錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

泉屋博古館分館「華ひらく皇室文化」展で六代&七代錦光山宗兵衛作品が展示

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  泉屋博古館分館の「華ひらく皇室文化ー明治宮廷を彩る技と美ー」展(The Blossoming of Imperial Culture Technique and Aesthetic in the Adornments of the Meiji Court)を見てきました。

 今回の同展は、皇室や宮家の慶事や饗宴のときに金平糖などを入れて配られる、主に銀製の小さな菓子器であるボンボニエールの展示や帝室技芸員の方の作品の展示が主でありましたが、錦光山宗兵衛の作品も二つ展示されておりました。

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 ひとつは、六代錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文花瓶」一対(Pair of Vases,Bird and flower design)です。

 その解説文には「沈香壺形の本作の作者6代錦光山宗兵衛は、京都粟田口の陶工で青木木米から磁器の製法を学ぶ。厚みのある上絵付に金彩を施した緻密な作風の京薩摩を製し海外に販路を開き、9代帯山与兵衛とともに京都の陶磁器輸出の端緒となった」と記されていました。

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 この作品の意匠は、紅や白の華やかな大輪の牡丹、黄色や赤などの菊、赤い椿、はては朝顔まで描かれている空間を、黄色い頭や背中が青い小鳥が飛び回っているものです。この作品はどうも和絵具で描かれているようで、牡丹や椿の花や葉が少し盛り上がっていて、照明のかげんでキラキラと煌めき、緻密でありながら空間の広がりが感じられます。それは、まるで花盛りの森のなかを小鳥がさえずりながら自由に飛び回っているようで、とても伸びやかで華麗な印象を受けます。それはまた、明治初期という近代国家の黎明期に、世界に雄飛することを志した六代錦光山宗兵衛の気風を表しているといえばいいすぎでしょうか。

 幹山伝七の「色絵金彩花鳥文花瓶」も並んで展示されているのですが、幹山伝七は西洋の色絵顔料を積極的に取り入れたようですが、牡丹が丈高く色鮮やかに描かれているのですが、どこか平板で、和絵具の浮彫がある錦光山宗兵衛の作品の方が陰影が深く、生命感にあふれているように思われます。

 なお、「日本京都錦光山造」の銘が花瓶の下方に記されています。また製作年は「明治17年(1884)以前」となっております。六代錦光山宗兵衛が亡くなったのが明治17年ですから、その意味では正しいといえます。

 所蔵者は「霞会館蔵」となっており、霞会館の前身は堂上華族(旧公家)と武家華族(旧大名)を結集して明治7年(1874)に発足した華族会館であるそうです。六代錦光山宗兵衛のこの花瓶が今日までどのような経緯をたどってきたのかと思うと興味がつきません。

 もうひとつは、七代錦光山宗兵衛の「色絵草花文紅茶茶碗セット」(Tea Set ,

Flowering plants design)です。

 学芸員森下愛子様の解説には「四季折々の草花を京薩摩風の繊細な絵付けで表現した紅茶碗と皿(ソーサー)。明治42年(1909)頃に製作されたと考えられ、12客が現存する。7代錦光山宗兵衛は浅井忠などと同36年に図案研究団体遊陶園を結成、アール・ヌーヴォーを伝統的な京焼の意匠に取り入れた」と記されています。なお個人蔵となっております。

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 四季折々の草花とは、一部よくわからないものもありますが、梅、桜、牡丹、つつじ、なでしこ、南天、コスモス、菊、葉鶏頭、つるくさ、モミジなどではないかと思われます。まさに日本の四季を彩り、なつかしさを感じさせる草花です。

 12客の紅茶セットで、四季の移ろいを感じながら、毎月ちがった器で紅茶を楽しむことができれば、それはとても贅沢な時間といえるのではないでしょうか。

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 茶碗と皿の地肌のたまご色が、繊細であたたみがあり、いかに京薩摩の意匠が絢爛豪華なものから、四季の草花まで幅が広いかということを改めて感じます。

  泉屋博古館を見てから学習院大学資料館でも「華ひらく皇室文化」展が開催されていましたので行ってきました。ちょうど卒業式のあった日で、袴姿の卒業生が大勢いて華やかでした。

