錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

映画「おーい、応為」を見る


 葛飾北斎の娘の浮世絵『吉原格子乃図』、これは、明るい室内で華麗な衣装を身につけた花魁たちの姿とそれを格子越しに眺める人々の後ろ姿の影という明暗のコントラストを絶妙に描いたものですが、だいぶ前にこの作品を見たときに、葛飾北斎にはこんな素晴らしい絵を描く娘がいたのかと驚いた記憶があります。

 


 そんなこともあって、葛飾北斎の娘を描いた映画「おーい、応為」を見にいきました。
 舞台は1820年北斎の娘、お栄(長澤まさみ)が旦那にむかって、「おれは、おまえのヘタクソな絵を見てると、虫酸がはしるんだよ!」と捨て台詞を吐いて、北斎のいる実家に帰るところからはじまります。
 北斎のいる場所は、江戸の貧しい人々が暮らす長屋の一角で足の踏み場もないゴミだらけの汚い部屋です。そのなかで葛飾北斎永瀬正敏)は床にはうような格好で一心不乱に絵を描いているのです。

 


 お栄は北斎に「しばらく、やっかいになるぜ」と言って、煙管をぷかぷかふかすのです。北斎は「早く出ていけ」というだけで奇妙な父娘の長屋暮らしがはじまります。
 お栄は多くを語ろうとせず、無為に日々を過ごしていくのですが、ある雨の降りしきる日びしょ濡れになり、まちかどで子犬を拾って帰るくるのです。
 お栄は家事は柚を刻むことすらできずに、ただ煙管をふかしたり、酒を飲むだけで、部屋がゴミだらけになってどうにもならなくなると大八車に荷物を乗せて何回も引越しするのです。ただ少し意外だったのは北斎の妻のこと(寺島しのぶ)という女性が葛西柴又辺りに住んでいて、盲目の妹と住んでいるらしいことでした。
 それでも、お栄は何もしようともせずに1年、2年と時は流れていくのです。 そんなある日、お栄は「おれの筆はどこにある」と部屋のなかをひっくり返して筆をさがすのです。お栄はだいぶ以前に絵を描いていたことがあったのです。こうして、父娘ふたりはゴミだらけの部屋で這いつくばるように絵を描きはじめるのです。その間、お栄は絵師の渓斎英泉(髙橋海人)と何かありそうな感じになるのですが、「おまえの春画、いやらしくていいじゃないか」程度の関係で終わってしまいます。

 


 それから12年が経ち、北斎はお栄の絵をみて「おまえの絵になっている」とつぶやき、いつも「おーい、おーい」と娘を呼んでいることもあつわて葛飾応為という号を与えたのです。お栄は大して感激もせず、じゃあ、もらっといてやる、という態度です。こうしたカラっとした親子関係がとてもいいのです。長澤まさみも無口だが、芯のある女性を好演しているといえましょう。また江戸時代の風情ある情景が随所に描かれているのもいい感じです。

 


 それでも、1939年ころ、だいぶ耄碌(もうろく)してきた北斎は応為に「おまえはしばらくやっかいなるといって、転がりこんできたけど、もういいから、どこかに出ていって自分のやりたいことをやれ」と言います。すると珍しく応為が涙を流して「ここに来たのは、おまえのためじゃない、自分で選んで来たんだ。おれのやりたいことは絵を描くことなんだ」というのです。この場面はなかせます。
 その後、ふたりは富士山の見えるところに旅したりして、絵を描き続け、1848年、北斎は絵筆を握ったまま90歳で亡くなったようです。老齢になっても「猫ひとつまともに描けないんだ」と言って画業に励んだ北斎らしい死にざまではないでしょうか。こんな北斎の死に方ができたらいいなと思います。
 生涯貧乏暮らして、たたひたすら絵を描き続けた北斎だこらこそ、ヨーロッパに衝撃をあたえたジャポニスムの源のひとりとなり得たのではないでしょうか。その後、応為がどのように暮らしたかは分からないそうですが、北斎にこんな娘がいたと分かるだけでも楽しい気分になりました。


