錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

Masterpieces of the OKADA MUSEUM OF ART:Japan ,Country of Gold Screens

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 箱根の岡田美術館で「金屛風展」が開催されており、「フランス人がときめいた日本の美術館」でも紹介され、また私もひょんなことからこの美術館には以前から関心があったので行ってみることにしました。

 

OKADA  MUSEUM  OF  ART

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 まず最初に小涌園にある瀟洒な建物の3階の「金屛風展」から見ることにしました。狩野派や長谷川派に加えて、琳派やその他の華麗な金屛風には目を見張りました。また金箔や金泥、金砂子、赤金、青金などの違いも丁寧に解説されており大変参考になりました。金屏風は室町時代頃からつくられるようになり、海外にも輸出され、それがマルコポーロの日本「黄金の国」のイメージに繋がったというのも興味がわきました。

 

 The Gold Screen of  Ogata Kourin

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 私の拙著「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」のなかで触れていますように、錦光山は江戸時代に「錦色燦爛とした見るも見事な絵模様の陶器を納めたのでその時から特に錦光山の姓を与えられこれを称するに至った」という経緯があり、その意味ではGoldに縁がある家系であり、私も拙著の題字に金箔押しをしたくらいですから、華麗な「金屛風」の世界に魅了されずにはいられませんでした。

 

  そのあと、私は岡田美術館1階の中国陶磁器を見てみることにしました。

 というのも、明治の工芸、とりわけ陶磁器はジャポニスムアール・ヌーヴォーのようにヨーロッパとの関係が注目されがちですが、中国陶磁器、とくに清朝陶磁器の影響をじっくりと見てみたいと思ったからです。

 岡田美術館の解説によりますと、

清朝時代の康熙(こうき)年間(1662~1722)は、清朝磁器の創成期であり、雍正(ようせい)年間(1723~35)および乾隆(けんりゅう)年間(1736~95)に最盛期を迎え、景徳鎮官窯がその代表的な窯場であったようです。

 また清朝になると、景徳鎮官窯ではさまざまな単色釉が開発されて、とくに康熙(こうき)年間には紅釉磁が開発され、その代表的なものが「桃花紅」であるといいます。欧米ではpeach bloomと呼ばれて愛好されたそうです。また雍正年間には粉彩が開発され、乾隆年間には琺瑯(ほうろう)彩などが開発されるなど、極めて多彩な磁器が焼かれ、中国陶磁器が集大成された時代のようです。

 

 桃花紅瓶     岡田美術館名品撰第一集より抜粋

 Vase, Peach bloom glaze   OKADA MUSEUM OF ART

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 ここで思い出されるのが、明治26年(1893)のシカゴ万博のことです。

 錦光山宗兵衛の出品作「色絵金襴手龍鳳文獅子紐飾壺」は受賞しなかったのですが、竹本隼人の単色釉の「紫紅釉瓶」は清朝磁器に迫るものとして賞牌を受賞しました。

 

「色絵金襴手龍鳳文獅子紐飾壺」 七代錦光山宗兵衛 1893年   東京国立博物館

 Ornamental Jar Pair of phoenixes design in overglaze enamel and gold  Kinkozan sobei Ⅶ  Tokyo National Museum

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 紫紅釉瓶  竹本隼人  東京国立博物館

   Takemoto Hayato 

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 竹本隼人だけでなく、シカゴ万博で高い評価を受けたのは、当時盛んに中国写しの作品をつくっていた宮川香山であり、清風与平でありました。

 この三人に共通していることは、中国古陶磁に強くひかれ、清朝磁器の単色釉を盛んに研究したことであり、彼らの作品が清朝磁器の高い技術に迫るものとして評価されたのです。というのも、当時、中国清朝の磁器に倣った単色釉や窯変釉、釉下彩が世界的に大流行していたのです。

 実際、清風与平はシカゴ万博に「白磁蝶牡丹浮文大瓶」を出品していますが、その作品を見ますと、白磁に浮き彫り文様がほどこされていますが、それは乾隆年間(1736~95)の「青磁博古文壺」において蓮弁文や波状文の文様が浮き彫りになっているように、清朝磁器の写し、研究の成果であることがわかります(下の添付画像参照)。

 こうした中国の単色釉の系譜は、錦光山商店の改良方の顧問をしていたが、明治39年に独立して砧(きぬた)青磁の青縹の色沢の復元をめざして、青磁に生涯を捧げて、後に帝室技芸員に選ばれた諏訪蘇山に繋がるといえましょう。

 なお岡田美術館には、南宋時代の龍泉窯の砧青磁である「青磁鳳凰耳瓶」および、雍正年間の比類なき美しさの「青磁柑子(こうじ)口瓶」が陳列されていますが、これを見ると、諏訪蘇山の気持がわかるような気がします。

 

青磁博古文壺  岡田美術館名品撰第一集より抜粋

Jar with Antiques Design        OKADA  MUUSEUM OF ART

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  では、錦光山では清朝磁器はどのように受容されたのでしょうか。

 私は、それはデザインもさることながら、その技法にあるのではないかと考えています。

 六代宗兵衛は明治維新にともなう東京遷都で大口需要家を失い窮地に立っていた明治初期のある日、店頭にきたアメリカ人に壺を見せたところ、いきなり足蹴にされ、どうしたらいいのか迷い苦しみました。当時欧米では古典派から印象派に移っていた時代ですから、陶磁器においてもそれなりの写実性を求められたのは想像にかたくありません。

 そこで六代宗兵衛は精緻な描写のできる彩画法の開発に没頭するのですが、その際に清朝の豆彩(とうさい)や粉彩(ふんさい)の技法が大いに参考になったのではないかと推察されるのです。

 豆彩というのは、「青花で文様の輪郭線を下絵けしたのち、再度輪郭線の中を色釉で上絵付けする技法」だそうですが、乾隆年間の「豆彩八吉祥唐草文天球瓶」(下の添付画像参照)をご覧になっていただくと、豆彩で彩り鮮やかに蓮華唐草文が描かれ、口縁には金彩もほどこされています。この豆彩の技法が、錦光山の「京薩摩」の文様に取り入れられているのではないかと思われるのです。

