錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

錦光山と藪明山:Kinkozan & Yabu Meizan

色絵金彩紅葉図花瓶 錦光山宗兵衛

Kinkozan Sobei

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 藪明山が海外のコレクターから非常に人気があり、高い評価を得ていることは知っていましたが、実際に藪明山の作品を実見したのは、京都の清水三年坂美術館に行った際に、錦光山作品とよく似た細密な作品があるものだと思って見たのが最初でした。

 

 その後、昨年12月に鹿児島の黎明館で開催されました「華麗なる薩摩焼展」のシンポジウムで鹿児島大学法文学部渡辺芳郎教授が、

「SATSUMAは三分類できて、その第一が素地、絵付けとも鹿児島のもので、その代表が沈壽官である。第二が素地が鹿児島、絵付けが鹿児島以外のもので、その代表が藪明山である。第三が素地、絵付けとも鹿児島以外のもので、その代表が錦光山である」

 とのお話を聞き、とても明確な分類であると感銘を受け、それから沈壽官作品とともに藪明山作品をかなり意識するようになりました。

 

 その後、藪明山研究の第一人者である大阪歴史博物館学芸員の中野朋子様にお話を伺う機会がありまして、益々藪明山に興味を持つようになりました。

 とりわけ、中野朋子様が「近代大阪職人図鑑」のなかで論述されている『藪明山”アートプロデューサー”論』は、従来の藪明山像をくつがえす画期的な論文であり、長年の研究の大きな成果でもあり驚嘆いたしました。

 

 中野朋子様はその論文のなかで、

「”YABU MEIZAN”の薩摩焼が海外において高く評価される要因のひとつは極小の器胎に施された精巧な上絵付にある。藪明山が用いた素地はおもに鹿児島の沈壽官窯から取り寄せられており…」

 と素地が沈壽官窯から提供があったことに触れ、また大阪歴史博物館の「館蔵資料集1 明山薩摩の美」のなかで「京都の錦光山宗兵衛の素地も使用していたようだ」と書かれております。

 さらに、

「極小の器胎への精巧な上絵付を実現するために、明山工房では独自開発した上絵付用の凹版銅版による絵付技法を導入していた。…こうした製作上の工夫は明山作品の品質管理と規格化そして完成精度の向上に直結するものであり、ひいては明山工房経営の安定化を支えたのではないかと考えられる」

 と凹版銅版の絵付技法の導入を指摘し、

「明山は自身では絵付行わず、工房開設当初から東京修行で得た知識と人脈を活かして上絵付技術に熟達した才能豊かな『陶画工』を確保し精巧な作品を製作させた。…明山を評価する際の視点を工房経営に置いて考えるほうが、明山の担った役割をより明確に示すことができるだろう」

 とひとつの仮説を立て、

藪明山を「”アートプロデューサー”としての視座から薩摩焼工房を経営、自らは工房経営に専念するという新しい形態の窯業を手がけた時代の先覚者であったというえるだろう」と論述しています。

 私の拙著「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」で詳しく書いておりますが、

六代錦光山宗兵衛、七代錦光山宗兵衛は、幼い頃から修行をしておりまして、ロクロによる成型はもちろん、絵付まで自ら手掛けていたと考えられますが、

最盛期には500名近い人員を抱えて、年間40万個程生産していたわけですから、当然、経営者として”アートプロデューサー”的役割を担ったわけであり、その意味では藪明山がその役割を果たしたことは、彼の経営者としての才覚を表すものと言えるのではないでしょうか。 

 

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 なお、中野朋子様が、大阪歴史博物館の「館蔵資料集1 明山薩摩の美」のなかで凹版銅版については詳しく書かれていますが、

 私は、父の雄二から錦光山工房で凹版銅版を使っていたという話は聞いたことがなく錦光山では使っていなかったと考えていますが、念のために錦光山と同じ京都の粟田焼ゆかりの陶芸家であります雲林院寶山様、安田浩人様にお聞きしたところ、凹版銅版のような史料は出てきたことはなく、使っていないとのことでした。

 こうした違いは、おそらく、藪明山の工房は大阪の堂島にあり、窯業地であった京都と窯業地でなかった大阪との違い、また、藪明山の父は淡路島の洲本出身の画家であったそうですが、代々の陶家ではなかったことを勘案しますと、京都粟田焼の代々陶家であったところとは、上絵付技法などに違いがあったのではないかと思われます。

 

 ところで、今年6月に多治見の陶芸家の高木典利先生のところにお伺いした際に、高木先生は錦光山と藪明山の花尽くしの画像を見比べて、錦光山のものは、花の絵付に色彩のグラデーションがあり、立体的に見えるが、藪明山のものは細密ではあるが、やや平面的でデザイン的に見えるとおっしゃっていました。

 

 今回、平成記念美術館ギャラリーで「藪明山の世界 特別展」が開催されておりまして、詳細に藪明山の作品を実見する機会がありましたので、子細に見てみることにいたしました。

 

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 まず、下記の画像は、藪明山の「藤絵菊詰金襴手花瓶」の画像ですが、細密に描かれていて華麗ではありますが、やや平板でデザイン的に貼り付けられたような印象を持ちます。

 

藤絵菊詰金襴手花瓶  藪明山

Yabu Meizan

 

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 次に藪明山の「花づくし花瓶」ですが、こちらの方はグラデーションも部分的に使われているようで、ぺったりと貼り付けた感じが薄れ、花々が浮き立っているように見えます。

 

 花づくし花瓶  藪明山

   Yabu  Meizan

 

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  次に錦光山作品ですが、下にありますように、清水三年坂美術館の図録「SATSUMA」に掲載されている錦光山の「花鳥図大鉢」の画像を見てみますと、私にはグラデーションが多く使われていて、どこか手描きの油彩画のように伸びやかさがあるように感じられますが、皆さまはいかがでしょうか。

 

 花鳥図大鉢  七代錦光山宗兵衛 (清水三年坂美術館 図録「SATSUMA」より)

 Bowl with butterflies and flowers     Kinkozan  SobeiⅦ

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 この他にも、錦光山と藪明山の違いとして、私は動的な感じに違いがあるのではないか、それは特に子供が遊んでいる時の動きに端的に表れているのではないか、さらに藪明山の人物文様が総じて小さく、人物の群像が多く、また行列風景などもややパターン化しており、それは凹版銅版の影響があるのではないかと推測しています。

 

凧揚げ図花瓶   藪明山

Yabu  Meizan

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蝶文角絵図茶入  藪明山

Yabu  Meizan

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  最後に逆の面を指摘しておきたいと思います。

  錦光山の「色絵金彩紅葉図花瓶」(冒頭の画像)の紅葉の意匠が、ナセル・D・ハリリの「SPLENDORS OF  MEIJI」(下の画像)に掲載されている花瓶の意匠と驚くほど似ているように思われるのです。

  なぜ似ているのか、不思議なことですが、それを明らかにした人はまだ誰もいません。

  このように見てまいりますと、「SATSUMA」の世界、それは本薩摩、京薩摩、大阪薩摩のいずれにせよ、まだまだ未知の謎に満ち、解明されていない神秘的な世界が沢山あるのではないでしょうか。

 

 藪明山 色絵金彩紅葉図花瓶 (「SPLENDORS OF MEIJI」より)

 Vase  About 1910      Yabe Meizan
 

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 ○©錦光山和雄Allrightsreserved

 

 

 

 

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