錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

セントルイス万博の錦光山:Kinkozan in St.Louis Exhibition 1904

 色絵菊花文透彫花瓶 七代錦光山宗兵衛  アシュモレアン博物館蔵

 Art Nouveau style vase with chrysanthemum  Kinkozan SobeiⅦ

 Ashmolean Museum 、University of Oxford

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 皆様、新春をお慶び申し上げます。

 今回、第五回内国勧業博覧会日英博覧会に続きまして明治37年(1904)に開催されましたセントルイス万博の錦光山宗兵衛作品に触れてみたいと思います。

 宗兵衛は、セントルイス万博で釉下彩の作品を中心に48点を出品し、503ドルの売上を得ていますが、同展で京都サロンが設けられことになり、そのでき具合を検分するために同展を視察しています。

 

 清水三年坂美術館「SATSUMA」の『錦光山宗兵衛ー京薩摩の立役者』のなかで現・北野天満宮宝物殿室長の松原史さまは「七代錦光山、セントルイス博覧会に出品し大賞を受賞。商標には1200人の職人と50人のデザイナーを要する日本で一番大きな陶器の工房兼輸出業者であると記述されている。博覧会終了後はそのまま米国視察をして帰国」と書かれています。

 

 今回、美術商の「ギャラリー史」の高橋親史さまが、セントルイス万博の錦光山作品の写真を送ってくださり、宗兵衛がどのような作品を出品したのかその一端がわかりましたので感謝いたします。

 下の写真にありますように、ひとつは八手の葉を器面に巻いた「陶器 花瓶 金剛拳」です。もうひとつは「陶器 花瓶 梅切透」です。

 なお、明治36年(1903)開催の第五回内国勧業博覧会でも宗兵衛はアールヌーヴォー調の「棕梠葉切透」や「桐花葵切透」を作っていましたので、1900年のパリ万博以降、アールヌーヴォー調の切透物を精力的に製作していたものと思われます。

 

陶器 花瓶 金剛拳  七代錦光山宗兵衛

Flower Vase, Pottery    Kinkozan SobeiⅦ

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陶器 花瓶 梅切透   七代錦光山宗兵衛

Flower Vase、of Plum-tree pattern、 Pottery    Kinkozan SobeiⅦ

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 両画像とも白黒で鮮明ではないので、「透かし彫り」がどのようなものか鮮明なイメージが湧くように、ご参考までに、冒頭の写真にありますようにオックスフォード大学のアシュモレアン博物館の「色絵菊花文透彫花瓶」をご覧いただきたいと思います。

 もうひとつの「梅切透」につきましては宗兵衛の作品ではありませんが、下の写真にありますように初代諏訪蘇山作の「釉下梅透彫花瓶」をご覧いただきたいと思います。

 初代諏訪蘇山は明治33年から錦光山工場の改良方顧問をしておりましたので、パリ万博視察でアール・ヌーヴォーに衝撃を受けた宗兵衛が改良方顧問の初代諏訪蘇山とともにアールヌーヴォー調の透彫作品を製作していたと推察され、同じような作風であると思われます。なお、初代諏訪蘇山は明治39年に錦光山を辞し五条坂で製陶業を始め、後に帝室技芸員に選ばれるのですが、四代諏訪蘇山の諏訪公紀さまにお会いした際に、初代諏訪蘇山はたとえどんなに貧乏しようとも「職人は筆とヘラさえあれば食うに困ることはなし」と言っていたという話を伺って、初代諏訪蘇山の古武士然とした潔さに感服した記憶があります。

 

釉下彩梅透彫花瓶 初代諏訪蘇山

Vase with Plum-tree pattern     Suwa SozanⅠ

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 次に下の写真にありますように「陶器 花瓶 菊花窯変」です。この時期にやはりパリ万博で衝撃を受けた釉薬技法の「窯変」が出来ていたという確証になる作品かと思われます。

 

