錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

「陶説」に拙作の書評を書いていただきました。

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei: the story of an Awata kiln

A study of Kyo-Satsuma ,Kyoto ceramics that touched the world


 

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 薩摩焼研究家・陶磁史研究家の松村真希子さまが陶磁器の専門誌「陶説」に拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」の書評を書いていくださいました。「著者の熱情がここまで溢れ出ている本にはなかなか出合わない!というのが私の最初の感想である。そして少々オーバーな言い方だが、七代目錦光山宗兵衛の孫にあたる著者がこの本を書き上げたことは、奇跡に近い事実かもしれない。京焼の一陶家の歴史がこれほどまでに面白く、江戸末期から大正までを一気に読ませるノンフィクションになるとは誰が想像できたろう」と、過分なお言葉を書いていただき、著者の私には面映ゆい限りではございますが、この場をお借りしまして心より感謝申し上げます。

 拙作が出来上がったのには、松村真希子さまの𠮟咤激励のご指導の賜物なのですが、ここでは2017年春にオックスフォード大学のアシュモレアン博物館を訪れた時のエピソードをご紹介させていただきたいと思います。

 2017年3月28日のその日、私は大失態を演じたのです。アシュモレアン博物館のキュレーターのクレヤさんとの面談時間10時に十分間に合うようにロンドンのパディントン駅8:22発に乗り、オックスフォード駅に9:20着の予定でした。ところが、オックスフォード駅を乗り過ごしてしまい、約束の時間に1時間半も遅れてしまったのです。クレヤさんは少しも嫌な顔をせず出迎えてくれましたが、そのとき、約束の時間に到着してクレヤさんとお話して待っていてくださったのが松村真希子さまなのです。それ以来、松村真希子さまには頭が上がりません。

 カフェテリアでランチしたあと、クレヤさんは展示されている以外の錦光山の作品を含めて研究棟の一室で見てせてくれました。海外の美術館に所蔵されている錦光山作品の貴重な画像なのでこのブログに添付させていただきたいと思います。クレアさんは2020年にアシュモレアン博物館で日本の明治期の工芸展の企画・準備をされている最中でしたが、お忙しい時間を割いて案内してくれました。2020年の同展が成功裡に開催されますことを祈られずいられません。

 私の拙作の口絵にアシュモレアン博物館やヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の錦光山作品の画像を掲載するのに、当然のことながら使用料を払います。V&Aの場合、口絵で100ポンド、帯の場合には300ポンドでした。その代わり入場料は寄付という形を取っていました。またV&Aの錦光山作品が一時期、九谷焼と紹介されていましたので、それは何かの間違いでないかと問い合わせしましたところ、キュレーターの方が調査して訂正してくれました。イギリスの博物館には財政面を含めてしっかりした体制ができているのではないかとそのとき痛感いたしました。

 ここでまた話は飛躍するのですが、AIが発達していくと、ますます人間の感性や感動も含めて文化・芸術的なものが求められてくるのではないかと思います。

 日本には

 倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭(やまと)しうるわ  し

 と歌で詠まれるような美しい自然に満ちています。眼前にそのような美しい自然があっても、人々はそれが絵画として描かれたときに、眼前の自然に勝るとも劣らない感動を抱くことがあるのではないでしょうか。それは何故でしょうか。

 例えば、東山魁夷の「残照」(添付画像は別のものです)を見るとき、冬の陽射しを浴びて山並みが遠くまで幾重にも重なり合う風景を眺めるときに、その画家が過ごしてきた歳月にふるいをかけられた心象風景に心動かされるのではないでしょうか。東山魁夷の場合には、私は「翳り」がそれでないかと思いました。いずれにしましても、画家の人生が投影された心象風景、そこに文化・芸術の魅力、力があるのではないかと思われます。

 日本経済新聞によりますと、世界の美術市場に占める日本の割合は3%程度だといいます。同紙によると、日本の美術市場を活性化するためには、美術品の資産価値を客観的に評価できる仕組みを作り売買を活発化すること、質の高い展覧会を開き収集家の裾野を広げること、教育のなかで幼い頃から美術館に出かけ一流の作品に親しむ機会を増やすことが大切であるとしています。こうしたことを読みますと、ただ便利なものだけでなく、人の心を動かすもの、そこに日本も参加するためには日本の美術館も含めて国内外に、とりわけ世界にむけて発信していくことが必要になってきていると思われてなりません。

 

 

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