何年か前に、たまたま店のまえに来たので、店のなかに入ったものの、あいにく持ち合わせが少なくてあえなく退散したことがあったので、今回寄ってみることにした。
暖簾をくぐって、仕舞屋ふうの店のなかに入ると、飾り気のない広い土間があり、左手奥に調理場が見えた。
敷台で靴を脱いで上がり、八畳の部屋を二つ通り抜けると渡り廊下があり、右手に坪庭が見え、右折した突き当りにある小座敷に案内された。
入口も窓も開け放たれていて、風が心地よい。
部屋のなかの座卓にはひざ掛けに覆われた食器がおかれたいた。
すっぽんのしぐれ煮の先付を食べ終わると、すっぽんの鍋が運ばれてきた。〇鍋である。
瀬戸内寂聴の「京まんだら」によると、京都ではすっぽんのことを「まる」というそうだ。
そういえば、この店は志賀直哉の「暗夜行路」にも「すっぽん屋は電車通りから淋しい横丁へ入り、片隅にある寺の土塀の尽きた、突き当たりにあった。金あみをかけた暗い小行燈が掛けてあり、そしてその低い軒をくぐると、土間から、黒光りした框の一ト部屋があり、某所から直ぐ二階へ通ずる、丁度封印切りの忠兵衛が駆け降りて来そうな段々があって、これも恐らく何百年と云う物らしく、黒光りのしている上に、上の二三段は虫に食われてぼつぼつと穴があいていた。それをその儘にしてあった。これも一つの見得には違いないが、悪くはないと謙作は思った。…」と書かれているという。
それはともかく、土鍋からの湯けむりがすごいので、店のひとに聞いてみると、1600度で熱しているので、土鍋の底が薄くなり、何回か使うと割れてしまうのだという。
〇鍋を食してみると、骨つきのすっぽんの味もさることながら、スープが絶品で、美味しい。
店のひとの話では、すっぽんに煮込んだ汁にショウガをまぜてあるという。ショウガのピリとした味がよく利いている。
部屋のなかを渡る風を感じながら、自家製梅酒を飲んでいると、うっすらと酔いがまわってくる。陶然とした気分でいると、店のひとが玉子で雑炊をつくってくれた。お新香で、さっぱりと食べる雑炊の味は格別であった。
最期に果物を食べた。美味である。
八畳の部屋をふたつ通り抜けて外にでると、常夜燈に灯がともり、辺りはとっぷりと日が暮れて夕闇が降りていた。
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