錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

世界的な脳機能学者・苫米地英人博士のお父様、苫米地和夫様のご逝去を悼む

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 世界的な脳機能学者の苫米地英人博士のお父様の苫米地和夫様が、9月20日午前8時22分、ご逝去なされました。苫米地和夫様は旧日本興業銀行(現みずほ銀行)常務、和光証券(現みずほ証券)社長・会長をなされ、日本証券業協会経団連などの理事を歴任された方で、私が大変お世話になった方であります。

 突然の訃報に接し、数々の思い出がよみがえり、悲しみに耐えませんが、苫米地和夫様を偲び、折々の思い出をつづらせていただきたいと思います。

 

 苫米地和夫様の数ある思い出のなかで印象が深いものといたしまして、お父様の苫米地英俊様のことがございます。

 苫米地和夫様が書かれました「緑丘と父」という手記によりますと、

 苫米地英俊様は、かかってくる相手を次々と跳ね腰で投げ飛ばすほど柔道が強かったので、当時姿三四郎のモデルになった人物を含めて四天王といわれる猛者がいた講道館の加納治五郎館長にスカウトされ、東京に出て来て東京外語英語本科に通っていたのですが、加納治五郎館長に「北海道に柔道を広めに行け」との一言で小樽高商へ赴任することになりました。

 その際にお母様の千代子さまが詠まれた歌があります。

 

 さい果ての小樽と聞けどわが胸に美しく咲く未知の花ありき

 知る人なき小樽に着きてホームに爆(は)ぜし夫(つま)への歓声われも浴びたり

 

 その時の情景が目に浮かぶような心に沁みる素晴らしい歌ではないでしょうか。

 

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 小樽高商に赴任した苫米地英俊様は、今度来た先生の出鼻を挫こうと柔道部の猛者に道場に引っ張りだされたものの、「皆一緒にかかって来い!」と言って、五人を相手に電光石火のごとく全員を投げ飛ばしたそうです。さすがに柔道八段の腕前でございます。その後、苫米地英俊様は「正気寮」の寮監をしながら英語の教授として勤められ、商業英語の名著「商業英語通信軌範」を出版いたします。当時、苫米地英俊様は学生から「トマさん」と愛称で呼ばれていたそうで、

 トマさんの頭を叩いて見れば コレポン コレポン 音がする

と歌われたそうです。

なお、「コレポン」は「コレスポンダンス」の略です。

 

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 その後、苫米地英俊様は商業英語と国際法の研究のためにオックフォード大学とハーバード大学に留学され、アメリカのハーバード大学ではのちに連合艦隊司令長官になる山本五十六元帥と一緒になり、元帥が戦死されるまで親交を結んでいたそうであります。

 そして今となりましては、大変貴重な山本五十六元帥直筆の苫米地英俊様宛ての手紙が苫米地家に残されております。

 

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 苫米地英俊様は昭和10年に小樽高商の校長・学長になりますが、戦時中英語教育について軍部から売国奴呼ばわりされるなど厳しい批判を浴びたそうです。しかし、頑として軍部から英語教育を守り続けたという硬骨の人でもあります。

 戦後、日本を誤った道に進ませたことに官立学校の校長としての無力さを痛感し、戦後の復興に全力を傾注したいとの思いから政界に進出、民主自由党常任総務、自由党総務などを歴任することになり、55年の自由民主党設立にもかかわったのであります。

 お父様の苫米地英俊様のお話が少し長くなりましたが、苫米地和夫様はお父様が衆議院議員であった関係もあり、若くしてお父様の政治活動などを手伝い、宮沢喜一元首相などにとても可愛がれらそうであります。

 興銀時代の中国要人とのお話とか新日本製鉄とのプロジェクトとのお話とかいろいろ面白いお話をうかがいましたが、ここでは在りし日の苫米地和夫様を彷彿させるエピソードをご紹介したいと思います。

