錦光山和雄の「粟田焼&京薩摩」Blog

京都粟田窯元で「京薩摩」の最大の窯元であった錦光山宗兵衛の孫によ

東京国立近代美術館で錦光山宗兵衛作品がご覧いただけます。

 

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東京国立近代美術館(The National Museum of Modern Art  TOKYO)で開催中の

「MOMATコレクション(Museum Collection Gallery)」展におきまして

七代錦光山宗兵衛(Kinkozan SobeiⅦ)の

上絵金彩花鳥図蓋付飾壺(Jar with lid, flower and Bird design, overglaze enamels and

gold)が展示されおります。

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 今回の七代錦光山宗兵衛のこの作品は、

胴の中央部に牡丹の花が大きく描かれ、周りには鶴とともに朝顔や萩、ススキなどの草

花が描かれています。牡丹の脇からは花が咲いた木がありますが、この花木がなんなの

か迷うところですが、どうも梅や桜ではないようなので、あるいは海棠(かいどう)で

はないかと思われますが、写真の海棠と比べますと、壺の花木の花の色はやや薄いよう

に見受けられます。

  紅(くれない)に 咲き誇る 海棠(かいどう) 

 

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 泉屋博古館分館で開催されている「華ひらく皇室文化」展において展示されています

六代錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文花瓶」(霞会館蔵)見ますと、

壺の中央には牡丹、その周りには朝顔、菊などが描かれており、東京国立近代美術館

七代宗兵衛の作品と意匠の趣きがきわめて似ていることに驚かされます。

 もっとも、七代宗兵衛の作品は鶴が描かれていますが、六代宗兵衛の作品は、鶴では

なく瑠璃地の小鳥、それはもしかしたら翡翠(かわせみ)かと思われる小鳥が飛んでい

るといった違いがあります。また花木も七代はおそらく海棠であり、六代のは花弁が開

いているので梅ではないかと思われ、もしそうであれば花木も違うことになります。

 こうように両作品には違いがあるのですが、全体的に受ける印象がとても似ていて、

まるで七代宗兵衛が、父である六代宗兵衛作品のオマージュをつくったのではないかと

思われるほどです。

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 どちらがいいか、それぞれの良さはあると思います。ただ、孫のわたしといたしまし

て、六代宗兵衛作品の方が、牡丹や梅などの朱の色の濃淡があざやかであり、華やかで

愉しさがあるように感じられます。

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今日は東京国立近代美術館の周囲は桜が綺麗でした。

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明日、新元号が発表されるので、

さよなら、平成

Good-bye Heisei

とお別れの言葉を述べておきます。

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#pottery #stoneware #satsuma #kinkozan #MOMAT

#東京国立近代美術館 #MOMATコレクション #陶芸 #陶磁器 #薩摩焼

#粟田焼 #錦光山

 

 

 

Kinkozan Sobei:the story of an Awata kiln-A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the world(Japanese Edition):Kindle Edition on Saleー「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」のKindle版および海外配信が開始されました。

 

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A person who lives in foreign country  can buy an overseas edition of this book,"Kinkozan Sobei : the story of an Awata Klin ーA study of Kyo-Satsuma, Kyoto ceramics that touched the world" through Amason.

However please remind, this book is written by Japanese, not English.

URL of the foreign country are as below.

However in the United Sates of America the sale of this book is locked now.

If  sale become available in U.S.A ,let you know in this Blog.

 And also the kindle edition of this book was published in Japan.

 

「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」の海外配信が開始されましたので、海外在住の方でもKindle版をご購入できます。

ただ、この本は英文ではなく日本語で書かれておりますのでご注意ください。

外国で購入される際のURLは下記に表示してありますが、アメリカではAmasonに登録されておりますが、販売はロックされておりますので購入はできません。ロックが解除されましたら、このブログにてお知らせいたします。

また日本国内で、電子書籍化されまして、Kindle版が購入できますのでよろしくお願いいたします。

下記は英文による内容紹介です。

 

Introduction of this book:

 

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the word

 

This book is a critical biography of master craftsmen of an Awata Kiln, Kinkozan SobeiⅥ(1823-1884) and Kinkozan SobeiⅦ(1868-1927). Awata Kiln is considered to be  the oldest kiln of Kyoto ceramics.

 

In the Edo period, KInkozan Sobei Ⅵ was appointed as official potter for the Tokugawa shogunate and his kiln flourished in those years. Because of the following Meiji Restoration, however,he lost his major customers such as shogun and daimyo, feudal lords. In this difficult situation, he made every effort to refine the painting method for pottery and finally developed a new method called "Kyo-Satsuma".

The exhibit at the 1867 Paris Expo fascinated the West and a great admiration for Japanese cultures known as Japonism made exports of Kyo-Satsuma ware increase remarkably. In the Meiji period, Kinkozan workshop became the biggest Kyo-Satsuma kiln in Kyoto.

