NHKの日曜美術館で勅使川原三郎のダンスの練習風景を放映していて、そこでダンスは身体が本来もっているものを表わせばいいというようなことを言っていて、肉体とは何なのだろうかということに興味をもち、勅使川原三郎のドローイングダンス「失われた線を求めて」という公演を見に行ってきました。
光と闇の濃い照明のなかで、踊る勅使川原三郎と佐東利穂子の存在感はたしかなものがありました。それは空気がたしかな重量をもっていることを感じさせるようなダンスでした。というのも、二人の激しい動きのダンスのあとに、ゆったりとしたダンスがまるで水のなかを漂い、しだいに水の底に沈んでいくような感覚を呼び覚ますものだったからです。とりわけ佐東利穂子の細く長い、シャープな手脚を、蝶のようにゆったりと幾重にも繰り返し回すしぐさは、その思いを抱かせました。
ずっと見続けていると、肉体が闇のなかに溶けていくような感覚におそわれるのです。そうした感覚は、いつか人間はこの地球という星を破壊してしまい、他の惑星に居場所をもとめて旅立ち、宇宙空間をただよっていかねばならないのではないか、そのとき、人間の肉体は、細胞の一つひとつに血潮がわきたつようにめぐる肉体とは別のものに変わっているのかもしれない、そんなことを空想させるのです。
それは逆にいえば、人間の肉体というものは、いずれ朽ちていくものだとしても、生命を凝縮したもので、この一瞬がかけがえのないものだということを認識させるものでもありました。
そんな感想をいだいて会場をあとにしました。
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