錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

錦光山宗兵衛関係の古写真をデジタル・アーカイブ化しました[Ⅰ]

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 拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」において一部掲載しました錦光山宗兵衛関連

の古写真を、将来の粟田焼・京薩摩研究の一助になることを願い、立命館大学アート・

リサーチセンター様にデジタル・アーカイブ化していただきましたので、2回に分け

てご紹介したいと思います。

 今回ご紹介する錦光山家の古写真は、極めて珍しい、1904年当時の錦光山工場の

登り窯の写真、および1904年当時の絵付け写真や私が世界一有名な無名のロクロ師

であると思っているロクロ師の1902年当時の着物姿と裸の姿の写真、および私の大

好きな絵師・素山の「色絵金彩山水図蓋付箱」が出品された1910年の日英博覧会

ポストカードの写真を含んでおります(なお、デジタルアーカイブのデータは大きすぎて

このブログには取り込めなかったので、ここに掲載した写真は二次加工したもので

す)。

 今回ご紹介する写真は、拙作のなかで私が書きましたように、イギリスの元美術商で

「SATSUMA」および「SATSUMA The Romanc of Japan」の著者でもあるルイス・

ローレンス(Louis Lawrence)氏が「私が本当に錦光山宗兵衛の業績および作品

を世間に知ってほしいと思うなら、日本で、できれば京都で『錦光山宗兵衛展』を開催

すべきという。もし私が本当にやる気ならば、世界中から錦光山作品のベスト50を集

めるのに協力する」と言われ、そのために役に立つならばと私に譲っていただいたもの

です。

 

冒頭2枚目の写真とこの写真は、1904年当時の錦光山工場の巨大な登り窯と釉掛けの写っている貴重な写真

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ルイス・ローレンス氏の2冊の著作(これはデジタルアーカイブではありません)

なお「SATSUMA】の表紙の舞妓の陶彫は錦光山作品

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帯びの端に京都錦光山造と金糸で織り込まれたように描かれています

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 まだ京焼の歴史などの本のなかで明治期の京薩摩に正当な光を当てない類書を見るに

つけ、少なくとも世界に散らばる錦光山宗兵衛の逸品・Mastepieceを実見してから論評

してほしいものだと強く思います。

 明治工芸の日本におけるパイオニアで私がリスペクトしております京都清水三年坂美

術館館長の村田理如様も、著書「明治工芸入門」のなかで「どうも日本の美術界では明

治工芸は無視されている。誰も評価していないんです。例えば京都の国立博物館や近代

美術館に行っても、明治工芸がほとんどなかったわけですね。その当時の日本の美術界

では、『明治工芸』というのは欧米人に迎合したくだらない輸出品であって研究の対象

にならないと専門の研究者もいなかったわけです」と述べ、それに対して欧米ではロン

ドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、オックスフォード大学のアシュモレ

アン博物館、アメリカのボストン美術館メトロポリタン美術館などでは常設展示され

いていて、mastepiece的な作品はオークションにも出ずに欧米のコレクター同士で取引

されてしまうほど評価されており、「一級品は残念ながらほとんど海外に流失してしま

い……、海外に行かないと研究できないという現状があるわけです」と述べられておら

れます。

 

英国人写真家ポンティングが「In Lotus-Land Japan」の中で活写した魔法のように寸分の狂いもなく花瓶をつくり上げる1902年当時の錦光山工場のロクロ師

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このロクロ師は別人

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 また村田館長は「(海外の万博で明治の工芸品の)もっと繊細で美しいものに欧米人

はショックを受け、たちまち虜となって、ジャポニスム運動やアールヌーボー芸術運動

といった、日本の美術に刺激された新しい芸術運動が起こりました」と述べておられま

すが、浮世絵だけでなく日本の明治期の美術工芸品が、近代のヨーロッパの芸術に確実

に影響を与えたのです。したがって、数千万点ある錦光山の普及品のなかにそういった

面があることは否定しませんが、逸品といわれるものは、欧米人に迎合したというより

も、村田館長も述べているように「日本というのは海外からいろんな新技術が入ってく

るとそれをどんどん進化発展させる独特のDNAを持っていると思うんです……。日本

人のDNAが明治工芸という世界を作り上げて、欧米や中国や朝鮮とは比較にならない

程、素晴らしいものに変えていった」ととらえるべきではないでしょうか。

  私ももちろん錦光山の逸品をすべて実見しているわけではありませんが、逸品のいく

つかを見て思うことは、それらの作品は雅で繊細な京焼・粟田焼の伝統を引き継いだう

えで、モダンなテイストを加味したものだということです。そしてそれを支える超絶技

巧といわれる匠の技の素晴らしさです。それらが多くの人に実見されることを願ってや

みません。

 なお、錦光山家古写真コレクションは、所有者は錦光山和雄ですが、データ提供およ

著作権立命館大学アート・リサーチセンターにあります。したがいまして、これら

の画像を使用する場合は立命館大学アート・リサーチセンターおよび錦光山和雄の承認

が必要になりますことを申し添えさせていただきます。

 

