錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

京都の宇治・赤雲窯訪問記

赤雲窯 岡田優氏作「白釉稜線鉢」 ©岡田優

 

    京都の宇治市炭山の赤雲窯の陶芸家・岡田優(まさる)さまから、錦光山の高杯を持っているのでお譲りしてもいいという大変ありがたいご連絡があり、わたしが個人で保有するよりもすこしでも皆様の目にふれるように京都のどこかの施設で保有してもらったほうがいいのではないかということで、保有してくれるところを探すことになりました。その結果、岡田優さまが錦光山の高杯を京都府に寄贈して京都府蔵(京都文化博物館管理)となる見込みとなりました。大いに楽しみです。

 

 そんなことから、わたしは一度、赤雲窯をお訪ねして錦光山の高杯を見せていただくとともに岡田優さまの作品も拝見したいと思い、お願いしましたところ、快諾していただきまして、お伺いすることになりました。

 宇治駅まで参りますと、岡田優さまが駅前のロータリーで待っていてくださり、ここから車で20分くらいかかるとのことでした。車中、いろいろお話を伺いますと、岡田優さまのお父様で初代赤雲窯の岡田和夫さまは、若い頃、満州に行けば土地をもらえるという満州開拓義勇兵として満州に渡ったそうですが、敗戦でロシア兵に追われて帰国したそうです。石川県は冬、雪に閉ざされてしまうので農家でも副業で絵付をする土地柄だそうで、お父様の岡田和夫さまはそれに影響を受けて絵付の修行をされていたそうです。京都には九谷や金沢出身の絵付師がおおく、ロクロなどの成形は瀬戸出身がおおいそうでありますが、岡田和夫さまは、絵付をするなら京都だということで昭和25年に京都に出て、富本憲吉や走泥社の八木一夫らのところで教えを受けたそうです。

 そうしたなかで京都府立陶工訓練校(現、京都府立陶工高等技術専門校)ができ八木一夫が初代指導者を勤めていたそうですが、絵付が出来るんだから君がやらないかと声がかかり、昭和27年から図案科の指導員になられたそうであります。

 その頃、絵付の参考品として購入されたのが、錦光山の高杯だそうです。岡田優さまは「派手な京薩摩系ではなく、粟田焼の物です。あっさりした絵付ですが、特に内側の雀が秀逸かと思います。絵付が専門のウチの父もこれはなかなか描けへんなって言ってました」とおっしゃられており、器の内側に絵を描くのが難しいそうです。わたしも小品ながら洒脱な絵付と感銘を受けております。

 

錦光山宗兵衛 高杯  ©岡田優

錦光山宗兵衛 高杯  ©岡田優



錦光山宗兵衛 高杯  ©岡田優



錦光山宗兵衛 高杯  ©岡田優

 

 雀ではありませんが、昆虫の似たような絵付の錦光山宗兵衛の「銹絵虫尽し文盃」を愛知県陶磁美術館の「酒のうつわ」展で見ましたので、ご参考までに掲載いたします。

 

錦光山宗兵衛「銹絵虫尽し文盃」   © 愛知県陶磁器美術館蔵

 

 話を戻しますと、岡田和夫さまは教鞭を執っていた時、毎日清水からの帰路、夕日に照らされた西山にたなびく雲に感銘を受け、京都府立陶工訓練校で約二十年間奉職した後、独立したときに窯名「赤雲窯」と名付けられたそうであります。

 当初、岡田家は五条に住んでおられたそうですが、昭和60年頃、京都市内では煤煙などの問題から登り窯が規制されるようになり、困っていたところ、宇治市の方で過疎対策もあり、いろいろ便宜をはかるというので、五条の10軒くらいの陶家が宇治の炭山に移り作陶をはじめられたといいます。

 岡田優さまは、府立陶工訓練校、市立工業試験場研修生を経て、炭山の走泥社同人の河島浩三氏の下で三年間陶技全般を学び、1987年24歳のときに炭山で独立されたそうです。

 岡田優さまは独立後、各種展覧会で入選・受賞をされており、日本伝統工芸展などにもたびたび出品されている陶芸家で、多彩な作品を作られております。なかでも、やわらかい白釉の大振りな作品があり、わたしはその造形があまりに繊細で、白い大振りの蓮の花を想起させるように感じられます。その旨をお伝えしますと、岡田優さまは、宇治の炭山地区は秀吉が桜を愛でた醍醐寺の後背地の山々を越えた場所にあり、これらの作品は上醍醐山から吹いてくる風を意識して作ったものですとおっしゃるのです。岡田優さまのお話ですと、ロクロで作った器形をやわらかいうちに手指で押して土の重みで自然と生じる面の連なりで構成しているそうで、その面の接点の線が、わたしには大ぶりな蓮の花片が合わさった線に見えるのです。