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 なお、今回の「華ひらく皇室文化」展にちなみまして、七代錦光山宗兵衛と皇室とのご縁のエピソードをご紹介させていただきたいと思います。

 明治38年4月30日発行の「京都芸術協会雑誌」によると、

「京都美術協会においては古美術品展覧会における旧儀装飾十六式図譜の出版なるを告げたり、ここにおいてこれを、両陛下、皇太子同妃殿下、常宮、周宮、富美宮、泰宮の四殿下を初め奉り、同会総裁伏見宮殿下へ献上せんと欲し会頭大森鍾一その用務を帯て東上すべきところやむをえざる職務のため果たすことあたわず、よって会頭代理として評議員錦光山宗兵衛これを携さえ東上せり

 まず宮内省へ出頭し両陛下へ献納方を出願して退出せるが三日を置きて9月28日宮内省内亊課長心得近藤久敬より献上の図譜は御聴許にあいなりたる旨京都府知事へ通報あり、府知事よりさらに同協会へ伝達せり

 次いで東宮御所へ伺候し皇太子同妃両殿下へ献上の儀を出願せしに、御満足に思し召さる旨にて御聴許あらせられたり

 次いで高輪御殿に赴き常宮、周宮両内親王殿下へ献上を出願せるに、御満足思し召され錦光山宗兵衛へは酒肴料の御下賜あり 後略」とあります。

  また同雑誌には「東園侍従来観 4月9日午後2時30分侍従子爵東園基愛氏来館巡覧せられたり出品中錦光山宗兵衛氏の陶器香炉一個購求せられたり」とあります。

 図らずも今回の展覧会で、錦光山宗兵衛と皇室との縁まで思い起こすことができました。

 

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泉屋博古館 #華ひらく皇室文化 #ボンボニエール #皇室 #明治天皇

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#紅茶セット

 

 

 

無隣庵(No Neiborfood Garden "Murinan" )の縁の地を巡る

 

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 3月のある日、わたしは、かつて竹林と松にかこまれた清水山のどこかに山県有朋が最初につくった無隣庵の名残りがあるのではないかと思って、吉田清水山を訪れた。

 吉田清水山界隈はのどかなところであった。わたしが山裾にある梅林のそばにたたずみ、たまたま通りかかった人に「清水山はこの山でしょうか、無隣庵の跡を見にきたのですが」と尋ねると、その方が「あそこにある東行庵のあるところに無隣庵があったのです」と答えられた。

 

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 わたしが驚いていると、その人が教えてくれた。

 幕末の頃、山県有朋は、最初の妻とも子と無隣庵で新婚生活を送っていたが、高杉晋作(号、東行)が元治元年(1864)長府の功山寺で決起し、長州藩を幕府恭順から討幕へ変えさせたあと、慶應3年(1867)に結核で亡くなり、明治2年に山県有朋は洋行するさいに、黒髪を断って尼となっていた晋作の愛人うのに、無隣庵を譲ったのだという。それほど山県は、奇兵隊で自分を軍監に引き揚げてくれてた高杉晋作に恩義を感じていたのだそうだ。

 さらに、その方は「よかったら、ご案内しましょう」とおっしゃってくれて、東行庵前の小路を上がって行く。そこに無隣庵の茶室があったのだという。いまはその茶室はないが、「無隣庵」の額がある新しい建物があった。そして、ありがたいことに、東行庵のなかを案内してくださり、東行やうのの位牌、うのが得度するさいに授かった白衣観音菩薩像、無隣庵の扁額などを見せていただいた。

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 そのあと、清水山を散策すると、山の中腹に高杉晋作の陶像があり、墓碑銘が刻まれていた。そのなかに、「奇兵隊の結成、功山寺決起、四境幕長戦争における僕の役目はいずれも遊撃による殊勲であったことを僭称してはばからず、それが詩人の夢を捨て、戦闘者となって果たした僕の仕事のすべてである」とあり、高杉晋作吉田松陰から狂の思想を授けられていたこと、また詩人の夢を持っていたことをはじめて知った。高杉の「面白きこともなき世におもしろく」という言葉は有名であるが、彼が自分のことを「西海一狂生」と呼んでいることは知らなかった。そういえば、山県有朋も幕末の頃、狂介と名乗っている。狂とは普通でないことを成し遂げるという意味のようだ。