  先程の錦光山の「色絵金襴手龍鳳文獅子紐飾壺」の拡大画像と見比べていただきたいと思います。

 

豆彩八吉祥唐草文天球瓶   岡田美術館名品撰第一集より抜粋

Globular Flask with Design of Eight Auspicious Symbols of Buddhism  OKADA  MUSEUM OF ART

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 Kinkozan's Ornamental Jar

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 次に粉彩ですが、粉彩というのは「ヨーロッパの七宝技法を磁器の絵付け技法に取り入れたもので、白磁上に不透明な白釉顔料を用いて重ね塗りを可能とし、微妙な色彩の表現や細密な絵画表現が器面に実現できるようになった技法であり、康熙期末から始まり、雍正期に発展した技法」だそうです。

 下に添付しました「粉彩団蝶文碗」をご覧いただきますと、花と蝶が非常に精緻にかつ写実的に描かれていますが、花や蝶をよく見ると、色彩が淡くグラデーションされていることがわかります。

 

粉彩団蝶文碗 雍正年間  岡田美術館名品撰第一集より抜粋

Pair of Bowls with Butterflies Design     OKADA  MUSEUM OF ART

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  さらに、下に添付しました「豆彩蓮池文管耳瓶」をご覧になっていただくと、豆彩で描かれた蓮のピンクや赤の花弁が、粉彩による淡い色彩で巧みにグラデーションされていることがわかります。

 このように見てくると、雍正年間、乾隆年間に清朝磁器はその美の頂点を極めたという感をつよくいたします。

 錦光山がどこまで清朝磁器の技法である豆彩を使用したかはわかりませんが、少なくとも粉彩の繊細で精緻な技法は、1900年のパリ万博のアール・ヌーヴォーに衝撃を受け、京焼の意匠改革に取り組んだ七代錦光山宗兵衛にも受け継がれていったものと思われます。

 

 豆彩蓮池文管耳瓶 乾隆年間  岡田美術館名品撰第一集より抜粋

 Vase with Lotus Pond Design 

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  他の分野でもそうですが、文化・芸術は受容と変革の歴史であり、錦光山宗兵衛も明治の工芸家のひとりとして、欧米文化だけでなく中国文化を摂取し、変革に取り組んでいったと思われます。その一端を岡田美術館ははからずも見せてくれたといえるのではないでしょうか。

 それに感謝するとともに、いつの日か広い意味での岡田美術館関係者とご縁を結べることを祈って、開化亭で美味しい「おめで鯛ごはん」を食べて岡田美術館をあとにしました。

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○©錦光山和雄Allrightsreserved

 

 

 

 

 

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「円山応挙から近代京都画壇」展と絵師ーLEGENDARY KYOTO PAINTING FROM MARUYAMA OKYO TO THE MODERN ERA

 

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   東京藝術大学大学美術館で「円山応挙から近代京都画壇へ」展が9月29日(後期9月3日から大展示替え)まで開催されています。

 

 私がこの展覧会に興味を持ったのは、ひとつには、ある案件で錦光山宗兵衛のお抱え絵師も含めて京都の絵師が、京薩摩だけでなく他の地域の薩摩の絵付をした可能性があるかもしれないという話を聞いたことです。もうひとつは京焼と日本画の関係です。というのも、京薩摩は粟田焼の雅な絵付を継承してつくられたものであり、その底流には京都の絵画の伝統が流れているのではないか、そこを押さえないと京薩摩の正当な評価ができないのではないかと思われることです。

 

 まず最初の点につきまして、京都の現役の陶芸家であり、拙著「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」でいろいろお世話になった二十代雲林院寶山氏にヒアリングさせていただきましたので、少し長くなりますが貴重な証言でもありますので紹介させていただきたいと思います。

 雲林院寶山氏のお話によりますと、幕末から明治・大正時代までは素地の土台をつくるロクロ師と上絵付をする絵師とは完全に分かれていて、上絵付をする絵師の集団組織があったといいます。錦光山宗兵衛家や帯山与兵衛家のように規模の大きな窯元では自分のところで絵師を抱えていたが、規模の小さいところでは、絵師集団に上絵付をしてもらっていたところが多かったそうです。問屋が粟田や清水、五条に素地を注文し、錦光山や帯山の花瓶などを見せて、これにこんな絵付をしてくれと頼み、このため粟田焼や京薩摩の似た意匠が多くなり、ある程度意匠の統一性が保たれたそうです。もっとも、陶磁器がよく売れる時期は、絵師がロクロ師を雇って自分のところで素地もつくって売るが、陶磁器が売れない時期は上絵付だけと素地つくりだけと分化する傾向があったといいます。また現在はなくなったそうですが、10年程前には「京都色絵陶業協同組合」という上絵付の絵師の協同組合があったそうです。

 また、雲林院寶山氏が子供のころには、当時80歳から90歳くらいの方が、自分の父親は錦光山でロクロ師をしていたとか絵師をしていたという人がかなりいたそうですが、大正以降からは、個人の作家意識が濃厚となり、成型と絵付を一人でやることが多く、その意味で雲林院寶山氏は当時の状況を知る境目の世代といえるだろうと述べておられました。

 

 もうひとつの京焼と日本画の関係ですが、雲林院寶山氏も、京都では日本画の伝統は重要であり、最初は南画が流行したが、南画は筆さばきだけで描くようなところがあり、次第に円山応挙の写生をきちんとする写生画が主流となったと述べておられます。また同氏は、京都では織物や染色でも日本画を大切にしており、織物では京都の呉服屋、高島屋などにも絵画が残っており、野々村仁清も染物屋から日本画を借りて絵付をしており、通常は下絵があって絵師がそれを見て陶磁器に絵付をしたのですが、画家みずからが陶磁器、織物に絵付をすることもあったと語っておられます。とりわけ明治初期には藩のお抱え絵師などが仕事がなくなり、陶磁器に絵付して暮しを立てていたことが多かったそうです。

 