1904年当時の錦光山工場の画工たち

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何カ月もかけて高級品を絵付けする錦光山工場の絵師

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1910年日英博覧会

 

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 次回は錦光山宗兵衛関係の工場および顔写真。家族写真をご紹介したいと思います。

 

 ○©錦光山和雄Allrightsreserved

 

立命館大学アート・リサーチセンター #デジタルアーカイブ   #立命館大学

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#明治工芸入門

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#錦光山宗兵衛

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#錦光山和雄

水戸・京成百貨店の「明治工芸の輝き」展で錦光山宗兵衛作品がご覧になれます。

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 美術商「ギャラリー史」高橋悟様ならびに高橋親史様からご案内いただきましたので

ご紹介させていただきたいと思います。

 下記にございますように、水戸市京成百貨店6階アートギャラリーにて2019年

5月9日(木)から15日(水)に開催されます「明治工芸の輝き」展におきまして錦

光山宗兵衛の作品がおよそ10点ほど展示されるということです。

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 「明治工芸の輝き」展の開催に際しまして、美術商「ギャラリー史」高橋悟様にお願

いしまして快諾をいただき、同氏所有の錦光山作品の画像を掲載させていただきますの

でよろしくお願いします。なお、冒頭の画像および下記の3点の画像の錦光山作品は同

展に展示されるとのことです。

 

瓢型金盛り竹文飾り壺 410ミリH

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小紋入り花鳥図花瓶 180ミリH

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正月遊戯図盃 75ミリW

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 なお美術商「ギャラリー史」高橋様は毎年アメリカでオールド・ノリタケをはじめ明

治の工芸品を探して日本国内の百貨店で企画展を開催されているとのことです。

 美術商「ギャラリー史」高橋様には、京成百貨店の「明治工芸の輝き」展のご案内を

いただき、また錦光山作品の画像をご提供いただきまして厚く御礼申し上げます。

どうも有り難うございます。

 

  本日、5月12日、水戸の京成百貨店で開催されております「明治工芸の輝き」展に行ってまいりましたので、追記させていただきます。

 「明治工芸の輝き」展では、錦光山宗兵衛作品が約10点、京薩摩関係では帯山与兵

衛が2点、京焼の乾山伝七、宮川香山香蘭社関連、瓢池園、横浜開港160年記念の

横浜絵付け作品など約150点が展示されておりまして、その多彩な内容に驚きまし

た。他の展覧会では、見られないような作品もあり、あらためて来て良かったと思いました。

 また美術商・ギャラリー史(ふみ)の高橋悟様、高橋親史様にはとても温かく迎えて

いただきまして、高橋様の博識に驚くと共に、とても勉強になりました。この場をお借

りして厚く御礼申し上げます。

 高橋様のお話があまりに面白かったので、ついつい長居をしてしまいましたが、益々

のご活躍をお祈りしたいと思います。また錦光山宗兵衛作品に加えまして帯山与兵衛作

品もで写真撮影を快諾していただきまして感謝に堪えません。さらに横浜開港160

年を記念して出版されました、近藤裕美様の「近代横浜の輸出陶磁器」(里文出版)を

いただきまして心から御礼申し上げます。

 高橋悟様、高橋親史様、本当にどうも有り難うございます。

 なお同展は5月15日(水)までの開催となっておおりますので宜しくお願い申しあげます。

 

 ギャラリー史(ふみ)の高橋様に感謝しつつ、ここに画像を掲載させていただきます。

 会場風景

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錦光山宗兵衛作品

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 この作品の上段には藤の花が描かれ、中段にはかぼちゃと雀が描かれていて、ともに繊細で余韻のある絵付けである。両方の絵の間と下段に3種類の文様が描かれていてとても手の込んだものとなっている。おそらくは何回か焼き付けたものと思われるが、その超絶技巧はやはり凄いといわざるを得ない。

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錦光山宗兵衛と共に神戸の外国商館で京薩摩の輸出の道を切り拓いた帯山与兵衛作品

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近藤裕美様著 「近代横浜の輸出陶磁器」(里文出版)

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○©錦光山和雄

 

#ギャラリー史 #明治工芸の輝き #京成百貨店 #アートギャラリー

#錦光山宗兵衛 #水戸 #近藤裕美 #近代横浜の輸出陶磁器 #里文出版

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西川満をめぐる台湾の旅 ⑵台北編

淡水河の流れ 

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 西川満は、台湾の日本統治時代の台湾在住の日本人作家のなかで最も代表的な作家・詩人である。だが戦後の戒厳令時代、彼の文学が皇民化運動の走狗として批判され、戒厳令後の台湾民主化にともなって再評価されるようになったが、わたしには、西川満ほど台湾を愛した日本人作家はいなかったのではないかと思われる。