 帰りがけに、東行庵の近くに山県有朋の無鄰菴の歌碑があった。

 となりなき世をかくれ家のうれしきは

 月と虫とにあひやとりして

 無隣庵は文字通り、となりのない庭であることを知った。

 

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 その後、長州藩支藩の長府毛利藩の城下町である長府へ向かった。野の草や桜、椿の咲く美しい練塀の道をいくと石垣の美しい長府毛利邸があった。

 

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 長府毛利邸には豪勢な松と馬酔木(あせび)が咲き誇る書院庭園と枯山水と滝のある庭があった。また中庭には黄梅が美しい。

 

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 さらに高杉晋作が元治元年12月決起して下関の萩藩新地会所を襲うことになる功山寺に向かった。この寺の書院には、文久3年(1863)八月の政変によって、都を追われた尊王攘夷派の公家7卿が潜居した居間があり、その前には鯉が泳ぐ池があったがどこか開放感がなく感じられた。

 

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 帰りに忌宮神社により、伊藤若冲が描くような雄鶏を見て、途中、元治元年の下関戦争で外国艦船に砲撃した前田砲台、壇ノ浦の戦いの史跡などを眺めながら、一路下関に向かう。

 

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 壇ノ浦の戦いで8歳で入水された平清盛の孫である安徳天皇を祀っている赤間神宮を参拝して、春帆楼へ向う。そこには日清講和記念館がある。余談ながら、山県有朋が、京都の木屋町二条の第二無隣庵を引き払い、南禅寺界隈の第三の無隣庵を庭師七代小川治兵衛(京都の和菓子店・平安殿のご主人の曾祖父に当たられる方)につくらせている最中の明治27年(1894)日清戦争の第一軍司令官として出征している。翌明治28年4月17日、春帆楼の二階で日清講和会議が開催され、台湾の割譲などが決まった下関条約が締結される。記念館内には日本全権として伊藤博文陸奥宗光、清国全権として李鴻章らが出席した講和会議の様子が再現されていた。

 

  壇ノ浦も悲しいが、日清戦争も悲惨な戦争であったらしい。

 

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○©錦光山和雄 All Rights Reserved

 

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#KINKOZAN SOBEI PICTURES MUSEUM (#錦光山宗兵衛陶磁器写真美術館)第二弾 Ⅰ 海外編(2)

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(2)オックスフォード大学付属アシュモレアン博物館

        (Ashmolean Museum,University of Oxford)

 1 色絵菊花文透彫花瓶 七代錦光山宗兵衛 1900-1905年

   Earthenware vase Kinkozan SobeiⅦ 1900-1905

 

   アール・ヌーヴォー様式

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 (2)色絵金彩農村風景図大皿 七代錦光山宗兵衛 1900年

   Earthenware dish  Kinkozan SobeiⅦ 1900

 

   「Japanese Decorative Arts of the Meiji Period」には遠近法が使われている

    と解説されている。

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 (3)老農婦像 七代錦光山宗兵衛&沼田一雅 1900-1905年

   Ceramic figure of an elderly female famer  Kinkozan sobeiⅦ&Numata ichga 

          1900-1905

 

   錦光山宗兵衛と沼田一雅のコラボ作品

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(4)青柳の図 七代錦光山宗兵衛 1901年 

  Blue  willow vase Kinkozan SobeiⅦ 1901

 

  これほどはっきりした箱書きがあるのは珍しい。

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(5)色絵金彩鴨図花瓶 七代錦光山宗兵衛

  Earthenware vase  Kinkozan SobeiⅦ

 

  対になった花瓶

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Thank you very much ,D.Phil Clare-san.

2020年にはオックスフォード大学・アシュモレアン博物館で明治日本の美術・工芸展が開催される予定です。

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私の曾祖父・祖父の六代・七代錦光山宗兵衛について詳しくお知りになりたい方は、拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝 世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて」をお読みください。

 The exhibition of Japanese Decorative Arts of the Meiji Period will be held in the Ashmolean Museum in 2020.

