京都の京セラ美術館で開催されている「村上隆もののけ京都」展を見てきました。
会場にはいる前に邪鬼を踏みつける巨大な「阿像」と「吽(うん)像」が迎えてくれます。 最初に展示されているのは岩佐又兵衛の「洛中洛外図屛風」をもとにした「洛中洛外図」でした。この「洛中洛外図」は、右端の大仏殿から左端の二条城にかけて、たなびく金雲のもと貴族や武士、市井の人々までが生き生きと細密に描かれています。 でも、よく見ると、華麗に描きこまれた京都の町をおおう金箔の金雲のなかに、なんと無数のドクロが描かれているのです。それは生と死が表裏一体で、何かあやしいものがうごめいていることを暗示しているかのようでした。 なんでだろうと不審に思いながら展覧会を巡っていくと、次第に分かってきたことは、村上隆は京都のなかにうごめくもののけを見ていたのです。
私もまったく同感だと思いました。千年の都であった京都は、華麗で美しいだけでなく、室町時代から戦国時代にかけて戦乱や飢饉で数限りない人々が死んでいき、その霊魂がもののけとなって鳥辺野だけでなく京都の街のあちこちに潜んでいてもなんの不思議ではないのです。
解説にも「村上隆は生と死の距離が今よりずっと近かった中世の京都の空気を現代によみがえらせています」と書かれていました。
それかあらぬか、次に真っ暗な部屋があり、その部屋の闇の中央には「六角螺旋堂」が置かれ、四方には「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の絵が配され、部屋全体で平穏を祈願する場となっていました。それは室町や戦国時代だけでなく、不穏な現在の世界にも向けられているのではないでしょうか。 もうひとつ分かったことは、村上隆という画家は「奇想の系譜」に連なる画家ではないかということです。彼自身も「奇想の系譜」が漫画などの現代日本の芸術文化につながっているという「奇想の系譜」の著者・辻惟雄の意見に共感していたそうですし、実際、この展覧会でも曾我蕭白の龍に挑戦した龍の絵も展示されていました。 また「奇想の系譜」の画家だけでなく、琳派や俵屋宗達へのオマージュ作品も展示されていました。村上隆の「風神雷神図」は俵屋宗達のような雄渾の画風ではなく、脱力系の軽妙な画風ですが、いろいろと緊張を迫られる現代においてはそのほうが心が休まり共鳴しやすいのではないでしょうか。 ところで、村上隆は、日本の伝統絵画やアニメ、漫画へと続く平面性と戦後日本の階級のない社会的文脈とを関連させる「スーパーフラット」という概念を提唱したそうですが、村上隆はその概念を提唱したことによって「奇想の系譜」を「かわいい」という特上のスイーツをトッピングして現代に繋げたのではないでしょうか。
実際、村上隆のつくった、丸い耳と顔に1文字ずつ綴られたDOB(どぼじ)君のキャラクターやフィギャアなども「かわいさ」でトッピングされているものの、現代版の「奇想の系譜」に属するといえるのではないかと思われます。現在、日本だけでなく世界で「かわいさ」が圧倒的に支持されていることを考えると、そこに村上隆の先見性と独創性があるのではないでしょうか。 実際、解説によると、村上隆は、日本のキャラクター文化が発展し、世界を席巻した理由は、敗戦国の悲哀を抱えた日本人の魂の震えが共感を呼んでいるのだと言っているそうです。また、村上隆のキャラクターもまた、世界が疫病や戦争などで不穏に変化していく兆しを提示、形象化した現代の「もののけ」たちなのかもしれませんと述べています。
確かに、現在、ウクライナやガザで戦争が起き、無垢な市民や子どもが殺戮されている世界を見ていると、われわれが今生きているこの世界は奇怪なもののけにとり憑かれているのではないかと思わざるをえません。 現実があまりに悲惨で不安であるから、現実的で写実的なものはあまり見たくない。奇怪で奇想的なもの、あるいは、圧倒的な「かわいさ」でしか心が共鳴しない、そんな時代にわたしたちは住んでいるのかもしれません。
その意味で、村上隆が描く楽しげにわらう花やカイカイ&キキなどの愛らしいキャラクターの世界にもひっそりと奇怪な「もののけ」がひそんでいることを感じられたことは、今回の展覧会で得た大きな収穫ではないかと思えてくるのです。
©錦光山和雄 All Rights Reserved