 

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ジャポニスム


世界を驚かせたジャポニスム

  わたしはジャポニスムには特別な思い入れがあります。
  というのも、わたしの曾祖父で京都最大の窯元であり、将軍家御用御茶碗師であった六代錦光山宗兵衛が、東京遷都で大口需要家が東京に移ってしまい衰微する京都にあって輸出に活路を求め、折からのジャポニスムによって京薩摩といわれる陶器の輸出が急増し、未曽有の活況を呈し、京都の経済を救ったことがあったからです。それでジャポニスムさまさまなのです。

 そんなこともあって、NHKの「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」を大変興味深く見ました。
 それによりますと、ジャポニスムのきっかけは慶応3年(1867)のパリ万博であったようです。

 

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」


 万博でパリの人々は、浮世絵や日本の着物、鎧兜などファンタジーで奇想天外な日本美術を見て驚き一目でその虜になってしまったそうです。そして富裕層はそれまでルネッサンス以降何世紀もヨーロッパの伝統に縛られて、軸に沿って左右対称の堅苦しい室内装飾をしていたそうですが、人々はそうした伝統に縛られずにガラッと変え、自分の個人的な趣味で日本美術品を自由に選んでアレンジし、ゆっくりとしたリラックスした空間に変えていったそうです。

 

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」


 この当時、日本美術品を一番集めたのは富裕層、とりわけご婦人方であったようですが、そこまで資力のない、一般民衆は手軽で安い、浮世絵のウチワを買い求め、それを壁に左右対称ではなく「散らし」方式で貼りつけ楽しんだようです。ウチワは年間50万個も輸入されたそうです。その人気ぶりからウチワの裏側にはフランスの広告も貼られていたそうです。

 

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」


 また着物も「楽でええわ」と室内着として女性におおいにもてはやされたようです。 

 

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」


 また皿にも葛飾北斎の絵がもちいられるなど、日本の美術工芸がフランスの生活スタイルのなかにふかく浸透していった、ひとつの文化革命のようなことが起こったようです。

 

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」


 こうして日本の浮世絵や着物や陶磁器などがヨーロッパで大人気になったのですが、それに刺激を受けて新しい西洋文化が広がったといいます。その代表者が印象派の巨匠ゴッホとマネです。


 ゴッホ歌川広重の「亀戸梅屋敷」を模写し、その梅の構図を「種まく人」で利用しただけでなく浮世絵にふかく傾倒し、またマネも「ラ・ジャポネーゼ」に見られるように浮世絵を研究し、日本の太鼓橋やしだれ柳もある睡蓮の庭をつくり、一連の「睡蓮」の絵を描いていくことになったのです。

 

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」

©NHK「歴史探偵 ゴッホもマネも! ジャポニスム 花のパリの生活スタイル変えた日本文化とは」


  このようにしてジャポニスムは、フランスだけでなくイギリス、オランダ、ベルギー、北欧、東欧、ロシア、アメリカへの広がり、1860年代後半から1910年代後半にかけて約50年間続いたそうです。
 とりわけ明治11年(1878)の第三回パリ万博が絶頂期であり、ご参考までに拙著「京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛伝 世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて」の該当箇所をアップさせていただきます。

 


 最後に一言申し上げますと、現在、日本のアニメ、漫画が世界で大人気になっていますが、これは新ジャポニスムといわれているそうです。NHK大河ドラマの「べらぼう」の蔦重屋重三郎の黄表紙ではありませんが、江戸時代から今日まで、日本人の感性には、世の中のことを笑い飛ばし、世界を驚かすような批評性に富んだ諧謔やファンタジー性、奇想天外性があるのかもしれません。
そうであるとしたら、日本のクリエイティブの力を発揮して、これからも世界を驚かせていくことを期待したいものです。

 

 

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映画「宝島 HERO'S ISLAND」

 

 米占領下の1952年、沖縄で米軍の基地から物資を強奪して地元民に分け与える「戦果アギヤー」という若者の集団があり、そのリーダーはオン(永山瑛太)という若者であった。