 さて、円山応挙(1733~1795)ですが、今日では伊藤若冲(1716~1800)や曽我蕭白(1730~1781)などの強烈で濃密な色彩の細密画を描く「奇想の系譜」系の画家たちの人気が高まり、その存在感がやや薄れた感はありますが、当時の京都画壇においては様式化された狩野派、土佐派などの御用絵師や文人画の池大雅与謝蕪村などとは別に、実物写生の精神に基づき精密な筆致の写生画の巨匠として、その後の円山派・四条派の祖となり、「すべては応挙にはじまる」と称される存在であることに変わりはないようです。

 応挙の生きた18世紀後半は江戸幕藩体制のなかにあっても町人階級が台頭した時代であり、京焼においても拙著「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」で触れていますように、粟田焼が興隆期を迎え、名実ともに京都を代表する窯場となり、主に青・緑・金彩の三色に彩られた古清水(こきよみず)を量産化していた時代であり、錦光山家が宝暦6年(1756)三文字屋九左衛門に代って将軍家御用御茶碗師を勤めた時代でもあります。

 

 古清水 色絵秋草七宝透段重

kokyoumizuーKyoto Kiln

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 こうした状況を考えますと、当時、京焼を代表する粟田焼が、野々村仁清の華麗な色絵陶器の伝統を引き継ぎ、琳派の意匠を軸にしながらも円山応挙などの影響をまったく受けなかったとは考えにくいのではないでしょうか。粟田焼ではありませんが、清水焼の初代清水六兵衛円山応挙や四条派の祖の呉春とも親しく、伝円山応挙・筆という御本銹山水図水指という作品があります。

 

 初代清水六兵衛 御本銹絵山水図水指

Kiyomizu RokubeiⅠ

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 粟田焼においても、円山・四条派をはじめ京都画壇の華麗に競い合う各流派の絵を参考にして絵付を行っていたのではないかと思われます。そしてそれが粟田焼の雅さの源流になったのではないでしょうか。

 同展によりますと、こうした円山・四条派の流れは明治という近代になっても、明治13年に設立された京都府学校を軸に幸野楳嶺、塩川文麟、望月玉泉、谷口香嬌、菊池芳文、竹内栖鳳上村松園に引き継がれていったとされています。ちなみに六代錦光山宗兵衛も京都府学校設立には協力したようです。

 

 明治になってからの粟田焼は、東京遷都にともない天皇家をはじめ公家、官僚、有力実業家がいなくなり存亡の危機に見舞われ、そうした状況のなかで六代錦光山宗兵衛が明治3年に「京薩摩」といわれる彩画顔料の新法を開発し、それまでふのりを使う和絵具では難しかった細密描写が可能となり、折からのジャポニスムの興隆もあって粟田焼は「京薩摩」として海外に雄飛していくことになるのです。当時の窯業は最先端の化学技術でしたから、陶磁器というアートが日本の近代化を支えたといっても過言ではないかと思われます。

 京薩摩というと金彩のけばけばしいものという印象が強いようですが、私も大量に生産された普及品のなかにそのようなものがあることは否定いたしませんが、そうした大量の普及品に埋もれてしまい、なかなか見る機会が少ないのですが、海外の錦光山コレクターの所蔵します、錦光山の逸品・Masterpiece(絵師・素山)をご覧になっていただくと、華麗ななかにも落ち着きのある風景描写であり、京都画壇の伝統を継承した雅な意匠であることがご理解いただけるのではないかと思います。

 

Kinkozan SobeiⅥ

Dr.Afshine Emrani Collection

 

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 以前のブログでご紹介しましたように、高木典利氏所蔵の「色絵金彩花鳥図花瓶」の下絵は、考定・中島仰山、図画・狩野勝川でしたが、下の下絵は考定・中島仰山、図画・岸雪浦(せっぽ)ものです。

 

下絵 陶製花瓶真形図

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 このほかにも画家・春名繁春が錦光山の図案教師に招聘されたようですし、1900年のパリ万博後には七代錦光山宗兵衛は「遊陶園」などで浅井忠、神坂雪佳などと意匠改革を進めたのであります。その成果のひとつとしまして1910年の日英博覧会に出品され、現在はロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に所蔵されている「色絵金彩山水図蓋付箱」(絵師・素山)の画像をご覧いただきたいと思います。竹林のそばで遊ぶ鶏の親子が精緻な筆致で描かれており、微笑ましくも静的な美しさを感じさせる作品ではないでしょうか。

 

六代錦光山宗兵衛 「色絵金彩山水図蓋付箱」

Kinkozan SobeiⅦ A miniature robe chest on six feet,painted on the interior and exterior

with scenes of animals and bird

Victoria and Albert Museum

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 今回の同展を見まして、江戸時代後期の池大雅与謝蕪村などに代表される文人画だけでなく円山応挙なども、長崎を通じて移入された中国の明清画、すなわち文人画や南画を子細に研究して日本的な絵画をつくりあげていったことを知りました。日本の文化というものは海外のものを研究して発展してきたのだという思いを新たにしました。そう思うと、明治初期から昭和初期にかけて京都(各地でも)で細密描写の「京薩摩」という陶磁器が花開いたこともこの流れのなかにあるのではないかという気がいたします。

 また18世紀の京都画壇に円山応挙やその弟子長沢芦雪伊藤若冲、曽我蕭白などがいたことを思いますと、私は密かに海外にある錦光山をはじめとした「京薩摩」のMasterpieceを一堂に集めた展覧会を開催することができれば、18世紀の京都画壇で濃密な色彩感覚で世界に衝撃を与えた伊藤若冲などの奇想の系譜と同じようなインパクトを陶磁器の世界で与えることができるのではないかと期待しております。

 といいますのも、奇想の系譜の画家たちの描く世界は、濃密な色彩感覚とともに鳥の羽毛の一筋一筋まで描くような細密な世界でありますが、陶磁器の世界では京薩摩という採画法によってはじめて華麗で細密な描写が可能となったのであり、その意味で京薩摩には粟田焼の雅さとともに超絶技巧といわれ現在では再現不可能といわれる、その細密さにおいて強烈な存在感があるのではないかと感じているからであります。

 ご参考までに「和田光正コレクション 錦光山文様撰集」から下絵を何枚かここに掲載したいと思います。

 

Wada Mitumasa  Kinkozan Design Collection

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kinkozan Design

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 そして最後に、円山応挙の「松に孔雀図」と伊藤若冲の「紫陽花双鶏図」です。