 

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma, Kyoto ceramics that touched the world

 

            ○©錦光山和雄All Right Reserved

 

 

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#KINKOZAN SOBEI PICTURES MUSEUM (#錦光山宗兵衛陶磁器写真美術館)第一弾

 

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皆さまへ

 

 国内、海外の錦光山宗兵衛(含む錦光山工房)の作品を写真で展示する美術館を立ち上げてみることにいたしました。ここに掲載します画像は、わたしの拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」の口絵と一部重複しますが、プライベートオンリーの使用であり、商業目的ではございませんので、ほかでの使用はご遠慮くださるようにお願い申し上げます。第一弾としまして海外のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館を取り上げ、順次、展示して行きたいと考えています。進捗状況はカテゴリーでチェックしていただけますと幸いです。

                              錦光山和雄

Ⅰ 海外関係

 

⑴ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(Victoria and Albert Museum)

 

1 色絵金彩山水図蓋付箱 七代錦光山宗兵衛 1905-1910年

  Box and lid     KINKOZAN  SOBEIⅦ 

  Victoria and Albert Museum,London

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2  色絵金彩鴨図香炉  七代錦光山宗兵衛 1905-1910年

 Incense burner and lid  Kinkozan sobei Ⅶ 1905-1910

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3 色絵白鷺図花瓶  七代錦光山宗兵衛 1910年

  Vase   kinkozan Sobei Ⅶ 1910

 

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4 Stand  kinkozan Sobei Ⅵ 1875

    六代錦光山宗兵衛

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5 Vase Kinkozan Sobei    1900-1910

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 Thank you very much , Josephine-San.

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 ○©錦光山和雄All rights reserved

 

 

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the world

 

 

 #錦光山宗兵衛陶磁器写真美術館

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現在の世界を予見した天才的ミステリー作家・打海文三の世界

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 2019年1月元旦の日本経済新聞の文芸欄で、文芸評論家の池上冬樹さんが、「平成ベスト5」の小説として、打海文三の「裸者と裸者、愚者と愚者、覇者と覇者」の「応化戦争記シリーズ」を選んでくださった。

 池上冬樹さんは、この小説を「いまなら孤児たちを主人公にしたライト・ノベル風戦争小説といえるだろう。孤児たちは戦争の被害者ではなく、戦争を推進するアナーキーな存在として捉えられているが、実に現代的だ。作者の急逝で断絶したが、いまなお予見にみちている」と絶賛されている。

 打海文三が急逝してから10年以上経つのに、いまだ打海文三の根強いファンがいることがわかってとても嬉しかった。それで、打海文三の愛読者の方々と「打海文三の世界」を共有したくなり、若干の思い出をまじえて、この一文を書いてみることにしました。

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 2007年7月28日午後、わたしは、新宿の喫茶店打海文三と会い、小説をどのように書いたらいいのか、小説作法を教えてもらったことがあるのです。

 そのなかで一番印象に残っているのは、小説というのは、誰かに向かって書く、誰かにこの話を伝えたい、というのが大切で、自分は14歳の男の子、14歳の女の子に向かって、君の知らないこんな世界があるよ、と言っていたことでした。

 わたしは、彼が年若い14歳の少年・少女に向けて書くといったことに驚きましたが、なぜとは問わなかったように記憶してます。いま、どうしてかと考えてみますと、応化戦争記シリーズでも登場人物は少女や少年で、彼らは戦争の被害者としてではなく加担者として描かれ、また2年かけて書いて、大藪春彦賞受賞した名作「ハルビン・カフェ」でも街で客を物色するルカはわずか6歳なのです。みな、切ないくらい若いのです。

 そしてわたしは、そうした彼女たちのなかに、彼の母親にたいする尊敬と憧れを見るのです。彼の小説のなかに、パンプキン・ガールズという女の子のマフィアが登場しますが、なぜか私は若い頃、稲城市の彼の実家を訪れたとき、庭に一杯に広がる、お母様が植えられたカボチャを思い出すのです。

 当時の彼は、薄茶のブレザーの袖口をまくり上げ、少しはにかんだような、涼しげで穏やかな目をして、口数少なく黙って世界を凝視している様子が、いまでも鮮明に思い出されます。

 もう一つは、悪にまみれながら良い社会を望む、アンビヴァレントな人間、好きな人間しか出さないということです。彼の小説を読むと、いつの間にか刷り込まれた、ある意味では薄っぺらな既成概念が、小気味よいほど打ち砕かれいく、爽快感が感じられます。アンビヴァレントな人間とは、ある意味矛盾に満ちているのかもしれませんが、もしかすると、矛盾のある人間のほうが魅力的で真実に近いのかもしれません。