 オンには幼馴染のグスク(妻夫木聡)という親友やヤマコ(広瀬すず)という彼女、レイ(窪田正孝)という弟がいた。
 ある夜、「戦果アギヤー」は、嘉手納基地に侵入し、手当たり次第に物資を奪っていたが、MPに発見され、銃弾を撃ち込まれながら逃走するが、何台もの軍用ジープに追いつめられる。
 グスクはオンと別れわかれになって夜の密林に逃げ込む。グスクは密林のなかで女の叫び声が聞こえた気がしたが、なんとか基地から脱出する。しかし、リーダーのオンは生きているのか殺されたのか、捕まったのか分からないまま、それ以来、消息を断つ。地元民のヒローだった男が消えたのだ。
 それから6年後、グスクはオンの行方を探すために地元の刑事になる。その頃、ガザの繁華街は、米兵がわがもの顔で歩きまわり、女給が殺されて、グスクが捕まえようとしてもM Pがやって来て逮捕できず、グスクは怒りを溜めこんでいく。
 グスクがオンの失踪の謎をいろいろ調べていくなかで、基地に侵入したオンはマフィアに頼まれて、米軍基地から武器を奪おうしていたことが分かる。グスクは、病院でマフィアのひとりであった男に、武器を奪って成果をあげたのかと問いただすと、結核で死ぬ寸前のその男は、"予定外の戦果"をあげたとだけ答える。それ以外は依然として謎のままだった。その''予定外の戦果"をめぐって米軍も動き出し執拗にグスクに迫ってくる。
 オンの彼女だったヤマコは、消息を断ったオンが戻ってくるのを待ちながら、かつて海岸でオンがいくら基地から物を奪っても、それだけでは沖縄は変わらないと言うのを聞いて、教師になることを決意、働きながら勉強して小学校の教師になる。1959年、その小学校に米軍機が墜落、小学校は炎上し死者17名、重軽傷者210名の大惨事となる。
 弟のレイは、繁華街の店からミカジメ料をとる地元のヤクザの舎弟となっていた。そんな繁華街で花売りの不思議な少年ウタ(栄莉弥)と知り合いになる。少年ウタはヤマコとも知り合い、沖縄の祖国復帰運動に邁進するヤマコに憧れを抱くようになる。
 ヤクザでしのぎを削るレイは、ある日、民族派の男たちと激しい闘争して、彼らとともに沖縄の米軍に仕返しをすることを決意する。


 時は流れて1970年、米兵が地元民を引き殺す交通事故をきっかけに、米施政下での圧政や人権侵害に不満を高めていた地元民によりコザで暴動が起こり、大量の米兵の車が焼かれ、米軍が出動する事態になる。
 そんな最中、レイは米軍基地に忍び込み、毒ガスをまこうとする。レイのあとを追いかけていたグスクはそれを止めようとして取っ組みあいとなり、米軍が出動してきて、彼らを取り囲み、レイを打ち殺そうとする。その瞬間、青年になっていたウタが現れる。
 このあと、地元のヒローだったオンの失踪の謎が解き明かされていくのだが、ネタバレになるのでここでやめておきます。ただオンの失踪の謎にしても”予定外の戦果”にしても米占領下の沖縄らしいものであることを付け加えておきます。


 この映画は作家真藤順丈直木賞受賞作「宝島」が原作だそうだが、沖縄の史実を追いつつ失踪したヒローであるオンの謎を追い、"予定外の戦果"とは何なのかというミステリー仕立てで、骨太で圧倒的な熱量の作品に仕上がっていると言えましょう。また沖縄の繁華街の街並みなどとてもリアルに再現されいるだけでなく、米軍に支配され日本からも見捨てられた沖縄の人々の怒りがリアルに描かれていて、大友啓史監督の手腕の高さがうかがえます。

 


