錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

横山美術館「京焼ーその技が歴史をつくる」展拝観記:Yokoyama Art Museum"Kyoto wear"

 錦光山宗兵衛Ⅶ 透彫朝顔図花瓶

Kinkozan Sobe  Vase with morning glory

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    ©横山美術館

 

 名古屋の「横山美術館」の「京焼ーその技が歴史をつくる」展を見てきました。

 

 多治見の平正窯(ひらまさがま)の陶器師で近代陶磁器研究家の高木典利先生が「素晴らしい展示内容で、コロナウィルスの影響で休館を余儀なくされていたのはもったいなかった」と仰っておられていましたので、期待に胸を膨らませてまいりますと、なんと鈴木館長様が瀟洒な横山美術館様の入り口でお出迎えしてくれまして、その心遣いに驚きました。感謝、感激のスタートです。

 

 

 鈴木館長様はお忙しいにもかかわらず、一緒に回ってくださり、「これはシャーク・スキンというのです」、「これは陶芸にお詳しい方なら大変な技術ということがわかります」と解説までしていただき、大いに恐縮いたしましたが、わたくしにとりまして大変勉強になりました。

 

 盛上風景図花瓶  錦光山宗兵衛Ⅶ

 Vase with landscape design Moriage   Kinkozan sobeⅦ

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     ©横山美術館

 

 さて今回の「京焼ーその技が歴史をつくる」展は、

 

錦光山宗兵衛帯山与兵衛(素晴らしい色彩感覚と写実的な絵付け)、諏訪蘇山(ダイナミックな透彫葡萄図花瓶など)、乾山伝七、清風与平、松風嘉定、伊東陶山京都市陶磁器試験場(宗兵衛や松風嘉定、藤江永孝らの苦心の結晶)など誠に盛り沢山でしたが、わたくしといたしましては、やはり30数点に及ぶ、錦光山宗兵衛作品の充実ぶりに目をみはらされました。数だけでなく、錦光山宗兵衛の多彩な作品を展示しており、まさに高木典利先生が褒めていたことが納得できる思いでした。

 

 錦光山宗兵衛作品としましては、すでにNHKの日曜美術館アートシーンで紹介されておりました雅で気品のある「上絵金彩花蝶図花瓶」、「上絵花尽花瓶」、アールヌーヴォー様式の傑作の一つである「盛上網文葡萄図花瓶」の素晴らしさはいうまでもないことですが、ここでは今回初見の宗兵衛作品のなかでわたしが感激しました何点かについて触れさせていただきたいと思います。

 

 錦光山宗兵衛 上絵金彩花蝶図花瓶

 Kinkozan Sobe Vase with flower&butterfly overglazed with gold

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     ©横山美術館

 

 盛上網文葡萄図花瓶   錦光山宗兵衛Ⅶ

 Vase with mesh&vine design Moiage   Kinkozan SobeⅦ

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    ©横山美術館

 

 

 一つは「陽刻釉下彩草花図花瓶」であります。

 宗兵衛は多種多彩な作品をつくっておりますが、この作品は、ネムノキの葉のやわらかさと淡い紅色の花を浮き彫りにした「陽刻」の釉下彩の作品であり、わたしはこうした宗兵衛作品は初見であり、貴重な作品ではないかと思われました。

 

 陽刻釉下彩草花図花瓶  錦光山宗兵衛Ⅶ

 Convex carved vase with flower&grass underglazed Kinkozan sobeⅦ

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      ©横山美術館

 

 二つ目は「透彫朝顔図花瓶」であります。

 白や紫の朝顔の花の上に葉が乗り、さらにその葉の上に朝顔の花が乗るという具合に幾重に重なり合った透かし彫りのこの作品は、1900年のパリ万博後の作品と思われます。 

 

 透彫朝顔図花瓶   錦光山宗兵衛Ⅶ

           Kinkozan Sobe

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   ©横山美術館

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  ©横山美術館

 

 すでにわたくしのこのブログのなかでご紹介していますように、1900年のパリ万博でアールヌーヴォー様式に衝撃を受けた錦光山宗兵衛は帰国後わずか2年後の明治36年(1903)の第五回内国勧業博覧会でおそらく本邦初のアールヌーヴォー様式の「棕梠葉切透」、「桐花葵切透」を出品し、翌明治37年(1904)のセントルイス万博でも「剛拳」、「梅切透」などの透かし彫り作品を出品しております。

 