果たして「京薩摩」のMasterpieceは、世界に衝撃を与えることができるのでしょうか。

Maruyama Okyo   Pine Tree and Peacoks

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Itou Jakucyu

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○©錦光山和雄Allrightreserved

 

#京焼 #粟田焼 #京薩摩 #薩摩 #錦光山宗兵衛 #円山応挙

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多治見「平正窯」高木典利氏による錦光山宗兵衛ワールド The world of Kinkozan by Mr.Takagi

 

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Kinkozan Sobei (6)

   Vase with flower and bird design ,overgladed wiith gold

 

 常々わたしがリスペクトしております、「近代国際陶磁研究会」の創立者

 多治見の「平正窯」の現役の窯元・陶器師でいらっしゃいます高木典利先生のご自宅を訪問させていただきました。

 そこで最初に拝見いたしました、錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥図花瓶」を見ましてびっくりいたしました。

 それほど堂々とした素晴らしい作品なのです(冒頭画像)。

 下記にありますように、下絵には「雀 玉棠冨貴之模様」とあり、また「中島仰山(考定) 狩野勝川(図画) 錦光山宗兵衛造」とあり、しっかりとした下絵をもとに狩野勝川が絵付けしたものと思われます。高木先生のお話では、この下絵はウィーン万博(明治6年)に出品するための「温知図録」に掲載されたもので、このデザインを元に錦光山に発注されたものではないかとおしゃられています。

 このように下絵と作品が同時に残っていることは史料的価値がきわめて高く、とても有難いことで高木先生の炯眼に感謝いたします。

  下絵に「雀 玉棠冨貴之模様」とありますので、「玉棠冨貴」を調べたところ、「ぎょくどうふうき」と読み、南画では古くから描かれていた吉祥画題であり、牡丹、玉蘭(木蓮)および海棠を描くものであるといいます。冨貴とは牡丹の異名であり、玉とは木蘭(木蓮)の異名で、棠は海棠であるそうで、渡辺華山など明清派の画に多いそうです。

 実際、下絵のしたの意匠を拡大した画像をご覧いただきますと、下部に牡丹と木蓮が描かれ、海棠(かいどう)が下部から上部に描かれていることがおわかりになると思います。これまで海棠かどうかはっきりとはわからなかったのですが、今回、海棠であることがはっきりしましたので、海棠の画像を下に添付いたします。

 

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 また手で触ってみますと、花や葉の部分が少し浮き出ており、西洋絵具ではなく和絵具の感触があり、おそらく六代錦光山宗兵衛(1823-1884)の明治前期の作品ではないかと推察されます。また金彩も少し浮き出ており本金でないかと思われます。

 

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 この作品は保存状態も良く、下記にありますように、

 東京国立近代美術館蔵の七代錦光山宗兵衛の「上絵金彩花鳥図蓋付飾壺」や霞会館蔵の六代錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文花瓶」と比較しても見劣りしない存在感があるといえるのではないでしょうか。それにしても驚かされるのは、この3つとも「玉棠冨貴之模様」の意匠になっていることであり、おそらく6代錦光山宗兵衛の明治前期にはこのような意匠が盛んにつくられていたのではないでしょうか。

 Kinkozan Sobei (7)

Jar with lid, flower and bird design, overglazed enamels and gold

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Kinkozan Sobei (6)

 Vase with flower and bird design, overglazed with gold

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  次いで拝見させていただいたのが下記の作品です。

 ツバメが舞う花鳥図の花瓶であり、口縁に金彩の縁取りがなく、また「錦光山造」が裏印ではなく花瓶の下方の表面に書かれており、こうしたものがいつ頃の時期のものなのか興味があるところですが、研究者の今後の研究を待ちたいと思います。

 

Kinkozan Sobei

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 次はレリーフ装飾の薄い水色の器体の上に、おそらくは「パツイオパット」という泥しょうを塗り重ねて椿などを描いたもので、どこか釉下彩を思わせる作品です。

 これも拙作で書きましたように、七代宗兵衛が1900年のパリ万博に視察に行き、アール・ヌーヴォー様式の席巻する当時のヨーロッパの衝撃を受け、京都陶磁器試験場の藤江永孝などと新しい釉薬技法の開発に取り組んだ成果かと思われます。

 

Kinkozan sobei (7)

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  次も桜花がレリーフ状となった広縁の愛らしい花瓶です。

小品ではありますが、器形といいデザインといいモダンさを感じさせる作品で、「錦光山造」の裏印がついています。

 

Kinkozan Sobei (7)

 

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また「鍵屋」の裏書のある花瓶を拝見させてもらいました。

錦光山の屋号は「鍵屋」なのですが、幕末に事情があって「丸屋」に変更しましたので

この作品についても今後の研究を待ちたいと思います。

 Kagiya

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 このほかにも、

 帯山与兵衛の帯山らしい作品、松風嘉定の釉下彩の花瓶、ワグネルの花瓶、清風与兵の花瓶などを見せていただきましたので画像を掲載させていただきます。

 Taizan Yohei

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 Shoufu Kajyo

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Gottfried Wagener

 

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Sefu Yohei

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このほか高木典利先生のところには、

「陶器商報」など貴重な資料が山積しており、それらのすべては拝見できませんでしたが、その勘所をご教示いただきました。この辺りも研究者の研究を待ちたいと思います。

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 そして高木先生は面談後にすぐにご講演が控えているにもかかわらず、コーヒーの香りがしてきたと思うと、先生は泰然自若とコーヒー豆を挽き、なんとコーヒーのお点前を披露してくださいました。

 貴重なお写真なのでここに掲載させていただきます。そのコーヒーが極上の味がしたことは申すまでもありません。

 Mr. Takagi Noritosi in Ichinokura of Tajimi ,Gifu prefc.