 さらにこの映画は暴力シーンが多い映画ですが、米占領下の沖縄では暴力がまかり通っていたことを考えると致し方がないように思えますし、窪田正孝の暴力シーンの演技は凄惨さを感じさせ、また永山瑛太妻夫木聡広瀬すずの演技も熱量を伝える演技といえましょう。


 世界でいまだに紛争が絶えず、多く人々が死んでいっていることを思うと、残念ながら、この映画が描いた世界は依然として現在と地続きであると言えるのではないでしょうか。

 

朝日新聞夕刊

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著書「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝 世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて」

「粟田、色絵恋模様 京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛外伝」

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映画「遠い山なみの光」をみる

 

  ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロの原作で石川慶監督のこの映画は1982年のイギリスの郊外を舞台にはじまります。
 吉田羊演じる初老の悦子は、駆け出しのライターである娘のニキからなぜイギリスに来たのか尋ねられます。悦子は長女の景子が自殺したこともあってか過去のことをあまり話したがらないのですが、それでも少しづつ語りはじめます。


 その舞台は1953年の長崎です。広瀬すず演じる若い悦子は結婚して団地に住んでいます。その団地からは川べりの草地のなかに荒れ果てた木造のバラックのような一軒家が眺められ、ひとりの派手な服を着た女がそこに住んでいて、時々アメリカ兵が訪ねてくるようです。

 


 ある日、悦子は河原で女の子が男の子にいじめられているのを見て声をかけると、その女の子は河原の一軒家の女、二階堂ふみ演じる佐和子の娘万里子だと分かります。佐和子は被曝して困窮し、アメリカ兵と交際しているようなのです。世間の冷たい目にもかかわらず、佐和子は自由の国アメリカに移住することを夢みているようなのです。

 


 悦子は、佐和子に頼まれてうどん屋の仕事を紹介したりして、しだいに親しくなります。そんなある日、二人は長崎港が一望できる稲佐山の展望台でいろいろ話し合って、佐和子が長崎にいても自分は幸せになれないから、アメリカ兵のフランクとともにアメリカに渡りたいと考えていることを知ります。ただ、娘の万里子は捨て猫を飼っていて可愛がっているせいか、アメリカに行きたがらず、フランクも嫌いだと駄々をこねるのです。


 そんな佐和子と悦子の共通点は長崎で二人とも原爆に被曝していることです。悦子は自分が被曝していることを松下洸平演じる夫に知らせずに結婚、妊娠して子どもが産まれることを楽しみにしていますが、胎児に被曝の影響がないかと不安も抱えています。二人とも原爆の悲劇が影を落としているのです。

 


 夏祭りの日に万里子は射的で木箱を当て、その木箱を猫の小屋にするのですが、アメリカに行く日が近づいてきて、佐和子から猫を捨てなさいと言われるのですが、いうことを聞かないので佐和子は木箱を川につけてしまうのです。それは何かを予兆するように暗い影を投げかけているように感じられます。恐らく、それは嫌がる娘を海外に連れていき、自死させてしまった、取り返しのつかない悔恨の影を投げかけているのかもしれません。


 ある日、悦子が不在のときに、ニキは悦子の部屋に入り、悦子が隠し持っていた品を発見します。そして悦子の話が嘘であったことがわかるのです。ネタバレになってはいけないので、これ以上は触れませんが、誰しも、悦子が抱えているような悔恨という苦い思いを多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか。そしてトラウマとなった昔の傷に向き合うことはつらいことなのかもしれません。だとするなら、悦子を責めることはできないのかもしれません。


 原作の『遠い山なみの光』は大分前に読んだのでどんな筋だったかよく覚えていませんが、
 カズオイシグロの映画にもなった『日の名残り』でも戦前、親ナチであった貴族の館の執事をしている男が、自分に好意を持っている女中頭に自分の思いを伝えることなく別れ、苦い悔恨を胸にして、その女性に会うために訪ねていくという、昔の回想により物語が展開していく構成になっています。日経新聞の記事によりますと、カズオイシグロの小説の特徴に「信頼できない語り手」という手法があるそうですが、それは「物語の語り手には思い出したくない過去がある。記憶がゆがんでいたり、目を背けたり。やがて真実とのズレが表れ、そこから人生の深淵がのぞく」というものだそうです。また朝日新聞によりますと、カズオイシグロは「小さな世界を徹底的に見つめ、大きな歴史を描き出す」のが特徴だそうです。いずれにしましても、カズオイシグロは記憶および回想のつかい方が上手な作家といえるのではないでしょうか。