 今回、宗兵衛の「透彫朝顔図花瓶」の隣に諏訪蘇山の「透彫葡萄図花瓶」が置かれておりますが、葡萄の実があまりに美味しそうで摘まんで食べたくなってしまいます。

 初代諏訪蘇山は当時錦光山商店の改良方顧問をしておりましたので、諏訪蘇山は宗兵衛とともにアールヌーヴォー様式の透かし彫り作品を盛んに制作していたものと思われます。ただ、わたくしが実見しました宗兵衛のアールヌーヴォー様式の透かし彫り作品は、オックスフォード大学アシュモレアン博物館の「色絵菊花文透彫花瓶」の2点のみであり、横山美術館様のこの作品は貴重なものではないかと思われます。

 

 透彫葡萄図花瓶   諏訪蘇山

 Open-work vase with vine design   Suwa Sozan

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     ©横山美術館

 

 

 三つ目は「上絵金彩武者図花瓶」です。横山美術館様の学芸員の原様のお話では、窓絵のなかの出陣する武者絵もさることながら首回りの「割文様」と脇絵の細密で精緻な美しさにも注目してほしいとのことでした。わたくしも初めて、割文様という細部に至るまで細密で精緻な文様がほどこされていることに驚きました。

 

 上絵金彩武者図花瓶   錦光山宗兵衛Ⅶ

 Vase with warrior design overglazed with gold kinkozan SobeⅦ

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   ©横山美術館

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  ©横山美術館

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  ©横山美術館

 

 さらに「上絵金彩花図デミタスセット」です。カップもソーサーもとても上品な絵付がなされており、このデミタスカップでコーヒーを飲んだらさぞかし美味しいだろうと思われますが、このセットはケース付きで展示されており、極めて貴重なものといえましょう。

 

 上絵金彩花図デミタスセット  錦光山宗兵衛Ⅶ

 Demitasse set         Kinkozan SobeⅦ

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 ©横山美術館

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       ©横山美術館

 

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   ©横山美術館

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   ©横山美術館

 

  最後に、上絵金彩花蝶図花瓶やカップ&ソーサーがいくつか展示されており、その精緻で華麗な意匠には思わず息を飲みました。

 

  上絵金彩花蝶図花瓶   錦光山宗兵衛

 Vase with flower&butterfly desiqn,overglszed with gold    kinkozan SobeⅦ

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  ©横山美術館

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 なお横山美術館様の4階のコーナーにビデオ映像が流れているのですが、そのなかでわたくしが拙著「京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛伝」のなかで使いたかったのですが、その写真がどこに所蔵のものか失念してしまい使えなかった、錦光山商店の白亜の建物の画像があり、学芸員の原様の丁寧な資料収集に感謝したいと思います。

 

  錦光山商店 白亜の建物  Kinkozan's house

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 鈴木館長様および原様とはお昼の食事をご一緒させていただき、「瀬戸や多治見では良質な陶土があったので陶磁器が発展した」、「多治見から名古屋に陶磁器を馬で運ぶときに、途中に内津(うつつ)峠という難所があり、次の荷馬車を待って、2頭の馬で峠を超えた」、「名古屋の東区には260程の絵付け工場があり、京都からも200名の絵師が来ていた」など大変貴重なお話を伺うことができました。

   名古屋東区エリア

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 ©名古屋陶磁器会館

 

 さらには「名古屋陶磁器会館」にもご案内いただき、金彩を使わず黄色を使う「名古屋薩摩」や「POTTERY CLUB」、さらにはガラス盛り技法である「コレラン」や凸盛り(でこもり)技法の作品などを拝見することができました。

 

  名古屋陶磁器会館  Nagoya Ceramics Hall 

 

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 名古屋薩摩

  Nagoya Satsuma

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  ©名古屋陶磁器会館

 

 コレラン技法の花瓶

 

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  ©名古屋陶磁器会館

 

 最後に鈴木館長様をはじめ学芸員の原様など横山美術館様にいろいろとお心遣いをいただきまして、心より感謝を申し上げたいと思います。

 どうもありがとうございました。

 

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西川満と葉石濤:日台を結ぶ浪漫的な絆

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 昨年の2019年4月23日、わたしは台南の街にいた。

 翌日、わたしの恩師西川潤先生のお父様の西川満氏の著作が収蔵されている真理大学の「台湾文学資料館」を訪問する予定になっていたのである。

 その日、わたしは朝タクシーで「安平古堡」に向かい、次いで西川満氏の幻想的な小説「赤嵌記(せつかんき)」の舞台となった赤嵌楼を見て、台南の街を地図を片手に歩きはじめた。気温は33度くらいあっただろうか、わたしは強い日差しを避けるように歩き続けた。