陶器 花瓶 菊花窯変   七代錦光山宗兵衛

Flower Vase, of Chrysanthemum pattern Pottery    Kinkozan SobeiⅦ

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 最後に敬愛する大阪歴史博物館の中野朋子さまに送っていただいた明治37年発行の大日本圖按協会の雑誌「圖按」22号と24号によりますと、セントルイス万博で京都の出品数が多数を占めたのは「工業学校と実業界との接近と陶器試験場の効果」であり、錦光山宗兵衛の作品では八手切透の「金剛拳」を「甚だ佳なり」とほめていますが「梅切透」は「感服せず」と書かれています。

 

聖博出品美術工芸品品評  「圖按」第24号

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 新年も可能なかぎりワンダーランドとなってしまった錦光山宗兵衛の世界を巡る旅を続けたいと思いますので、皆様、よろしくお願いいたします。

 

(ご参考)

紅葉図花瓶  七代錦光山宗兵衛

Vase   Kinkozan SobeiⅦ

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 ©錦光山和雄AIIRIGHTSRESERED

 

#万博 #セントルイス #セントルイス万博 

#錦光山宗兵衛 #焼物 #陶磁器 #SATSUMA #薩摩 #京焼  #諏訪蘇山

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#京都 #清水三年坂美術館 #北野天満宮 #松原史

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錦光山作品来歴「顛末記」Ⅱ・日英博覧会編:Kinkozan in JAPAN BRITISH EXHIBITION 1910

「菊模様花瓶」七代錦光山宗兵衛 迎賓館赤坂離宮・和風別館[游心亭]

Chrysanthemum design Vase  Kinkozan sobei  in State Guest House AKASAKA PALACE、Yushintei

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  この「顛末記」の前編で書きましたように、 敬愛する大阪歴史博物館学芸員の中野

朋子さまに「第五回内国勧業博覧会美術館出品目録」を送っていただき、錦光山作品の

来歴がわかったことに感激した私は、

 -もう一度イギリスに行って、今度は1910年の日英博覧会の出品リストがないか調査してみたくなりました。その前にアシュモレアン博物館のクレアさんにお聞きした方がいいかもしれませんが、彼女も来年開催する「明治工芸展」でお忙しいでしょうから迷います。

 と伝えたところ、なんと中野さまは「OFFICIAL REPORT OF THE JAPAN BRITISH

EXHIBITION 1910」を送ってくださり、また「日英博覧会受賞人名録」という資料の存

在を教えてくれたのです。

 私は早速、送られてきた資料のなかの錦光山宗兵衛がどのような作品を出品したのか

写真を探してみました。それが下の写真なのです。

 何度見直しても、写真の右側は「FLOWER VASE(PORCELAIN)BY ITO TOZAN」

となっており、左側が「FLOWER VASE (PORCELAIN)BY KINKOZAN SOBEI」と

なっています。

 この写真を見ていて、私はどういうわけか、ふと気になることがありました。

 そこで中野さまに

 -それにしても、右側の伊東陶山作品が、迎賓館の游心亭に飾られている錦光山宗兵衛の花瓶とよく似ています。もし、よく調べてみたら、游心亭の花瓶が宗兵衛の作品でなかった、としたら私はショックで寝込むことになるかもしれません。

 と伝え、再度、冒頭の写真にありますように、迎賓館の游心亭の錦光山の「菊模様花

瓶」と見くらべてみると、どう見ても同じものなのです。わたしは「菊模様花瓶」がす

ごく気に入っていましたので不安に駆られて、中野さまに

 -迎賓館が間違っているのか、日英博覧会が間違っているのか、真実を追求するのが正直怖いです。

 とお伝えして、眠られぬ夜を過ごしたのです。

 

  日英博覧会報告書の写真

Pictures of OFFICIAL REPORT OF THE JAPAN BRITISH EXHIBITION 1910

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 翌日、中野さまから

 -昨日の日英博出品作品が迎賓館の游心亭の作品かどうかという点ですが、おそらく

日英博覧会報告書の写真が取り違えているようです。本文には錦光山宗兵衛作の菊花の

花瓶、伊東陶山作の黍図の花瓶となっております。

 と連絡がありました。そこで早速本文を見てみると、以下のように書かれていまし

た。187ページの下から2行目です。

 some of the most attractive were one in chrysanthemum design by Kinkozan Sobei,anther with a graceful decoration of millet by Ito Tozan

 

  と書かれているのです。

 

