錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

祝祭感あふれる錦光山「祭礼図薩摩花瓶」:The Festival Satsuma Vase of Kinkozan

 

  2022年5月17日の日経新聞夕刊に日経アートの「驚異の超絶技巧 明治の工芸」が掲載され、そのなかに錦光山の「祭礼図薩摩花瓶」があることを私の友人が知らせてくれた。ありがたいことに、その友人がその花瓶を購入すると言っていたので拝見できるのを楽しみにしていたところその機会が巡ってきました。

 友人のところへ訪れると、さすがに日経アートだけあって、パンフレットに錦光山の「祭礼図薩摩花瓶」の紹介文があり、サイズは径13.5、高さ31.4cmとなっており、京都の清水三年坂美術館の村田理如館長の鑑定書付でありました。

 

 

 

 村田館長のパンフレットの「祭礼図薩摩花瓶」の紹介文によると、「慶応3(1867)年のパリ万博、明治6(1873)年のウイーン万博への出品を機に薩摩焼の生地に細密な金彩色絵を施した『京薩摩』が海外で人気を博しました。中でも江戸時代から続く老舗の錦光山は京薩摩最大の窯元で、将軍の御用品も作っていました。意匠に工夫をこらした作風が多いのが特徴です。本作は満開の桜の季節に行われた祭りの様子で、能舞台やお神輿、屋台などのほか、沢山の人々であふれる賑やかな風景が描かれています。祭りに参加する人の表情や着物の柄も一人一人異なり、どの角度から見ても完璧な描き込みがされています」と記載されています。

 実際に拝見してみると、盛大な祭りの情景が、小さな宇宙のように緻密に描かれていることに驚かされます。あまりに細密に描かれていますので、この際、細部にわたって子細に、この祝祭空間ともいうべき小宇宙をくまなく見てみたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 まず能舞台のある正面から見てみましょう。能舞台の上空には祭りを祝うかのように幟が大きくはためき、広がりを感じさせる構図となっています。能舞台の下は押すな押すなの人波の大盛況で、コロナ禍の今日ではあまり見られない光景となっています。よく見ると、赤子を背負ったご婦人や白馬に乗り、部下を従えたサムライの姿まで描かれ、さらに下の方を見ると、神燈の提灯の下に妙齢な女性や神官、子供たちの姿まで描かれています。

 




 今度はやや角度をかえて能舞台の右側から見てみましょう。上部には鬼でしょうか面がついています。能舞台の右側には、赤い垂れ幕のようなものが七枚あり、金色の字で奉納と書かれ、その下には若松(稚松)らしきものが描かれています。またその右下には、「名物 菊餅」と書かれた提灯の垂れ下がった屋台があり、ご婦人がうれしそうに菊餅を買い求めている姿が描かれています。私の知人によりますと、菊餅というのは、桜餅のようにつぶつぶを残し、薄い黄色の色付けした餅を菊の葉の上に乗せて香りづけしたものだそうです。一度、機会があれば食べてみたいものです。それはさて置き、花瓶の下の方にある青い松も褐色の屋根瓦と対比して清々しさを感じさせます。さらに下を見てみると、水飲み場に集う人々がなんと生き生きと描かれていることでしょうか。その多彩な写実力に驚くばかりです。

 


 さらに右側を見てみましょう。境内の建物のまえの紅白の垂れ幕のまえで笛や太鼓、鉦の打ち鳴らす演奏をバックに赤い箱を三段に積み上げた上で唐子のような子供が曲芸をしています。その下には赤い提灯を下げた家の中から母親とともに子供が身を乗り出すようにして外を覗いています。外では何十人もの若衆が鉢巻をして大きな神輿を担いでいます。その勢いたるや圧巻といわざるを得ません。その傍では、「寿し」と書かれた屋台が出ています。まさに祭りは最高潮を迎えているのでしょう。

 

 

 そしてさらに右側を見ると、残念ながら字は読めませんが、名物〇〇の屋台の横を通り抜けて鳥居をくぐって行く人々が描かれています。その下には座り込んで、先程見た唐子の曲芸を熱心に見ている人々が描かれています。その下の茅葺の店ではドンブリで食べている男がいるのでウドンかソバでも食べているのではないかと思われます。その下では神燈と書かれた提灯のしたで豪華な帯をした女性たちが描かれています。

 

 


 そして最後に、満開の匂うような桜に囲まれて、鳥居周辺に集う人々を描いた光景であります。これほど人々のにぎわいと春爛漫の雰囲気を伝えてくれる焼物は少ないのではないでしょうか。まさに祝祭空間をあますところなく描いてと言えましょう。この花瓶を見ていると、どこか心が浮き立ってきます。

 ところで、このお祭りはどこの神社で行われたものか気にかかります。よく見ると鳥居の下に京都と書かれているのが見えます。私にはどこだか分からないですが、私が敬愛する薩摩焼研究家の方が、建物や鳥居の雰囲気からすると、北野天満宮の近くにある平野神社ではないかと推測されています。その方によりますと、北野天満宮は梅が有名ですが、平野神社は桜で有名で、その昔、亀山天皇が沢山桜を植え、桜祭りの発祥の地となったところだそうです。私はその説に従いたいと思います。なおこの作品の裏印は錦光山の高級品の裏印である「錦光山造」となっております。

 

 

 
 なお、私の友人は錦光山の「祭礼図薩摩花瓶」だけでなく、「花尽薩摩対花瓶」と日出商会「行楽図薩摩茶碗」も購入しましたので、その写真も掲載させていただきます。

 清水三年坂美術館の村田館長がパンフレットのなかで「ここ数年、明治工芸が注目されている。今まで注目されなかったことが不思議で仕方ないが、これから更に注目されるに違いない。明治工芸はどの分野の作品も繊細で気品があり、雅やかで美しい作品ばかりで、しかも現代ではもう誰も作れない超絶技巧で作られている。(中略)それ故、現存している作品は非常に貴重なものである。もう二度と誰も作れないからである」と書かれておられる。まさに至言だと思われます。

 私は「祭礼図薩摩花瓶」を作った私の祖父・七代錦光山宗兵衛ならびに何ケ月もかけて、人波やお祭りの屋台や出し物を細部にわたり丁寧に、しかも生き生きと描いた、錦光山工場の名もなき絵師に最大限の敬意を表したいと思います。この花瓶には、何度見ても見飽きることないくらいの盛大な祭りの素晴らしい祝祭空間が広がっております。それこそがこの作品の持つ醍醐味と言えるのではないでしょうか。

 



 

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