錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

金継ぎと父の残してくれたもの

 

 わが家には錦光山の焼物は何点かありますが、父が残してくれた祖父錦光山宗兵衛の焼物は一点しかありません。

 それは象嵌透彫の「茶錦瓷 香爐」であります。透かし彫りの蓋(ふた)には火で焼けて茶褐色になったところがあるので、おそらく錦光山で実際に使われていたものと思われます。どういう経路で明治時代の京都からわたしの家までたどり着いたのか、父から詳しく聞いておりませんでしたのでわかりません。

 



 ただ父は生前、その香炉の内側の灰をいれる器のふちのところが、一部欠けていたので、金継ぎするようにと言っておりました。わたしも金継ぎをしようと考えていたのですが、その機会を見いだせないまま長い歳月を過ごしてしまいました。

 それがひょんなことから、東京藝術大学の漆芸科を卒業した方を紹介してもらい、金継ぎをしてもらえることになったのです。彼女は3カ月近くかけて丁寧に金継ぎをしてくれました。金継ぎは漆を塗ってからその上に金を塗るそうですが、漆を乾かすのに時間がかかるのだそうです。

 

 それだけではなく、箱をむすぶ紐や香炉をおおう布なども長い年月のあいだにボロボロになっていたので、あらたに探して新しいものにしてくれました。箱をむすぶ紐は真田紐にしてくれて、香炉をおおう布はウコン色の布にしてくれました。ウコンの布は防虫効果があり、美術工芸をおおう布としてよく使われるそうです。目も覚めるような、鮮やかなウコン色の布は大変気に入りました。それだけでなく、料金もとても安くしてもらい恐縮いたしました。

 漆芸家で木漆工芸作家の高橋亜希さまのおかげで、父の頼みをやっと果たすことができました。どうもありがとうございます。

 



 父の話が出ましたので、ついでと言ってはなんですが、父が残してくれたものがもう一つあります。

 それは、父が自分の幼少期から青年期までを書いた自叙伝的小説であります。わたしは、いろいろ考えて、父の小説を原案としまして、わたしなりの想像力でいくつか新しい章を加え、また原案をより面白くなるように脚色してあらたに小説を書きました。明治時代の京都の、粟田と祇園を舞台とした『#粟田色絵恋模様 #京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛外伝』という小説です。2023年1月12日に出版する予定です。

 拙作『京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝 世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて』の姉妹編に当たるものですが、宗兵衛もさることながら、宗兵衛をとりまく家族や祇園の女性たちの人間模様がメインになっています。いわば京都粟田焼の陶家の栄光と挫折、祇園の女性たちの愛と確執を描く、壮大な歴史ロマンと言えましょう。

 その時代を生きた人々の生きた証しを描き、遠く遥かな明治の京都の情感が漂うような作品ですので、ご期待いただければ、ありがたく存じます。

 

 

 

  

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京都清水三年坂美術館・村田館長の面談記:Kiyomizu Sannenzaka Museum Director Mr.Murata's Story

京都・清水三年坂美術館・企画展「細密工芸に見る生き物たち」

Kiyomizu Sannenzaka Museum   ©清水三年坂美術館

 

     かねてより大変お世話になりまして、一度じっくりとお話を伺いたいと考えておりました、わたしが敬愛いたしております京都清水三年坂美術館の村田館長さまと面談する機会にめぐまれました。

  当初、村田館長さまのゆかりの津田楼でお会いするつもりでしたが、諸般の事情から祇園びとら、にてお話をうかがうこととなりました。

 面談の前に清水三年坂美術館を訪問いたしまして常設展で2点の錦光山作品を見るとともに、企画展の「細密工芸に見る生き物たち」の精緻な素晴らしい作品を拝見して村田館長さまにもご挨拶させていただきました。

 

     清水三年坂美術館・村田館長

 

  その後、時間がありましたので清水寺門前の朝日堂本店を訪れ、錦光山作品をいくつか見せてもらいました。そのなかにわたしの好きな絵師・素山の銘のある作品がありましてわたしの友人が買ってもいいと言ってくれたのですが、よく見ると「錦光山造」の銘ではなかったので、友人に購入は見送ってもらいました。

 

  錦光山宗兵衛作品(Kinkozan Sobei) © 朝日堂(Asahidou)

 錦光山宗兵衛作品(Kinkozan Sobei)    ©朝日堂(Asahidou)

 錦光山宗兵衛作品(Kikozan Sobei) ©朝日堂(Asahidou)

 銘・素山 (No Kinkozan)     ©朝日堂(Asahidou)

 

 そしていよいよ面談の時間となり、お話を聞かせていただくこととなりました。村田館長さまのお話ですと、明治工芸に興味を持ち始めたのは35年ほどまえのことで、その頃からコレクションを集めはじめられたとのことでした。当時は明治工芸に関心を持つ人はすくなく、国立博物館は明治以前の美術・工芸を研究しており、国立近代美術館は明治以降という区分けはありましたが、それぞれの学芸員の方々は明治工芸には関心がうすく、誰も研究していないという状況であったそうです。それが最近様変わりしているとのことであります。 