 さらに夏目漱石は偉大だといっていたことです。日本語は語尾がみんな同じになる、相当カットした末に出来た小説。事実、事実を積みかさねている。日本語の小説の技法、文章に悩まなければ、漱石の偉大さは気づかなかったそうです。

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 彼、打海文三はなぜ自分が小説を書くようになったのか、またその作法も丁寧に教えてくれました。

 彼は映画の助監督、八ヶ岳の裾野で農業をやったきたが生活に窮して、一発勝負で一年半かけて横溝正史ミステリー賞優秀作を受賞した「灰姫 鏡の国のスパイ」を書き上げたそうです。そのために、ジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」を地の文、会話などに解体して分析したそうです。彼の発言を箇条書きにしますと,

・初心者は好きな作家のマネをする

・人に読んでもらうように書く。一行目書いて、二行目読んでくれるか不安。最後の一発勝負のラブレターだと思って書いてくれ。

・500枚の小説を書くとする。構成はつくるが、破綻する。プロットを箇条書きする。エピソードを羅列する。最初のエピソードをとりあえず30枚書く。無意識に自分のことが浮かび、親子とはなにか、ラブとか、女とはなにとか一杯浮かんでくる。

・モチーフとは主題。

・語り口は主役に規定される。もの凄い悲劇なんで快活な語り口。

・一人称は嫌い、人間は複雑だから多くの人に語らせる。

ペンネーム、がんじがらめの人間から自由になる。自分以外の人間になることはものすごく大変なことだけど、自分以外の人間なるほうがいい。

・純文学とは今ある日本語を破壊する試み。

・題名は、これはどういう物語か最初にわかったほうがいい。

・映画を見るときは女優を見ている。はっきり覚えていませんが、スカーレット・ヨハンソンがいいといっていたような気がします。小説はほとんど読まない。

 最後に生活のことも話てくれました。山形市で1回アマチュアのおばちゃんを対象に講師をしていて、通常は、毎日5~6時に起床、午前中4時間、午後3時間ほど執筆、水曜日と土曜日は半ドンで午後からプールに行くといっていました。夜は睡眠導入剤を飲んでいるとのことでした。

 またご子息から、エンタメ小説を書きながら売れないというのはどういうことだろう、と言われていて、「ハルビン・カフェ」を出版した年以外は収入的には大変だったといっていました。

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 わたしが打海文三から話を聞いたのは2007年の7月28日でしたが、73日後の10月9日、彼は急逝したのです。プールに行ったときに、心臓がすこし痛かったので医者に行ったそうですが、そのまま帰ってきたようで、就寝中に心筋梗塞で亡くなりました。

 わたしは友人たちと告別式に出るために日立市に向かいました。

 打海文三は、哀しいまでに穏やかで美しい顔でした。枕元には、小さな本箱に10数冊の彼の著作が並べられて置かれていました。家族葬のようで読経などは一切ありませんでしたが、お姉さまが嗚咽していた姿が忘れられません。また新宿の文壇バーなどなにかと支援していた友人のWが後ろを向いて目頭辺りを見るぬぐっていたのが印象的でした。

 2階に上がると、窓際の机の上に、クリップでとめられた原稿が整然と置かれていました。それは応化戦争記シリーズの完結編となる「覇者と覇者」の未完の原稿であり、後に上下巻合本で未完のまま刊行されました。

 彼の硝煙の匂いが漂うような著作は、分断され漂流する現在を予見した衝撃の書だといえるのではないでしょうか。それは彼の繊細で鋭敏な感受性によりなされたものであり、あえていえば彼の優しさが生みだした比類ない傑作だと思います。彼の著作が永く読まれることを祈らざるをえません。

 打海文三よ、

 いや、一作よ、

 安らかに、永遠に眠れ。

 

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木版画家・斎藤清(Kiyoshi Saito)-「会津の冬」シリーズと西川潤先生

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 最初に斎藤清の名前を聞いたのは恩師の西川潤先生からでした。

2018年6月21日に西川潤先生のご自宅に先生のお父様であり、会津出身の詩人で作家の西川満先生の資料をもらいに伺ったときに、斎藤清という方は、「会津の冬」シリーズで有名な木版画家です、と西川先生がおっしゃったのです。

