錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

気鋭の国際派エコノミストなどと面映ゆいですが、友人が寄稿してくれた感想文を紹介します。

f:id:woodsidepark60:20180426221231j:plain

友人K・M氏が寄稿してくれた「錦光山宗兵衛伝」の感想文

 

本書は現在は生産されていないが明治初期から昭和初期まで日本を代表する輸出品であり、国内にも広く販売された「京薩摩」の生産者である「錦光山宗兵衛」の生涯を気鋭の国際派エコノミストであった孫が丁寧に時代と作品製造の進化、変転を調べ、また祖父である主人公に導かれるようにいくつもの幸運な出会いに恵まれて描いた伝記であり、近代日本を作った「明治人」の物語である。

明治維新とそれに伴う国際化は日本の文化、経済を激動の嵐に投げ込み、あらゆる明治人にその存亡の試練を課すものであった。

明治元年に生まれ、京薩摩と呼ばれる粟田焼錦光山窯元を七代目として継いだ宗兵衛はその時代の真ん中で家業の維持発展に懸命に取り組んでいくことになる。

宗兵衛は古くからの伝統技術をベースに先ずは欧米人の異国趣味を満足させる陶器を作り明治初頭のジャポニスムの流れに乗って輸出を成功させるが、大量に供給される製品が次第に本来の日本美術を継ぐものではないという批判にあう中失速して行く。

再び世界に競争力ある陶磁器を作るために宗兵衛が取り組んだ道筋が明治人の面目躍如という感じがする。

彼は語学も学びヨーロッパやアメリカの博覧会、陶業産地を精力的に視察し世界の潮流をしっかりと掴む一方、国作り真っ最中の明治政府にも働きかけてホームの京都に陶磁器技術基盤育成の試験場を作って欧米に対抗できる先進的技術の開発を図り、輸出力ある陶磁器産業振興の組織を作る。

外国の先進的な事情を明敏に掴み、自国の技術、組織、マーケティングの不足を見極め、それを捉えるハード、ソフトの体制構築に懸命の努力を重ねその構想を実現する姿が活写されるが、そこに明治維新以降欧米列強の様々な脅威に晒され、また社会を襲う「文明開化」の波に伝統生活を脅かされながらも健気にそして勇気を持って立ち向かう誇るべき明治日本人を見る思いがする。

「殖産興業」という抽象的な4文字熟語の明治イメージを、具体的な明治日本人の姿に変えて生き生きと現代の我々に紹介してくれるのが「錦光山宗兵衛伝」という作品であるように思う。

隆盛を誇った京薩摩は第一次世界大戦後の反動不況、関東大震災、昭和初年の世界的な大不況を経て姿を消し、今日その生産業としての実態は失われているが、明治から昭和初期の超絶技巧を施された傑作は世界の博物館や具眼の収集家により大切に保存展示されてきた。近年改めて国内外の再評価も進んでいるが、日本経済史とビジネスの実際に通じ、国際経験豊かな宗兵衛の孫である著者が様々な出会いに恵まれ明治150年のこの時にこの作品を世に出した歴史の不思議と幸運を喜びたい。

                              宮嵜

 

私の友人M・K氏は、明治維新以降の日本の近代史を考察した論稿「私の歴史認識」の著者であります。今回寄稿された感想文も、「錦光山宗兵衛伝」が単なる美術史あるいは評伝ではなく、経済的な視点で書かれている点を的確に捉え、それを格調高い文章で紹介してくれています。ここに感謝の意をあらわすとともに敬意を表します。

 

 

なお、写真は京都国立近代美術館のショップで販売されている「錦光山宗兵衛伝」。

清水三年坂美術館および京都文化博物館でも「錦光山宗兵衛伝」は販売されています。