   高木典利先生 in  平正窯 多治見・市之倉

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 最後に高木先生に教えていただいたなかで、わたしが最も感銘を受けたのは、

例えば錦光山の花尽くしの「花」の描き方は、ただ細密というだけではなく、京都らしい日本画的な描き方で、立体的にあふれるように、浮き出るように描いており、それはただどれだけ細密であっても平面的でデザイン的なものとは歴然と峻別されるというお言葉でした。それこそが粟田焼の伝統を踏まえた錦光山のお抱え絵師をはじめとした京都の絵師集団の卓越した技量をあらわすものではないでしょうか。

  また高木先生のお話では、例えば黒、白、赤、黄色、青の5色を使う場合であれば、色ごとに1回づつ焼いて5回焼いた可能性もあるといいます。金は溶融温度が低いので高温で焼くと飛んでしまうので最後に焼くといいます。こうした難しい窯焼きの窯師の力量も凄いといいます。そして今日では、これらを再現するのは不可能に近いといいます。

 あらためて当時の絵師、窯師の卓越した技量に感服いたします。

  最後に改めまして、この場をお借りしまして高木典利先生に心から感謝いたします。本当にどうも有難うございました。

 

PS

後日、高木典利先生の「平正窯」で買い求めました高木先生の

鉄絵十草フリーカップ、染付十草飯碗、彩陶マグカップが自宅に届きました(そこつ者

のわたしは先生の所にジャケットを忘れ、丁寧に包んでそれも送っていただきました)。

これらの器には高木先生のおおらかであたたかみのある温もりが感じられて、

毎日、ご飯を食べ、お茶を飲み、コーヒーを飲むのがとても楽しみです。器は手でふ

れ、口にもふれるものですから、器によって食材や飲みものの美味しさが引き立ちます

ので、高木先生の器で極上の味を楽しませていただこうかと思っています。あらためて

高木先生に感謝いたします。

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 ○©錦光山和雄allrightsreserved

 

#高木典利 #平正窯 #多治見 #市之倉

#陶芸 #陶磁器 #焼物 #薩摩焼 #京薩摩 #粟田焼 

#錦光山宗兵衛 #錦光山 #ワグネル #帯山与兵衛 #松風嘉定 

#清風与平 #明治の工芸 #日本美術 #藪明山  #東京国立近代美術館

#錦光山和雄

#pottery  #SATSUMA  #kinkozan #kinkozansobei  #yabumeizan

#明治工芸

 

 

 

 

 

 

 

横山美術館「煌めく薩摩」展で錦光山宗兵衛作品がご覧になれます。Kinkozan Sobei in Yokoyama Art Museum

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 名古屋の横山美術館で、その精巧さと華麗さで世界を驚かせた「SATSUMA」の選りすぐり作品が一堂に展示されています「魅了する 煌めく薩摩」展が開催されています(2019年6月1日~10月31日)。

 本薩摩、京薩摩、東京薩摩、横浜薩摩、加賀薩摩、産地不詳の薩摩焼と展示されておりますが、ここでは京薩摩の錦光山宗兵衛作品に焦点をあてさせていただきます。

 

 錦光山宗兵衛の作品としましては、まず最初にアール・ヌーヴォー様式の「盛上網文葡萄図花瓶」です。

 日本で錦光山宗兵衛のアール・ヌーヴォー様式の作品で、横山美術館のこの作品ほど、鮮やかな色彩で葡萄が瑞々しく描かれ、その上に細やかな盛上技法で網目が施され、また上下に施された淡い色合いの装飾が落ち着いた上品さを添えている作品は少ないのではないでしょうか。七代錦光山宗兵衛の西洋向けの意匠改革に尽力した一端が垣間見える作品かと思われます。

Kinkozan Sobei(7)

Vase with mesh and vine design,Moriage    H(61.2cm) W(27.6cm)

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 次は上絵金彩雉図花瓶(一対)です。

 わたしの拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」の中で葵航太郎氏の論文を引用して詳しく書いてありますが、この作品には、明治42年に商標登録された「ROYAL NISHIKI NIPPON」印が記載されているとのことで、わたしはこの印を実見したことが少なくその意味では珍しい作品といえるかと思います。ただ最高級品の「錦光山造」に比べると絵付けや金彩が淡泊になっているように思わます。

 

kinkozan Sobei(7)

Vase with pheasant

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 次は「上絵金彩人物図花瓶」です。

 あまりの過剰感のある存在感に圧倒されて、七代錦光山宗兵衛の孫であるわたしでも少し腰が引けてしまいますが、それでもよく見ると、解説文にあるようにブルーの色彩が鮮烈であり、また本金なのでしょうか、レリーフ状の金彩および武者絵の金彩の煌めきには息を飲む思いです。

 メッキ感が少ないところを見ると、水金(すいきん)ではなく、本金かもしれません。本金であれば、これだけ多量の本金を使って作品を作ることはどの窯元でも出来るものではないでしょう。また本金は水に溶かすこともできずに扱いが非常に難しいにもかかわらずこれだけの絵付けができるとはやはり超絶技巧といえるのではないでしょうか。

 

kinkozan Sobei (7)

Vase with human design, overglazed with gold

The second half of the19c to the first half of 20c

 

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  次は「上絵金彩人物図飾壺」です。

 この作品は上記の「上絵金彩人物図花瓶」に比べて、金彩でもあるにもかかわらず墨絵のような枯淡の雰囲気のある作品です。鳥かごをのぞきこむ唐子、鶴の群れ、松の木、本金かどうかわかりませんが、やはり松の葉を丹念に繊細に描く錦光山の絵師の技量は並みのものではなく、卓越しているといえるのではないでしょうか。

 多治見の「平正窯」の陶器師で、「近代国際陶磁研究会」創立者で近代陶磁の再評価に20年以上尽力されてこられた高木典利先生が「錦光山ほど多種多様な陶磁器をつくってきた窯元ない」とおっしゃられいましたが、その一端を示す作品ではないでしょうか。

 今回の横山美術館の「煌めく薩摩」展では、京薩摩を下記にありますように丁寧に解説しているほか、本薩摩をはじめ、宮川香山の逸品やこれまであまり知られていなかった、ほのぼのとした味わいで思わず微笑んでしまう「隅田焼」にひかりを当てるなどとても充実した展示内容となっておりました。

 同館学芸員の原久仁子様に帰りがけご挨拶をさせていただきましたが、同館所蔵の錦光山作品は今回展示された以外にもあるそうで、いつの日か「錦光山宗兵衛展」が企画されことを切に願ってやみません。

 

Kinkozan Sobei (7)