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会場にはいる前に邪鬼を踏みつける巨大な「阿像」と「吽(うん)像」が迎えてくれます。 最初に展示されているのは岩佐又兵衛の「洛中洛外図屛風」をもとにした「洛中洛外図」でした。この「洛中洛外図」は、右端の大仏殿から左端の二条城にかけて、たなびく金雲のもと貴族や武士、市井の人々までが生き生きと細密に描かれています。 でも、よく見ると、華麗に描きこまれた京都の町をおおう金箔の金雲のなかに、なんと無数のドクロが描かれているのです。それは生と死が表裏一体で、何かあやしいものがうごめいていることを暗示しているかのようでした。 なんでだろうと不審に思いながら展覧会を巡っていくと、次第に分かってきたことは、村上隆は京都のなかにうごめくもののけを見ていたのです。
私もまったく同感だと思いました。千年の都であった京都は、華麗で美しいだけでなく、室町時代から戦国時代にかけて戦乱や飢饉で数限りない人々が死んでいき、その霊魂がもののけとなって鳥辺野だけでなく京都の街のあちこちに潜んでいてもなんの不思議ではないのです。
解説にも「村上隆は生と死の距離が今よりずっと近かった中世の京都の空気を現代によみがえらせています」と書かれていました。
それかあらぬか、次に真っ暗な部屋があり、その部屋の闇の中央には「六角螺旋堂」が置かれ、四方には「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の絵が配され、部屋全体で平穏を祈願する場となっていました。それは室町や戦国時代だけでなく、不穏な現在の世界にも向けられているのではないでしょうか。 もうひとつ分かったことは、村上隆という画家は「奇想の系譜」に連なる画家ではないかということです。彼自身も「奇想の系譜」が漫画などの現代日本の芸術文化につながっているという「奇想の系譜」の著者・辻惟雄の意見に共感していたそうですし、実際、この展覧会でも曾我蕭白の龍に挑戦した龍の絵も展示されていました。 また「奇想の系譜」の画家だけでなく、琳派や俵屋宗達へのオマージュ作品も展示されていました。村上隆の「風神雷神図」は俵屋宗達のような雄渾の画風ではなく、脱力系の軽妙な画風ですが、いろいろと緊張を迫られる現代においてはそのほうが心が休まり共鳴しやすいのではないでしょうか。 ところで、村上隆は、日本の伝統絵画やアニメ、漫画へと続く平面性と戦後日本の階級のない社会的文脈とを関連させる「スーパーフラット」という概念を提唱したそうですが、村上隆はその概念を提唱したことによって「奇想の系譜」を「かわいい」という特上のスイーツをトッピングして現代に繋げたのではないでしょうか。
実際、村上隆のつくった、丸い耳と顔に1文字ずつ綴られたDOB(どぼじ)君のキャラクターやフィギャアなども「かわいさ」でトッピングされているものの、現代版の「奇想の系譜」に属するといえるのではないかと思われます。現在、日本だけでなく世界で「かわいさ」が圧倒的に支持されていることを考えると、そこに村上隆の先見性と独創性があるのではないでしょうか。 実際、解説によると、村上隆は、日本のキャラクター文化が発展し、世界を席巻した理由は、敗戦国の悲哀を抱えた日本人の魂の震えが共感を呼んでいるのだと言っているそうです。また、村上隆のキャラクターもまた、世界が疫病や戦争などで不穏に変化していく兆しを提示、形象化した現代の「もののけ」たちなのかもしれませんと述べています。
確かに、現在、ウクライナやガザで戦争が起き、無垢な市民や子どもが殺戮されている世界を見ていると、われわれが今生きているこの世界は奇怪なもののけにとり憑かれているのではないかと思わざるをえません。 現実があまりに悲惨で不安であるから、現実的で写実的なものはあまり見たくない。奇怪で奇想的なもの、あるいは、圧倒的な「かわいさ」でしか心が共鳴しない、そんな時代にわたしたちは住んでいるのかもしれません。
その意味で、村上隆が描く楽しげにわらう花やカイカイ&キキなどの愛らしいキャラクターの世界にもひっそりと奇怪な「もののけ」がひそんでいることを感じられたことは、今回の展覧会で得た大きな収穫ではないかと思えてくるのです。
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