NHKのキャッチ!世界のトップニュースの「映画で見つめる世界はいま」で、順天堂大学の藤原帰一特任教授が、フランスの女性監督の「サブスタンス」を紹介していて、怖いけど面白そうなので見てきました。

映画は、「ゴースト」で有名なデミ・ムーア演じるところの、かつてオスカー賞を受賞したこともある有名な女優として人気を誇っていたエリザベスは50歳になってもなんとかエクササイズ番組に出演して頑張っていたが、プロデューサーに観客は若くて美しいホットな女性を求めているのだと、突然、降板させられてしまいます。若さと美貌を失ったエリザベスは使い捨てにされたのです。

ショックを受けたエリザベスは交通事故に巻き込まれ入院することになり、そこの医師からある薬を渡されます。
その薬を注射すれば、DNAのロックがはずされて新しい細胞がうまれ、若く美しい自分の分身をつくりだすことができるというのです。老を感じていたエリザベスは過去の栄光を懐かしみ、若さと美しさを求めて、その薬を注射するのです。


すると、エリザベスは、背中がぱっくりと裂けて若くて美しい自分の分身である、マーガレット・クアリー演じる、スーを生み出だすのです。パーツが収まるところに完璧に収まった完璧な美女であるスーは、エクササイズの仕事を取りもどし、ボウーグの表紙を飾り、年末の特番の主役にとりたてられることになるなど、瞬く間にスターダムに駆け上がるのです。


こうしてエリザベスは、完璧な若さと美しさをを備えた分身を生み出すことによって、女性に若さと美を要求して、女性を抑圧する社会にリベンジを果たしたかに見えるのです。
だが、分身した肉体を維持するには、一週間ごとにスーとエリザベスは入れ替わらなければならないのですが、絶頂にいて、みんなにチヤホヤされて、得意満面のスーは次第にそのルールを守ろしなくなるのです。それによって、エリザベスは分身であるスーに蝕まれ、あまりに強烈で目をそむけたくなるような結末をむかえるのです。最後の方は、まさに凄惨なホラー映画そのものとなるのです。
藤原帰一教授は、この映画は、まわりからどう見られているかという社会の価値、具体的には、人の容姿で差別するルッキズム、人の年齢て差別するエイジズムが描かれていると言います。
そして、そういう価値観で、女性の若さを商品として使い捨てにする、女性を抑圧する社会を告発する一方で、女性の心のなかに、若さと美しさを求める執念と渇望があるとも言います。
藤原教授は、この外からのルッキズムとエイジズムという価値観と女性の内面にある若さと美しさの執念と渇望がぶつかり合って、エリザベスが破滅を招いたのではないかと言っています。
朝日新聞のインタビュー記事によりますと、コラリー・ファルジャ監督は、エリザベスが自分を受け入れ、ありのまま生きることはできなかったのかという問いに「個人の心の問題ではない。問題は『あなたは完璧じゃない』と言い続け女性を自己嫌悪に陥らせる社会のシステム。社会が変わらなければ私たちはありのままで生きられない。社会に殺された彼女が放つ血しぶきは、いかにひどい暴力を社会が女性に振るっているかを表現しているのです」「メッセージは言葉だけじゃ伝わらない。クレジーなビジュアルが欲しかったんです」と言い放ち、女性を苦しめる社会に一撃をくらわそうと、すこぶる鼻息が荒いです。

そう言われれば頭を下げるしかありませんが、エリザベスが崩壊していく過程は、ホラー映画らしいと言えばホラー映画らしいのですが、これでもか、これでもかとあまりに執拗にかつ凄惨に描かれて、大量に血しぶきが飛び散る映像に度肝を抜かれて、食欲がなくなり、映画を見終わってすぐには食事をしたくなくなりました。
それで、あまり凄惨な映像を見たくない方にはこの映画はお薦めできません。気持ち悪くなられても困るからです。
とは言え、さすがフランスの女性監督の映画だけあって色彩感覚か明るく、またホラー・シーンもある意味ではグロテスクすぎて笑えるような滑稽さもあると言えましょう。
この映画は、女性の若さや美しさへの執念や渇望をきわめて単純にストレートに描いていますが、実際はどうなんだろうとかと、ついつい女性の方にルッキズムおよびエイジズムに苦しめられたり、抑圧されたことがあるのか、また執念や渇望があるのかお聞きしたくなります。