  そもそも明治工芸というものは、開国をせまられた明治新政府が、外国には蒸気機関車があるのに日本にはないことに示されるように、世界の技術水準から日本は大幅に遅れていることに気づき、近代化のためには外貨を稼ぐ必要があることにはじまるといいます。

 折から、慶応3年(1867)のパリ万博において、幕府だけでなく、佐賀藩および薩摩藩も出品し、薩摩藩の錦手花瓶が評判を呼んだことから、明治新政府は、外貨獲得のために、これまでのシルクだけでなく、陶磁器の輸出を奨励するようになったというお話です。

 薩摩藩佐賀藩が鍋島焼で収益を上げているのを横目に見て、そのような製品を製造できないかと考えていたようですが、秀吉の朝鮮出兵により強制的に連れて来られた朝鮮の陶工たちのつくるものは、祖国の朝鮮の焼物がどちらかというと地味で、同様な製品をつくってもあまり売れそうもないので、京都におもむかせて金彩色絵を習得させ、色鮮やかな錦手の製品をつくらせるようになったといいます。そうしたこともあり薩摩は、慶応3年のパリ万博に続いて、明治6年(1873)のウイーン万博に大量に出品し、そのなかで沈壽官が出品した薩摩金襴手が好評を得て、すごい高値で売れたそうであります。

 

 こうした状況をいち早く知った京都の錦光山(六代宗兵衛)は、当時、ヨーロッパの王室窯で流行していた瑠璃地のロイヤルブルーに金彩の模様を施した作品など最新の欧米の動きや欧米人の好みをよく研究したといいます。当時では大変珍しかった大卒の社員を5~6名雇い、ドイツのマイセン窯の作品と比べて、どこが長所でどこが短所かを調べたそうであります。こうして京薩摩といわれる製品で大儲けした錦光山は、次第に大規模な製陶所となり、絵師を大量に雇い、敷地内にいくつも工房をつくり、最盛期には年間30万個の製品を輸出するまでになり、大変な高収益を上げるようになっていったそうであります。

 村田館長さまのお話によりますと、こうした状況のなかで、明治天皇は明治工芸がお好きで、また幕藩体制の崩壊により徳川家に代わって、天皇家の財政基盤が潤沢になっていたこともあり、明治工芸をふんだんにプレゼントされていたそうであります。村田館長さまのお話では、明治天皇および皇室でも錦光山の食器を使われていたのではないかとのことであります。

 また天皇家だけでなく、それまでの大名は侯爵になり、1万石から5万石の小さい大名は男爵になり、こうした日本の貴族も明治の工芸を買うようになったといいます。

 こうした状況のなかで、京都人はあまり知らなかったそうですが、明治29年頃には、外国人が都ホテルや京都ホテルなどに泊まり、錦光山や七宝の並河靖之の工房を訪れ、大量に製品を買っていったそうであります。

 また貿易港のあった神戸や大阪、横浜や東京でも、絵付けをして900度の錦窯で焼いた製品を製造し、神戸薩摩、大阪薩摩、横浜薩摩と呼ばれるようになったといいます。なお釉薬の色と焼き上げた色とは全然違うそうで、900度で焼くと発色するそうですが、うまく焼かないとできないとのことでした。

 神戸や大阪、横浜などの小さい製陶家は、素地を本薩摩の鹿児島の沈壽官家や京都で最大の製陶所であった錦光山などから調達していたそうで、これらの作品のなかには版錦山のように良いものが多いそうであります。

 こうして繁栄した薩摩焼も、第一次世界大戦を機に売れなくなり、戦後不況や1929年の大恐慌を経て、昭和10年前後には七宝の並河靖之家や陶磁器の錦光山なども製造を辞めてしまい、京薩摩はなくなり、今では鹿児島の沈壽官窯などが残っているだけになったということであります。

 わたしが今後、錦光山をはじめとした京薩摩のマーケットはどうなっていくのでしょうかと村田館長さまにお尋ねしましたところ、村田館長さまは、芸術品と土産物とは違うので、二極分化の時代になるのではないかとのお答えでした。錦光山は年間30万個も製造していましたが、土産物クラスの製品も多く、土産物クラスの中途半端なものは値下がりしていき、絵師が絵付けしたもので人を感動させるような美しいものはどんどん値上がりしていくのではないでしょうか、とおしゃっていました。

  さらに、村田館長さまのお話では、日本の美術工芸品の研究、振興、保存を目指して設立された独立行政法人国立美術館国立文化財機構が、美術工芸品の購入資金として年間30~40億円準備したこともあり、京都国立近代美術館の方から清水三年坂美術館の明治工芸作品を譲ってほしいという話が5年ほど前にあり、200点ほど譲ったというお話でありました。そのなかの5点は錦光山の作品であります。

