錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

京焼のなかの粟田(粟田口)焼(2) 春二題付

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝-世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma, Kyoto ceramics that touched the world

 

京焼のなかで粟田焼が最古ということをご存じだろうか。

 

 今では極めて貴重な文献となっている「粟田焼」(粟田焼保存研究会編)によると、

京焼というと平安朝の緑釉陶まで遡ってもよいわけであるが、ふつう近世初頭いわゆる京窯出現いらいの焼物を指し、楽焼は含まない慣わしであるとしている。

 これに対して岡佳子氏は「近世京焼の研究」のなかで楽焼も含めて京焼を近世以後に京都市街地とその周辺で焼かれた焼物と広義に定義している。

 金森得水著の幕末の文献「本朝陶器考証 巻二」によると、粟田焼は寛永元年(1624)尾張国瀬戸の三文字屋九右衛門(九左衛門が正しいという説あり)と名乗る陶工が粟田の里に移り住み、この地に窯を築いたのが始まりという。また、この三文字屋九右(左)衛門は三代将軍徳川家光の治世に陶工として最高の地位である将軍家御用を勤めたとしている。三文字屋九右(左)衛門が粟田焼の祖ということになる。

 これにより、京焼において、小規模な内窯で焼かれた低火度焼成の軟質施釉陶器は別にして登り窯による高火度の本焼焼成においては粟田焼が最古ということになるであろう。

 

 ここで京焼最古の江戸時代の粟田焼の画像を掲載したいところですが、それがないので春二題の写真を掲載させていただきます。

 

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薄紅の桜 咲きそめし 恥じらう乙女のごとく。 

A pink cherry begins to blossom like an innocent girl.

 

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春爛漫  サクラ咲く天空に  朧ろ月

In the blue sky of Spring , we could see a half moon  between the cherry blossom.

 

 

 

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