夏の強い日差しのなか、東山の山裾にあり、冬にはやぶ椿が参道の石畳に乱れ散る、わたしの好きなお寺のひとつでもある法然院の方丈の間で浄土の庭を背景にして開催される、ゆきね(有機音)さんの和編鐘(わへんしょう)の演奏会に行ってきました。参道の木立が強い日差しをさえぎってくれて助かります。
最初に、法然院の浄土の庭を背にして、梶田真章貫主の「愛は地球を救わない」という法話からはじまりました。
梶田貫主のお話では、「愛」は慈悲(生きし生きるものに対する大いなる友愛と心を重ねる精神)と異なり、何かに執着するのでそれを失うとかえって煩悩になるので愛で人は救われないとおっしゃるのです。
愛国心ですら戦争の原因となると言うのです。ウクライナの悲惨な光景を見て、世界が核戦争の危機を迎えているいま、それが現実なのかという思いがします。
梶田貫主のお話では、800年前に法然上人は
「どんな人間でも『南無阿弥陀仏』と唱えれば、生きとし生けるものを仏にならせる阿弥陀仏の本願の力(他力)によって、浄土で往生(往き生まれる)できるから『南無阿弥陀仏』と唱えて生きよ」
と教えられたと言います。
法然上人は、寺院を建てる財力がなくても、出家して厳しい修行をしなくても、人は南無阿弥陀仏を唱えれば救われると説いたそうです。
梶田貫主は方丈の庭を見やりながら、
「あそに池があり、池のこちら側が私たちの住む、迷いと煩悩にあふれた此岸(しがん)であり、向こう側が浄土の世界の彼岸です。そして池の向こう側に立つ石は釈迦をあらわしているのです」
と言って、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えるのです。
梶田貫主のお話では、
法然上人の教えは、南無阿弥陀仏と唱えながら、この世でなにを願いいかに実践して生きてゆくかは個人の意思に任されているそうですが、
現在、戦争や感染症、気候変動などが起こり、人間の未来が危うくなっている世界のなかで、
お釈迦さまが説かれた「縁起(生かされて生きている)」
という真理を実感し、
心に余裕があるときは慈悲のこころで、
生きとし生けるものを他者ではなく
仲間とともに生きる社会であるという意識をもって
生きていただきたいと説くのです。
梶田貫主の法話のあとに休憩があり、
そのあと、ゆきね(有機音)さんの和編鐘の演奏がはじまりました。
わたしはゆきね(有機音)さんこと、桜井有機子さんとは、桜井有機子さんが粟田焼の名工・岡田久太のご子孫という縁で知り合うことになりましたが、ゆきね(有機音)さんの和編鐘(わへんしょう)の演奏を聴くのはじめてでした。
和編鐘というのは、古代中国からあったものだそうで、楽器としてばかりでなく祭器としても使われていたそうですが、ゆきね(有機音)さんが、仏壇などで打つ鐘の「おりん」を工房にたのんで、枠に大小38個の並べて演奏できるようにしたものだそうです。
ゆきね(有機音)さんが演奏をはじめると、浄土の庭を背にして、余韻ある美しい音色が響き渡るのです。
最初の演奏は、
大伴家持の「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人 釣りする小舟 漕ぎ隠る見ゆ」から想をえた「万葉の海」です。
次いで、
滝廉太郎の「天上影は変わらねど 栄枯は移る世の姿 映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月」の「荒城の月」です。
和編鐘の演奏のあいまに、まつながまきさんの舞が演じられるのです。まつながまきさんの舞は、鐘の響きと一体になり、華麗さのなかに凛としたたたずまいがあります。
演奏は、即興曲「曼天へ」、8月にニューヨークで開催される平和イベント「平和の集い」で演奏される予定の「火の祈り ~ノーモア広島・長崎」と続き、「心に平和の鐘を」が平和への祈りをこめて演奏されました。
これらの曲は、広島と長崎に原爆が投下された日本時間に合わせて、ニューヨークの8月5日、6日と9日にまつながまきさんの舞とともに演奏されるそうです。
ニューヨークの空に平和への祈りの鐘の音が響きわたることでしょう。
ゆきね(有機音)さんは、
和編鐘は一つの音のなかに、地球があり、宇宙がある、全ての世界が内包されている、「一音成仏」を目指して演奏されているそうです。
鐘の音にさそわれたのでしょうか、
法然院の浄土の庭では、セミや鳥が鳴き、水音も響き、
この世と向こうにある世界が、ひとつに和して溶け合ったように感じられました。まことに不思議な体験でした。
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