 明末の台湾の国民的英雄である鄭成功の記念館「延平郡王祠」を見学し、緑したたる公園の隣にある「孔子廟」を巡り、朱色の門のそばに近づいていくと紅の花が咲いているのに気がついた。それは五月にならないと見れないのではないかと半ばあきらめていた、燃えるような鳳凰木の花であった。

 

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 わたしは鳳凰木の花を見れたことで心躍らせながら通りを歩いていくと、「葉石濤文学記念館」という標識があった。「葉石濤、誰だろう?」と思いながら、吸い寄せられるように近づいていくと、赤レンガ造りの瀟洒な建物があった。

 

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 好奇心に駆られて中に入っていくと、葉石濤氏関連の資料が展示されている。葉石濤氏という人物は、どうやら台湾の代表的な作家らしい。二階に上がっていくと、驚いたことに西川満氏の著作の装丁が窓に貼られているではないか。さらによく見ていくと、西川満氏の葉石濤氏宛ての手紙も展示されている。

 葉石濤氏は台湾の川端康成と称されているようだが、西川満氏と一体どのような関係があったのだろうか。まったくわからない。ただ偶然とはいえ、西川満氏と縁のある作家、葉石濤氏の記念館を訪れるとは、なにか見えない縁に導かれているような気がしてならなかった。

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 翌日、わたしは電車に乗り隆田駅で下りてタクシーで麻豆区にある真理大学に向かった。驚いたことにキャンパスには学生の姿がなく、たまたま通りかかった人に尋ねるとあの建物だと教えてくれ、張良澤先生にお会いすることができた。

 張良澤先生に西川満氏と葉石濤氏とはどんな関係だったのかとお尋ねすると、葉石濤氏は台湾時代の西川満氏のお弟子さんであったとおっしゃる。

 葉石濤氏は台南中学のころから文学少年で、西川満氏が文芸講演会で台南に来るとよく質問をし、西川満氏が主宰する「文藝台湾」に作品を投稿し掲載されたという。台南中学を卒業すると、台北に出て、西川満氏の「文藝台湾」の編集助手をして手伝った間柄というのである。

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 その後、わたしは台湾から帰国したが、葉石濤氏の小説はどんな作品で、どのような人生を歩まれたのか、ずっと気にかかっていた。

 今年、コロナウィルス禍で自粛するなかで、葉石濤氏の文献をいろいろ探してみると、昭和18年(1943)に葉石濤氏が19歳のときに「文藝台湾」に投稿し掲載された日本語の小説「林からの手紙」と「春怨ー我が師に」があることがわかり、取り寄せて読んでみた。

 「 林からの手紙」という作品は、著者自らがフランスのドーデの「風車小屋より」の中の一篇を下敷きにして書いた小説ということだが、概要は以下のようだった。

 

 ある日、私のところへ友人の林から手紙がくる。その手紙には、幼いころに林は両親を亡くし府城の伯父に養育されているが、祖父と妹の春娘が龍崎庄というところでつつましく寂しい生活を送っている。五年程会っていないので会いに行くつもりであったが、どうしても行けない用事ができたので、すまないが君が代わりに行ってくれないかと書かれていた。私は林の妹の春娘と祖父の生活に興味を感じて、強い日差しの蒸し暑い日に、麦わら帽子をかぶり自転車に乗って山手の龍崎庄にむかう。マンゴーの林を抜けて、小路を辿っていくと、一見支那風の二階屋の前に出た。私が来意を告げると、十七八の青い長衫を着た、聡明そうな娘が出てきた。春娘であった。春娘と祖父に林について知っていることを伝えると、春娘は私を二階に連れていくことになる。そのシーンは次のように描写されている。

 

 春娘が娘らしい羞恥を仄かに顔にただよわせながら、さあと言う如く顔を私に向けて誘った。胸のわくわくする事を禁じえなく眼を窓外にそらした。春娘は裾を軽くひるがえしながら窓をしめた。燕のような軽々とした優雅な仕草であった。階段を上がる時彼女は私を先にしようとしたので私はまたこの娘がつつしみ深い事を知った。何分窓を閉めているので顔の表情は見られなかったが、その足音で春娘は真っ赤な耳たぶをしているのではないかとも考えられた。