 また8〜9年前から美術史家の山下裕二明治学院大学教授と明治工芸の国内巡回展を開催していて、来春には岐阜県現代陶芸美術館、長野県立美術館、大阪のあべのハルカス美術館日本橋三井記念美術館富山県水墨美術館で開催予定とのことでありました。

 今回、日経アートから村田館長さまの鑑定書付の「祭礼図薩摩花瓶」を購入してくれたわたしの友人とともに面談させていただいたこともありまして、ここに記した以外にもお話は多岐に渡ったのですが、ここでは明治工芸に限って記させていただくことにいたします。

 世界トップクラスの明治工芸のコレクターである村田館長さまに、誠に貴重なお話を聞かせていただきましたことに、あらためて感謝の意を捧げさせていただきたいと思います。

 最後に、村田館長さまの著書「清水三年坂美術館村田理如コレクション 明治工芸入門」(宝満堂刊)は京薩摩だけでなく、漆工、金工、七宝、彫刻、印籠、刀装具・拵、刺繡絵画を網羅した素晴らしい本だと思いますので、紹介させていただきます。

 本当にどうもありがとうございました。

 

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#清水三年坂美術館 #村田理如館長 #細密工芸に見る生き物たち

#明治の工芸 #京薩摩 #錦光山宗兵衛 #朝日堂 #祇園びとら、

開拓社「一歩進める英語学習・研究ブックス」フェア開催のお知らせ

   

 丸善京都本店さまにおきまして、老舗語学系出版社であります開拓社で大変ご好評をいただいております「一歩進める英語学習・研究ブックス」シリーズ・フェアーが、8月1日から8月下旬まで地下2F語学書コーナーで開催されております。ご興味があれば、お立ち寄りいただけますと有難く存じます。

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 言語学・英語の錚々たる先生方が、「一歩進める英語学習・研究ブックス」シリーズにつきまして「魅力的なタイトルが揃っている」「良書がたくさんあり、実践的な知識を深めるための本」「専門的な話が嚙み砕かれて我々一般人にもわかるように書かれている」「えいごについて色々と考えてみたい学習者や教育関係者に役立つTipsがいろいろある」などと述べておられて、大変ご好評をいただいております。

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      さらに「一歩進める英語学習・研究ブックス」シリーズの最新刊で、発売後ただちに重版となりました「『受験英語をバージョンアップする』を購入されますと、著者の石原健志先生、通称たっく先生の「『受験英語をバージョンアップする」をもっと楽しむために』というたっく先生書下ろし特製ミニ冊子が付きます。

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   また、先日、丸善京都本店さまにフェア開催のお礼のごあいさつに伺ってまいりましたが、その後、ジュンク堂池袋本店さまでも「一歩進める英語学習・研究ブックス」フェアーを8F語学書コーナーの5番棚にて9月末まで開催、またジュンク堂書店立川高島屋店さまでも「一歩進める英語学習・研究ブックス」フェアを6語学書英文法コナーで10月下旬まで開催してもらえることになり、さらに丸善丸の内本店さまでも「受験英語をバージョンアップする」を3カ所で展開してもらえることになりました。またMARUZENジュンク堂さまでも7F下りエスカレター前の新刊・話題書コナーにて「受験英語をバージョンアップする」を購入すると、特製ミニ冊子を付けてもらえることになりました。どうもありがとうございます。

 なお、開拓社ではコロナ禍でキャリアアップ&収入アップを目指してTOEICなどの英語資格試験を目指している方への応援プレゼントキャンペーンを毎月一度行っておりまして、すでに34回実施しております。応募はTwitter

 開拓社 @kaitakusha_pb

におけるプレゼントキャンペーンの投稿をフォローしリツイートしますと、抽選で3名の方にDMで通知がいくことになっております。

 以上よろしくお願いいたします。

 

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ジュンク堂立川高島屋店 #ジュンク堂池袋本店

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韓国国立古宮博物館の錦光山作品:Kinkozan in National Palace Museum of Korea

  七代錦光山宗兵衛(Kinkozan Sobei)作 白磁色絵花文瓶 韓国国立古宮博物館蔵

 

  前回「瀬戸市美術館『講演会』顛末記」でご報告しましたように、会場で大阪市立東洋陶磁美術館の学芸課主任学芸員の鄭銀珍さまと名刺交換した際に、鄭さまが「韓国国立古宮博物館に錦光山の作品があります」と教えてくださり、わたしが韓国に古宮博物館があるとは知らず、驚いて「そうですか、是非見たいものです」と言うと、鄭さまが「画像を送ります」とおしゃってくれて送ってくれたのです。それはわたしにとって、思いもよらぬ素晴らしいプレゼントとなりました。

 韓国古宮博物館は、2005年に「徳寿宮美術館」から名称変更されたようで、李王朝の遺物の収集・所蔵・展示を行い、李王室文化の紹介をしている博物館のようです。それにしても韓国古宮博物館にこれほど素晴らしい錦光山作品が収蔵されているのは思いもよらず、これらの作品を見たときには、その華麗な美しさに思わず息を飲み、感激のあまり涙がこぼれそうになりました。多治見の陶器師を名乗る髙木典利先生も「韓国古宮博物館にある錦光山は良いものばっかりで、こんなに素晴らしいものが収蔵されているとは知らなかった」とおしゃっておられました。それほど逸品がそろっているのです。