  日英博覧会報告書

OFFICIAL REPORT OF THE JAPAN BRITISH EXHIBITION 1910

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 さらに下の写真にありますように、「日英博覧会授賞人名録」にも陶磁器部門で「銀 

白地菊模様花瓶 京都 錦光山宗兵衛」と宗兵衛が「白地菊模様花瓶」で銀賞受賞した

と記録されているのです。

 

 日英博覧会授賞人名録

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 いろいろ心配しましたが、これで私も枕を高くして眠れることになりました。今回の

ことで、図らずも迎賓館和風・游心亭の「菊模様花瓶」が、1910年に開催された日

英博覧会に出品されたものであるという来歴が分かり、私にとりましては嬉しい発見に

なりました。これも偏に中野朋子さまのお陰と感謝いたします。

 なお日英博覧会は、1910年5月から10月までロンドンのシェファーズブッシュ

日英同盟の強化を目的に開催されたものです。

 

日英博覧会   錦光山和雄家蔵 ©立命館大学アート・リサーチセンター

Louis Lawrence氏提供

JapanーBritish Exhibition、at the Great White City Shepherd's Bush,London  1910

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 日英博覧会

OFFICIAL REPORT OF THE JAPAN BRITISH EXHIBITION 1910

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  この博覧会には宮川香山、藪明山、伊東陶山、諏訪蘇山、香蘭合名会社などが出品し

ているが、錦光山宗兵衛は最大の出品・売却額を記録したといわれています。また、こ

の頃に1900年のパリ万博でアールヌーヴォーに衝撃を受けて以来、改革に邁進し、

釉薬技法の開発がほぼ完成に域に達したといわれており、錦光山のひとつの絶頂期なの

ではないかと考えています。

  この博覧会に出品して来歴がわかっているものとしては、今回の迎賓館の游心亭の

「菊模様花瓶」以外にも、現在、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博覧会

に所蔵されている七代錦光山宗兵衛作、絵師素山の「色絵金彩山水図蓋付箱」がありま

す。博覧会で購入された後、ヴィクトリア・アンド・アルバート王室博物館の日本美術

コレクションに寄贈されたものということです。キュレータのジョセフィンさまはごく

最近結婚されたようですが、この作品が気に入っているとおっしゃていました。有り難

いことです。

 

 前回は明治36年(1903)開催の第五回内国勧業博覧会、今回は明治43年

(1910)開催の日英博覧会と来ましたが、次回は中野朋子さま、および美術商の

「ギャラリー史」の高橋親史さまに資料をいただきましたので、時期は少し戻って明治

37年(1904)開催のセントルイス万博に触れ、1900年のパリ万博以降、意匠

改革を決意した宗兵衛がどのような製品を作っていったのか可能な限り跡づけて見たい

と思いますので、よろしくお願いいたします。

 ©錦光山和雄AllRightsReserved

 

  ヴィクトリア・アンド・アルバート博覧会にて

 In Victoria and Albert Museum

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 #日英博覧会 #イギリス #錦光山宗兵衛 #迎賓館 #游心亭 #菊模様花瓶

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錦光山作品来歴「顛末記」Ⅰ・第五回内国勧業博覧会編:Kinkozan in 5th National Industrial Exhibition in 1903

「老農婦像 」  七代錦光山宗兵衛・沼田一雅 オックスフォード大学・アシュモレアン博物館

 「A ceramic figure of elderly female farmer」   Kinkozan SobeiⅦ&Numata Ichiga

    Ashmolean  Museum・University of Oxford

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 私が敬愛しております藪明山研究の第一人者で大阪歴史博物館学芸員の中野朋子さまからとても素敵なプレゼントをいただきました。

 それは私にとって大きな発見でしたので、「第五回内国勧業博覧会編」と「日英博覧会編」の2回に分けて書いてみたいと思います。

 

 中野朋子さまは、第五回内国勧業博覧会が明治36年(1903)に大阪・天王寺で開催されたこともあり、いつも繰り返しご覧になっている、同博覧会の記録である「第五回内国勧業博覧会美術館出品目録」を送ってくれまして、かつその中に錦光山作品の写真があることを教えてくれたのです。