 

 二階でわたしは兄に食べさせるはずであったマンゴーの砂糖づけをご馳走になり、夕食をともにして泊めてもらって翌日帰るという、淡い初恋のようなものを題材とした短編小説である。

 

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 次に「春怨ー我が師に」であるが、この小説は主人公の私が従妹の春英と些細なことで言い争った翌日、詩人の西村氏に誘われて、二人は気まずい気持ちを抱えたまま雲林の樟里氏の家を訪れるのである。樟里氏の庭園を巡り、薔薇などの草花に思いを凝らし、また書斎にある数多くの蔵書に心を奪われ、何気なく手にしたジイドの「狭き門」を見て、二人のこじれた気持ちがほぐれていくという若い男女の微妙な心理がたくみに描かれた作品である。

 この作品に西村という名前で登場してくる人物は西川満氏をモデルしており、その描写が的確で面白い。

 私と詩人の西村氏と従妹の春英が三月の終りに雲林へ行くということになったのは全くの偶然のことだった。

 この島の美を歌い情緒を歌い風俗と神秘とを歌った高踏派の詩人として有名な西村氏には、淡々とした詩情に満ちた「雲林記」なるスケッチ風の小説がある。

 この亭の中で幾度、私と春英は声をそろえて氏の詩に惑溺し、素晴らしい章句をよみ、もの憂い午さがりを送ったことであろう。

 西村氏は世人が詩人はかくあるべきだと定義づけた容姿を持っていた。氏自身は詩人らしい風をするのは気障で月並だと思って避けよう避けようとしているらしいがそれが、結局底にある詩人らしい気質を露出させることになり常識家の世人には詩人らしい容姿だと思わすに至るのである。氏にはフランス風の明るい機知とか気質とかがそなわっているようだ。

 それに比べると西村氏はその作品を思わせる花やかさの中にも何処とはなしに強さをひそめている。

 「やあ季節外れの珍しい雨ですよ。西村さんのいらっしゃったせいかも知れませんね。雲林は鬼門だから」「いや雨の日の姿を雲林は見せようというのでせう」西村氏は白皙の顔をほころばした。

 西村氏は笑いながら私たちの顔をみつめて、「じゃ喧嘩などしないで仲良く帰りたまえ。台北にでも一緒に来ることがあったら、遠慮なく訪ねて来なさい」と言った。

 

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 この葉石濤氏の二つの小説は、日本の植民地である台湾が舞台なっていて、戦争のまっただなかにもかかわらず、戦時色が微塵も描かれてないという意見もあるようだが、十八九の若さでこれだけの浪漫的な小説を書けることは並みではないといえるであろう。

 師の西川満氏は耽美的、浪漫主義的詩人・作家であり、リアリズム文学を掲げて「台湾文学」を主宰した張文環氏とは文学的に対立したといわれているので、この時、西川満氏と葉石濤氏は浪漫主義的な文学で結ばれていたといえるのではなかろうか。

 だが葉石濤氏の人生は日本の敗戦とともに一変してしまうという。

 いましばらくわたしは西川満氏と葉石濤氏を追う旅を続けてみようと思う。

 

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 ©錦光山和雄AllRightsReserved

 

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横山美術館の「京焼」展・講演会中止のお知らせ

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  ©横山美術館

 

 5月17日に予定されておりました、横山美術館さまの「京焼ーその技が歴史をつくる」展の講演会「世界に雄飛した京焼・京薩摩ーその魅力を探る」が、新型コロナウイルスの影響で残念ではございますが、中止されることとあいなりました。

 

 皆様のご声援ならびにご期待に応えられずに、忸怩たる思いでございますが、緊急事態宣言が出されている折柄でもあり、誠に申し訳ございませんが、ご高配のほどよろしくお願い申し上げます。

 

 横山美術館さまは、講演希望者の方も多く、新型コロナウイルスが終息し、機会があれば、講演会の開催も再度検討される意向のようでございますが、コロナの終息次第にかかっている状況には変わりございません。

 

 わたくしも最近、特大マスクを購入いたしましたが、大変な状況が続いておりますので、皆様もくれぐれもご自愛くださいますようお願い申し上げます。

 

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©錦光山和雄AllRightsReserved

 

#横山美術館 #京焼 #京薩摩 

横山美術館「京焼」展の開催期間が7月19日まで延期されます:Yokoyama’s exhibition"Kyoto-ware" extended

     上絵金彩花蝶図花瓶  錦光山宗兵衛

 Vase with flower&butterfly design,overglazed with gold   Kinkozan Sobee

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    ©横山美術館

 

