錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

呉明益「自転車泥棒」を読む

 日経新聞の読書欄の「半歩遅れの読書術」で作家の高山羽根子さんが、台湾の作家呉明益さんの「自転車泥棒」のことを「奇跡みたいな本、というものがいくつもある。こんなものどうやって書くんだ、とか、人生のうちこんな作品がひとつでも書けたら、というふうな。これはまちがいなく私にとってそういう作品のひとつで、ことあるごとに触れていくことになると思う」と書いていて、どんな本だろうと読んでみました。

 

  

 この小説は、主人公の父が台北の中華商場で仕立て屋をしていたのですが、二十年前に「幸福号」印の自転車とともに忽然と失踪してしまい、長い年月を経て、その自転車がもどってくる物語なのです。


 その「幸福」印の自転車をさがすなかで、過去を語る物語なのです。主人公の祖父は1905年の旅順でロシア軍が日本に投降した年に生まれ、とても高価だった自転車を持つことが夢であったこと、さらに日本統治時代や国民党支配の時代から現代まで、およそ百年にわたる家族史が語られ、また蝶の翅で工芸品をつくる話や、主人公が次々といろんな人々に出会うことによって、話は台湾だけにとどまらず、マレー半島の日本軍の銀輪部隊に従軍した話やミヤンマー(旧ビルマ)における日本軍のゾウによる輸送部隊の辛酸を極める話、はては台北円山動物園オラウータンの話までてんこ盛りなのです。

 「幸福」印の自転車探しは、髪の毛がボサボサのアブーというガラクタのコレクターと知り合ったことに始まります。アブーは「幸福」印の自転車のコレクターであるナツを紹介してくれたのです。ナツに会ってみると、その自転車は自分のものではなくて、自分の知り合いのアニーの、さらにその友達で戦場カメラマン志望の原住民青年のアッバスが貸してくれたものだというのです。主人公がアッバスと会うと、アッバスは兵役で日本軍の第二高雄海軍航空隊のあった場所に赴任し、そこで知り合った老人ラオゾウと廃墟の建物のなかにある地下水道に潜り、水に押し流されて、気がつくと岸辺に打ち上げられていた、という不思議な体験を話してくれるのです。


 このほかにも、いろいろな人が登場し、過去と現在を往還する形で語られるのです。長編小説でいろんなエピソードが出てくる、かなりややっこしい小説であります。
 とても説明しきれないので、その一端を著者呉明益さんの描いた、日本兵や密林から顔を出すゾウやオラウータンなど細密な絵でご想像願いたいと思います。

 

  

 この絵とは別に、印象的なシーンをご紹介したいと思います。それはアッバスからの手紙に書かれていた情景です。


「私を連れて村の西のはずれの森に行くという。村から一時間ほど歩いたころ、森の縁に出た。遠くに巨大なガジュマルの樹が見えた。……男は、流暢ではないが自信満々の英語で、これが「天国へ向かう魂を捕まえる」樹だ、と言った。……彼が指さした先にー天を覆いつくす枝葉にぶら下がる自転車のフレームを、私は見つけた」というシーンです。

 当初、この小説はマジックリアリズムの小説ではないかと思って読んだのですが、この小説には村上春樹のように、ねじまき鳥もめくらやなぎも出てきません。また、中国のノーベル文学賞作家、莫言(ばくげん)の「豊乳肥臀(ほうにゅうひでん)」のように、激動の中国の歴史のなかを混血男児金童とその八人の姉妹が奇妙奇天烈に生きる、そんな奇妙奇天烈さもありません。その意味では、わたしの好きなカオス、エネルギュな混沌は描かれていません。


 どうしてかと思って、著者の呉明益さんの「後記」を読んでみますと、「ぼくは、この世界をはっきり見通すことができないから、自分の心に不安と無知があるから、小説を書いている」「この小説は「なつかしい」という感傷のためではなく、自分が経験していない時代とやり直しのできぬ人生への敬意によって書かれた」と記しています。著者はかなり真面目な方のようで、マジックリアリズムとは少し距離があるのかもしれません。


 なお、呉明益さんは97年に「本日公休」で作家デビューしたそうで、わたしはたまたま映画「本日公休」を見ていて、けれんみのない穏やかでいい映画だと思いました。

 


 訳者の天野健太郎氏が「あとがき」で「彼(呉明益)の作品は、…自らを「振り返る」ことを長らく忘れてきた台湾で、それまで世代間、エスニックグループ間、地域間などで断絶し、共有されてこなかった「記憶」を互いに再発見しようという社会的な関心を呼び起こすきっかけとなった」と書いています。


 また今年のノーベル文学賞作家、ハン・ガンさんが受賞記念講演会で「当初は、「現在が過去を助けることができるか」「生者が死者を救うことができるか」という問いが浮かんでいた。だが、次第にこうした問いは覆され、「過去が現在を助けている。死んだ者たちが生きている者を救っている」と感じるようなったという」と語ったそうです。

 わたしも「記憶」や「過去」を書くことにどのような意味があるのか少し考えてみたいと思いました。

 

 

 

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