泉屋博古館分館の「華ひらく皇室文化ー明治宮廷を彩る技と美ー」展(The Blossoming of Imperial Culture Technique and Aesthetic in the Adornments of the Meiji Court)を見てきました。
今回の同展は、皇室や宮家の慶事や饗宴のときに金平糖などを入れて配られる、主に銀製の小さな菓子器であるボンボニエールの展示や帝室技芸員の方の作品の展示が主でありましたが、錦光山宗兵衛の作品も二つ展示されておりました。
ひとつは、六代錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文花瓶」一対(Pair of Vases,Bird and flower design)です。
その解説文には「沈香壺形の本作の作者6代錦光山宗兵衛は、京都粟田口の陶工で青木木米から磁器の製法を学ぶ。厚みのある上絵付に金彩を施した緻密な作風の京薩摩を製し海外に販路を開き、9代帯山与兵衛とともに京都の陶磁器輸出の端緒となった」と記されていました。
この作品の意匠は、紅や白の華やかな大輪の牡丹、黄色や赤などの菊、赤い椿、はては朝顔まで描かれている空間を、黄色い頭や背中が青い小鳥、おそらく翡翠(かわせみ)が飛び回っているものです。この作品はどうも和絵具で描かれているようで、牡丹や椿の花や葉が少し盛り上がっていて、照明のかげんでキラキラと煌めき、緻密でありながら空間の広がりが感じられます。それは、まるで花盛りの森のなかを小鳥がさえずりながら自由に飛び回っているようで、とても伸びやかで華麗な印象を受けます。それはまた、明治初期という近代国家の黎明期に、世界に雄飛することを志した六代錦光山宗兵衛の気風を表しているといえばいいすぎでしょうか。
幹山伝七の「色絵金彩花鳥文花瓶」も並んで展示されているのですが、幹山伝七は西洋の色絵顔料を積極的に取り入れたようですが、牡丹が丈高く色鮮やかに描かれているのですが、どこか平板で、和絵具の浮彫がある錦光山宗兵衛の作品の方が陰影が深く、生命感にあふれているように思われます。
なお、「日本京都錦光山造」の銘が花瓶の下方に記されています。また製作年は「明治17年(1884)以前」となっております。六代錦光山宗兵衛が亡くなったのが明治17年ですから、その意味では正しいといえます。
所蔵者は「霞会館蔵」となっており、霞会館の前身は堂上華族(旧公家)と武家華族(旧大名)を結集して明治7年(1874)に発足した華族会館であるそうです。六代錦光山宗兵衛のこの花瓶が今日までどのような経緯をたどってきたのかと思うと興味がつきません。
なお、「色絵金彩花鳥図花瓶」につきましては、「華ひらく皇室文化」展終了後の5月14日に再度、泉屋博古館分館にお伺いした際に学芸員の森下愛子様が、平成27年に久米美術館で開催された「明治の万国博覧会[Ⅰ]デビュー」の図録のコピーを持って来てくださりました。
その解説によりますと、「作者は京都・粟田口の錦光山宗兵衛(6代または7代)。明治初期に海外向けに金襴手様式の細密画陶器、いわゆる「京薩摩」を量産し、国内外の博覧会にも積極的に出品、「SATSUMA」として西洋の市場を席巻したとまで謳われる近代京焼を代表する窯元である。小鳥、花弁や葉の描線の描き方には、京焼の伝統を受け継ぐ熟練の技が見られる」とあり、さらに「本作は元々、日本近代最初の迎賓館である延遼館にあり、その後新たに竣工した鹿鳴館に移り、華族会館を経て、現在の霞会館に引き継がれた作品である」とあります。
そしてさらに「壺の側面に『日本京都 錦光山造』と金文字を入れ、底部には「錦光山」銘が捺されている他、進駐軍(GHQ)により接収されたことを物語る朱色のペイント文字「ENG PEERS」(ピアスクラブの意)が入れられている」とあります。
私も朱色のペイント文字「ENG PEERS」を見せていただきましたが、この「色絵金彩花鳥図花瓶」が、このような数奇な運命にもてあそばれてきたとは知らなかっただけに、その運命の不思議さに感慨深いものがありました。ご参考までに画像を添付いたします。
もうひとつは、七代錦光山宗兵衛の「色絵草花文紅茶茶碗セット」(Tea Set ,
Flowering plants design)です。
学芸員の森下愛子様の解説には「四季折々の草花を京薩摩風の繊細な絵付けで表現した紅茶碗と皿(ソーサー)。明治42年(1909)頃に製作されたと考えられ、12客が現存する。7代錦光山宗兵衛は浅井忠などと同36年に図案研究団体遊陶園を結成、アール・ヌーヴォーを伝統的な京焼の意匠に取り入れた」と記されています。なお個人蔵となっております。
四季折々の草花とは、一部よくわからないものもありますが、梅、桜、牡丹、つつじ、なでしこ、南天、コスモス、菊、葉鶏頭、つるくさ、モミジなどではないかと思われます。まさに日本の四季を彩り、なつかしさを感じさせる草花です。
12客の紅茶セットで、四季の移ろいを感じながら、毎月ちがった器で紅茶を楽しむことができれば、それはとても贅沢な時間といえるのではないでしょうか。
茶碗と皿の地肌のたまご色が、繊細であたたみがあり、いかに京薩摩の意匠が絢爛豪華なものから、四季の草花まで幅が広いかということを改めて感じます。
泉屋博古館を見てから学習院大学資料館でも「華ひらく皇室文化」展が開催されていましたので行ってきました。ちょうど卒業式のあった日で、袴姿の卒業生が大勢いて華やかでした。
なお、今回の「華ひらく皇室文化」展にちなみまして、七代錦光山宗兵衛と皇室とのご縁のエピソードをご紹介させていただきたいと思います。
明治38年4月30日発行の「京都芸術協会雑誌」によると、
「京都美術協会においては古美術品展覧会における旧儀装飾十六式図譜の出版なるを告げたり、ここにおいてこれを、両陛下、皇太子同妃殿下、常宮、周宮、富美宮、泰宮の四殿下を初め奉り、同会総裁伏見宮殿下へ献上せんと欲し会頭大森鍾一その用務を帯て東上すべきところやむをえざる職務のため果たすことあたわず、よって会頭代理として評議員錦光山宗兵衛これを携さえ東上せり
まず宮内省へ出頭し両陛下へ献納方を出願して退出せるが三日を置きて9月28日宮内省内亊課長心得近藤久敬より献上の図譜は御聴許にあいなりたる旨京都府知事へ通報あり、府知事よりさらに同協会へ伝達せり
次いで東宮御所へ伺候し皇太子同妃両殿下へ献上の儀を出願せしに、御満足に思し召さる旨にて御聴許あらせられたり
次いで高輪御殿に赴き常宮、周宮両内親王殿下へ献上を出願せるに、御満足思し召され錦光山宗兵衛へは酒肴料の御下賜あり 後略」とあります。
また同雑誌には「東園侍従来観 4月9日午後2時30分侍従子爵東園基愛氏来館巡覧せられたり出品中錦光山宗兵衛氏の陶器香炉一個購求せられたり」とあります。
図らずも今回の展覧会で、錦光山宗兵衛と皇室との縁まで思い起こすことができました。
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