  冒頭の画像は横山美術館さまの企画展「京焼ーその技が歴史をつくる」展に展示されている錦光山宗兵衛の「上絵金彩花蝶図花瓶」です。

 

 この作品の頸部の桜花を模した両耳の間の深緑色は、なんと凛とした深味のある色かとこころ打たれます。

 さらに胴部にかけてグラデーションを施しながら明るい黄色へと移ろい、器面には楚々とした桜花があしらわれ、蛾のような不思議な蝶が舞っています。なんと春の陽光に溢れた空間なのでしょうか。夢幻の世界に誘われたような気がいたします。

 また口縁や頸部の付け根、肩、足部などに施された割文様も、どこかエキゾチックで迷宮の幻想的な世界に迷い込んだような気にさせられます。

 

 ご記憶の方も多いと思いますが、4月12日(日)のNHK日曜美術館Eテレ)のアートシーンで、横山美術館さまの「京焼ーその技が歴史をつくる」展が紹介され、錦光山宗兵衛作品も上記の「上絵金彩花蝶図花瓶」のほか「盛上網文葡萄図花瓶」、「上絵花尽図花瓶」の3作品が数分間でしたが紹介されました。

(4月12日をお見逃しの方は4月19日(日)午後8時からEテレ日曜美術館の再放送があり、8時45分からアートシーンが放映される予定ですのでご覧いただきたいと思います。『注』わたしの勘違いで4月19日夜8時から日曜美術館で本編の「法隆寺金堂壁画」は再放送されましたが、8時45分からのアートシーンは更新されておりまして、お詫びして訂正させていただきたいと思います。どうも申し訳ございませんでした)。

 

 横山美術館「京焼ーその技が歴史をつくる」展の展示風景(Ⅰ)

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  ©横山美術館

 

  NHK日曜美術館のアートシーンをご覧いただきました方からは、錦光山宗兵衛の作

 品につきまして、

  ・色使いがとてもモダンですね  ・さすが素晴らしいですね

  ・NHKの名番組に紹介されましたこと心からお祝い申し上げます

        ・素敵ですね、本物見てみたいですね

 

 などと過分なお言葉をいただきました。この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。

 

 残念ながらコロナウイルスの影響もありまして、わたしは上記の作品を実際にはまだ見ておりません。

 横山美術館さまの美しい展示風景写真を見ておりますと、早く実見したいと思いますが、横山美術館さまは現在臨時休館で臨時休館の期間も4月20日から5月11日(月)まで延長されております。

 

 横山美術館「京焼ーその技が歴史をつくる」展の展示風景(Ⅱ)

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  ©横山美術館

 

 まさに現在、美術・芸術および美術館と憎きコロナウイルスとの戦いが続いているわけですが、

 万が一にも実見することができなくなったらどうしようと心配しておりました矢先、

ひとつの朗報が飛び込んで参りました。

 横山美術館さまが「京焼ーその技が歴史をつくる」展の開催期間を6月14日から7月19日(日)まで延期される決定をなされたのです。誠に有難いことであります。

 

 下の写真は、錦光山宗兵衛の「上絵金彩花鳥図花瓶」(左)と帯山与兵衛の「上絵金

花鳥図花瓶」(右)です。錦光山宗兵衛の花瓶は、牡丹、木蓮、海棠などが描かれた

吉祥画題の「雀 玉棠冨貴(ぎょくどうふうき)之模様」であります。また帯山与兵衛

の花瓶は花の周りを飛ぶ鳥が描かれており、その透明感のある青がとても印象的であり

ます。

 

 錦光山宗兵衛(左) 帯山与兵衛(右) 「上絵金彩花鳥図花瓶」

 Kinkozan Soee(Left) Taizan Yohee(Right) Vase with flower&bird

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  ©横山美術館

 

 わたしは美術・芸術というものは人間の想像力を育み、知恵を生む源泉になると信じ

ております。願わくは、人間が知恵を結集いたしまして、一日も早く、未曾有の敵・新

コロナウイルスを撃退することを祈ってやみません。

 

  ©錦光山和雄AllRighsReserved

 

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#陶磁器 #美術 #芸術   #NHK   #日曜美術館

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横山美術館「京焼」展がNHK日曜美術館「アートシーン」で紹介予定