 

岡田優氏 白釉作品  ©岡田優

  下の画像の「白釉稜線水指」などはまさに白い蓮の花を彷彿させるものではないでしょうか。白い蓮でないのが残念ですが、接点の感じを見ていただくために紅の蓮の画像を参考までに掲載させていただきます。

 

岡田優氏 白釉稜線水指」 ©岡田優

 

 

 

 岡田優さまは、赤雲窯の紹介文のなかで「私の過ごす京都宇治の炭山で、日々目にする山や雲、風の動き、植物などをかたどった形を中心に、土地の方々との交流を通して得た身近な風景を反映しています」と書かれています。

  実際、白釉の器面に淡いブルーの描かれた作品は炭山の林の木立をイメージしたものだそうです。炭山の林の静謐なたたずまいが感じられます。

 

岡田優氏 白釉作品  ©岡田優

 

   また2022年「有田国際陶磁展」で文部科学大臣賞を受賞された「白釉稜線鉢」は息を吞むような山の稜線が表されております。ふとその稜線からどんな光景が眺められるのか、そんな想いが頭によぎります。

 

岡田優氏 白釉稜線鉢  ©岡田優

 

 さらには白釉にほとばしるような銀彩の流線形が描かれた「銀彩刷毛目花生」は谷から吹き上げる風をイメージしたものだそうであります。宇治の炭山地区は10年ほど前に崖崩れが起き、岡田優さまの工房のまえは濁流の流れる川になってしまったそうですが、谷から吹き上げる風も力強いものがあるのでしょう。その感じがよく出ているのではないでしょうか。

 

岡田優氏 銀彩刷毛目花生   ©岡田優

 

   わたしは、こんなモダンでシャープは造形のなかに、宇治炭山の里山の情景がイメージされていることに驚きを禁じえません。しかしながら、そこに岡田優さまの真骨頂があるのかもしれません。それはなぜかといいますと、岡田優さまのすべての作品には何ともいえない温かみがあるのです。それはどうしてなのかと考えてみますと、岡田優さまは宇治の自然のなかで、日々目にする山や雲、風や植物などを感じ、また身近な人々との交流のなかで得た里山の風景を作品に込められているからではないでしょうか。それゆえに里山の自然とそこに暮らす人々の温もりが伝わってくるのです。

 いま、異常気象で自然が壊されていくなかで岡田優さま的な作陶姿勢はますます大切になっていくのではないでしょうか。あたらめて工房の周りを眺めてみますと、杉木立の山々が連なり、空には白い雲がたなびき、田畑のなかに小川が流れる、里山の風景が広がっています。もしかすると、岡田優さまの焼物の世界はこの里山だからこそ成り立っているのかもしれません。

 

宇治炭山の里山風景



宇治炭山の里山風景

   岡田優さまの作品には白釉のオブジェ的なもの以外にも色絵陶器もありました。いくつかをご紹介いたしますと、朱色に金彩で模様が描かれたなかに窓をあけ、そこに牡丹の花が描かれた作品は何と華麗な作品なのでしょうか。

 また草色に輝くばかりにコーティングされた薄草色の作品は何ともいえない鮮烈さです。白釉の部分に描かれた蝶も恐らく炭山の蝶なのでしょう、愛らしくて素敵です。

 この他にも、椿の椀やオシドリの椀、赤絵の作品もあります。岡田優さまのお話ですと、こうした色絵を買われる方は、昔の作品の写しの作品を好まれるそうです。不思議なことですが、自分がかつて見たことのある意匠の方が安心感があるからでしょうか。

 

岡田優氏 色絵作品   ©岡田優



岡田優氏 色絵作品   ©岡田優



岡田優氏 色絵作品   ©岡田優

 

 さらに下の画像にありますように「鉄釉天目形茶碗」や「金地雪松之図茶碗」など多彩な作品があり、これらの器で抹茶でも飲めば、雄渾な気分にひたれるのではないでしょうか。

岡田優氏 鉄釉天目形茶碗   ©岡田優

岡田優氏 金地雪松之図茶碗   ©岡田優



 驚いたことに、岡田優さまの工房の棚には、こうした作品以外にも皿や茶碗、カップなど様々な飲食器が並んでおります。それはどうしてなのかお尋ねしますと、窯としては割烹食器を作っており、そちらの器は京都や東京の料亭に納めているそうなのです。こうした料亭の飲食器の制作上の難しさは、茶碗蒸しの器であれば、料亭では数が多いので、茶碗は茶碗、蓋(ふた)は蓋で別々に洗うので、一つの蓋はどの容器にも合わないといけないので、若い人にはなかなか作れないそうです。岡田優さまの熟練の技を垣間見る思いがいたします。