 私はそんな目録があるとは知りませんでしたので、とても大きなプレゼントとなりました。

 とりわけ、荒川正明氏の「板谷波山の生涯」のなかで「明治36年に『遊陶園』が設立された。また同年の第五回内国勧業博覧会では、早くも錦光山宗兵衛が棕櫚の葉を器面に巻き付けたアールヌーヴォー調の花瓶を出品していた」と記述されていて、私が長らく見てみたいと思っていた「陶器花瓶(棕梠葉切透)」の写真があるのには感激しました。

 下の写真の右側にあるように、棕櫚の葉が器面に巻き付き、籠目のように透かし彫になっているこの作品は、本邦初のアールヌーヴォー様式であると思われます。

 と申しますのも、錦光山宗兵衛は明治33年(1900)にパリ万博視察に出かけ、アールヌーヴォー様式がヨーロッパを席巻しているのに大きな衝撃を受けたのです。そして、明治34年(1901)に帰国し、わずか2年後にこの作品を作っているのです。

 下の写真の左側にある「陶器花瓶(桐花葵切透)」もよく見ると、葉に虫食いの穴があいていたりして、アールヌーヴォー様式と思われます。

 私はこの2作品を見て、宗兵衛がパリ万博でアールヌーヴォーにいかに大きな衝撃を受けたのか、またそれを日本で作ることにいかに情熱を注いだのか垣間見る思いがいたします。

 

 「陶器花瓶 (棕梠葉切透)」 「陶器花瓶 (桐花葵切透)」

 七代錦光山宗兵衛  第五回内国勧業博覧会美術館出品目録

 Vase  (Right &Left)   Kinkozan Sobei Ⅶ 5th National Industrial Exhibition in 1903  

 

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 次に下の写真の左側の「磁製花瓶(葡萄彫)」をご覧になっていただくと、葡萄の房と下に垂れ下がった蔓と葉が、どこか西洋風の絵付けになっているように思われます。

 1900年のパリ万博に一緒に行った画家の竹内栖鳳も、第五回内国勧業博覧会に他の日本画家が伝統的な画題を描いて出品しているなかで、「羅馬之図 六曲屏風」を出品しているのですが、これもパリ万博で見たターナーなどの絵を意識した朦朧体で描いており、錦光山宗兵衛も竹内栖鳳もパリ万博で見た陶磁器や西洋画の影響が作品に現れているといえるのではないでしょうか。

 

 磁製花瓶(葡萄彫) 七代錦光山宗兵衛 第五回内国勧業博覧会美術館出品目録

Vase(Left)    Kinkozan Sobei Ⅶ

 

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 「羅馬之図」  竹内栖鳳  第五回内国勧業博覧会美術館出品目録

 Roma    Takeuchi Seihou

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 次に下の写真の「置物 陶製農婆」と「置物 陶製熊ト樵夫」をご覧いただきたいと思います。

 「置物 陶製熊ト樵夫」は、おそらく死んだふりをしている樵夫に熊が左脚で触れているシーンだと思われますが、熊の毛の質感がとてもリアルにできていると思います。

 また「置物 陶製農婆」ですが、これは拙著「京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛伝」のなかで触れていますが、沼田一雅とコラボレーションした陶彫であり、オックスフォード大学のアシュモレアン博物館に所蔵されているものであります。

 

 「置物 陶製農婆」 「置物 陶製熊ト樵夫」 七代錦光山宗兵衛 

 第五回内国勧業博覧会美術館出品目録

 Elderly female farmer &Bear and woodcutter    Kinkozan SobeiⅦ

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 私が驚いたのは、冒頭の写真にあります、オックスフォード大学のアシュモレアン博物館の「老農婦像」が、実は第五回内国勧業博覧会に出品されたものであるという来歴がわかったことです。それだけでも中野朋子さまには感謝いたします。

 オックスフォード大学のアシュモレアン博物館のキュレータのクレアさまが、現在、2020年に同館で開催される「明治工芸展」の準備に忙殺されていると思われますが、この「老農婦像」がどのような経緯でオックスフォード大学のアシュモレアン博物館に渡ったのか、その夢と冒険の旅に思いを馳せると、とても不思議な感慨に捉われます。

 

