錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

大洪水よ、我が亡き後に来たれ!

 

 あまり聞きなれない言葉「人新世(ひとしんせい)」とは何なのだろうかという好奇心と今頃なぜ「資本論」なのかという興味から、「人新世の『資本論』」を読んでみました。

 読んでみて、こういう考え方もあったのかと驚きました。

 本書によれば、産業革命以降、人間は石炭や石油などの化石燃料を大量に使用し、膨大な二酸化炭素を排出するようになったといいます。
 この結果、大気中の二酸化濃度が上昇、気候変動が急激に進み、「100年に1度」と呼ばれるような異常気象による災害が世界で頻発するようになったといいます。
 気温上昇が進んでいけば、南極の氷床が融解し、日本のような島国は海面上昇により甚大な被害を受け、シベリアの永久凍土が融解し、大量のメタンガスが放出されれば、大気中の二酸化濃度はさらに上昇し、ホッキョクグマが行き場を失うだけでなく、世界的規模で億単位の人々が居住地から移住を余儀なくされ、人類が必要とする食糧供給は不可能になる恐れがあるといいます。
 こうした気候危機を避けるために、2100年までの平均気温の上昇を産業革命前の気温と比較して1・5℃未満に抑え込むことが求められており、そのためには、2030年までに二酸化炭素排出量を半減させる必要があるというのです。
 しかしながら、危機はもうすでに始まっていて、気温すでに1℃上昇しており、また、もし現在の排出ペースを続けるなら、2030年には気温上昇1・5℃ラインを越えて、2100年には4℃以上の気温上昇が起こることが危惧されているといいます。
 本書は、地球環境が以前の状態にもどれなくなるポイント・オブ・ノーリターンは、もうすぐそこに迫っているというのです。

 以上のことは、近年、台風の大型化による災害に襲われ、また今年の異常な酷暑を経験したわれわれにとって、どれほど強く意識しているかは別にしても、共有されている問題意識であり、危機感ではないでしょうか。

 本書の特色はこの先にあります。

 本書によれば、気候危機の原因は資本主義にあるといいます。なぜならば、気候危機の原因をさかのぼると、二酸化炭素の排出量が大きく増え始めたのは、産業革命以降、資本主義が本格的に始動して以来のことだからといいます。
 そして本書は、資本について考え抜いた思想家、マルクスの「資本論」に着目し、150年間眠っていたマルクス主義の焼き直しではない、「人新世の『資本論』」によって、気候危機の時代により良い社会を作り出すための想像力を語るといいます。

 本書によれば、資本というのは、財やサービスの生産によって価値を絶えず増やし、利益を上げて、さらに拡大していく終わりなき運動であるといいます。
 また資本主義というのは、中核と周辺から構成されており、中核たる先進国は新たな市場を求めて、辺境たる後進国から廉価な労働力を調達(グローバル・サウスからの富の収奪)するだけでなく、資源、エネルギー、土壌、希少金属、食糧という形で地球環境をも収奪の対象にしているといいます。
 本書は、このように資本主義による終わりなき価値増殖、経済成長を追求していけば、地球環境が危機的状況に陥るのは当然の帰結であるといいます。
 そして本書は、私たちに豊かさや潤沢さをもたらしてくれると考えてきた資本主義による経済成長が、皮肉なことに、人類の繁栄の基礎を切り崩しつつあるといいます。また、資本主義が崩壊する前に、地球が手遅れの状態になって人類の住めない場所になっているであろうともいっています。
 
 それが「人新世」時代の環境危機であり、いま私たちはその分岐点に立っているといいます。

 本書は、地球環境の破壊を行っている犯人は、無限の経済成長を追い求める資本主義システムだといいます。資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステムであり、その過程では、環境への負荷を外部に転嫁しながら、自然と人間から収奪を行うシステムであるというのです。
 資本主義は強靭で、危機が悪化して苦しむ人々が増えても利潤を増やすためにあらゆるところからビジネスチャンスを見つけ出し、経済成長をけっして止めることがない際限のない運動であり、このままいけば、資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい、人類が生きられない環境になってしまう。それが「人新世」という時代の終着点であるといいます。

 そこで本書は、まず、地球の生態学的限界のなかで、どのレベルまでの経済発展であれば、人類全体の繁栄が可能になるのかを考え、これまでの経済成長を支えてきた大量生産、大量消費(とりわけ世界の富裕層トップ10%が二酸化炭素の半分を排出しているともいいます)を抜本的に見直し、脱成長型のポスト資本主義に向けて大転換しなければならないといいます。