 一つひとつ画像を見て行きましょう。

まず、「白磁色絵花文瓶」です。この作品は高さ79.8cm、口径20.2cmとかなり大振りな花瓶です。白磁に描かれているのは葉鶏頭でしょうか、茜色や紺、淡い緑や濃い草色などで描かれています。よく見ると淡い水色で木槿(むくげ)のような花や淡い紅の縁の花やピンク色の可憐な花が描かれています。これらは浮彫となっているようで、平面的に描かれてるのとは違って、どこか浮き立つような立体性を感じさせます。さらには、その濃淡が白磁の白さのなかで際立っていて、けれんみがなく、どこか胸がすくような、なんとも言えない気品を醸し出しているといえましょう。錦光山宗兵衛が、かくも美しい白磁を製作していたとは驚くばかりです。

 

 七代錦光山宗兵衛(Kinkozan Sobei)白磁色絵花文瓶 韓国国立古宮博物館蔵

 

 次に下の画像にある「白磁色絵花文瓶」です。この作品も高さ76.3cm、口径28.2cmとかなり大振りな花瓶です。白磁には白い牡丹と白菊、黄色の菊が描かれています。牡丹や菊の花に紐のようなものが描かれていますが、蔓でしょうか、それとも金継ぎでしょうか。もし金継ぎであれば、ひび割れていたものを修復したことになります。いずれにしても、安定感のある白磁で葉の濃淡や描き方に凛としたものがあり、どこかすがすがしさを感じさせます。

 

 七代錦光山宗兵衛(Kinkozan Sobei) 白磁色絵花文瓶 韓国国立古宮博物館蔵

 

 三つ目は下の画像の「白磁色絵花鳥文瓶」です。この作品は高さ60.6cm、口径15.4cmで先の二つほどではありませんが、大振りな花瓶と言えましょう。それにしても、なんと見事な作品でしょうか。林のなかを歩を進める雌雄の雉が描かれていますが、雉の絵や下草の花々の描写もさることながら、白樺のようにすっくと立った山桜が、朝靄とひかりの加減で微妙にかすれていて、幻想的な雰囲気を醸し出しています。まるで、緻密で華麗な、一幅の絵画を見ているようです。よくぞ、これだけ素晴らしい錦光山の作品を韓国国立故宮博物館が所蔵してくれていたものだと感心いたしますとともに感謝の念が湧いてきます。

 

 七代錦光山宗兵衛(Kinkozan Sobei) 白磁色絵花鳥文瓶 韓国国立古宮博物館蔵

 

 最後の作品は下の画像の「白磁色絵山水鳥文花瓶」です。この作品は高さ44cm、口径15cmとあまり大振りな花瓶とは言えません。鼻のうえにコブがあるコブ白鳥が描かれていて、植物も桜や牡丹、菊、葉鶏頭などが幻想的な雰囲気を漂わせて描かれています。描写力は決して悪くはないのですが、惜しむらくは、春の桜とともに秋の菊などが描かれていて、季節性が希薄なことです。おそらく、西洋人向けの輸出向けということが強く意識されて、このような図柄になったのでしょう。季節性を大事にする日本人の目から見るとなんとなく違和感を感じるのはそのためではないかと思われます。

 

 七代錦光山宗兵衛(Kinkozan Sobei) 白磁色絵山水鳥文花瓶 韓国国立古宮博物館蔵

 

 下記にありますように、韓国国立古宮博物館所蔵の「錦光山」銘作品リストには、もう一つ「白磁色絵雁文瓶」があるようなのですが、残念ながら画像はありません。

 韓国の陶磁器といえば、初代諏方蘇山が明治40年に錦光山製陶所から独立して七年後の大正3年に朝鮮李王職より高麗古窯跡取り調べを嘱託され、高麗窯再興に取り組み、翌大正4年に昌徳宮苑内鷹峯に窯を完成させました。そうした功績もあって、初代諏方蘇山は大正6年に当時の人間国宝である帝室技芸員に選ばれたという、初代諏方蘇山の縁の地でもあります。そうした歴史に思いを馳せますと、日韓の陶磁器の交流がどのようなものであったのか、興味が湧いてきます。いずれにいたしましても、韓国国立古宮博物館に錦光山の逸品ともいえる作品が所蔵されていることがわかったことは有難いことであり、機会があれば是非現地を訪れて実物を拝見したいと思います。

 

 

 

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    #NationalPalaceMuseumofKorea

     #大阪市立東洋陶磁美術館 #瀬戸市美術館  #錦光山 

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    #京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝

