錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

夏目漱石の世界ー漱石山房を歩く

 

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  小春日和のある日、小石川、神楽坂、早稲田界隈の夏目漱石ゆかりの地を探訪した。
 最初は、漱石の前期三部作「三四郎」「それから」「門」のなかの「それから」の主人公代助がかつて愛しながらも友人に譲り、いまも想いを寄せる三千代が住んでいた辺りである伝通院を訪れた。もちろんその場所は特定はできなかったが、漱石帝国大学大学院に進学したころ下宿していた法蔵院が近くにあったので立ち寄った。
 そのあと、代助が三千代に会うために通ったであろう安藤坂(この坂の途中に樋口一葉が通った歌塾「萩の舎」があり、一葉と半井桃水の不幸が頭をかすめた)を下り、神楽坂に向かう。神楽坂では、毘沙門天の近くにあり、漱石が文具を買い求めた相馬屋(ここには漱石が「坊ちゃん」の印税を書き留めたものが展示されている)で漱石にあやかるべく原稿用紙を仕入れて、代助が住んでいたであろう地蔵坂の辺りをうろついて一路早稲田エリアに向かう。途中、漱石の妻鏡子の実家(貴族院書記官長・中根重一)のあった辺りを通り抜け、漱石山房に到る。
 漱石山房は前述の前期三部作にくわえて、後期三部作「彼岸過迄」「行人」「こころ」、随筆集「硝子戸の中」、唯一の自伝的小説「道草」、未完の大作「明暗」など数々の名作を書き上げた地であり、漱石終焉の地でもある。漱石山房のなかには、赤い絨毯の上に紫檀の机が置かれ、近くには瀬戸火鉢、背後には大きな書棚、整然と書籍が山積みされた書斎が当時のまま再現されている。書斎の前に芭蕉木賊(とくさ)などの植栽が植えられていて、執筆に疲れた漱石がそれらを眺めて疲れを癒したのではなかろうか。
 それらの展示物を眺めながら、私はどうして漱石の小説の主人公は職に就かず、家でぶらぶらしている人物が多いのだろうかと思った。さらに言えば、いろいろと思い悩み、優柔不断ですらある。それにひきかえ、漱石の小説に登場する女性はなぜ男より潔く、男前なのだろうか、と思った。
 「それから」の主人公代助には、誠吾という兄がおり「代助は月に一度は必ず本家へ金を貰いに行く。代助は親の金とも、兄の金ともつかぬものを使って生きている」と書かれている。なぜ代助は職に就かずに「高等遊民」的人生を送っているのだろうか。それは漱石の小説を読むときに私の常々感じている疑問でもあった。その疑問を友人に問うと、ある友人S・Oが「漱石入門」(石原千秋河出文庫)の「セクシュアリティが変容した時代」を読んでいて、彼の主観も交えて次のように語ってくれた。
 友人の言によれば、
漱石が本格的に小説を書き始めた明治後期は、明治政府の修身教育もあって、『男は立身出世、女は良妻賢母』という規範とアイデンティティを求められ、男女のジェンダー(性差)化が最も進んだ時期のようです。そのような時代にあって、漱石の小説に登場する主人公は、漱石自身がそうであるように高等教育を受けながら『立身出世』を捨てた男たちで、『男らしさ』から遠い存在であったということのようです。(例外は『それから』以前に書いた『坊ちゃん』の『おれ』と『三四郎』で彼らはまだ『立身出世』を目指していた男たちでした)一方、自らの意思で男を選ぶことができなかった時代の女性は、男に『主体性』を求める(つまり迫る)ことでしか女としての『主体性』を持つことができなかった結果、潔い『男前』に見えたということではないでしょうか?それもこれも、やはり『長子(長男)相続』と『戸主制度』を基本とする『明治民法』が色濃く影を落としていたのではないかと思います。『明治民法』の『戸主制度』の下では次男坊は長男のスペアで、三男坊以下に至ってはなおさらです。可哀想なのは長男が死なない限り家督相続の権利もない上に家に縛り付けられるか、家をあてがわれても行動を縛られる次男坊ではないでしょうか」
 この友人の説を聞くと、代助が「親の金とも、兄の金ともつかぬものを使って生きてる」という言葉がよく理解できます。漱石の主人公は全部が次男ではなく長男もおり、また「門」の主人公宗助のように役所勤めであったり、「行人」の主人公一郎は学者であったりと職に就いている者もいるが、「こころ」の先生のように大半が親の遺した財産で生計を立てているものが多く、その意味で彼らは幸せな「高等遊民」ではなく、自分で主体的に決断できない屈託を抱えた男たちが描かれているのではないだろうか。