 その後、お父様の西川満先生の展覧会「台湾と会津 西川満から現在まで」が会津若松で開かれることになり、西川潤先生がフォーラムにご出席になるので、わたしも2018年7月22日に会津若松に向かいました。

 その日、会津若松駅に着いたわたしは、駅員に「柳津(やないづ)までどう行けばいいのですか」と尋ねました。と言いますのも、柳津にある「斎藤清美術館」で「台湾コネクション 版画/蔵書票がつないだ「台湾×斎藤清」が開催されるので行くかどうか、迷っていたのです。

 駅員は行き方を教えてくれたのですが、会津若松にもどってくる電車が少なく西川潤先生のフォーラムに間に合わないので、残念ながら柳津の「斎藤清美術館」に行くのを諦めて、会津若松の「西川満展」に出席したのです。このため、わたしは斎藤清木版画を見る機会を逸してしまいました。ただ、後に聞いた話では、台湾文学発展のために尽くされた西川満先生のご縁か、奥深い会津の柳津まで訪れる台湾の人々が多いということです。

 なお、蔵書票とは聞きなれない言葉ですが、「斎藤清美術館」の案内によると「蔵書票とは、ヨーロッパで誕生した、本の所有者を示すために表紙裏などに貼赴する紙片のことです。…その美しさは紙の宝石と称され、世界中に愛好家がいるほどです。…日本の蔵書票は、会津若松市出身の文学者西川満(1908-99)により台湾にもたらされ、ここでも数多くの美しい蔵書票が生み出されることになります。台湾での蔵書票ブームのきっかけを作った西川は、台湾文学の発展にも大きく貢献した人物として、今も敬愛されている日本人の一人となりました。本展は、そんな台湾と日本の交流が育んだ両国の美しい蔵書票の数々に加え、知られざる斎藤清の蔵書票を紹介するものです」とあります。

The Symposium of Nisikawa Mituru in Aizuwakamatu

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 そんなことがあって、わたしは斎藤清のことが気にかかっておりました。そんなある日の12月11日のことです。ウズベキスタン大使館に行った帰り、偶然にも渋谷ヒカリエ斎藤清の「TOLMAN COLLECTION」が開かれていることを知りました。

 急遽、予定を変更して寄ってみることにしました。そこで初めて斎藤清の実物の木版画の「会津の冬」シリーズの何枚かとその他の作品を眼にすることができました。

 斎藤清木版画は思っていたよりも全般にモダンな感じを受けましたが、深い雪に閉ざされた会津の冬を描いた「会津の冬」シリーズは印象深いものでした。なかでも、今にも雪に埋もれてしまいそうな家を描いた一枚は、雪の冷たさよりも真綿のような温かさを感じさせてくれる不思議な木版画であり、斎藤清の人柄がにじみでているようで大好きになりました。

  「会津の冬」シリーズにちなんで、ここに西川潤先生のお父様・西川満先生の詩を掲げさせていただきたいと思います。

 雪女

 そのひとのいるところだけ

 雪がふり

 そのひとの歩むところだけ

 雪がふり

 亡き母に似たそのひとの

 面影白く雪がふり

 どんより曇った空の下

 ひとすじの道 雪ふつも

 る

 

 Kiyosi Saito(1907-1997)

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 The winter in Aizu by Kiyosi Saito

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Kiyosi sato

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 最後に悲しいお知らせをしなければなりません。

 西川潤先生は、名著「飢えの構造(ダイヤモンド社、1974年)」「新・世界経済入門(岩波書店、2004年)などの著作があり、近年でも「共生主義宣言(コモンズ、2017年)」「2030年 未来の選択(日本経済新聞出版、2018年)などの著作あります高名な経済学者であります。

 西川潤先生が、2018年10月2日、国際フォーラムに参加されるために訪れていたスペイン・ビルバオ市で急逝されたのです。昨年7月の会津若松市の「西川満展」でもお元気に講演されておられたので突然の訃報に驚きました。それにしましても、西川潤先生のご自宅を伺ったのは先生が急逝される103日前、会津若松の「西川満展」で先生がご講演されたのが72日前、もしその機会を逸しておれば西川満先生のお話を伺うことはできなかったはずです。人の縁の不思議さに想いをはせるとともに、西川潤先生に生前に賜りましたご恩を想うと感謝の言葉もございません。ご自宅にお伺いした際の笑顔の素敵な先生のお写真をここに掲げさせていただきたいと思います。

