありながら跡絶えていた粟田焼をお茶の道で再興すべく作陶して参りましたが、気が付けば三十年を過ぎました」と招待状に書かれていますが、京焼で最古である粟田焼は、日本芸術院会員で文化勲章を受章した楠部弥弌(くすべやいち)氏が1984年に亡くなり、一旦途絶えていたのですが、安田浩人様が1995年に粟田に開窯し、再び粟田の窯に火をともし粟田焼を再興してこられたのです。

 安田様は日経新聞の「 NIKKEI The STYLE/Life」の記事にも取り上げられ、その記事で「茶わんの唐草模様の絵柄に『LOVE&PEACE』の文字を忍ばせ、大きな反響を呼んだ」と紹介されていますが、安田様は粟田焼のみやびな伝統を継承しながら国際的センスとユーモアのセンスで活躍されているお方であり、またNHKの朝ドラ「半分、青い。」で鈴の絵のお茶碗が使われて評判を得たお方でもあります。

 安田様の茶陶展の素晴らしい数々の作品を見まして、改めて安田様の作品は、京都で磨かれ育まれてきた、上品でみやびな絵付の伝統を引き継いでいると強く感じました。さらに言えば、京薩摩というのは、あくまでも粟田焼の伝統の流れのなかで、いかに欧米のデザインとの融合を図っていくのかという視点から、西洋の嗜好を意識した意匠の絵付がなされたものであり、京焼のなかで「EAST MEETS  WEST」が起り、その意味で、外に開かれた近代的な陶磁器がはじめて誕生したのではないかと思われました。

 安田様は抹茶を点ててくださり、抹茶をいただきながらお話をうかがうと、陶土を扱っていたところが近くお辞めになるということでどうなるかご心配をされていましたが、数年前にも筆の稲本さんが廃業されたとのことで、陶磁器は陶土や筆などすべてARTISAN、職人さんの匠の技で成り立っており、後継者問題を含めて考えさせられました。

  また会場で近代陶磁器史を研究している大学院生を紹介されまして、拙作をボロボロになるまで読み込んでおられて、いたく感銘を受けました。私は将来京焼を研究する方に少しでもお役に立てればという想いで拙作を書きましたので、早くもそうした研究者が現れたことはとても嬉しいことです。また大学院生の方とお話をしていて、できましたら錦光山の作品を年代ごとに少し整理できたらいいなという想いが頭をかすめました。いずれにしましても、後継者問題が難しくなるなかで、こうした若い研究者がいるということは明日への希望を抱かせてくれるもので大変よろこばしく思いました。

 ところで、安田家と錦光山家は浅からぬつながりがあります。どこかの時点で婚姻関係があったということで、遠い親戚関係にあると言われております。ここでは両家にかかわる粟田焼の古いエピソードをご紹介いたしましょう。

  拙作の「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」のなかで詳しく触れておりますが、1937年に出された吉田堯文氏の「粟田焼の一話」によりますと、「一体粟田焼には有名な錦光山の山号を持った家が二軒あった。その一つは現在錦光山を姓にせられる錦光山家で、古くは代々多く喜兵衛、後には宗兵衛を名乗って、幕府へ御召茶碗を納めていた名家である。もう一家は現在安田源三郎氏当主の代々源七を名乗った旧家で、共に屋号を鍵屋と云った」と書かれており、安田家と錦光山家は錦光山という山号、鍵屋という屋号も同じであったのです。

  さらに「粟田焼の一話」によりますと、「五条坂粟田焼出入一件」といわれる、粟田と五条坂の大抗争が起った文政六年(1823)に「両家共同でその裏に九袋の窯と仕事場とを造った。挿図はその図面であって、窯は(錦光山)喜兵衛家の地面、仕事場は(安田)源七家の地面に造られた」と記されています(写真参照)。ここではその後の顛末は述べませんが、両家が隣り合って共同で焼物の仕事をしていたことが知れます。

 茶陶展の終了時間を待って、ポーセリン・アーティストの方と大学院生の方を交えて四人で食事をしたのですが、お酒も入って話は弾み、楽しい一時を過ごしました。後でうかがったところによりますと、この日は安田様の誕生日ということで、結果としてお祝いの席になったのであれば幸いです。安田様には、京焼、粟田焼の灯をいつまでも灯し続けていただくためにも、お元気で活躍していただきたいと切にお祈りいたします。

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 京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei: the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the world

 

 

 

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