 今年は戦後80年となり、戦争および原爆についていろいろ報道されましたが、カズオイシグロはこの映画で戦争および原爆をどのような記憶として伝えるかに苦心したようです。映画のなかで原爆の悲惨さダイレクトには描かれていませんが、間接的には伝えられています。
 現在、世界では核の脅威が高まり、また世界では原爆の悲惨さを知らない人が圧倒的に多いようですから、やはり広島、長崎の原爆の悲惨さを伝えていくことは大切だと思います。その意味でこの映画はカンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品作品だそうですが、世界で広く見られてほしいものです。

 

○©錦光山和雄 All  Rights Reserved

著書『京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛伝 ー世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて』

 

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葛西臨海水族園でマグロの群泳を見る

 

 正面にガラスのドームの葛西臨海水族園が見えてきた。近づいていくと、ドームのまわりには東京湾から続いているように水が張られおり、海風にあおられて幾重にも波立つている。その波打ちぎわに立つて海を眺めてると、房総半島がうっすらと先に伸びているのがわかる。

 

   

 ガラスのドームのなかに入り、エスカレーターで下に降りていくと、まず最初にサンゴ礁の海が目に飛びこんできた。岩礁にいくつかサンゴが貼りついている。

 

 

 ふと隣りにいた少年が叫んだ。「あっ、サメがいる!」振りかえると、階下から巨大な水槽が延びており、サメが悠然と泳いでいる。よくみると、頭がカナヅチのようなサメもいる。

 

 

 階段を降りて、水槽を見上げると、サメにまじって大きなエイも泳いでいる。

 

 

 案内表示をみると、クロマグロの群泳は向かい側の水槽で見れると書いてある。薄暗い世界の海の魚のコーナーを足早に通りぬけていくと、薄暗いなかに円形の巨大な水槽があり、マグロの群れが回遊しているのが見える。

 

 

  近づいていくと、大きなクロマグロが目のまえを素早く泳いでいく。眼前に迫ってくるその迫力たるや、コンクリートの縁に登り水槽に張りついていた幼い男の子が思わずのけぞって滑り落ちそうになり、母親に支えられるほどである。目のまえを通りすぎるマグロの顔は、ひかりの加減か、艶やかな鉄仮面をかぶっているようにすら見える。

 

 

 わたしはなんといってもマグロの群泳を見たかったので大満足して、つぎに渚の生物とペンギン、さらにクラゲなどを見て葛西臨海水族園をあとにしたのです。

 

 

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圧倒的迫力の「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」

トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦

香港にいたことのある友人が、この映画を見にいくというので、かつて香港に行ったとき、折り重なるように密集したスラム街・九龍城砦を垣間見たことを思い出し、わたしも見に行くことにしました。

 

 

半年ほど前に見たので筋はほとんど忘れてしまいましたが、麻薬や買春など無法地帯として知られ、また汚くて危険で迷路のような九龍城砦がセットとはいえ、再現されたのは圧巻でした。

通路にはネズミが行き交い、その狭い通路をオートバイで駆け上がり、屋上では飛行機がすぐ頭上を飛んでいく映像は迫力がありました。


でもあとで知ったことは、この九龍城砦は中国から逃れてきた人にとっては、無法地帯であるがゆえにかえって、家族とともに肩寄せ合って安心して暮らしていける場所であったということです。 彼らは固定資産税などとられることなく稼業に精を出して働いていたのです。


1980年代のある日、かつて黒社会の掟に逆らって追われ香港に密入国した青年、陳洛軍が身分証を手に入れようとして黒社会の大ボスにだまされ、大ボスから袋を奪って、そんな九龍城砦に逃げこみます。