   オックスフォード大学のアシュモレアン博物館にて

 In  Ashmolean Museum , University of Oxford

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 ©錦光山和雄AllrightsReserved

 

#錦光山宗兵衛 #第五回内国勧業博覧会美術館出品 #第五回内国勧業博覧会

#大阪 #大阪歴史博物館 #中野朋子

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幸福路のチー、切ないアイデンティティの揺らぎ:Sad of swaying identity on Happiness Road

台湾の長編アニメ「幸福路のチー」  On Happiness Road in Taiwan

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  台湾のアニメ「幸福路のチー」を見てきました。

 主人公のリン・スーチーが生まれたのは蒋介石総統が死去した1975年4月5日と、なにやら意味ありげに設定されています。

 大学を卒業してアメリカに渡り、アメリカ人と結婚したチーは、祖母が亡くなり台北郊外の幸福路にある両親の家へ帰ってきます。その祖母は台湾原住民のアミ族で、噛みタバコの一種のビンロウを愛用していたので、チーが子供のころ、野蛮人といわれていじめられていたのですが、その祖母はいつもチーのそばにいて助けてくれたのです。

 チーはそんな祖母とすごした幼い頃の思い出にひたり、記憶をたどります。子供の頃の幸福路は緑ゆかたでのどかな街でしたが、今は運河も整備され、ビルが立ち並ぶ街になっています。チーは空想好きな子で、白馬に乗った王子ならぬ、ぐうたらな父親が白馬に乗って現れたり、祖母がニワトリに乗って空を飛び回るという奇怪な夢をたくさん見ます。

 

 チーが子供の頃の幸福路

 Somedays on Happiness Road

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現在の幸福路

Nowadays on Happiness Road

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 チーは小学校に入ると、母語である台湾語を禁止され、北京語を習いますが、チーの両親は台湾語を話せても北京語はうまく話せません。また従兄のウェンは白色テロで拷問にあい、視力がマヒしています。

 この映画はチーの子供時代からの成長をたどりながら台湾の近現代史がバックグランドとして描かれているのです。そうです、この映画は台湾のソン・シンイン監督の人生が投影された半自伝的な映画なのです。そしてアニメーション映画にしたことで、想像力の翼が大きく広がり、この映画に陰影を与えているのです。

 なお、台湾の近現代史を一言でいえば、1895年の日清戦争の結果、日本の植民地となり、1945年の日本の敗戦により中華民国となったが、国共内戦で敗れた蒋介石の国民党政府が戒厳令を敷き、反体制派とみなされた多くの人々が投獄、処刑されるという白色テロの時代が1987年に戒厳令が解除されるまで続いたのです。

 

 少女時代のチーは「偉い人になって世界を変えたい」と将来の夢を屋根の上で叫ぶのですが、両親は貧しい生活のなかで、娘に未来を託し、チーをなんとか良い大学に入れ、将来お金の稼げる医者になってもらおうと、なりふり構わず働くのです。

 チーは未来に夢を抱いて勉学に励み、大学生になるのですが、丁度その頃、李登輝がはじめての選挙により総統になり、民主化が進みはじめ、チーも両親の期待を裏切って医学部から文系に志望を変え、両親が止めるのも聞かずに民主運動に身を投じ、デモに明け暮れるのです。

 

屋根の上のチー

Chi  on the roof

 

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 そして大人になり、少女時代に夢みたものとどこか違う現実、仕事、結婚生活にチーは思い悩みます。出産すべきなのか、アメリカに戻るべきなのか、少女時代の友達と再会しながら思いまどうのです。そうしたチーの不安や恐れ、少女時代の頭のなかの妄想や、また過去と現在の記憶の往還がアニメという自由な表現手段で縦横無尽に描かれるのです。

 

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  それは台湾だけでなく日本でもまた欧米でも多くの女性が思い悩むことかもしれません。また故郷や家族、それは立場や国が違ってもかけがいのないものだろうと思います。ソン・シンイン監督は、「幸福路のチー」の原題は「幸福路上」で、「幸せとはゴールではなく、私たちが進む『路』と共にあるものだ」と語っています。また小津安二郎監督作品からディテールを大切にする日本独特の考え方に影響を受けたとも語っています。