 

赤雲窯の工房の棚に並ぶ岡田優氏の作品 ©岡田優

 

 わたしは恐る恐る日常使いの飲食器であれば、いくつか譲っていただきたいと申し上げますと、お譲りいただけることになりました。岡田優さまの優しさに感謝いたします。

 わたしが選びましたのは、すっきりした造形で上部が白釉で下部が黒釉のカップ2客、樫の木の灰を用いた黄灰釉(岡田優さまは京焼の窯なので黄瀬戸とは呼ばずに黄灰釉と呼んでいるそうです)のやや大ぶりな皿一つ、それに岡田優さまが選んでくれた黄灰釉のご飯茶碗2客です。滅多に黄灰釉の飲食器など使えないですから、天にも昇る気持ちで、早くこれらの器で飲んだり食べたりしたいと思いました。

 

岡田優氏のカップ ©岡田優



岡田優氏 黄灰釉の皿  ©岡田優



岡田優氏 黄灰釉の茶碗   ©岡田優

 

 帰宅しましてから、そのカップでお茶を飲んだところ、手触りが良く、バランスが取れていてとても飲みやすいのです。わたしにはどこかは分かりませんが、よく工夫されているようなのです。 

 また黄灰釉の茶碗でご飯を食べましたところ、やや大きめな椀にもかかわらず軽くて、どういうわけか、おおらかな気持ちになって、ご飯を美味しく食べられるのです。どうしてこんなに使い勝手が良くて美味しく食べられるのかと不思議な気持ちになりました。岡田優さまのお話では、黄灰釉は黄瀬戸の再現を目指したものではなく、あまり自己主張せずに、食卓に温かみを感じてもらえるように調合するなかで出来上がったものだそうです。そうであれば、おおらかな気持ちで美味しくご飯を食べられるのも腑に落ちます。まさに岡田優さまの優しいお人柄がしのばれる器ではありませんか。また長年、料亭の方からこうしてほしいといろいろ注文が来るなかでつちかわれた匠の技が器に十分活かされているのではないかと思いました。

 器は目で見るだけでなく、手で触り、唇にも触れる、いわば五感で感じるものです。まして飲食器は毎日使うものであります。それゆえ丹精込められた、こうした器で飲食できることは、ささやかであっても、大きな楽しみであり、むしろ生きていくうえでの醍醐味といえるのではないでしょうか。そんな器を作ってくださった岡田優さまに感謝したいと思います。

 気づくと、赤雲窯の工房に長居してしまい、そろそろお邪魔しますと車に乗り込んだのですが、わたしがふと共同で使っていたという登り窯はどこにあるのですかとお聞きしますと、岡田優さまは車をUターンさせて連れていってくれたのです。

 その登り窯は山あいのふもとにあり、ドアを開けると、九室(房)の堂々たるものなのです。岡田優さまはこの焚口から火をつけて、第一室(房)が高熱になると、段々と次の室(房)に炎が移っていくそうですが、その際、倒炎しないと下の温度が上がらないこともあり、上部に燃え上がった炎が倒炎して下部にある口から次の室(房)に炎が移っていくと説明してくれたのです。わたしは初めて、登り窯のことをなぜ連房式倒炎型というのかが分かりました。また岡田優さまのお話では、京焼では備前焼などと違って灰かぶりなどは好まないので、製品はすべてサヤのなかにに入れて灰がつかないようにしているそうであります。以前は窯元だけでたまに焚いていたようですが、今では京都の陶芸を学ぶ学生さん達の体験も兼ねて年に1度焼くそうです。

 

宇治炭山の登り窯

宇治炭山の登り窯

 

 最後に車のなかで宇治でも陶器市はやっているのですかとお尋ねしますと、五条の方は京都市内ということもあっていろいろ規制があって開催が難しくなっていますが、宇治では毎年桜の咲くころ、宇治川の中州で破格の値段で陶器市が開催されるそうであります。

 帰りは六地蔵駅まで送ってくれました。

 素晴らしい数々の作品を拝見させていただき、また貴重なお話を聞かせてくれました赤雲窯の岡田優さまに心から感謝申し上げます。京焼の世界がひろがり、楽しい旅となりました。

 本当にどうもありがとうございました。

 

岡田優氏と錦光山

 

 

 

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