 苫米地和夫様は大変な音楽マニアでございまして、ご自宅でいつも最新のオーディオ機器に囲まれておられましたが、ソニープレイステーションで遊ばれている貴重なお写真があるので掲載させていただきます。なんとチャーミングな笑顔をされていることでしょうか。また谷川岳天神平(2014年11月4日~5日)でのお写真も掲載いたします。

 

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 さらには毎年のように桜の季節には千鳥ヶ淵でお花見をいたしましたので、その頃のお写真も掲載させていただきます。

 

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 お母様の千代子さまのご尊父佐久間信恭様は著名な英語学者でありました。佐久間信恭様の実父は、長崎奉行や京都奉行を歴任し、鳥羽伏見の戦いでは陸軍奉行並として幕臣を率いた旗本大久保忠恕様です。かの新選組局長近藤勇に名刀長曽袮虎徹を授けた人物でもあります。佐久間信恭様は大久保忠恕様の次男として生まれ、その後、旗本佐久間信久様の養子となっています。養父・信久様は歩兵頭などを経て、歩兵奉行並となり、鳥羽伏見の戦いでは総大将として出陣しますが狙撃され亡くなりました。死に際に従僕に「これからは文明開化の時代であるから泰西の学術を勉学させるよう」と遺言し、その遺言もあってか、苫米地和夫様の祖父佐久間信恭様は、明治・大正時代の著名な英学者となりました。明治24年に熊本の五高の英語主任教授になり、夏目漱石が「英語のことは佐久間先生にお聞きなさい」と言ったといいます。また小泉八雲と親交を結んだといいます。

 苫米地千代子さまは、「『潮音』」の歌人としての短歌を織り込みつつ、明治、大正、昭和にわたる長い生涯の思い出を綴った」(「苫米地英人博士の まえがき」より)自叙伝「千代女覚え帖」を出版されております。少女時代に「東京市本郷区西片町十番地ほの二十六号」に住んでおられたということで、出版祝いの帰りに苫米地和夫様がその地を訪れたときのお写真を掲載させていただきます。

 私といたしましては、苫米地和夫様が何としても出版したかったと思われます、お母様のご著書「千代女覚え帖」に一出版人として関われましたことが、せめてものはなむけになるのではないかと思っております。

 

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 最後にご葬儀のことをお伝えしたいと思います。

 ご葬儀は2020年9月25日西麻布の永平寺別院・長谷寺(ちょうこくじ)にて苫米地グループ社葬として執り行われました。

 ご遺族の意向もございまして、コロナ禍ということもありごく少人数でございましたが、ご老師様をはじめ7名のご僧侶で営まれましたご法要は、大変格調高く立派なご葬儀で私はいたく感激いたしました。

 

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 ご老師のお話では苫米地和夫様は「礼節を忘れるな、感謝の心を忘れるな」とおしゃっていたとのことですが、苫米地和夫様のお人柄は身近に接しておりました私にとりましても、優しいお人柄で物事を真っすぐに見られる高潔なお方という思いが強くいたします。

 

 最後に苫米地英人博士がご挨拶されましたが、

 苫米地和夫様は今春頃から体調がすぐれなかったようですが、コロナ禍ということもありまして病院に行くことが遅れ、今月に検査入院されましたところ手の施しようがなく2週間後に亡くなられたとのことでございました。

 また永平寺別院・長谷寺でご葬儀が行われましたのは、お父様の苫米地英俊様が永平寺で修行をされたこともあり、苫米地和夫様の遺言により執り行われたとのことでございます。さらにインドでは、ダライ・ラマ法王さま、ガンデンディパ法王さま、シャキャテンジン法王さまらにより3日間、苫米地和夫様の死を悼み、法要が行われているとのことでありました。また、イタリア王サヴォイア家皇太子殿下並びにサヴォイア騎士団長からも追悼のメッセージを頂きました。

 

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 わたくしは、苫米地英人博士が「今日、父も無事、仏弟子になりました」という言葉がとても印象的でいまも頭に残っております。

 

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    苫米地和夫様 

    興徳院寛厳和光居士

    行年 88歳

 

   心よりご冥福をお祈りいたします。

   安らかにお眠りください。

 

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