錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

追憶のオーガスタ:The Memory of Augusta

 

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 松山英樹がマスターズトーナメント優勝という快挙をなしとげた。

 TV画面を見ていて、オーガスタの記憶がよみがえってきた。

 2005年4月7日から10日、米ジョージア州オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで開催されるマスターズトーナメントを見れることになった。オーガスタで泊まったホテルは、線路の近くで、明け方ちかくに列車が通ると、プッポー!とラッパのような汽笛が鳴り、目がさめた。

  オーガスタの天気は気まぐれで、その日も雨でなかなかはじまらなかった。ようやく雨があがり、会場にいくと白亜の建物がむかえてくれた。

 

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 参加証を首にさげて、会場でウロウロしていると、初老のアーノルド・パーマーがゲストにサインをしているので、わたしも帽子にサインをしてもらった。

   コースのほうに出てみると、小高い松の樹々のしたに青々とした美しい芝生がひろがり、馬糞のにおいがした。芝を養うために土に馬糞をまぜているのかもしれない。初めてなので、全体のロケーションがわからないので、とりあえず一番ホールにいってみた。

 

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 人垣を縫って、前に出て待っていると、タイガー・ウッズの番がやって来た。当時29歳の全盛時のタイガー・ウッズである。

 タイガー・ウッズは、ドライバーショットを打つまえに何かつぶやいているように見えた。あとでガイドの人に聞いてみると、あれは”Bless me!"とつぶやいているという。真偽のほどはわからないが、何かに祈りを捧げているように見えなくもなかった。

    タイガーのドライバーショットは信じられないような勢いで青空に吸い込まれるように、はるか遠くに飛んでいった。早速、タイガーの”追っかけ”をしようと思ったが、タイガー・ウッズは早足でファウェーを歩いていくのでとてもついていけない。

 オーガスタ・ナショナルはよく手入れされた素晴らしいコースであるが、もっとも美しいのは、やはりアーメンコーナーといわれる、十一番、十二番、十三番ではなかろうか。 

 燃えるような紅や赤、白のアザレアが咲き誇る植栽をバックに、緑の芝生のところどころに、クリークが張り巡らされた一帯は、まさに神に祝福された聖地のように美しい。アザレアの花言葉は"恋のよろこび”というらしいが、このアーメンコーナーは数々の悲劇がくりかえされた名物ホールでもある。わたしもその光景に見惚れたように、一番長くいたように思う。

 

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 最終日、なだらかな丘のような十八番ホールの上で緑の布とスチールパイプでできた携帯用の椅子にすわってタイガーがあがってくるのを待った。C.デイマルコとのプレーオフの末、タイガーが勝利した瞬間、ゲストが大歓声をあげて、スタンディングオベーションで祝福する。アスリートは、超絶的なパフォーマンスによって人々を熱狂させるが、タイガー・ウッズもその例外ではなかった。

 今回、その栄誉を松山英樹が受けたことは、とても素晴らしいことと思われる。

 

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 その晩、オーガスタ・ナショナルのロッジで食事をした。今年のマスターズでは実況担当したTBS小笠原亘アナウンサーが感極まり55秒間沈黙したことが話題になったが、1976年以来マスターズを中継してきたTBSの社長や解説の中島常幸氏、また、なかにし礼ご夫妻(?)もいらした記憶がある。

 その後、オーガスタではマスターズの見学だけだったので、その年の全米オープンが開催される地まで飛んで、開催コースのPINEHURSTでプレーさせたもらった。いうまでもなく、結果は散々であった……。

 

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