瀬戸市美術館「講演会」顛末記:The story of Kinkozan's speech

      錦光山(kinkozan)と沼田一雅合作の裸婦像 個人蔵


 2022年6月26日、瀬戸市美術館で「近代国際陶磁器研究会」の講演会がありました。新しい知見も得られ、多くの方と知り合えることができて、誠にありがたいご縁の場でもありました。その顛末をお話したいと思います。

 わたしは前日の25日、午後2時頃、名鉄の「尾張瀬戸」駅に着くと、近代陶磁器の研究家であり、自らを「陶器師」と称されておられ、わたしが敬愛してやまない髙木典利先生が車で迎えにきてくれました。その車で愛知県陶磁美術館に向かったのですが、その車のなかで髙木典利先生はわたしが思いもよらぬことをおっしゃったのです。

「錦光山宗兵衛の名を継がれたらどうですか?」。「えッ、わたしは焼物をやっていませんが」。「焼物をやってなくても、戸籍名を変えるわけではないですから、継がれたらいいのではないですか。最近、北大路魯山人のご子孫の方も名前を継がれましたよ」。「そうですか、でも、名前を継ぐにはどうすればいいのでしょうか」。「話し合われればいいのではないですか」。「親族で話し合って、了解してもらって発表すれば、それでいいのでしょうか」。「そうだと思います」

 わたしは、髙木先生の大胆な発想に驚きながら、名前を継ぐということはどういうことなんだろうかと考えました。歌舞伎の世界では、戸籍名は別にあっても、代々の名前を継ぎ、世間には襲名披露という形で公表している。だが、家業を継がないで、名前だけを継ぐ必要があるのだろうか。そんな必要はないと言えば、ないのではないか。

 だが、考えてみると、焼物の世界でも、焼物だけで食べていくことはそんなに容易なことではなくなっており、心ならずも廃業したり、他の職業に就くことも多くなっていると聞く。そう考えると、あまり家業と名前をリンクして考えてしまうと、柔軟性が失われてしまうのではないか。今日のように変化が激しい時代には、臨機応変に家業と名前をリンクできるときはそうして、できないときは家業を継いでなくても、名前を継ぐことがあってもいいのではないか。そう思うと、髙木先生のアイディアは家業と名前のことで悩んでいる人にとって救いとなる斬新なアイデアなのではなかろうか。

 わたしがそんなことを考えていると、髙木先生が瀬戸でも名のある陶家が後継者がいなくて廃業に追い込まれるところが出ているとおっしゃるのです。やはり髙木先生は、そういう危機感から先程のような発言をなされたのだと思いました。

 わたしは、仮にわたしが錦光山宗兵衛の名前を継いだらどうなるのかと思いを巡らしました。今さら、宗兵衛の名前を継いでも、それを家業にしているわけではないので、金銭的にも地位的にもなんの関係もありません。ただ、錦光山の名前が途絶えてしまえば、それを復活することは相当難しくなることはまちがいないでしょう。錦光山の場合、錦光山は戸籍名ですからなおさらです。でも、髙木先生がおっしゃるように、戸籍名とは別に錦光山を継いでいくことができれば、こうした難問も一挙に解決できるのです。そうであれば、一旦、宗兵衛の名前を継いで、次にその名前を継ぎたい人が親族のなかで出てくれば、その人にリレーや駅伝のバトンやタスキを渡すように渡せばいいのではないか、そんな考えが頭をよぎりました。

 錦光山でいえば、七代錦光山宗兵衛の長男、誠一郎が八代を継いだものの子供がいなかったので、長女の美代が出戻り、その次男の賢一(賢行)さんが九代を継いで今日に至っています。生前、賢一さんは、「徳川家でいえば男系の和雄さんが継ぐべきですが…」とおっしゃられていた記憶があります。賢一さんの次女の方に息子さんがおられて将来、名前を継ぐかもしれませんが、今の段階ではなんとも言えません。そう思うと、錦光山の名前に思い入れのある、わたしにとって、髙木先生の一言はとても示唆に富むお言葉となりました。

 

     九代錦光山誠一郎(kinkozan Seiichirou)

 

 愛知県陶磁美術館に着くと、奥の一室で「近代陶磁の技と美に迫るー初代諏方蘇山 没後百年記念 初代蘇山の遺した石膏型を次代へ」展が開催されておりました。

 



 部屋のなかに入って行きますと、佐藤一信愛知県陶磁美術館館長がギャラリー・トークをされているところでした。「錦光山……」という声が聞こえましたので、急いで近づいていきますと、佐藤一信館長は「あっ、錦光山さんが来られた」と驚かれた様子でしたが、そのままギャラリー・トークを続けられました。

 耳をそばだてて聴いておりますと、初代諏訪蘇山(1851ー1922)が、錦光山製陶工場の東工場製陶改良方嘱託(月俸80円)となったのは明治33年(1900)1月ですが、初代諏訪蘇山が書き残した明治32年1月の書付には「錦光山の窯にて絵具調合試験を行う」と書かれており、さらにその年の10月の記録に「此ノクロハマ錦光山ヨリ以来リタルモノニシテ/純粋ノ瀬戸産ノ物ニシテCGⅢト同ジ調合…」と書かれているということでした。