Lidded pot with human design, overglazed with gold

 

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○©錦光山和雄allrightsreserved

 

#横山美術館 #名古屋 #煌めく薩摩 #薩摩 #京薩摩 #薩摩焼

#錦光山宗兵衛 #粟田焼 #陶芸 #陶磁器 #焼物 #明治の工芸

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錦光山宗兵衛関係の古写真のデジタル・アーカイブ[Ⅱ]家族・工場編

The Digital Archive of Kinkozan Sobei' pictures: family&factory.etc 

 kinkozan Sobei(Ⅵ)

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 将来の粟田焼・京薩摩研究の一助となることを願って立命館大学アートリサーチイセンター様に錦光山宗兵衛関係の古写真をデジタル・アーカイブ化していただきましたが、前回[Ⅰ]の錦光山工場の登り窯や絵付け、ロクロ師、画工、絵師などの古写真に続きまして今回の[Ⅱ]では、六代錦光山宗兵衛の油彩画、七代宗兵衛の若き日の写真や着物姿、緑綬褒章受章時の写真、家族写真や工場風景、葬儀の写真などをご紹介させていただきたいと思います。

 まず冒頭の写真は六代錦光山宗兵衛(1823-1884)の肖像画です。わたしの拙作「京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛伝」のなかで記しておりますように、六代宗兵衛は京都粟田焼の代々徳川将軍家御用御茶碗師の家に生れ、度重なる不幸のなかで、幕末から明治初期の激動の時代を生きた人物です。

 わたしは、拙作のなかで「その肖像画を見ると、一点を見すえ、口を真一文字に結び、何かを貫き通すような強い意思を感じさせる厳しい表情をしている。その厳しい表情は、何度も苦難に遭いながらもそれに屈することなく耐えてきた男にしか醸し出すことができない表情のように思える。……明治という激動の時代に翻弄されながらも、新しい時代を切り拓くために、すさまじいまでの情熱と努力を傾けていったものと思われる」と書いています。

 皆さまは、東京遷都により大口需要家を失い、苦心惨憺の末、細密描写の技法である「京薩摩」を開発して海外貿易に活路を見出していった六代宗兵衛のこの画像を見てどのように思われるのでしょうか。

  Young  kinkozan Sobei(Ⅶ)

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 次に上の2枚の写真は、わたしの祖父である七代錦光山宗兵衛(1868-1927)の若き日の写真です。七代宗兵衛は17歳で家督を相続し、この写真ではフロックコートを着て、口ヒゲをはやし、少しウエーブがかかった髪をしていたことがわかります。

 七代宗兵衛は若くして京都陶磁器商工同業組合の組合長となり、明治28年の第4回内国勧業博覧会で京焼が著しく凋落しているのを目の当たりして、またシカゴ万博での京薩摩の最高峰ともいわれる色絵金襴手龍鳳凰文獅子紐飾壺が低評価であったことを受けて、副組合長の松風嘉定とともに改革の必要性を痛感し京都陶磁器試験場の設立に奔走します。

 Kinkozan Sobei  in Dresden at 1900

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 そして1900年のパリ万博の視察に行き、アール・ヌーヴォーの盛況に衝撃を受け、京都陶磁器試験場長の好漢・藤江永孝とともにヨーロッパ各地の窯業地をまわり、

意匠改革、窯業技術の近代化をさらに進めていくことになるのです。上の写真はヨーロッパ旅行中にドレスデンで撮った写真であります。

 パリ万博に一緒に行った中沢岩太博士の誘いで京都に来る決意をした浅井忠画伯や錦光山商店の顧問になった宮永東山らとともに意匠研究団体「遊陶園」をつくり意匠改革を進める一方で、京都陶磁器試験場の藤江永孝らと釉薬技法の開発、設備の近代化に取り組み、後に帝室技芸員となる顧問の諏訪蘇山らの助けを借りながら、七代宗兵衛は改革を進め、京薩摩最大の窯元になり、数ケ月かけてつくる逸品の制作とともに大量の普及品を生産するにいたるのです。錦光山ほど多種多様な製品をつくった窯元はないといわれおり、また世界一の細密描写の色絵陶器である京薩摩はそのあまりに高度な絵付け技法のため再現不可能といわれおります。

ご参考までにLouis Lawrence氏の「SATSUMA」に掲載されております錦光山宗兵衛の作品の画像を添付いたします。錦光山工房の天才絵師・素山の絵付です。

Masterpiece of kinkozan Sobei(Ⅶ)from 「Masterpieces from the world's important collections」

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Kinkozan Sobei(Ⅶ)

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 上の写真は拙作の表紙にも使いました七代宗兵衛の着物姿の写真および緑綬褒章を受章した際の写真であります。もしかしましたら、海外でmasterpieceといわれております錦光山の逸品を日本で展示する機会が訪れるかもしれません。それに向けて現在鋭意努力を続けておりますので、もし実現することになりましたら、皆さまにお知らせいたしますのでご高覧いただけましたら幸いでございます。

 拙作でも書いておりますが、わたしの錦光山宗兵衛発見の旅の第2章は始まったばかりなのです。

 Kinkozan Sobei(Ⅶ)’s  mother Uno

 

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次に家族写真をご紹介したいと思います。上の3枚の写真は、六代宗兵衛の妻宇野です。彼女は粟田の陶家に生れ、六代宗兵衛に嫁ぎ、七代宗兵衛を生み、夫に助言できるほど粟田の土に生きた女性です。自宅の座敷と庭園で撮った写真と思われます。

 次の写真は七代宗兵衛の長女美代の写真です。

Kinkozan Sobei(Ⅶ)’s daugher  Miyo

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  上の最後の写真は、美代と柳川たみさんの写真です。柳川たみさんは七代宗兵衛と深いかかわりがあるのですが、ここではあえて触れずに謎としておきたいと思います。

 最後の家族写真です。

 下の写真の中央が七代宗兵衛の妻八重、左が宇野、右が幼い頃の美代です。

 

  Center:  Kinkozan Sobei(Ⅶ)'s wife Yae

 

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 次は錦光山商店の屋敷の渡り廊下に座っている美代です。いまではその面影すらない当時の錦光山の屋敷をしのぶ数少ない写真です。