 ただ私は、この映画を見て、日本の植民地時代、戒厳令下の独裁政権時代というなかで、たえず自分は日本人なのか、中国人なのか、台湾人なのか、を自問しなければならなかった台湾の人々の揺れる心情、揺らぐアイデンティティの悲しみ、切なさがこの映画に流れているように思われてなりません。まして香港の現状を見ていると、その思いが痛いように胸に突き刺さってきます。

 

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 Copyright○©錦光山和雄AllRightsReserved

 

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夢窓国師茶会とよみがえる「築地明石町」:The Tea Ceremony&A Beauty in the Kaburaki Kiyokata

鏑木清方記念美術館

KAMAKURA  CITY KABURAKI  KIYOKATA  MEMORIAL ART MUSEUM

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 夢窓国師ヲ想フ、瑞泉寺茶会に参加してきました。

 参加した理由のひとつは、石立僧としての夢窓国師瑞泉寺の庭に惹かれたことでした。

 初冬の朝、訪れる人もまだまばらで、本堂の裏側にある錦屛山の崖の中腹にうがたれた座禅窟は開山(1327)以来七百年ちかい時を静かに岩に刻みこんでいるかのように佇んでいました。座禅窟の右側にある滝は、朝は流れておりませんでしたが、午後には訪れた人を迎えるように細い流れを見せておりました。

 池の手前には水仙が植えられており、春のひかりに輝く日々を想わせます。

 夢窓国師のつくる滝は、天龍寺苔寺枯山水は別といたしまして、この瑞泉寺といい、美濃の虎渓山永保寺といい、なぜか瀑布の聞こえるような勢いのある滝ではなく、ともすれば途切れてしまうのではないかと思われるようなか細い流れの滝であります。

 夢窓国師の偈に 

 春光、今日和気を添え、海岸の枯椿もまた花を放(ひら)く

 があるそうですが、そこに戦乱の世を生き、隠棲を好んだ夢窓国師の祈りが込められているのでしょうか。

 

 瑞泉寺庭園

 The Garden of  Zuisen-ji Temple

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   東福寺庭園で有名な重森三玲さまのお孫さんである重森千靑さまはご著書「京都 和モダン庭園のひみつ」のなかで「日本庭園は、美しい自然風景に思いを馳せて作られているということを念頭に置き、さらにその庭園を作り上げた作庭者が、どのような思いを持って作り上げていったのかを読み解いていくことで、その庭園に内在している面白さや美を感じとることができる」と述べられていますが、瑞泉寺庭園も夢窓国師がどのような思いで作ったのか思いを馳せていきたいと思います。

 

 重森千靑著「京都 和モダン庭園のひみつ」

 Kyoto, Design Secrets of Japanese Gardens

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 さて茶会ですが、濃茶席は薄暗い小間茶室「南芳軒」で、亭主の川野様の袱紗(ふくさ)を釜の蓋に投げ落とすような武家茶道遠州流のお点前にて行われました。

 無作法な私が正客をやらせていただき、鴨居に額をぶっけたり、まったく失笑ものでしたが、それでも、川野様の男性的な所作とともに、陰翳の濃い空間に、釜から立ちのぼる湯けむりがゆっくりとたゆたう様子に見とれておりました。湯けむりがこんなにも人にやさしく、幻想的で美しいとは思いませんでした。しっとりとした湯気が静かに立ち上り、人々の喉をうるおすように部屋に広がっていくのです。

 薄茶席は少し明るい茶室「吉祥庵」にて宗徧流のお点前にて行われ、亭主の方の手や指の流れるような美しい所作が、客6名という、ほど良い人数と相まって、かたくるしくない雰囲気で行われました。人と袖が触れ合うほどの近さというものも悪くはないと思いました。

 

 瑞泉寺茶室

 The Tea Room of  Zuisen-ji  Temple

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  茶会のあと、鏑木清方の「築地明石町」の下絵が展示されているとのことで、鎌倉市内の鏑木清方記念美術館を訪れました。

  丁度、同館では「清方と鏡花」展が開催されており、泉鏡花の挿絵を多く描いた清方の絵看板や画室などが展示されており、「築地明石町」の下絵とともに、「樋口一葉の墓」と題された、「たけくらべ」の美登利が作者の樋口一葉の墓参りをするという不思議な絵が印象的でした。

