錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

地球人の未来

 新春をことほぎ、おだやかな日々が訪れますことを願うとともに、皆さまのご健康とご多幸を祈念いたします。

 

 昨年は、コロナ禍というパンデミックに加えて、ロシアによるウクライナ侵攻、世界的な気候変動による災害の頻発など、人類や地球の未来はどうなるのだろうかと悲観的になる一年であり、このまま人間が悲惨な戦争を継続し、欲望のなすままに地球環境を破壊し続けていけば、地球は灼熱の惑星と化して人間は住めなくなり、人類はいずれ滅亡するるのではないか、わたしはそんな悲観論にとらわれていました。そうなのです、結局、人間はどうしようもなく愚かな生き物で、救われないのだ、そんな人類が生き延びられるわけがない、そんな悲観論にとらわれていたのです。悲観論でなければ諦観といっていいかもしれません。そんな悲観論のなかで、もし人類が生き延びるとしたら、この地球を捨て、空気がなくても宇宙を渡っていけるような変異体に変わって、宇宙を渡って行き、他の惑星にたどりついて、そこで生きて行くしかないのではないかと愚考していたのです。どうしようもないデストピアの世界観です。

 そんなわたしは年末近くになって、ある記事が目にとまりました。2022年12月28日の日経新聞夕刊の「あすへの話題」です。その記事のなかで、宇宙物理学者の佐藤勝彦氏が『地球人の未来は無限か?』というタイトルで記事を書いているのです。

 その内容は、

「人類は百年スケールで太陽系内に居住区を持ち、千年のスケールで自らを自己設計し、多様な形態に変え、太陽系に満ちあふれる。十万年スケールで天の川銀河に満ち、百万年スケールで隣のアンドロメダ銀河など他の銀河に広がる。さらに長いスケールでは宇宙的生命体として宇宙を豊かで多様な世界へ発展させるだろう!」
 と書いているのです。そしてこの論考は、知の巨人、未来学者ともいわれていたF・ダイソンのものだというのです。
 さらに、佐藤勝彦氏は、

「量子計算理論のパイオニアであるD・ドイッチェは著書『無限の始まり』において『人類がこれまで得た、世界、宇宙の真理は極め初歩的なものだ。人類が知識を創造し続けることで未来は無限に広がる。我々人類はそれを実現できる創造力を備えている」

 というのです。

 これは、佐藤勝彦氏も言っていますが、”究極の楽観”論ではないでしょうか。

そして佐藤勝彦氏はいうのです。

「人類は無限の未来を拓くのか?自滅に至るのか?人類の知性を信じたいが、21世紀はその分岐点だ。明日の我々にかかっている」と。
最近読んだなかで出色の記事だと思ったのです。

 

 

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