そして床屋を営み、九龍城砦で最強の拳といわれる龍捲風と手を組み、大ボスの手下の執拗な攻撃に対して生命を賭けた闘いがはじまるのです。

 

 

香港のアクション映画らしく拳で殴られた空中を飛ぶシーンなど奇想天外なシーンもありますが、何といっても、そのアクションシーンはこれでもかというくらい壮絶で、迫力があり堪能できます。


東洋の魔窟と呼ばれた伝説のスラム街、九龍城砦は香港返還を控えて無法地帯をなくすためにイギリスが、1993年に解体したそうで、現在は公園になっているそうです。


いま香港では映画業界も斜陽化しているそうですが、この映画がヒットしたことを契機にふたたび元気になっていくことを期待したいと思います。

 

 

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映画「国宝」

 長崎の任侠、立花組の親分が雪の降りしきるなか殺されます。
 立花親分の15歳の息子の喜久雄は背中にミミズクの刺青をいれ、父の敵討ちをしようとしますが、それに失敗します。


 そんななか、喜久雄は上方歌舞伎の名門、渡辺謙演じる丹波屋花井半二郎に預けられ、丹波屋の御曹司、大垣俊介とともに厳しい修行に耐えながら女形をめざします。
 数年後に二人は、舞台でふたり藤娘や二人道成寺を華やかな舞い、大好評を博し若手女形として将来を嘱望されるようになります。

 


 さらに何年か経ち、花井半二郎が事故で入院することになり、自分が演じるはずであった「曾根崎心中」のお初の代役に息子の俊介ではなく、喜久雄を選びます。寺島しのぶ演じる半二郎の妻幸子は、自分の息子である俊介が代役を演じるべきだと主張しますが、聞き入れられず、喜久雄を預かったことを悔やみます。


 自分が父親から代役に選ばれなかったことに複雑な思いを抱えたまま喜久雄がお初を演じる舞台を見つめていた俊介は、たまらなくなって席を立ち、劇場の玄関で崩れおちます。それを見ていた、長崎で喜久雄にならって背中に刺青をいれ、故郷の長崎から喜久雄を追ってきた幸江は、喜久雄ではなく俊介とともにいずれかに出奔してしまいます。

 俊介が出奔してしまった花井半二郎は、喜久雄に三代目花井半二郎を継がせることに決め、自分は白虎を襲名することにしますが、白虎は襲名披露の舞台で吐血して亡くなってしまいます。
 血筋こそ命の世界で二代目花井半二郎である白虎という後ろ盾をうしなった喜久雄は、その他大勢の役者になってしまい、芸妓あがりの妻とともに惨めなドサ周りの日々を送ることになります。


 そんな喜久雄は、田中泯が演じ凄みさえ感じさせる立女形の万菊に認められ、舞台にもどることができるようになります。


 そんななかで御曹司として丹波屋の家にもどった俊介が片足を失いながら「曾根崎心中」のお初を義足でも演じたいことを知った喜久雄は、自分が徳兵衞を演じることにするのです。
「曾根崎心中」でお初が、煙管をトンと縁側に打ち付けて心中を決意する名場面で、床下にいる徳兵衞が、糖尿病で壊死しかけたお初を演じる俊介の足に頬をすりよせる場面は泣かせます。喜久雄は家族を顧みることもなく、人間国宝にまでなりますが、芸一筋に打ち込む、その冷徹ささえも吉沢亮は演じ切ります。

 喜久雄を演じる吉沢亮と俊介を演じる横浜流星が、ふたり藤娘や二人道成寺、鷺娘を華麗に舞い歌舞伎の女形を演じる姿は、よくぞ、ここまで演じ切ったとやはり感動をよびさまします。

 原作の小説「国宝」を吉田修一は、裏方として歌舞伎界に3年身をおき書いたそうですから、その執念とともに重厚な俳優陣を得て製作された映画「国宝」が記録的なヒットになっているのもむべなるかなと思います。

 

 

 

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