 なぜかというと、そのひとつには、西川満は少年のころから大稲埕(だいとうてい)と媽祖(まそ)をこよなく愛していたからである。

 大稲埕というのは、清国時代、最も殷賑(いんしん)をきわめた旧市街で、すぐそばには淡水河が流れている。

 清国時代、淡水河の水運を利用して、海産物や茶、砂糖、樟脳(しょうのう)などを帆船に積み国際交易が盛んで、洋風の建物が建ち並ぶ街であり、いまでも大稲埕のなかの迪化街を歩くと海産物や茶、シイタケなどに乾物の匂いがするレトロな雰囲気の漂う街である。

 

在りし日の大稲埕の面影

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迪化街

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 七歳のとき(大正3年)に北門近くの大稲埕の太平生命の建物の裏手(現、延平北炉段・鄭州路口)に引っ越してきた西川満は、父親にせがんで手をつないで大稲埕の街をそぞろ歩きするのが好きだったという。

 その後、大正町1丁目(現、中山北路1段)に移り、樺山小学校に入学したあともタバコ工場の女工たちの姿にドキドキしながらクリーク沿いに淡水河に行き、壊れた洋館にたたずみ、一人夢想にふけることが多かったという。

 

昭和7年当時の地図 北門と太平生命が見える

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当時の写真 右側2軒目が太平生命

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昭和2年当時の地図 台北駅と樺山小学校、煙草専売局が見える

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 西川満は大稲埕で少年ながら随喜の涙をこぼすことになる対象に出合うのである。

 それは城隍爺祭(じょうこうやさい)のパレードであり、背が高く真っ黒な顔をした范将軍や芸閣に乗った美しく着飾った芸妲であったが、とりわけ天上聖母媽祖(まそ)であった。

 媽祖というのは、海の女神であり、遥か昔、福建や広州から海を渡って台湾に渡ってきた台湾の人々にとって航海の守護神たる女神である(媽祖は宋代に実在した官吏の娘である林黙娘が16歳の頃に神通力を得て神になったとされる)。

 西川満は、日本統治時代の台湾の日本人の多くが軽蔑し、また台湾の人々も信仰の対象として慕い敬っていたがそこに文化的な価値があるとは気づかなかった城隍爺や媽祖を対象に「媽祖祭」「台湾風土記」「華麗島民話集」などの著作をつくったのである。

 張良澤先生のお話では、台湾の民俗学研究は西川満が台湾の民話を収集し、台湾の風俗を文学化したことにより始まるといい、西川満が文学だけでなく台湾文化に貢献したことは大であるという。

 わたしは、西川満がなぜこれほど媽祖に惹かれたのか不思議だったので、今回、旧暦3月23日(現、4月27日)の媽祖祭を見学すべく旅程を組んだのだが、西門近くの台北天后宮を25日に訪れると、媽祖祭のパレードはその日の正午に始まってもう終わった、誕生日当日の27日には皆で麺や豚足などを食べて祝うのだといわれてガッカリしていた。

 媽祖祭のパレードは終わっていた

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 そんな残念な気持をかかえながら4月27日の媽祖誕生日に大稲埕の慈悲宮廟に行くと、丁度正午で生誕の祝いの演奏が行われていた。西川満が愛した大稲埕の媽祖廟媽祖祭に出合うことができたこと、なにか不思議な縁に導かれたような気がした。

 

媽祖祭

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媽祖祭のパレードで芸閣の芸妲に扮した女性を見れなかったので、それを想像するよすがとして写真2枚。

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 さてわたしの西川満をめぐる台湾の旅も終わりに近づいてきたが、

西川満は、明治43年、3歳のときに信濃丸で台湾に渡り基隆に住み、高校・大学時代を日本で過ごすが、その後帰台し、昭和9年、27歳のときに台湾日日新報社に入社し、学芸欄を担当するとともに執筆活動を行い、昭和15年に「文芸台湾」を創刊、台湾における日本文学の旗手になっていく。

 恩師西川潤先生によると、戦後、国民党政府の戒厳令下では日本文化は「敵国」文化として、大学での日本研究は禁じられ、日本統治時代の文化に触れることはタブーとなり、西川満の文学は批判の対象でこそあれ、忘れさられて行った。1987年に戒厳令が廃止され、90年代の日本をよく知る李登輝政権下で民主化が進み、そうしたなかで、日本を自分たちの目で見て、考えようとする実事求是の態度に変わっていくなかで、西川満の文学も再評価されるようになってきたという。それは中国との経済的結びつきと政治的緊張が強まるなかで、台湾の人々が自己のアイデンティティを守り、確立する流れのなかにあるという。