 鏑木清方の描いた樋口一葉肖像画もいつかどこかの美術館で展示してほしいものだと切望いたします。

 

 鏑木清方記念美術館

 KABURAGI KIYOKATA MEMORIAL ART MUSEUM

 

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 鏑木清方の画室

   The Painting  Room of Kaburagi Kiyokata

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 茶会で同席させていただいた小磯さまが、「築地明石町」の展示されている東京国立近代美術館とご縁のある方と知り、「築地明石町」のポーズを取っていただきました。

 小磯さまは「築地明石町」のモデルの江木ませ子さまにも勝るとも劣らない素晴らしい情緒ある佇まいで、現代によみがえる「築地明石町」とも呼べるような、まさに貴重な一枚の写真となりました。

 実はもう一枚、もう少し顔をあげ、横向きになった、涼しげで美しい目元の写った素敵な写真も撮らしていただいたのですが、感激のあまり手元が狂い、残念ながら幻の一枚となってしましました。痛恨の極みであります。

 最後に、茶会で同席になられた方々、河合さま、小磯さま、野口さま、お茶の先生さま、ご亭主の川野さまに心より感謝申し上げます。

 どうも有り難うございました。

 

 「築地明石町」と小磯さま

    Tsukijiakashichou  and Koiso-sam

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 ○©錦光山和雄AllRightsReserved

 

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第三夫人と髪飾り、陰翳の濃い官能の世界:The Third Wife by Ash Mayfair

第三夫人と髪飾り

14歳の第三夫人メイ

The Third Wife ,14 years ,May

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 この映画は、抑圧された女性たちの愛と哀しみを甘美な官能とともに描いた作品であると思われます。

  物語は、14歳の少女メイが渓谷にかこまれた絹の産地の父親ほど年の離れた大地主のもとへ、花が飾られた舟に乗って第三夫人として嫁ぐ場面から始まります。

 この最初のシーンから、下の写真にありますように、空には輝くような陽光があふれていながら、湖面には陰影の濃い山影を映し、水彩画かあるいは印象派の絵画のようにとても陰影に富んでいます。

 

Mountain&River in Vietnam

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 第三夫人のメイは、穏やかでエレガントな第一夫人のハと妖艶な第二夫人のスワンのもとで生活をともにしていき、女の夜のたしなみの作法などを教えてもらいながら、この家では世継ぎの男児を産むことが女がこの家で”奥様”でいられる唯一の務めであることを知ります。

   舞台となる地は、19世紀のベトナムの農村であり、当時は親同士の話合いで幼い娘を会ったことのない相手に嫁がせる早婚や一夫多妻が珍しいことではなく、一夫多妻は20世紀中頃まで続いていたそうです。

  情景としては、赤いランタンや空にかかる月、青い竹林、水の揺らめきや絹糸やアオザイなどアジアンテイスト満載で、レトロの風情がふんだんに映し出され、わたしも訪れたことがあり、日本の長崎とも御朱印船貿易で交易のあったというホイアンのノスタルジックな風景を彷彿とさせられます。

 

 第一夫人のハ

 The First Wife Ha

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第二夫人 スワン

The Second Wife  Xuan

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 第三夫人 メイ

The Third Wife May

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ホイアンの情景

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 やがてメイは妊娠し、男の子を産むことを強く希望し、「どうか私に息子を授けてください。この家で最期の息子を」と神に祈ります……。

 この映画はアッシュ・メイフェア監督の曾祖母や祖母の実体験がベースになっているそうですが、私が面白いと思いましたのは、第一夫人、第二夫人、第三夫人が嫉妬でいがみあい争うのではなく、どこか女性の痛みを分かち合いながら生活しているように思われることでした。女たちは生活していくために色々やらなければならないことが多くて忙しく、そんな暇がなかったということのようですが、そこに女性のたくましさ、生命力も感じられるような気もいたします。

 

 Vietnam  ladies in the river

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 また、アッシュ・メイフェア監督が日本文学、具体的には谷崎潤一郎の「細雪」、とりわけ「陰翳礼讃」に大きな影響を受けたと語っていることも大変興味を覚えます。つい、それでこの作品はこれほどまでに陰影に富んでいるのかと思いたくなります。