 本書は、脱成長というと拒絶反応を示す人がいますと指摘します。
 脱成長は、マクロで成長しないと再配分のパイが増えないのではないか、貧困層に富がいかないのではないか、またそんなことを言うのは高度経済成長の恩恵を受けてあとは逃げ切るだけの団塊の世代のいうことだ、大人たちのやったことの尻ぬぐいはごめんだ、と、新自由主義政策により規制緩和や民営化の結果、格差や環境破壊が一層深刻化してきたのを体感してきた若い世代は反発するいいます。
 本書はこうした意見に対して、現在のシステムは経済成長を前提にした制度設計になっているので、成長が止まればもちろん悲惨な事態になると認めています。資本主義のもとで成長が止まった場合、企業はより一層必死になって利益を上げようとする。ゼロサムのなかでは、賃金を下げたり、リストラ、非正規雇用化を進めて経費削減を断行していき、さらに悲惨な状況になるだろうといいます。

 それにもかかわらず本書は、資本主義が本当に豊かさを私たちにもたらしてくれたのだろうかといいます。というのも、公平な資源配分が資本主義のもとでできるか疑問だというのです。
 これまで経済成長のために「構造改革」が繰り返されることによって、むしろ経済格差、貧困や増え、世界で最も裕福な資本家26人は貧困国38億人の総資産と同額の富を独占するようになっているというのです。
 今のところは、所得の面で世界のトップ10~20%に入っている私たち多くの日本人の生活は安泰に見える、だが、この先、このままの生活を続ければ、グローバルな環境危機がさらに悪化する。その暁には、トップ1%の超富裕層にしか今のような生活は保障されないだろうといいます。

 そこで本書は、ソ連崩壊後に過去の遺物にまで落ちぶれたマルクスの思想が、再び大きな注目を浴びるようになっているというのです。
 マルクスが注目を浴びているといっても、ソ連のような一党独裁と国営化の体制ではなく、「コモン」という概念だというのです。
 「コモン」というのは、水や電力、住居、医療、教育といったものを社会全体にとっての共通の財産としてみんなで社会的に管理していくことを目指すものだといいます。
 「コモン」というのは、例えば水力のようなもので、水車の時代には河川は飲み水や魚を提供するだけでなく、無償で潤沢にエネルギーを提供してくれたといいます。それが、水車から石炭を燃料とする蒸気機関に移行することによって、水力は「コモン」でなくなり、工場を都市部に建設できるようになり、また石炭や石油は希少な独占的なエネルギー源であり、「化石資本」が利潤を得ることができるようになったといいます。
 また土地も「コモン」であった時代には、土地は共有地で、果実や薪、野鳥や魚などを採取できたが、土地が「コモン」でなくなったことにより、人々は住宅ローンなどや、投機用の住居取得などで土地代が高騰し、家賃を払うことが出来ない人が増えたり、高い家賃のために働かなければならい現状があることといいます。
 そして本書は、資本主義は絶えず欠乏を生み出すシステムであり、本来潤沢な共有財の「コモン」であった水力や土地などが、私有により「私財」となり、「商品」となることで、「コモン」は解体され、貨幣で売買できるものになり、人々は生きるために貨幣を必死で追い求め、長時間働かねばならなくなったといいます。


 マルクスの「コモン」が注目されるようになったのは、若きマルクスではなく、晩年のマルクスの資料が発見されたことによるものだといいます。
 若きマルクスは、資本主義が生産力を増大させていけば、過剰生産による恐慌が起き、困窮した労働者は革命を起こして、次のステージに進歩するという単線的な「進歩史観」であり、また非ヨーロッパ世界を遅れた国とみなしていたそうですが、晩年のマルクスは、「進歩史観」を否定し、前資本主義的な共同体における定常型経済を評価するようになり、資本主義のもとでの生産力の上昇は、生命の根源的な条件である自然との物質代謝を攪乱し、亀裂を生み、取り返しのつかない自然環境の破壊と社会の荒廃をもたらすものだと転換を図ったといいます。


 具体的には、マルクス資本論第一巻を書いた1867年以降に発見されたマルクスの資料によって近年明らかになったこととして、晩年のマルクスは、「コモン」が再建された社会を労働者たちの自発的な相互扶助的で協同組合的なアソシエーションと呼んでいるといいます(ちなみに資本主義のなかでコモンを制度化する方法の一つが福祉国家だといいます)。
 晩年のマルクスは、地質学、植物学、化学、鉱物学を研究し、膨大な研究ノートが残っているそうですが、それによると過剰な森林伐採化石燃料の乱費、種の絶滅などエコロジカルなテーマを資本主義の矛盾として扱うようになっていったといいます。


