錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

錦光山宗兵衛関係の古写真をデジタル・アーカイブ化しました[Ⅰ]

 

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Kinkozan Kiln in kyoto
 

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 拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」において一部掲載しました錦光山宗兵衛関連

の古写真を、将来の粟田焼・京薩摩研究の一助になることを願い、立命館大学アート・

リサーチセンター様にデジタル・アーカイブ化していただきましたので、2回に分け

てご紹介したいと思います。

 今回ご紹介する錦光山家の古写真は、極めて珍しい、1904年当時の錦光山工場の

登り窯の写真、および1904年当時の絵付け写真や私が世界一有名な無名のロクロ師

であると思っているロクロ師の1902年当時の着物姿と裸の姿の写真、および私の大

好きな絵師・素山の「色絵金彩山水図蓋付箱」が出品された1910年の日英博覧会

ポストカードの写真を含んでおります(なお、デジタルアーカイブのデータは大きすぎて

このブログには取り込めなかったので、ここに掲載した写真は二次加工したもので

す)。

 今回ご紹介する写真は、拙作のなかで私が書きましたように、イギリスの元美術商で

「SATSUMA」および「SATSUMA The Romanc of Japan」の著者でもあるルイス・

ローレンス(Louis Lawrence)氏が「私が本当に錦光山宗兵衛の業績および作品

を世間に知ってほしいと思うなら、日本で、できれば京都で『錦光山宗兵衛展』を開催

すべきという。もし私が本当にやる気ならば、世界中から錦光山作品のベスト50を集

めるのに協力する」と言われ、そのために役に立つならばと私に譲っていただいたもの

です。

 

冒頭2枚目の写真とこの写真は、1904年当時の錦光山工場の巨大な登り窯と釉掛けの写っている貴重な写真

Painting in the Kinkozan Workshop at year 1904

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ルイス・ローレンス氏の2冊の著作(これはデジタルアーカイブではありません)

なお「SATSUMA】の表紙の舞妓の陶彫は錦光山作品

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The masterpiece of Kinkozan Sobei(Ⅶ)from LOUIS LAWRENCE「SATSUMA Masterpiecrs of world's important cllections」

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帯びの端に京都錦光山造と金糸で織り込まれたように描かれています

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 まだ京焼の歴史などの本のなかで明治期の京薩摩に正当な光を当てない類書を見るに

つけ、少なくとも世界に散らばる錦光山宗兵衛の逸品・Mastepieceを実見してから論評

してほしいものだと強く思います。

 明治工芸の日本におけるパイオニアで私がリスペクトしております京都清水三年坂美

術館館長の村田理如様も、著書「明治工芸入門」のなかで「どうも日本の美術界では明

治工芸は無視されている。誰も評価していないんです。例えば京都の国立博物館や近代

美術館に行っても、明治工芸がほとんどなかったわけですね。その当時の日本の美術界

では、『明治工芸』というのは欧米人に迎合したくだらない輸出品であって研究の対象

にならないと専門の研究者もいなかったわけです」と述べ、それに対して欧米ではロン

ドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、オックスフォード大学のアシュモレ

アン博物館、アメリカのボストン美術館メトロポリタン美術館などでは常設展示され

いていて、mastepiece的な作品はオークションにも出ずに欧米のコレクター同士で取引

されてしまうほど評価されており、「一級品は残念ながらほとんど海外に流失してしま

い……、海外に行かないと研究できないという現状があるわけです」と述べられておら

れます。

 

英国人写真家ポンティングが「In Lotus-Land Japan」の中で活写した魔法のように寸分の狂いもなく花瓶をつくり上げる1902年当時の錦光山工場のロクロ師

The potter's wheel craftman of Kinkozan workshop

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このロクロ師は別人

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 また村田館長は「(海外の万博で明治の工芸品の)もっと繊細で美しいものに欧米人

はショックを受け、たちまち虜となって、ジャポニスム運動やアールヌーボー芸術運動

といった、日本の美術に刺激された新しい芸術運動が起こりました」と述べておられま

すが、浮世絵だけでなく日本の明治期の美術工芸品が、近代のヨーロッパの芸術に確実

に影響を与えたのです。したがって、数千万点ある錦光山の普及品のなかにそういった

面があることは否定しませんが、逸品といわれるものは、欧米人に迎合したというより

も、村田館長も述べているように「日本というのは海外からいろんな新技術が入ってく

るとそれをどんどん進化発展させる独特のDNAを持っていると思うんです……。日本

人のDNAが明治工芸という世界を作り上げて、欧米や中国や朝鮮とは比較にならない

程、素晴らしいものに変えていった」ととらえるべきではないでしょうか。

  私ももちろん錦光山の逸品をすべて実見しているわけではありませんが、逸品のいく

つかを見て思うことは、それらの作品は雅で繊細な京焼・粟田焼の伝統を引き継いだう

えで、モダンなテイストを加味したものだということです。そしてそれを支える超絶技

巧といわれる匠の技の素晴らしさです。それらが多くの人に実見されることを願ってや

みません。

 なお、錦光山家古写真コレクションは、所有者は錦光山和雄ですが、データ提供およ

著作権立命館大学アート・リサーチセンターにあります。したがいまして、これら

の画像を使用する場合は立命館大学アート・リサーチセンターおよび錦光山和雄の承認

が必要になりますことを申し添えさせていただきます。

 

1904年当時の錦光山工場の画工たち

Painters in Kinkozan factory in year 1904

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何カ月もかけて高級品を絵付けする錦光山工場の絵師

Painting artist in Kinkozan workshop

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1910年日英博覧会

Japan-British Expo in 1910

 

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 次回は錦光山宗兵衛関係の工場および顔写真。家族写真をご紹介したいと思います。

 

 ○©錦光山和雄Allrightsreserved

 

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