 この映画は19世紀のベトナムの父権社会のなかで抑圧されていて、自分たちの言葉を持たなかった女性たちの悲しみや悲劇を描いておりますが、こうした葛藤は現在でも形を変えて、世界各地にまだ残っており、その意味では極めて現代的なテーマと言えましょう。

 そう思うと、第二夫人の幼い次女、ニャンが、世の中が男を中心にまわっていて、女たちがそれに従属しているのを見て、「わたしは男に生れて沢山の妻を持つ」と言い放ち、映画の最後で長い髪を切り、惜しげもなく川に捨てるシーンがありますが、そこにベトナムホーチミン生れで欧米で教育を受け、村上春樹の世界的ベストセラー小説「ノルウェイの森」を映画化したトラン・アン・ユン監督が主催するワークショップ〈オータム・ミーティング〉でグランプリに選出された女性監督であるアッシュ・メイフェア氏の決意と祈りが込められているのかもしれません。

 

  May holding her baby

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May in the river

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 The Third Wife

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Vietnam Beaties in HaNoi

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 ○©錦光山和雄Allrightsreserved

 

 

 

 

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鏑木清方、明治の面影を描く:Good old days by Kaburaki Kiyokata

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  最近、私は明治のおんなたちを描いたものを執筆したこともこれあり、失われてい

く明治の時代を惜しみ、市井の人々の暮らし、とりわけ女性のささやかな生活の何気な

い情景を描いた鏑木清方(1878~1972)の代表作〈築地明石町〉〈新富町〉〈浜町河

岸〉の「三部作」が展示されている「幻の《築地明石町》特別展」を見て来ました。

 

 まず〈築地明石町〉ですが、ひとりの美しい夫人が、青地の小紋に黒い羽織をはお

り、胸の前で両袖を閉じ、袖口から金の指輪をした左手の指を見せながら、右の方に顔

を向けた姿が描かれています。髪型はイギリス巻というらしく昔、外国人居留地のあっ

た築地らしい雰囲気を漂わせています。よく見ると、その女性の背後には朝霧にかすむ

帆船のマストがまぼろしのように描かれ、佇む脇には黄色く病葉になった葉もある朝顔

が描かれており、季節は盛夏からうつろっていることが知れます(驚いたことに、下記の

写真にありますように黄色い病葉のある朝顔?を最近発見、そうだとしますと季節は秋

と推察されます)。

 紅を塗った口もと、楚々としてどこか寂しそうな眼差しをしたこの夫人は、儚げでい

て、またどこか凛としたものを感じさせる不思議な雰囲気を漂わせています。日本でお

なじみの振り返るポーズをとっており、この名作は「日本のモナリザ」と言ってよいの

かもしれません。それにしましても、この謎の夫人はどのような想いで佇み、その背後

にどのような物語が秘められているのか想像を駆り立て、気がかりになります。

 

 鏑木清方 〈築地明石町〉

 日本のモナリザ !?

 Tsukiji  Akashi-cho Town of Kaburaki Kiyokata

 Japanese Mona Lisa !?

 

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 朝顔

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  〈新富町〉は新富芸者が新富座の前で傘をさす横向きの姿を描き、〈浜町河岸〉は舞

のお稽古を終えてうつむき加減で帰る町娘を描いています。遠くてよくわからないで

すが、枯れ柳が描かれているようで季節は初冬のようであり、隅田川にかかる大橋もか

すむように描かれています。

 三部作は描かれている女性の年齢も、また季節も異なるようですが、そこには今は失

われてしまった古き良き時代、Good old daysがまごうかたなく描き留められているよ

うに思われました。さすが神田生まれで、市井に生きる人々の日々の何気ない哀歓を知

り尽くした鏑木清方だけのことはあります。季節の移ろいと市井の人々のささやかな生

活に目をむけた鏑木清方のやさしい眼差しが胸を打ちます。

 

 鏑木清方 〈隅田河舟遊〉

 Boating Excursion on the Sumida River  by Kaburaki Kiyokata

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 ○©錦光山和雄allrightsreserved

 

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