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  ©横山美術館 錦光山宗兵衛「盛上網文葡萄図花瓶」

  Kinkozan SobeeⅦ Vase with mesh and vine design,Moriage

 

 来週4月12日(日)、NHK(Eテレ)日曜美術館の「アートシーン」にて

名古屋の横山美術館様の「京焼ーその技が歴史をつくる」展の下記の内容などが紹介

される予定です(内容変更の可能性もあります)。

 

 その概要といたしましては、 

 ・横山美術館様が近代京焼の展覧会を開催していること

 ・高級陶磁器であった京焼が明治維新で購買層を失い、海外市場に目を向けたこと

 ・京都の匠の雅やかさに西洋風の感覚を加え、海外で高い評価を得たこと

 ・欧米の好みを分析し、アールヌーヴォー様式を採り入れたこと

 ・開催日程の紹介 

   という予定になっているようです。

 

  紹介される作品としましては、

 ①冒頭の画像の錦光山宗兵衛「盛上網文葡萄図花瓶」

 ②錦光山宗兵衛「上絵金彩花蝶図花瓶」

 ③錦光山宗兵衛「上絵花尽図花瓶」

 ④帯山与兵衛「上絵金彩花鳥図花瓶」など4点

 ⑤諏訪蘇山「透彫葡萄図花瓶」 

 という予定になっているようです

 

 横山美術館様から送っていただいた「京焼ーその技が歴史をつくる」展の図録を見て

みますと、いずれも素晴らしいもので、今から放映されるのが楽しみでなりません。

 

 新型コロナウイルスの影響で外出を自粛されている方が多いという時節柄でもござい

ますので、皆様、ご興味があり、ご都合がよろしければ是非ともご覧いただきたいと存

ます。よろしくお願いいたします。

 

 ©錦光山和雄AllRightsReserved

 

 

 

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わが恩師西川潤先生を偲ぶ:地球を破滅から救うために 

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  わたしの恩師、早稲田大学政経学部名誉教授の西川潤先生は、国際経済分野で高名な経済学者でした。

 その西川潤先生が2018年10月2日、Global Social Economy Forumという国際フォーラムに参加するため訪れていたスペイン・ビルバオ市にて永眠されました。

   昨年12月21日に「西川潤先生を偲ぶ会」が開催されましたので、この場であらためて先生を偲びたいと思います。

 

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 西川潤先生とわたしの関係は、学生時代、経済学徒として劣等生であったこともあり、あまりご縁がなかったのですが、80年代後半にわたしがロンドン駐在員のときに、先生ご夫妻がロンドに来られた際にご一緒に食事をしましたが、それ以外特に交流はありませんでした。

 その後、1999年に先生のお父様の西川満様がお亡くなりになり、ご葬儀でご自宅にお伺いした際に、「人間の星」という冊子を何冊かいただきまして、そのなかに西川満様のとてもロマンチックでエキゾチックな詩が載っておりまして、西川満様はどんな経歴をお持ちの方なのかと興味を持った記憶がございます。

 それから2018年2月にわたしが祖父の評伝であります「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」を上梓いたしまして、西川先生に読んでいただきましたところ、過分なお褒めのお言葉をいただき、また京薩摩に大変興味をお持ちになられて、京都の清水三年坂美術館や京都国立近代美術館に行かれて錦光山宗兵衛の作品をご覧いただいたり、京薩摩を取り上げた「美の壺」や「美の巨人たち」をご覧いただきました。

 その際にいただいた西川先生のコメントを引用させていただきたいと思います。

 

1月5日NHKスペシャルの「美の壺」明治150年特集を見ました。ご曾祖父さまの粟田焼をはじめ、七宝、着物等、明治日本の興隆を支えた匠たちの入念、細密な仕事に感銘しました。まさに超絶技巧ですね。現代にそれを引き継ごうとする志を持つ人たちが出ていることにも感心しました。ご著書はそうした日本人の内発性を若い世代に引き継ぐ意味でも待望されていることと拝察します。台湾でも、かつては日本人の統治はすべて悪という「国民党史観」が支配的でしたが、21世紀に入り、日本統治も自分たちの心性を形成する一部と考える「台湾人本土思考」が強まってきて、日本人作家の位置付けも変わってきたようです。

 