 そして本書は、経済成長しない共同体社会の安定性が、持続可能で平等な人間と自然の物質代謝が決定的に重要だというのです。「コモン」を再建して潤沢な社会を創造する必要があるといいうのです。そして太陽光や風力などの自然エネルギーを市民電力やエネルギー協同組合化する形で、小規模な民主的な電力ネットワークを構築して、「コモン」を「市民営化」する方策を提案するのです。


 さらに、重要なことは資本主義の「加速主義」ではなく、「減速主義」によって、自然の循環に合わせた生産が可能になるよう、労働を抜本的に変革していく必要があると提唱するのです。
 そのためには、①生産の目的を「価値」の増大ではなく、人々の基本的ニーズを満たす有用性価値である「使用価値」に重きを置いた経済に転換し、「脱成長」を目指す②必要ないものを生産するのをやめれば、社会全体の総労働時間は大幅に短縮できるので、労働時間を短縮して、環境への負荷を減らして、生活の質を向上させる③職業教育などにより画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる④大株主の意向で迅速な意思決定が求められるのを転換して、民主的な意思決定により経済活動を減速させる⑤介護や保育、教育などの労働集約型のケア労働は、高給の「ブルシット・ジョブ(くだらない仕事)に比べて、人の役に立つているにもかかわらず低賃金となっているが、こうしたエッセンシャル・ワークを重視して民主主義的な相互扶助のコミュニティ社会にしていくーなどを提唱しています。
 
 だが、上記のような提案で世の中は変わり、気候危機を止めることが本当にできるのでしょうか。正直、そんな地道な活動ではとてもできないのではないかと懸念されます。

 しかし本書は、資本主義の競争社会にいる人々にとって、「減速主義」などは受け入れにくい発想だろうと認めつつも、利潤最大化と経済成長を無限に追い求める資本主義では地球環境は守れないので、人間の欲求を満たしながら環境問題に配慮した今までとは別の社会を生み出そうという運動は、必然的に減速した経済社会に向かっていくと述べています。
 そしてその萌芽として「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」として、国家が押し付ける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体としてスペイン・バルセロナを例にあげるのです。
 バルセロナは2020年1月に「気候非常事態宣言」を出し、その行動計画のなかで二酸化炭素排出量削減のために、都市公共空間の緑化、電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充、自動車・飛行機・船舶の制限、エネルギー貧困の解消、ごみの削減・リサイクルなど250以上の改革プランが掲げられているといいます。この宣言を起草したのは200あまり市民団体が参加してなされたというのです。この宣言のなかには「気候正義(climate justice)という言葉が使われており、バルセロナが呼びかけた「フィアレス・シティ」のネットワークはアフリカ、南米、アジアにまで広がり、77もの拠点が参加しているというのであります。


 そして本書は、人間が生きるためには食物が必要であり、食料は「コモン」的なものだが、気候危機で干ばつが起これば食料価格は高騰し、農業ができない地球環境になってしまえば、元も子もなくなるので、食料主権の運動は気候正義の運動と結びついていき、「脱成長」経済への転換を迫っていくというのです。
 そして、本書は、一見ローカルに見えるコミュニティや地方自治体、社会運動などのローカルな運動が、いまや世界中の運動とのつながりを構築しはじめているのだというのです。


 そして「3.5%」の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がると、社会は大きく変わるというのです。こうした抗議行動は社会に大きなインパクトを与え、SNSで数十万、数百万回拡散され、選挙では数百万の票になり、政治家も動くようになるというのです。
 「人新世」という言葉は、資本主義が生み出した人工物が地球を覆った時代だそうですが、その意味では「資本新世」と呼びのがふさわしいかもしれない、それをこの地球という唯一の故郷を守ることができたら、そのときは肯定的にこの時代を「人新世」と呼べるのではないかと本書はいいます。
 
 賛否はあると思いますが、本書「人新世の『資本論』」はいろいろ考えさせられる本で、皆さまにも一読をお勧めしたいと思います。


 なお「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」という言葉は、マルクスが資本家を皮肉った言葉だそうです。願わくば、将来世代にこの美しい惑星を壊さないで守り通したいものです。
 どうもありがとうございます。

 





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