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 下の写真は錦光山工場の荷造り場の写真です。

 拙作のなかでわたしの父雄二の自伝的小説の一場面を引用してますので、その一部を紹介いたしましょう。

「荷造り場から巨大な登り窯が聳えているのが見えた。荷造り場では十数人の職人が商品の藁巻き作業や薄手の鉄板型抜のローマ字で、宛名入れの作業が行われていた。そして製品が外国向けの、鉄板でしっかりと締めつけられた大きな木箱に満載されて、次から次へと運び出されて行った……」

 当時の錦光山工場の貴重な写真といえましょう。

 敷地は約5000坪あり、そのなかには訪問外国人をもてなす東屋のある広い庭園もあったといわれています。

 Kinkozan Factory

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 デジタルアーカイブの最後の写真は七代宗兵衛の葬儀の写真です。菩提寺三条大橋からほど近い超勝寺であります。

 Kinkozan Sobei(Ⅶ) funeral ceremony

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 今回のデジタルアーカイブは、2012年3月に現在京都女子大学准教授の前崎信也様のお声がけで、立命館大学アートリサーチイセンター様に作成していただいたものであり、前回[Ⅰ]も含めまして改めて前崎信也先生に感謝申し上げます。

 なお前回にも書きましましたが、これらのデジタルアーカイブの写真の使用を希望する方は、写真を所蔵しているのはわたしですが、立命館大学アートリサーチイセンター様の了解をとることが必要であることを申し添えさせていただきます。

 

 

 最後に父・錦光山雄二(1902-1998)の自伝的小説を引用しましたこともあり、父母のことを思い出しましたので、錦光山雄二の昭和17年当時の写真と母・泰子(1913-1997)の東京女子高等師範学校助手時代の写真(下が母・泰子)および今は亡き兄と姉、母の写真を掲載させていただきます。なお、これらはデジタルアーカイブ写真ではございません。

My father Kinkozan Yuuji at year 1942

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My mother Yasuko(below)

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 My mother, elder brother Takeo  and sister Mihoko

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○©錦光山和雄allrightsreserved

 

#粟田焼 #京薩摩  #焼物 #陶芸 #薩摩 #薩摩焼 #錦光山 

#錦光山宗兵衛 #京都 #明治工芸

立命館大学 #立命館大学アートリサーチイセンター

京都女子大学 #前崎信也 #錦光山和雄 #京都粟田窯元錦光山宗兵衛伝

#pottery  #SATSUMA  #kinkozan  #Kinkozan Sobei  #Meiji  #Craft 

#kinkozan kazuo

 

錦光山宗兵衛関係の古写真をデジタル・アーカイブ化しました[Ⅰ]

 

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Kinkozan Kiln in kyoto
 

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 拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」において一部掲載しました錦光山宗兵衛関連

の古写真を、将来の粟田焼・京薩摩研究の一助になることを願い、立命館大学アート・

リサーチセンター様にデジタル・アーカイブ化していただきましたので、2回に分け

てご紹介したいと思います。

 今回ご紹介する錦光山家の古写真は、極めて珍しい、1904年当時の錦光山工場の

登り窯の写真、および1904年当時の絵付け写真や私が世界一有名な無名のロクロ師

であると思っているロクロ師の1902年当時の着物姿と裸の姿の写真、および私の大

好きな絵師・素山の「色絵金彩山水図蓋付箱」が出品された1910年の日英博覧会

ポストカードの写真を含んでおります(なお、デジタルアーカイブのデータは大きすぎて

このブログには取り込めなかったので、ここに掲載した写真は二次加工したもので

す)。

 今回ご紹介する写真は、拙作のなかで私が書きましたように、イギリスの元美術商で

「SATSUMA」および「SATSUMA The Romanc of Japan」の著者でもあるルイス・

ローレンス(Louis Lawrence)氏が「私が本当に錦光山宗兵衛の業績および作品

を世間に知ってほしいと思うなら、日本で、できれば京都で『錦光山宗兵衛展』を開催

すべきという。もし私が本当にやる気ならば、世界中から錦光山作品のベスト50を集

めるのに協力する」と言われ、そのために役に立つならばと私に譲っていただいたもの

です。

 

冒頭2枚目の写真とこの写真は、1904年当時の錦光山工場の巨大な登り窯と釉掛けの写っている貴重な写真

Painting in the Kinkozan Workshop at year 1904

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ルイス・ローレンス氏の2冊の著作(これはデジタルアーカイブではありません)

なお「SATSUMA】の表紙の舞妓の陶彫は錦光山作品

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The masterpiece of Kinkozan Sobei(Ⅶ)from LOUIS LAWRENCE「SATSUMA Masterpiecrs of world's important cllections」

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帯びの端に京都錦光山造と金糸で織り込まれたように描かれています

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 まだ京焼の歴史などの本のなかで明治期の京薩摩に正当な光を当てない類書を見るに

つけ、少なくとも世界に散らばる錦光山宗兵衛の逸品・Mastepieceを実見してから論評

してほしいものだと強く思います。

 明治工芸の日本におけるパイオニアで私がリスペクトしております京都清水三年坂美

術館館長の村田理如様も、著書「明治工芸入門」のなかで「どうも日本の美術界では明

治工芸は無視されている。誰も評価していないんです。例えば京都の国立博物館や近代

美術館に行っても、明治工芸がほとんどなかったわけですね。その当時の日本の美術界

では、『明治工芸』というのは欧米人に迎合したくだらない輸出品であって研究の対象

にならないと専門の研究者もいなかったわけです」と述べ、それに対して欧米ではロン

ドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、オックスフォード大学のアシュモレ

アン博物館、アメリカのボストン美術館メトロポリタン美術館などでは常設展示され

いていて、mastepiece的な作品はオークションにも出ずに欧米のコレクター同士で取引

されてしまうほど評価されており、「一級品は残念ながらほとんど海外に流失してしま

い……、海外に行かないと研究できないという現状があるわけです」と述べられておら

れます。

 

英国人写真家ポンティングが「In Lotus-Land Japan」の中で活写した魔法のように寸分の狂いもなく花瓶をつくり上げる1902年当時の錦光山工場のロクロ師