 そうした流れのなかで、2011年、国立中央図書館台湾分館で「西川満大展」が開催され、翌2012年に台南市の国立台湾文学館で「西川満特展ー我的華麗島」が開催されるにいたるのである。

西川満大展  真理大学台湾文学資料館蔵

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西門の近くに台湾日日新報社がある 

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 西川満は、昭和21年日本の敗戦により自著だけをリュックに入れ、当時10歳で肺炎で万一の場合は水葬を約束させられた、わが恩師西川潤先生を含む家族六人で基隆から上陸用舟艇リバーティ号に乗って帰国の途につく。

 岸壁では台湾の人々が別れを惜しみ、当時日本語をおおぴらに使えなかったにもかかわらず、日本語で蛍の光を歌ってくれたという。

 

基隆港

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基隆港の岸壁から蛍の光を歌ってくれる台湾の人々(立石鉄臣画)

真理大学台湾文学資料館蔵

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 最後に西川満の文章を引用しよう。

 三十六年すみなれた台湾をはなれることにより、一日一日とまずしくなっていく夜空の天体の方に、さびしさを覚えた。星だけは何といっても台湾が美しかった。北に近づくほど星の数は減り、北極星の位置はあがっている。

 「南の星よさらば!」

 もはや二度と見ることもないであろう星々に、わたしは別れを告げた。

 

 (付録)

 侯孝賢(ホウシャウセン)監督の映画「悲情城市」の舞台ともなり、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」のモデルにもなったという九份(きゅうふん)の阿妹茶楼。

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○©錦光山和雄Allrights resered

#西川満 #西川潤 #台湾 

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張良澤 #媽祖 #九份 #錦光山和雄 #日本文学 #侯孝賢

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千と千尋の神隠し 

 

西川満をめぐる台湾の旅 ⑴台南編

台南の 孔子廟に面した通りに咲く鳳凰

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 西川満をめぐる台湾の旅に出かけた(文中、敬称略)。

 最初、台南に向かった。

 西川満の鄭成功の孫をめぐる幻想的な小説「赤嵌記(せつかんき)」の舞台となった赤嵌楼を訪れるためである。

  なお、鄭成功というのは、17世紀中頃、明が清に滅ぼされると、明朝復興のために清朝と戦い、その志ならずして台湾に渡り、当時台湾を支配していたオランダを追放した民族的英雄であり、日本でも近松門左衛門の「国性爺合戦」のモデルになった人物でもある。

 小説を読んで赤嵌楼は薄暗い廟をイメージしていたが、眼にしたのは南国の光をあびた明るい廟であった。まさに早稲田大学時代の恩師・吉江喬松が色紙に

 南方は 光の源 

 我々に秩序と

 歓喜

 華麗とを

 与える

と書いて、

台湾で独自の日本文学をうち立てることこそ男子一生の仕事だと言って、西川満を台湾に送り出した南国の風景そのものであった。

 

赤嵌楼

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 もう一つは台南の麻豆区にある真理大学文学資料館の張良澤名誉館長にお会いするためである。

 そこでわかったことは、西川満の直弟子である葉石濤(ようせきとう:西川満が台南で講演するときに、背の低いやせぽっちの中校生がよく質問してくるので、西川満がその少年・葉石濤を誘い、自宅に住まわせて「文芸台湾」の助手にした)が台南で「葉石濤文学記念館」ができるほどの戦後台湾の代表的な作家になっていたことである。

 葉石濤は、1960年代に国民党政権の徹底的に言論を弾圧する戒厳令下で白色テロに会い投獄された作家で台湾の川端康成といわれているそうである。なぜ投獄されたかというと、葉石濤は当時高雄で小学校の先生をしながら、コツコツと執筆活動をしていたが、読書会に参加していて、白色テロの時代で知識人や若い人は内心不満を持っていたが、抵抗もできない。そうした状況で、各地に読書会ができ、そのなかのリーダーにはおそらく左翼関係の人が紛れ込んでいた可能性もあり、国民党政府はこれを取り締まりの対象にしたという。

 なお、白色テロというのは、台湾では1947年2月28日に外省人の取締官が闇煙草の販売していた本省人婦人に暴行を加えたことをきっかけに全国的な抗議デモが発生し、国民党政府が弾圧・虐殺(2・28事件)が起り、これが引き金となって1987年まで戒厳令が敷かれ、その間、反体制派の台湾人(本省人)に対して徹底的な政治的弾圧・虐殺を行い、多くの犠牲者を出したことをいう。

 