 心より西川潤先生のご冥福をお祈りいたします。

  Jun Nishikawa

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迎賓館赤坂離宮の和風別館「游心亭」で七代錦光山宗兵衛の花瓶がご覧になれます。

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 皆さま、新年明けましておめでとうございます。

 

 迎賓館赤坂離宮の和風別館「游心亭」の主和室に、

七代錦光山宗兵衛の「清水焼(ママ)菊模様花瓶」が展示されているというので

参観を申し込み見てまいりました。

 

 

 友人の奥様がたまたま「游心亭」のツアーガイドを申し込み参観に行きましたところ、ガイドの方が「これは七代錦光山宗兵衛の作品です」と案内されたので私に教えてくれたのです。

 早速、インターネットで参加を申し込みました。本館の方は以前に参観に行きまして、濤川惣助の七宝花鳥図、「花鳥の間」の三十面、「小宴の間」の二面を見ておりましたので、今回は和風別館「游心亭」のツアーガイドだけを参観することにしました。

 その日午前10時半に本館裏手の噴水近くの集合場所に20名が集まりました。ガイドの方に誘導されて、よく手入れされた小径を行きます。

 しばらく行きますと、ガイドの方が立ち止まり、「あのミズナラエリザベス女王が昭和50年に来日されて和風別館「游心亭」来られた時の記念として植樹されたものです」という説明がありました。

 さらに小径を進みますと、熊笹の繁った広々とした丘に囲まれた庭があり、左手に和風別館「游心亭」の建物が見えてまいりました。この建物は谷口吉郎の設計だそうです。建物の前の池は深さ2メートルであったのを、当時の田中角栄首相のときに鯉も入れたらいいのではないかということで、深さ8メートルにして鯉を飼うようになったそうです。トランプ大統領が来たときには、3日間餌をやらなかったこともあって、トランプ大統領が和室の脇の窓から餌をやると多くの鯉が集まって来て関係者は一安心したそうです。

 

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 写真撮影はここまでで、和風別館「游心亭」のなかは、外国の賓客が来られるためにセキュリティーの関係上、写真撮影は一切禁止ということです。

 正面玄関の横の枯山水の庭を眺め、いよいよ主和室に向かいます。主和室に行くには、靴を脱いでスリッパに履き替えてあがるのですが、エリザベス女王が来た時には、欧米人は靴を脱いで部屋のなかに入るという習慣がないものですから、それが大問題になったそうです。それでもエリザベス女王はスリッパは履かずに日本の習慣に従ってくれたそうです。またトランプ大統領も靴を脱ぐところの写真は絶対写真を撮らさなかったようです。

 主和室に向かいますと、廊下の天井には池の水の照り映えで波紋が揺らいで見えます。右手の主和室は47畳の大きな部屋ですが、後部の襖を外すと60畳の大広間になるそうです。その正面の扁額のかかった大きな床の間に七代錦光山宗兵衛作の「菊模様花瓶」が置かれています。白地に黄や赤、白の菊が盛り上がっているように見えます。廊下から少し距離があるので正確な大きさはわかりませんが50~70㎝はあるのではないでしょうか。大広間の空間に負けずに堂々として立派にお役目を果たしているという感じであります。つい、お役目ご苦労様です、と一声かけたくなります。和風別館「游心亭」の床の間に飾られていることを素直に喜びたいと思います。

 そのほかにも廊下などのコーナーに香蘭社宮川香山や加藤友太郎「陶竹に鶏図花瓶」などの作品がいくつかあり、奥の茶室には荒川豊蔵、楠部彌一、今井政之などの人間国宝文化勲章を受章した陶芸家の抹茶碗が収蔵されているそうです。

  なお、以下の写真は「迎賓館和風別館 游心亭」のパンフレットおよびポストカードからご参考までに撮影したものでありますのでよろしくお願いいたします。

 

 主和室

 

 

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 ぼやけてしまっていますが、床の間の扁額の向かって左下に置かれているのが

 七代錦光山宗兵衛作の「菊模様花瓶」

 

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 濤川惣助の七宝花鳥図の内の2枚

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the world

 

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