(8月)4日土曜日、テレビ東京美の巨人たち」の放映、拝見しました。七代宗兵衛の花見図花瓶をモチーフに、細密技巧の展開が世界から珍重される芸術品を生み出したとする構成は、京薩摩の特性をよくとらえ、興味深いものでした。しかしそれにとどまらず、明治日本の興隆を殖産興業面でになった京粟田焼産業の興衰が読みとれる構成になっていて、感心しました。工芸産業の興隆が、市場需要と共に、日本の伝統的技法とあわせて海外の技術動向の摂取に努めた「美の巨人」六代、七代の錦光山宗兵衛の手によって実現したことも説得的でした。30分と言う時間は、テレビでは長いともいえ、また短いともいえ、やはり、学兄の綿密な京薩摩研究がベースにあるだけに、短い時間にメッセージがよく読み取れました。学兄のコメントも適切でした。内発的発展のお手本のような番組を見せて頂き、とりあえずお礼を申し上げます。

 

昨日(2018年4月20日)、学会で関西に参り、京都国立近代美術館の「明治150年」展を見てきました。3Fの「明治の工芸」の部屋に入ったとたん、七代目近代宗兵衛の燦然と輝く香炉が眼に飛び込んできました。遠方からもすぐそれと判りました。大鉢と花瓶もすばらしいですね。気高い品のある金襴は、粟田焼独自のものですね。欧米で珍重された理由が、理解できます。珍しい絵図の展示も、入念な下絵の準備の上に超絶技巧の陶磁器が制作されたことを示し、輸出品に立ち向う工芸家の真剣な姿勢を伝えてくれます。出口のショップには学兄の『錦光山宗兵衛伝』が山積みとなっていました。錦光山窯と明治工芸ワールドに浸った至福の半日でした。

 

 西川先生とのこうしたやり取りのなかで、わたしがお父様の西川満様のご著書を拝見させていただきたいとお願いしましたところ、陳藻香女史の「西川満研究」や限定本「自伝」、「わがふるさと会津」などいくつかのご著書ならびに関連資料をお送りくださったのです。

 

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 それらのご著書を読んでわかりましたことは、西川満様の曾祖父の秋山彦左衛門さまは会津藩士で戊辰戦争の時に鶴ケ城で戦死され、また祖父の秋山清八さまは敵の銃弾を腿に受け負傷されたのですが、後に会津若松の初代市長になられ、会津を立て直すには人材の育成しかないと育英事業に生涯を捧げられた方であるということでした。

 また西川先生のお父様の西川満様は明治44年に3歳で台湾に渡り、昭和8年に早稲田大学仏文科を卒業、恩師の吉江喬松先生から「台湾で独自の日本文学を打ち立てることこそ男子一生の仕事だ」と励まされて台湾に戻り、台湾日日新報社で学芸欄を担当する傍ら、文筆活動を始められ、昭和15年に「台湾文芸家協会」を設立して「文藝台湾」という機関紙を創刊して台湾の文化・風俗を取り入れた詩や小説を発表した作家であることがわかりました。

 そうしたなかで2018年6月21日、先生のご自宅をお伺いいたしまして、西川満様の思い出話などをお聞きしました。その一つが、当時三歳であった西川潤先生の片言を採取した詩集「カタコトの歌」であります。西川満様の潤先生に注がれる愛情の深さを感じるとともにとてもほほえましく思いました。

 

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 また敗戦により西川潤先生ご一家は、昭和21年4月に台湾の基隆港からアメリカの上陸用舟艦リバティー号に乗って引き揚げて来られるのですが、当時10歳の潤先生は肺炎に罹っていて万一の場合には水葬を約束させられたそうであります。また引き揚げを見送る台湾の人々が当時日本語の使用を国民党政府から禁止されていたにもかかわらず、日本語で蛍の光を合唱して送ったというお話をうかがい感動しましたことを覚えております(下の写真は立石鉄臣画伯の絵)。

 

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 西川潤先生のご自宅を訪問した後の7月に会津若松市福島県立博物館で「西川満」展が開催されまして、そのシンポジュウムで台湾の真理大学名誉教授の張良澤先生と西川潤先生が対談されました。その中で張良澤先生は「台湾文学を作ったのは西川満先生である」と発言されており、そこまで西川満様が評価されているのかと驚きました。そんなこともありまして、わたしは2019年4月22日から28日かけて台北、台南を訪問いたしましたが、ご興味のある方は、このブログの「西川満をめぐる台湾の旅(1)台南編&(2)台北編」をご覧いただきたいと思います。

 