葉石濤文学記念館

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西川満から葉石濤への手紙

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  さらに台南の国立台湾文学館でも、たまたま「葉石濤」展が開催されていた。

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 なお、台湾の戒厳令時代には西川満の文学は昭和十二年の日中戦争の始まりと共に起こった皇民化運動の走狗として批判され、西川満の文学が再評価されるには戒厳令後の台湾の民主化まで待たねばならなかった。また皇民化運動の一環として、漢文禁止令、日本人名への改姓名、家庭生活を日本式に改めることなどが実施されたという。

 張先生のお話では、漢文禁止令といっても、漢文を読む際に中国語の発音が禁止されたので台湾語の発音は禁止されず、台湾人は当時北京語はしゃべれなかったので日常的にはそれほど困らなかったという。

 また日本人名への改姓は、強制ではなく申請制で、日本人名に改姓すれば物資の配給が受けられるというものだったという。

 さらに、家庭生活を日本式に改めるというのは、衛生管理を進めるということで、畳の上で生活することや食事面ではみそ汁を飲むこと、年4回大掃除してフトンを干すこと、便器を寝室に置かないことなどで、これは警察が調べたそうである。張先生は冗談まじりに、台湾人は年1回正月しかフトンを干さないから、これはそんなに悪いことではなかったという。 

 こういうお話は本を読んでもなかなかわからないことで、張良澤先生だからこそのお話なのでいたく感銘した。それにしても、不幸な時代の出来事で、この話を聞いてどこかホッとさせられた。

 いずれにしても、日本ではほとんど忘れられた作家になっている西川満が台湾を代表する葉石濤という作家を育てたことは、嬉しい驚きだった。西川満の文学および足跡がこんな形で台湾に残っていることがわかったことは大きな収穫であった。

 また戦前の台湾の文学を代表する作家として西川満と張文環がいるが、張文環は西川満が設立した浪漫的な台湾文芸家協会および「文芸台湾」から袂を分かち、リアリズムの「台湾文学」を設立して二人は対立したように見られている。

 しかし、張良澤先生によると、西川満は日本人としてのアイデンティティを持ち、張文環は台湾人としてのアイデンティティを持ったということで、二人は決して仲が悪かったわけではないという。

 また張文環という作家は、日本語の文章はトップクラスの純文学作家で、著作数は15作ほどで数は少ないがとてもいい作品だという。また戦後、国民党政府が日本語の使用を認めず、北京語での作品発表を強制したことに対し、抵抗の意味もあって筆を断ったという。凛とした気骨のある作家だったのだろうか。

 

張文環全集   真理大学台湾文学資料館蔵

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 最後に台南の鳳凰木(ほうおうぼく)の赤い花咲く並木を見たかった。5月に咲くと思って半ば諦めていたところ孔子廟の前の通りで鳳凰木を見つけた。南国にふさわしい清々しい木ではないだろうか。

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 なお張良澤先生が名誉館長をされている真理大学文学資料館には、わたしの恩師西川潤先生の色紙も飾られていた。ただ昔は5000名の学生がいたそうだが、いまは大半が台北の本校に移ったそうで閑散としていた。

 なお台南と嘉義の間に広がる不毛の地であった嘉南平野に、いまなお台湾の人々から慕われリスペクトされている日本人技師・八田與一が戦時中に作った灌漑用水のダム・烏山頭水庫は真理大学から少し離れたところにある。

 台湾の嘉義農林高校が、日本人教師と台湾の若者たちが交流し、1931年に甲子園に出場し活躍したことを描いた映画「KANO1931」のなかにも八田與一の灌漑用水が流れて、台湾の人々が喜ぶ感動的なシーンが出てくる。

 

真理大学文学資料館

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真理大学台湾文学資料館蔵

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 真理大学台湾文学資料館蔵

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八田與一

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 張良澤先生には大変貴重なお話をうかがうことができ大満足であった。張先生のご尽力で西川満文学の再評価の道が拓かれたことを思うと、張先生をリスペクトするとともに飾らないお人柄が最高で、そんな張先生に甘えさせていただいて、拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」も台湾デビューさせていただいた。謝謝です。

 その後、張先生はお忙しくてご一緒できなかったが、西川満先生の宗教的側面を研究されている台湾首府大学の黄耀儀助理教授と新営の「華味香」で夕食をしながらお話をうかがった。

 台南の真理大学台湾文学資料館にて 張良澤先生と黄耀儀助理教授とともに

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 西川満をめぐる台湾の旅 ⑵台北編に続く

 

○©錦光山和雄Allrights reserved

 

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東京国立近代美術館で錦光山宗兵衛作品がご覧いただけます。

 

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東京国立近代美術館(The National Museum of Modern Art  TOKYO)で開催中の