 七代錦光山宗兵衛は、明治33年2月にパリ万博の視察に出かけているのですが、この新しい資料の出現により、宗兵衛は明治32年の段階で初代諏方蘇山に絵付けに用いる新しい絵具の調合試験を依頼していたことになります。

 佐藤館長によりますと、「書付のなかに、フェロガソナイトと呼ばれる鉱物名が何度も登場することから、高火度焼成、磁器に耐える絵具、つまり、上絵付けではなく、下絵付けである釉下彩技法に使う最先端技法の絵具の試験であったことが判明した」ということであります。

 これは、まったく新しい知見であり、佐藤一信館長が10年以上かけて諏訪家を調査した成果のたまものであります。佐藤館長によりますと、初代諏方蘇山は、京都市陶磁器試験場に「京都磁器調合傳受」「同釉薬製法試験」を依頼しているとのことで、釉下彩技法による高火度焼成に耐える絵具の開発を裏付けるものと言えましょう。

 

    初代諏方蘇山(Suwa Sozan)「葡萄図花瓶」

 

 こうした初代諏方蘇山の尽力と京都市陶磁器試験場の藤江永孝場長の新釉薬技法の開発の努力があったからこそ、錦光山工場で製作した釉下彩技法による透彫や浮彫の花瓶が当時圧倒的な人気を博しただけでなく、明治36年に大阪で開催された「第五回内国勧業博覧会」における本邦初のアールヌーヴォー様式の「棕梠葉切透(透彫)」出品につながったのではないかと思われます。また1910年にロンドンで開催された日英博覧会において錦光山は、「菊模様花瓶」などを出品し、出品者のなかで最高の売上高を上げるなど、錦光山が絶頂期を迎えることができたのではないかと思われます。

 

   錦光山(kinkozan)「菊模様花瓶」 赤坂離宮迎賓館蔵

 わたしは、昨年10月に京都の妙心寺・大雄院で開催された「初代諏方蘇山」展にお伺いしていたのですが、今回、四代諏訪蘇山さんから「錦光山窯につながる資料も展示致しております」とのご案内をいただいたこともあり、今回も愛知県陶磁美術館の「初代諏方蘇山」展にも伺いました。新しい知見を得ることができて、つくづく来て良かったと思いました。なお、佐藤館長によりますと、同様な「初代諏方蘇山」展は今後、金沢、京都でも開催の予定とのことですので楽しみに待ちたいと思います。

「初代諏方蘇山」展を見終えて、愛知県陶磁美術館の「酒のうつわ」展を髙木先生とご一緒に見てまわっておりますと、たまたま、七代錦光山宗兵衛の「銹絵虫尽し文盃」が展示されておりましたので、ここにその写真を掲載させていただきます。

 

     七代錦光山宗兵衛(kinkozan)「銹絵虫尽し盃」

 

 その晩は、瀬戸市のウナギ屋さんで懇親会を兼ねた内輪の飲み会が催されました。わたしは主催者でも何でもないのですが、会場で四代諏訪蘇山にお会いできた嬉しさで、「今晩飲み会があるのでいらっしゃいませんか」と声をおかけをしてしまったのですが、四代諏訪蘇山さんは快く出席してくださいました。

 参加メンバーは、髙木典利先生、服部文孝瀬戸市美術館館長、岡本隆志宮内庁三の丸尚蔵館主任研究官、四代諏訪蘇山さん、伊藤かおりさん、わたしの6名でした。ウナギのかば焼きが出てくると、髙木先生が「瀬戸のウナギは東京とちがって蒸さないで焼くのでパリパリしているのです」とおっしゃっておりましたが、以前お会いしたときに髙木先生が「瀬戸や多治見の焼物に従事していた職人は重労働なのでよくウナギを食べたのです」とお話ししていたのを思い出しました。実際に焼焦げのある瀬戸のウナギを食べてみるとパリパリとして美味しいのです。

 わたしが、髙木先生の先程のお話を思い浮かべて、四代諏訪蘇山さんにどんな感じでお名前を継がれたのですかとお尋ねすると、「諏訪家は二代目も女性でしたから、わたしが継ぐことはなんら問題はありませんでした」とのことで、次女の方が千家十職の塗師である、十三代中村宗哲を継ぎ、三女の彼女が四代諏訪蘇山を継いだとのことで、性別を越えて家名を継いでいくのは、さすがに諏訪家だと感心いたしました。

 その後も、四代諏訪蘇山さんが、窯炊きの工夫や陶土、筆の調達、中国の景徳鎮に行かれて陶片を拾ったお話など貴重なお話で盛り上がり、楽しいひと時をすごすことができました。

 宴も終わり、ホテルの前でお別れする際、髙木先生がこれからホタルを見にいくのですとおっしゃるので、そこはどこにあるのですか、とお尋ねするとかなり離れたところだとおっしゃるので、正直、ホタルの乱舞する様を見たかったのですが、髙木先生が車の運転のためにお酒も飲まずにおられたので、車で送り迎えしていただくのが申し訳ないのでご遠慮いたしました。