 そこには五男三女の末っ子として生まれ、まったくのスペアとして幼くして養育料付きで養子に出され、「道草」によると、その養家で将来の金銭的報酬を期待されて日夜養父・養母の恩を叩きこまれて辟易した漱石の子供の頃の体験、またロンドンに留学した漱石にとって、殖産興業にはやる日本が上滑りな資本主義国家に見えたことが反映しているのかもしれない。
 ところで漱石の小説に登場する女性たちであるが、「彼岸過迄」の千代子は、「高等遊民」の須永市蔵が結婚を申し込んでくれれば結婚してもいいと思っているのだが、煮え切らない態度の須永市蔵が海岸に遊びに行ったときに一緒に来た青年に嫉妬したのに対して「貴方は妾(あたし)を…愛していないんです。つまり貴方は妾と結婚なさる気が…」「唯何故愛してもいず、細君にもしようと思っていない妾に対して…」「何故嫉妬なさるんです」「貴方は卑怯です」と言い切る。
 また「行人」の主人公一郎は妻の直の節操を試すために弟の二郎に一晩よそで泊まってくれと頼む。二郎はその気はないが、兄嫁の直と和歌の浦に行き、暴風雨のために一泊することを余儀なくされてしまう。その宿の一室で嵐のために突然電灯が消えてしまう。二郎が「居るんですか」と尋ねると、兄嫁が「居るわ貴方。人間ですもの。嘘だと思うなら此処へ来て手で障って御覧なさい」という。しかし二郎にはそれほど度胸はなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。「姉さん何かしているんですか」「先刻下女が浴衣を持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いている所です」と兄嫁は答えた。そして「妾死ぬなら首を縊ったり咽喉を突いたり、そんな小細工をするのは嫌いよ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」「…嘘だと思うなら、これから二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、一所に飛び込んで御目に懸けましょうか」「大抵の男は意気地なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。兄嫁の直は、ただいさぎよいだけでなく、肝も据わっている。
 千代子にしろ兄嫁の直にしろ一見自由奔放に見えるが、果たしてそうであろうか。兄嫁の直はあるとき「妾(あたし)ゃ本当に腑抜けなのよ。ことに近頃は魂の抜殻になっちまったんだから」と述懐している。あるいは彼女も明治の「戸主制度」の下で自分で主人となるべき男を選べなかった女性なのかもしれない。もしそうだとすると、前述したように、漱石の描く女性たちはもしかすると「戸主制度」の下で「抑圧」されていたがゆえに、男たちに主体性を迫るために、いさぎよい、男前の女性になったのではないだろうか。自由奔放に見える裏には、彼女たちの悲しみ、恨みがこもっているのかもしれない。
 さらに言えば、三四郎」で颯爽と描かれている美禰子のモデルは平塚らいてうであるという。また漱石は、早稲田に移る前に住んでいた西片町の家から数十メートル下の丸山福山町で終焉を迎えた樋口一葉の「たけくらべ」に「樋口一葉全集」が出た際に感動したという(「漱石と歩く東京」北野豊、雪嶺叢書)。兄と父を亡くし戸主となって、裁縫、洗い張りなどで生計をたてながら母、妹の面倒を見ながら明治29年に24歳の若さで亡くなった樋口一葉もある意味「戸主制度」の呪縛に苦しんだ女性でもあった。漱石の脳裏には、明治という時代に新生面を切り拓いていった、こうした女性たちの姿があったとしても不思議ではないであろう。
 最後に早稲田の夏目坂にある漱石誕生の地を訪れた。漱石は明治という時代のなかで苦しみ悩みながらも、その時代を生きた男、女、人間をみずみずしく描いた。そうした漱石の小説を今日も読めることは幸せと言えるのではないだろうか。
 
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