「MOMATコレクション(Museum Collection Gallery)」展におきまして

七代錦光山宗兵衛(Kinkozan SobeiⅦ)の

上絵金彩花鳥図蓋付飾壺(Jar with lid, flower and Bird design, overglaze enamels and

gold)が展示されおります。

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 今回の七代錦光山宗兵衛のこの作品は、

胴の中央部に牡丹の花が大きく描かれ、周りには鶴とともに朝顔や萩、ススキなどの草

花が描かれています。牡丹の脇からは花が咲いた木がありますが、この花木がなんなの

か迷うところですが、どうも梅や桜ではないようなので、あるいは海棠(かいどう)で

はないかと思われますが、写真の海棠と比べますと、壺の花木の花の色はやや薄いよう

に見受けられます。

  紅(くれない)に 咲き誇る 海棠(かいどう) 

 

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 泉屋博古館分館で開催されている「華ひらく皇室文化」展において展示されています

六代錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文花瓶」(霞会館蔵)見ますと、

壺の中央には牡丹、その周りには朝顔、菊などが描かれており、東京国立近代美術館

七代宗兵衛の作品と意匠の趣きがきわめて似ていることに驚かされます。

 もっとも、七代宗兵衛の作品は鶴が描かれていますが、六代宗兵衛の作品は、鶴では

なく瑠璃地の小鳥、それはもしかしたら翡翠(かわせみ)かと思われる小鳥が飛んでい

るといった違いがあります。また花木も七代はおそらく海棠であり、六代のは花弁が開

いているので梅ではないかと思われ、もしそうであれば花木も違うことになります。

 こうように両作品には違いがあるのですが、全体的に受ける印象がとても似ていて、

まるで七代宗兵衛が、父である六代宗兵衛作品のオマージュをつくったのではないかと

思われるほどです。

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 どちらがいいか、それぞれの良さはあると思います。ただ、孫のわたしといたしまし

て、六代宗兵衛作品の方が、牡丹や梅などの朱の色の濃淡があざやかであり、華やかで

愉しさがあるように感じられます。

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今日は東京国立近代美術館の周囲は桜が綺麗でした。

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明日、新元号が発表されるので、

さよなら、平成

Good-bye Heisei

とお別れの言葉を述べておきます。

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#pottery #stoneware #satsuma #kinkozan #MOMAT

#東京国立近代美術館 #MOMATコレクション #陶芸 #陶磁器 #薩摩焼

#粟田焼 #錦光山

 

 

 

Kinkozan Sobei:the story of an Awata kiln-A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the world(Japanese Edition):Kindle Edition on Saleー「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」のKindle版および海外配信が開始されました。

 

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A person who lives in foreign country  can buy an overseas edition of this book,"Kinkozan Sobei : the story of an Awata Klin ーA study of Kyo-Satsuma, Kyoto ceramics that touched the world" through Amason.

However please remind, this book is written by Japanese, not English.

URL of the foreign country are as below.

However in the United Sates of America the sale of this book is locked now.

If  sale become available in U.S.A ,let you know in this Blog.

 And also the kindle edition of this book was published in Japan.

 

「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」の海外配信が開始されましたので、海外在住の方でもKindle版をご購入できます。

ただ、この本は英文ではなく日本語で書かれておりますのでご注意ください。

外国で購入される際のURLは下記に表示してありますが、アメリカではAmasonに登録されておりますが、販売はロックされておりますので購入はできません。ロックが解除されましたら、このブログにてお知らせいたします。

また日本国内で、電子書籍化されまして、Kindle版が購入できますのでよろしくお願いいたします。

下記は英文による内容紹介です。

 

Introduction of this book:

 

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the word

 

This book is a critical biography of master craftsmen of an Awata Kiln, Kinkozan SobeiⅥ(1823-1884) and Kinkozan SobeiⅦ(1868-1927). Awata Kiln is considered to be  the oldest kiln of Kyoto ceramics.

 

In the Edo period, KInkozan Sobei Ⅵ was appointed as official potter for the Tokugawa shogunate and his kiln flourished in those years. Because of the following Meiji Restoration, however,he lost his major customers such as shogun and daimyo, feudal lords. In this difficult situation, he made every effort to refine the painting method for pottery and finally developed a new method called "Kyo-Satsuma".

The exhibit at the 1867 Paris Expo fascinated the West and a great admiration for Japanese cultures known as Japonism made exports of Kyo-Satsuma ware increase remarkably. In the Meiji period, Kinkozan workshop became the biggest Kyo-Satsuma kiln in Kyoto.