 翌日、瀬戸市美術館の交流会館で、「近代国際陶磁研究会」の講演会の開催がありました。わたしは、午前中に瀬戸市美術館で開催されておりました「皇室の名品」展を拝見しました。よくぞ、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵のなかから、瀬戸市に関係ある作品を選んで展示したものだと、その充実ぶりに感心いたしました。

 

 

 講演会のなかで、わたしはいくつか感銘を受けましたが、そのひとつが、宮内庁三の丸尚蔵館の岡本隆志主任研究官の「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の近代陶磁」という講演のなかで、三の丸尚蔵館の所蔵品のなかに錦光山の「色絵金彩金鶏鴛鴦(おしどり)図花瓶」があるというお話でした。

 

    錦光山(kinkozan) 色絵金彩金鶏鴛鴦図花瓶 三の丸尚蔵館

 また、わたしの講演が終わったところで岡本隆志主任研究官が、1910年の日英博覧会に出品され、現在、赤坂離宮迎賓館の和風別館、游心亭の大広間の床の間に展示されている錦光山の「菊模様花瓶」について、助言されたというお話をされました。わたしはそのようなご縁に驚き、今回、岡本隆志主任研究官とお会いできたことに感謝したい気持ちでいっぱいになりました。。

 岡本隆志主任研究官のお話ですと、宮内庁三の丸尚蔵館は現在、来年の秋まで増改築中で、その間、他の美術館で三の丸尚蔵館所蔵の展覧会を催す予定とのことです。大いに楽しみしたいと思います。

 最後に、とても嬉しい知らせが届きました。会場でご挨拶しました大阪市立東洋陶磁美術館の学芸課主任学芸員の鄭銀珍さまからとても素敵なプレゼントが届いたのです。そのプレゼントについては稿を改めましてご報告させていただきたいと思います。

 今回、このように、この講演会で多くの学芸員や研究者の方ともご挨拶することができました。あらためてこうした機会を与えてくれました、髙木先生、服部瀬戸市美術館館長をはじめ近代国際陶磁研究会の関係者の皆様に心より感謝申し上げたいと思います。

   なお、錦光山宗兵衛および錦光山製陶工場関係の写真は、ほぼすべて立命館大学アート・リサーチセンターにアーカイブス化しておりますので、同所に問い合わせすれば使用可能であることを申し添えさせていただきます。

 どうもありがとうございました。

 

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祝祭感あふれる錦光山「祭礼図薩摩花瓶」:The Festival Satsuma Vase of Kinkozan

 

  2022年5月17日の日経新聞夕刊に日経アートの「驚異の超絶技巧 明治の工芸」が掲載され、そのなかに錦光山の「祭礼図薩摩花瓶」があることを私の友人が知らせてくれた。ありがたいことに、その友人がその花瓶を購入すると言っていたので拝見できるのを楽しみにしていたところその機会が巡ってきました。

 友人のところへ訪れると、さすがに日経アートだけあって、パンフレットに錦光山の「祭礼図薩摩花瓶」の紹介文があり、サイズは径13.5、高さ31.4cmとなっており、京都の清水三年坂美術館の村田理如館長の鑑定書付でありました。

 

 

 

 村田館長のパンフレットの「祭礼図薩摩花瓶」の紹介文によると、「慶応3(1867)年のパリ万博、明治6(1873)年のウイーン万博への出品を機に薩摩焼の生地に細密な金彩色絵を施した『京薩摩』が海外で人気を博しました。中でも江戸時代から続く老舗の錦光山は京薩摩最大の窯元で、将軍の御用品も作っていました。意匠に工夫をこらした作風が多いのが特徴です。本作は満開の桜の季節に行われた祭りの様子で、能舞台やお神輿、屋台などのほか、沢山の人々であふれる賑やかな風景が描かれています。祭りに参加する人の表情や着物の柄も一人一人異なり、どの角度から見ても完璧な描き込みがされています」と記載されています。

 実際に拝見してみると、盛大な祭りの情景が、小さな宇宙のように緻密に描かれていることに驚かされます。あまりに細密に描かれていますので、この際、細部にわたって子細に、この祝祭空間ともいうべき小宇宙をくまなく見てみたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 まず能舞台のある正面から見てみましょう。能舞台の上空には祭りを祝うかのように幟が大きくはためき、広がりを感じさせる構図となっています。能舞台の下は押すな押すなの人波の大盛況で、コロナ禍の今日ではあまり見られない光景となっています。よく見ると、赤子を背負ったご婦人や白馬に乗り、部下を従えたサムライの姿まで描かれ、さらに下の方を見ると、神燈の提灯の下に妙齢な女性や神官、子供たちの姿まで描かれています。

 