The potter's wheel craftman of Kinkozan workshop

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このロクロ師は別人

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 また村田館長は「(海外の万博で明治の工芸品の)もっと繊細で美しいものに欧米人

はショックを受け、たちまち虜となって、ジャポニスム運動やアールヌーボー芸術運動

といった、日本の美術に刺激された新しい芸術運動が起こりました」と述べておられま

すが、浮世絵だけでなく日本の明治期の美術工芸品が、近代のヨーロッパの芸術に確実

に影響を与えたのです。したがって、数千万点ある錦光山の普及品のなかにそういった

面があることは否定しませんが、逸品といわれるものは、欧米人に迎合したというより

も、村田館長も述べているように「日本というのは海外からいろんな新技術が入ってく

るとそれをどんどん進化発展させる独特のDNAを持っていると思うんです……。日本

人のDNAが明治工芸という世界を作り上げて、欧米や中国や朝鮮とは比較にならない

程、素晴らしいものに変えていった」ととらえるべきではないでしょうか。

  私ももちろん錦光山の逸品をすべて実見しているわけではありませんが、逸品のいく

つかを見て思うことは、それらの作品は雅で繊細な京焼・粟田焼の伝統を引き継いだう

えで、モダンなテイストを加味したものだということです。そしてそれを支える超絶技

巧といわれる匠の技の素晴らしさです。それらが多くの人に実見されることを願ってや

みません。

 なお、錦光山家古写真コレクションは、所有者は錦光山和雄ですが、データ提供およ

著作権立命館大学アート・リサーチセンターにあります。したがいまして、これら

の画像を使用する場合は立命館大学アート・リサーチセンターおよび錦光山和雄の承認

が必要になりますことを申し添えさせていただきます。

 

1904年当時の錦光山工場の画工たち

Painters in Kinkozan factory in year 1904

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何カ月もかけて高級品を絵付けする錦光山工場の絵師

Painting artist in Kinkozan workshop

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1910年日英博覧会

Japan-British Expo in 1910

 

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 次回は錦光山宗兵衛関係の工場および顔写真。家族写真をご紹介したいと思います。

 

 ○©錦光山和雄Allrightsreserved

 

立命館大学アート・リサーチセンター #デジタルアーカイブ   #立命館大学

#三年坂美術館 #村田理如 #京都粟田窯元錦光山宗兵衛伝 #美術工芸

#明治工芸入門

#陶芸 #焼物 #京焼 #粟田焼 #薩摩 #京薩摩 

#錦光山宗兵衛

#satsuma  #pottery  #Louis Lawrence

#kinkouzan

#錦光山和雄

水戸・京成百貨店の「明治工芸の輝き」展で錦光山宗兵衛作品がご覧になれます。

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 美術商「ギャラリー史」高橋悟様ならびに高橋親史様からご案内いただきましたので

ご紹介させていただきたいと思います。

 下記にございますように、水戸市京成百貨店6階アートギャラリーにて2019年

5月9日(木)から15日(水)に開催されます「明治工芸の輝き」展におきまして錦

光山宗兵衛の作品がおよそ10点ほど展示されるということです。

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 「明治工芸の輝き」展の開催に際しまして、美術商「ギャラリー史」高橋悟様にお願

いしまして快諾をいただき、同氏所有の錦光山作品の画像を掲載させていただきますの

でよろしくお願いします。なお、冒頭の画像および下記の3点の画像の錦光山作品は同

展に展示されるとのことです。

 

瓢型金盛り竹文飾り壺 410ミリH

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小紋入り花鳥図花瓶 180ミリH

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正月遊戯図盃 75ミリW

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 なお美術商「ギャラリー史」高橋様は毎年アメリカでオールド・ノリタケをはじめ明

治の工芸品を探して日本国内の百貨店で企画展を開催されているとのことです。

 美術商「ギャラリー史」高橋様には、京成百貨店の「明治工芸の輝き」展のご案内を

いただき、また錦光山作品の画像をご提供いただきまして厚く御礼申し上げます。

どうも有り難うございます。

 

  本日、5月12日、水戸の京成百貨店で開催されております「明治工芸の輝き」展に行ってまいりましたので、追記させていただきます。

 「明治工芸の輝き」展では、錦光山宗兵衛作品が約10点、京薩摩関係では帯山与兵

衛が2点、京焼の乾山伝七、宮川香山香蘭社関連、瓢池園、横浜開港160年記念の

横浜絵付け作品など約150点が展示されておりまして、その多彩な内容に驚きまし

た。他の展覧会では、見られないような作品もあり、あらためて来て良かったと思いました。

 また美術商・ギャラリー史(ふみ)の高橋悟様、高橋親史様にはとても温かく迎えて

いただきまして、高橋様の博識に驚くと共に、とても勉強になりました。この場をお借

りして厚く御礼申し上げます。

 高橋様のお話があまりに面白かったので、ついつい長居をしてしまいましたが、益々

のご活躍をお祈りしたいと思います。また錦光山宗兵衛作品に加えまして帯山与兵衛作

品もで写真撮影を快諾していただきまして感謝に堪えません。さらに横浜開港160

年を記念して出版されました、近藤裕美様の「近代横浜の輸出陶磁器」(里文出版)を

いただきまして心から御礼申し上げます。

 高橋悟様、高橋親史様、本当にどうも有り難うございます。

 なお同展は5月15日(水)までの開催となっておおりますので宜しくお願い申しあげます。

 

 ギャラリー史(ふみ)の高橋様に感謝しつつ、ここに画像を掲載させていただきます。

 会場風景

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錦光山宗兵衛作品

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 この作品の上段には藤の花が描かれ、中段にはかぼちゃと雀が描かれていて、ともに繊細で余韻のある絵付けである。両方の絵の間と下段に3種類の文様が描かれていてとても手の込んだものとなっている。おそらくは何回か焼き付けたものと思われるが、その超絶技巧はやはり凄いといわざるを得ない。

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錦光山宗兵衛と共に神戸の外国商館で京薩摩の輸出の道を切り拓いた帯山与兵衛作品

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近藤裕美様著 「近代横浜の輸出陶磁器」(里文出版)

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○©錦光山和雄

 

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