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 さて西川潤先生は若いころから弁舌さわやかで颯爽としていて憧れの先生でした。先生は早くから「西欧的近代とは何か」を探求し、ベストセラーの名著「飢えの構造」(1

974年ダイヤモンド社)などで近代の西欧の経済システムが発展途上国の犠牲の上に成り立っているという問題意識のもとで南北問題に取り組んでこられました。

 

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 先生がそうした問題意識を持たれたのは、西川家の来歴も一因ではないかと思うのですが、「西川潤年譜」(「社会科学を再構築する」明石書房)によりますと、フランスに留学中に雑誌「エコノミスト」の特派員としてアフリカ諸国を取材した際のことが下記のように記されています。

 

ニジェールの市場でマーケット・マミーたちの賑やかな店が並ぶ裏側で、痩せさらばえた老婆たちがわずかな野菜を数点汚れたむしろに並べて坐っている姿が瞼に焼きついている。第三世界の裏側に第四世界があることを知った。ちょうどラテン語と古ドイツ語文献の読解に疲れていた時でもあり、またこの旅行でヨーロッパ近代資本主義の形成にアフリカ植民地の果たした役割が大きかったことに目を見開かれたこともあって、学問的関心がヨーロッパ経済史から南北問題に移行した。

 

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 西川潤先生は、近年においても「共生主義宣言」(2017年コモンズ)や「2030年未来への選択」(2018年日本経済新聞出版社)などを出版し、積極的に発言してこられました。

 先生は「2030年未来の選択」のなかで、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals SDGs)を取り上げており、今日の世界的なグローバリゼーションの潮流のなかで、格差の増大、貧困・失業の増大、テロ続発、気候変動と異常気象、災害の増大、それに伴う不安感の増大、国家主義の台頭を挙げ、近代世界システムは21世紀に入り、行き詰まっており、市民革命以降守られてきた自由や人権や民主主義などがないがしろにされ、自己破壊への動きを強めているように見受けられると警告を発しています。

 また先生は同書のなかで無秩序な森林開発が進行したため、野生生物が抱えていた病原菌が人に触れること、また他方では開発優先で保険医療や教育に関心が向かわないことから感染症が容易に拡がると述べており、今日の新型コロナウイルス蔓延の脅威を予言した形となっています。

  ここで思い出すのが、今年の元旦に放映された「NHKスペシャル/10 Years After 未来への分岐点」です。この番組では今後10年の間に気温上昇を1.5°C以内に抑えられないと、北極の氷が溶け、アマゾンの熱帯雨林が枯れた草原に変貌し二酸化炭素が大量に放出され、シベリアの永久凍土が融け、地下のメタンガスが爆発して大気中に放出し、21世紀末には平均気温が4℃以上上がり「灼熱地球」となるというものでした。

 また3月31日の日本経済新聞には「サピエンス全史」の著者で歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏がコロナ後の世界として感染防止という名目で「監視対象が『皮膚の上』から『皮下』へと一気に進むきっかけにもなりかねない」と全体主義的な監視態勢が敷かれるかもしれないと警告しています。

 これらディストピアな世界がすべて杞憂に終わればいいのですが、今日のコロナウイルス蔓延の脅威を見ていると、必ずしも楽観はできないのではないかと思われます。

 西川潤先生は、こうした危機的な世界のなかで「私たちは否応なしに人類としての倫理が問われる時点に立っている」、「ここで倫理(ethics)とは、善悪の問題ではなく、主体がどのように世界に働きかけるか、その基本姿勢、精神の持ち方を言う」、「未来は占うものでなく、私たちがどのように関わり、何をどう選択するかによって決まる」と述べておられます。

 もしわたしたちが今回の新型コロナウイルス蔓延の脅威から学ぶことがあるとするならば、分断を進める指導者ではなく、世界を持続可能な発展に導く、倫理観のある指導者を選ぶことではないでしょうか。

 最後に西川先生は先進国と途上国だけでなく、首都圏と地方、男女間という内なる南北問題にも早くから目を向けられ、理事時代に社会人、留学生、女性を重視する大学院アジア太平洋研究科を新設し、早稲田大学ダイバーシティの進んだ大学となる先鞭をつけられたことも、教育者としての西川先生の素晴らしいところだと思われます。

  西川潤先生は国際フォーラムに参加するためスペインを訪れ、その地で客死なされました。それは最後まで経済学者として生きた先生らしい、壮烈な死だと思われます。享年82歳、安らかにお眠りください。

 

 

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© 錦光山和雄AllRightsReserved

 

 

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