 今度はやや角度をかえて能舞台の右側から見てみましょう。上部には鬼でしょうか面がついています。能舞台の右側には、赤い垂れ幕のようなものが七枚あり、金色の字で奉納と書かれ、その下には若松(稚松)らしきものが描かれています。またその右下には、「名物 菊餅」と書かれた提灯の垂れ下がった屋台があり、ご婦人がうれしそうに菊餅を買い求めている姿が描かれています。私の知人によりますと、菊餅というのは、桜餅のようにつぶつぶを残し、薄い黄色の色付けした餅を菊の葉の上に乗せて香りづけしたものだそうです。一度、機会があれば食べてみたいものです。それはさて置き、花瓶の下の方にある青い松も褐色の屋根瓦と対比して清々しさを感じさせます。さらに下を見てみると、水飲み場に集う人々がなんと生き生きと描かれていることでしょうか。その多彩な写実力に驚くばかりです。

 


 さらに右側を見てみましょう。境内の建物のまえの紅白の垂れ幕のまえで笛や太鼓、鉦の打ち鳴らす演奏をバックに赤い箱を三段に積み上げた上で唐子のような子供が曲芸をしています。その下には赤い提灯を下げた家の中から母親とともに子供が身を乗り出すようにして外を覗いています。外では何十人もの若衆が鉢巻をして大きな神輿を担いでいます。その勢いたるや圧巻といわざるを得ません。その傍では、「寿し」と書かれた屋台が出ています。まさに祭りは最高潮を迎えているのでしょう。

 

 

 そしてさらに右側を見ると、残念ながら字は読めませんが、名物〇〇の屋台の横を通り抜けて鳥居をくぐって行く人々が描かれています。その下には座り込んで、先程見た唐子の曲芸を熱心に見ている人々が描かれています。その下の茅葺の店ではドンブリで食べている男がいるのでウドンかソバでも食べているのではないかと思われます。その下では神燈と書かれた提灯のしたで豪華な帯をした女性たちが描かれています。

 

 


 そして最後に、満開の匂うような桜に囲まれて、鳥居周辺に集う人々を描いた光景であります。これほど人々のにぎわいと春爛漫の雰囲気を伝えてくれる焼物は少ないのではないでしょうか。まさに祝祭空間をあますところなく描いてと言えましょう。この花瓶を見ていると、どこか心が浮き立ってきます。

 ところで、このお祭りはどこの神社で行われたものか気にかかります。よく見ると鳥居の下に京都と書かれているのが見えます。私にはどこだか分からないですが、私が敬愛する薩摩焼研究家の方が、建物や鳥居の雰囲気からすると、北野天満宮の近くにある平野神社ではないかと推測されています。その方によりますと、北野天満宮は梅が有名ですが、平野神社は桜で有名で、その昔、亀山天皇が沢山桜を植え、桜祭りの発祥の地となったところだそうです。私はその説に従いたいと思います。なおこの作品の裏印は錦光山の高級品の裏印である「錦光山造」となっております。

 

 

 
 なお、私の友人は錦光山の「祭礼図薩摩花瓶」だけでなく、「花尽薩摩対花瓶」と日出商会「行楽図薩摩茶碗」も購入しましたので、その写真も掲載させていただきます。

 清水三年坂美術館の村田館長がパンフレットのなかで「ここ数年、明治工芸が注目されている。今まで注目されなかったことが不思議で仕方ないが、これから更に注目されるに違いない。明治工芸はどの分野の作品も繊細で気品があり、雅やかで美しい作品ばかりで、しかも現代ではもう誰も作れない超絶技巧で作られている。(中略)それ故、現存している作品は非常に貴重なものである。もう二度と誰も作れないからである」と書かれておられる。まさに至言だと思われます。

 私は「祭礼図薩摩花瓶」を作った私の祖父・七代錦光山宗兵衛ならびに何ケ月もかけて、人波やお祭りの屋台や出し物を細部にわたり丁寧に、しかも生き生きと描いた、錦光山工場の名もなき絵師に最大限の敬意を表したいと思います。この花瓶には、何度見ても見飽きることないくらいの盛大な祭りの素晴らしい祝祭空間が広がっております。それこそがこの作品の持つ醍醐味と言えるのではないでしょうか。

 



 

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「近代国際陶磁研究会」講演会



 

 6月26日に瀬戸市文化センターで「近代国際陶磁研究会」主催の講演会があります。
 瀬戸市美術館では「宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 皇室の名品ー愛知ゆかりの珠玉の工芸」展が開催されており、それにちなんで宮内庁三の丸尚蔵館主任研究官の岡本隆志様が「三の丸尚蔵館の近代陶磁」と題して講演が行われます。
 

 

 専門家の宮内庁三の丸尚蔵館主任研究官の岡本隆志様とともの講演することは畏れ多いことですが、わたしも「世界に雄飛した京薩摩と錦光山の魅力を探る」という演題で講演をさせていただきます。

 参加ご希望の方は、瀬戸市美術館にお問合せしていただき、参加できるかどうかご確認をお願いいたします。

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