この映画は、韓国人の脚本家、李(シム・ウンギョン)が机の前で考えているシーンからはじまります。彼女はノートに海辺のシーンと書き、行き止まりの道路に車が一台、後部座席で女が起き上がると韓国語で書きます。
すると、画面には一人の若い女(河合優実)が映し出され、車の後部座席で起き上がります。そしてその車はロード・ムビーのように、どこかの島の崖が切り立った道路を移動し、海辺に行くのです。木々がザワザワと風に揺れる道を通り抜け、若い女は強い風にスカートを煽られながら崖を下りて砂浜に行きます。
その砂浜には若い男(高田万作)が、所在なげに海を眺めています。
女は男に声をかけます。すると、男は海を眺めながら昔あの岬で漁船の網に子どもを抱いた女の土左衛門がかかり、子どもは蛸に襲われて半分骨になっていたと話します。どこか不気味さが漂います。
翌日、台風が近づいてきて、雨が降りしきるなかを男は掘っ立て小屋のなかで海を見つめています。女がその隣にすわると、男はテングサを煮てかためたトコロテンが入ったみつ豆を食べさせてくれます。
しばらくして女は今日が最後だから泳ぐと言って、ビキニ姿になり、大きく波がうねる海のなかに入っていきます。男も海に入り、大きな波の間を漂います。
その荒れ狂い泡立つ海の画面を見ていますと、泡立つ波の裂け目からにゅると死の影が姿を現し、そのまま二人は海の底に飲み込まれてしまうのではないかと心配になってきます。
この映画では、なぜその女が海に来たのかまったく説明されないので、女が何かを求めてやって来たのか分からず、ただ彷徨っているように感じられます。そして圧倒的な映像に、どこか官能的で死の影とともに生の危うさ、切なさを感じさせます。この海辺の話はつげ義春の『海辺の叙景』が原作だそうですが、その漫画に漂う寄る辺なさがよく出ている映画だと思います。
©つげ義春 「海辺の叙景」
○©つげ義春「海辺の叙景」
©つげ義春 「海辺の叙景」
映画のなかで、この「海辺の映画」の上映会が開催され、監督とともに脚本家の李さんも参加者から質問を受けます。李さんは思わず「私にはあまり才能がない」と言い、さらに自分は言葉に囚われていて、言葉の檻のなかにいるようだと言うのです。
それがどう言う意味か分かりませんが、もしかすると言葉という檻から出ることによって、つくりものではないリアリティが得られると言っているのかもしれません。
というのも、わたしたちの日常で起こっていることは、そんなに簡単に言葉でとらえられるものではなく、言葉にした時点で砂が指のあいだからこぼれ落ちていくように、かなり嘘っぼいものかもしれないのです。言葉などなく映像を見せる方がリアリティのあるものになりえるのではないでしょうか。
次に李さんは列車に乗り、トンネルを抜けて雪国に行きます。だが、その雪国の宿はすべて満室で、李さんは雪のなか山の上にある一軒家のおんぼろな宿を訪ねて行きます。その宿は屋根から長いつららが垂れ下がり、妻子と別れたらしい、べん造(堤真一)という男がひとり孤独感を漂わせています。
囲炉裏に座り、べん造は、脚本家である李に滅多に客が来ないこの宿のために何か宣伝になるようなものを書いてくれと言うのです。と言っても、とりたてて材料もありません。それで李さんが、錦鯉でも飼ったらと言うと、二人は夜、雪のなかを川を渡って錦鯉を盗みに行くのです。その時の雪に埋もれた山の木々や雪に覆われた家の情景などが言葉がなくても圧倒的な存在感で迫ってくるのです。
この話もつげ義春の『ほんやら洞のべんさん』が原作なのですが、ストーリーはほぼ変わりませんが、原作では主人公が漫画家であるのに対して映画では李さんとなっています。そしてシム・ウンギョンが演じる李さんがとてもいいのです。李さんが風に帽子を吹きとばされて拾いに行き、雪に足をとられて転びそうになるシーンがありますが、とてもありのままに自然に演じていて、本当に彼女が日本の雪国にはじめて旅をしているという雰囲気が見事に醸し出されているのです。
この映画はつげ義春の漫画を原作にしているそうですが、つげ義春という漫画家は、よく旅を題材にしていて旅情をかきたてるとともに、主人公の行動と思考を通して日常から突然、どこか遠くの見たこともない風景にワープし、日常にもどれなくなるかもしれない怖さを描くのうまい漫画家と言われているそうです。
わたしもつげ義春の漫画を読んでみて、そんな感じを受けました。日々の日常にひそむ怖さ、ちょっとした違和感をどこかひょうげた登場人物と圧倒的なリアリティのある風景を描くつげ義春の漫画には今も根強いファンがいるのではないでしょうか。この映画も、とりわけ何が起こるわけでもないのですが、それでも何かを感じさせる、不思議な映画であり、つげ義春の漫画に魅せられた映画作家による、その系譜のなかに入る映画と言えるように思われます。
なお、蛇足ながら、この映画は、ロカルノ国際映画祭グランプリ受賞作品だそうです。
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