錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

1 ワンダーランドとなってしまった京都粟田焼への遥かなる旅

 

 

~出立編1

 いまや京都の粟田焼といっても知る人は少なく、ほぼ忘れ去られてしまったと言ってよいだろう。

 いまでは「どんなお菓子ですか」と聞かれる時勢である。実際に平安神宮の近くにある京和菓子店『平安殿』が「粟田焼」という美味しい和菓子をつくっている。『平安殿』のご主人が、粟田の一帯にあった粟田焼を偲んでその名前を残したいとつくるようになったのである。その包装紙には錦光山商店の店舗・工場風景が使われている。

 

 また京都粟田焼の窯元で代々徳川将軍家御用御茶碗師を勤めていた錦光山宗兵衛といってもいまや知る人はほとんどいないであろう。

 いつしか私はそんなワンダーランドになってしまった京都粟田焼の錦光山宗兵衛の世界へ遥かなる旅に出てみようと思うようになっていた。それは私が出会ったことのない曾祖父と祖父の錦光山宗兵衛との邂逅の旅でもあるだろう。

 そう思うようになったのは、数十年前ロンドンのクリスティーズで忘れ去られたと思っていた錦光山宗兵衛の作品がオークションにかけられていて、いまだに「キンコウザン・ウエア」として流通していることに驚きを禁じ得なかったからである。

 なぜ錦光山宗兵衛の作品が流通しているのか、どのような経緯でそのようなことになったのか、その歴史を紐解いてみようと思った。

 こうして私のワンダーランドとなった錦光山宗兵衛の世界への旅立ちが始まった。

 

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