 

After the death of Kinkozan SobeiⅥ, the reputation of Kyo-Satsuma declined.At the 1900 Paris Expo, Kinkozan SobeiⅦ was shocked by new Art Nouveau style ceramics and recognized that Japan was far behind the European nations in the technical innovation of ceramics. Then he started to reform the design and the method of production of Kyoto Ware in order to modernize Kyoto ceramics. As a result, Kinkozan SobeiⅦ achieved a big commercial success of Awata Kiln and established the finest pottery painting "Kyo-Satsuma" in the world.

 

This book also includes a lot of pictures of Kinkozan's magnificent masterpieces and some are very rare of kinkozan factory and his families. Lovers of Japanese Art will find this book full of interesting stories.

 

The author Kazuo Kinkozan is a grandson of SobeiⅦ. Kazuo spent many years tracing back the family history with great passion wanting to inform the world of his grandfathers.This book is written by Japanese.

 

Thank you very much for your support.

引き続き皆さまのご支援に感謝いたします。

 

URL for overseas nations

海外から購入する際の各国のURL

 

Japan(日本) https://www.amazon.co.jp/dp/B07PBWQN6D

US(U.S.A)      https://www.amazon.com/dp/B07PDWJ5GS

UK(England)  https://www.amazon.co.uk/dp/B07PDWJ5GS

DE(Germany)https://www.amazon.de/dp/B07PDWJ5GS

FR(france)  https://www.amazon.fr/dp/B07PDWJ5GS

ES(Spain)          https://www.amazon.es/dp/B07PDWJ5GS

IT:(Itary)             https://www.amazon.it/dp/B07PDWJ5GS

NL(Netherlands) https://www.amazon.nl/dp/B07PDWJ5GS

BR(Brazil)         https://www.amazon.com.br/dp/B07PDWJ5GS

CA(Canada)     https://www.amazon.ca/dp/B07PDWJ5GS

MX(Mexico)      https://www.amazon.com.mx/dp/B07PDWJ5GS

AU(Australia)    https://www.amazon.com.au/dp/B07PDWJ5GS

IN(India)            https://www.amazon.in/dp/B07PDWJ5GS

#陶芸

 

 

 

 

泉屋博古館分館「華ひらく皇室文化」展で六代&七代錦光山宗兵衛作品が展示

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  泉屋博古館分館の「華ひらく皇室文化ー明治宮廷を彩る技と美ー」展(The Blossoming of Imperial Culture Technique and Aesthetic in the Adornments of the Meiji Court)を見てきました。

 今回の同展は、皇室や宮家の慶事や饗宴のときに金平糖などを入れて配られる、主に銀製の小さな菓子器であるボンボニエールの展示や帝室技芸員の方の作品の展示が主でありましたが、錦光山宗兵衛の作品も二つ展示されておりました。

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 ひとつは、六代錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文花瓶」一対(Pair of Vases,Bird and flower design)です。

 その解説文には「沈香壺形の本作の作者6代錦光山宗兵衛は、京都粟田口の陶工で青木木米から磁器の製法を学ぶ。厚みのある上絵付に金彩を施した緻密な作風の京薩摩を製し海外に販路を開き、9代帯山与兵衛とともに京都の陶磁器輸出の端緒となった」と記されていました。

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 この作品の意匠は、紅や白の華やかな大輪の牡丹、黄色や赤などの菊、赤い椿、はては朝顔まで描かれている空間を、黄色い頭や背中が青い小鳥、おそらく翡翠(かわせみ)が飛び回っているものです。この作品はどうも和絵具で描かれているようで、牡丹や椿の花や葉が少し盛り上がっていて、照明のかげんでキラキラと煌めき、緻密でありながら空間の広がりが感じられます。それは、まるで花盛りの森のなかを小鳥がさえずりながら自由に飛び回っているようで、とても伸びやかで華麗な印象を受けます。それはまた、明治初期という近代国家の黎明期に、世界に雄飛することを志した六代錦光山宗兵衛の気風を表しているといえばいいすぎでしょうか。

 幹山伝七の「色絵金彩花鳥文花瓶」も並んで展示されているのですが、幹山伝七は西洋の色絵顔料を積極的に取り入れたようですが、牡丹が丈高く色鮮やかに描かれているのですが、どこか平板で、和絵具の浮彫がある錦光山宗兵衛の作品の方が陰影が深く、生命感にあふれているように思われます。

 なお、「日本京都錦光山造」の銘が花瓶の下方に記されています。また製作年は「明治17年(1884)以前」となっております。六代錦光山宗兵衛が亡くなったのが明治17年ですから、その意味では正しいといえます。

 所蔵者は「霞会館蔵」となっており、霞会館の前身は堂上華族(旧公家)と武家華族(旧大名)を結集して明治7年(1874)に発足した華族会館であるそうです。六代錦光山宗兵衛のこの花瓶が今日までどのような経緯をたどってきたのかと思うと興味がつきません。

