「初代諏訪蘇山展」を見終わったあと、臨済宗総本山妙心寺の塔頭のひとつに退蔵院があることを知り、たしか名園があることを思い出して寄ってみることにした 。
山門を抜けて左折すると、紅しだれ桜の両側に陰陽の庭があった。
陽の庭で白砂のうえの落ち葉を拾っている庭師の方がいた。その庭師の方に尋ねると、陽の庭の敷き砂は白川石で、陰の庭は鴨川の川砂であるそうである。
また、その庭師の方のお話によると、南のほうにある「余香苑」という庭は足立美術館の庭園を作庭された造園家の中根金作氏の作庭した庭であるという。
途中、水琴窟の響きに耳をかたむけながら路地を降りていくと、水の流れるせせらぎの音が聞こえて来た。
藤棚から一望すると、庭の奥に滝があり、そのせせらぎが低く刈り込まれた躑躅(つつじ)の脇を抜けてひょうたん池に流れこんでいる。せせらぎの瀬音がなんとも心地よい。また、高低差があり、はるかかなたの空を眺めるのはわるくない。
そのあと、室町期の絵師・狩野元信作の庭があるというので方丈にむかった。狩野元信の庭は枯山水の庭であった。
最後に如拙が足利義持の命で描いたといわれる水墨画、国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」の模写あるというので見てみた。農夫が瓢箪でナマズをいかに捕らえるか、という禅の公案を描いたものだという。
ふと考えてみると、退蔵院というのは、さすが臨済宗大本山妙心寺の塔頭だと思った。
曹洞禅がただひたすら坐る座禅を求めるのに対して、臨済禅は公案を通して証しを求まるという。その証しをあらわすために臨済禅では禅画や庭、茶の湯、能などが尊ばれたという。狩野元信の庭にしても、如拙の水墨画にしても、退蔵院が臨済宗の塔頭であればこそ生まれたのではないだろうか。
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