 なお、「色絵金彩花鳥図花瓶」につきましては、「華ひらく皇室文化」展終了後の5月14日に再度、泉屋博古館分館にお伺いした際に学芸員森下愛子様が、平成27年に久米美術館で開催された「明治の万国博覧会[Ⅰ]デビュー」の図録のコピーを持って来てくださりました。

 その解説によりますと、「作者は京都・粟田口の錦光山宗兵衛(6代または7代)。明治初期に海外向けに金襴手様式の細密画陶器、いわゆる「京薩摩」を量産し、国内外の博覧会にも積極的に出品、「SATSUMA」として西洋の市場を席巻したとまで謳われる近代京焼を代表する窯元である。小鳥、花弁や葉の描線の描き方には、京焼の伝統を受け継ぐ熟練の技が見られる」とあり、さらに「本作は元々、日本近代最初の迎賓館である延遼館にあり、その後新たに竣工した鹿鳴館に移り、華族会館を経て、現在の霞会館に引き継がれた作品である」とあります。

 そしてさらに「壺の側面に『日本京都 錦光山造』と金文字を入れ、底部には「錦光山」銘が捺されている他、進駐軍GHQ)により接収されたことを物語る朱色のペイント文字「ENG PEERS」(ピアスクラブの意)が入れられている」とあります。

 私も朱色のペイント文字「ENG PEERS」を見せていただきましたが、この「色絵金彩花鳥図花瓶」が、このような数奇な運命にもてあそばれてきたとは知らなかっただけに、その運命の不思議さに感慨深いものがありました。ご参考までに画像を添付いたします。

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 もうひとつは、七代錦光山宗兵衛の「色絵草花文紅茶茶碗セット」(Tea Set ,

Flowering plants design)です。

 学芸員森下愛子様の解説には「四季折々の草花を京薩摩風の繊細な絵付けで表現した紅茶碗と皿(ソーサー)。明治42年(1909)頃に製作されたと考えられ、12客が現存する。7代錦光山宗兵衛は浅井忠などと同36年に図案研究団体遊陶園を結成、アール・ヌーヴォーを伝統的な京焼の意匠に取り入れた」と記されています。なお個人蔵となっております。

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 四季折々の草花とは、一部よくわからないものもありますが、梅、桜、牡丹、つつじ、なでしこ、南天、コスモス、菊、葉鶏頭、つるくさ、モミジなどではないかと思われます。まさに日本の四季を彩り、なつかしさを感じさせる草花です。

 12客の紅茶セットで、四季の移ろいを感じながら、毎月ちがった器で紅茶を楽しむことができれば、それはとても贅沢な時間といえるのではないでしょうか。

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 茶碗と皿の地肌のたまご色が、繊細であたたみがあり、いかに京薩摩の意匠が絢爛豪華なものから、四季の草花まで幅が広いかということを改めて感じます。

  泉屋博古館を見てから学習院大学資料館でも「華ひらく皇室文化」展が開催されていましたので行ってきました。ちょうど卒業式のあった日で、袴姿の卒業生が大勢いて華やかでした。

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 なお、今回の「華ひらく皇室文化」展にちなみまして、七代錦光山宗兵衛と皇室とのご縁のエピソードをご紹介させていただきたいと思います。

 明治38年4月30日発行の「京都芸術協会雑誌」によると、

「京都美術協会においては古美術品展覧会における旧儀装飾十六式図譜の出版なるを告げたり、ここにおいてこれを、両陛下、皇太子同妃殿下、常宮、周宮、富美宮、泰宮の四殿下を初め奉り、同会総裁伏見宮殿下へ献上せんと欲し会頭大森鍾一その用務を帯て東上すべきところやむをえざる職務のため果たすことあたわず、よって会頭代理として評議員錦光山宗兵衛これを携さえ東上せり

 まず宮内省へ出頭し両陛下へ献納方を出願して退出せるが三日を置きて9月28日宮内省内亊課長心得近藤久敬より献上の図譜は御聴許にあいなりたる旨京都府知事へ通報あり、府知事よりさらに同協会へ伝達せり

 次いで東宮御所へ伺候し皇太子同妃両殿下へ献上の儀を出願せしに、御満足に思し召さる旨にて御聴許あらせられたり

 次いで高輪御殿に赴き常宮、周宮両内親王殿下へ献上を出願せるに、御満足思し召され錦光山宗兵衛へは酒肴料の御下賜あり 後略」とあります。

  また同雑誌には「東園侍従来観 4月9日午後2時30分侍従子爵東園基愛氏来館巡覧せられたり出品中錦光山宗兵衛氏の陶器香炉一個購求せられたり」とあります。

 図らずも今回の展覧会で、錦光山宗兵衛と皇室との縁まで思い起こすことができました。

 

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