 

After the death of Kinkozan SobeiⅥ, the reputation of Kyo-Satsuma declined.At the 1900 Paris Expo, Kinkozan SobeiⅦ was shocked by new Art Nouveau style ceramics and recognized that Japan was far behind the European nations in the technical innovation of ceramics. Then he started to reform the design and the method of production of Kyoto Ware in order to modernize Kyoto ceramics. As a result, Kinkozan SobeiⅦ achieved a big commercial success of Awata Kiln and established the finest pottery painting "Kyo-Satsuma" in the world.

 

This book also includes a lot of pictures of Kinkozan's magnificent masterpieces and some are very rare of kinkozan factory and his families. Lovers of Japanese Art will find this book full of interesting stories.

 

The author Kazuo Kinkozan is a grandson of SobeiⅦ. Kazuo spent many years tracing back the family history with great passion wanting to inform the world of his grandfathers.This book is written by Japanese.

 

Thank you very much for your support.

引き続き皆さまのご支援に感謝いたします。

 

URL for overseas nations

海外から購入する際の各国のURL

 

Japan(日本) https://www.amazon.co.jp/dp/B07PBWQN6D

US(U.S.A)      https://www.amazon.com/dp/B07PDWJ5GS

UK(England)  https://www.amazon.co.uk/dp/B07PDWJ5GS

DE(Germany)https://www.amazon.de/dp/B07PDWJ5GS

FR(france)  https://www.amazon.fr/dp/B07PDWJ5GS

ES(Spain)          https://www.amazon.es/dp/B07PDWJ5GS

IT:(Itary)             https://www.amazon.it/dp/B07PDWJ5GS

NL(Netherlands) https://www.amazon.nl/dp/B07PDWJ5GS

BR(Brazil)         https://www.amazon.com.br/dp/B07PDWJ5GS

CA(Canada)     https://www.amazon.ca/dp/B07PDWJ5GS

MX(Mexico)      https://www.amazon.com.mx/dp/B07PDWJ5GS

AU(Australia)    https://www.amazon.com.au/dp/B07PDWJ5GS

IN(India)            https://www.amazon.in/dp/B07PDWJ5GS

#陶芸

 

 

 

 

泉屋博古館分館「華ひらく皇室文化」展で六代&七代錦光山宗兵衛作品が展示

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  泉屋博古館分館の「華ひらく皇室文化ー明治宮廷を彩る技と美ー」展(The Blossoming of Imperial Culture Technique and Aesthetic in the Adornments of the Meiji Court)を見てきました。

 今回の同展は、皇室や宮家の慶事や饗宴のときに金平糖などを入れて配られる、主に銀製の小さな菓子器であるボンボニエールの展示や帝室技芸員の方の作品の展示が主でありましたが、錦光山宗兵衛の作品も二つ展示されておりました。

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 ひとつは、六代錦光山宗兵衛の「色絵金彩花鳥文花瓶」一対(Pair of Vases,Bird and flower design)です。

 その解説文には「沈香壺形の本作の作者6代錦光山宗兵衛は、京都粟田口の陶工で青木木米から磁器の製法を学ぶ。厚みのある上絵付に金彩を施した緻密な作風の京薩摩を製し海外に販路を開き、9代帯山与兵衛とともに京都の陶磁器輸出の端緒となった」と記されていました。

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 この作品の意匠は、紅や白の華やかな大輪の牡丹、黄色や赤などの菊、赤い椿、はては朝顔まで描かれている空間を、黄色い頭や背中が青い小鳥、おそらく翡翠(かわせみ)が飛び回っているものです。この作品はどうも和絵具で描かれているようで、牡丹や椿の花や葉が少し盛り上がっていて、照明のかげんでキラキラと煌めき、緻密でありながら空間の広がりが感じられます。それは、まるで花盛りの森のなかを小鳥がさえずりながら自由に飛び回っているようで、とても伸びやかで華麗な印象を受けます。それはまた、明治初期という近代国家の黎明期に、世界に雄飛することを志した六代錦光山宗兵衛の気風を表しているといえばいいすぎでしょうか。

 幹山伝七の「色絵金彩花鳥文花瓶」も並んで展示されているのですが、幹山伝七は西洋の色絵顔料を積極的に取り入れたようですが、牡丹が丈高く色鮮やかに描かれているのですが、どこか平板で、和絵具の浮彫がある錦光山宗兵衛の作品の方が陰影が深く、生命感にあふれているように思われます。

 なお、「日本京都錦光山造」の銘が花瓶の下方に記されています。また製作年は「明治17年(1884)以前」となっております。六代錦光山宗兵衛が亡くなったのが明治17年ですから、その意味では正しいといえます。

 所蔵者は「霞会館蔵」となっており、霞会館の前身は堂上華族(旧公家)と武家華族(旧大名)を結集して明治7年(1874)に発足した華族会館であるそうです。六代錦光山宗兵衛のこの花瓶が今日までどのような経緯をたどってきたのかと思うと興味がつきません。

 なお、「色絵金彩花鳥図花瓶」につきましては、「華ひらく皇室文化」展終了後の5月14日に再度、泉屋博古館分館にお伺いした際に学芸員森下愛子様が、平成27年に久米美術館で開催された「明治の万国博覧会[Ⅰ]デビュー」の図録のコピーを持って来てくださりました。

 その解説によりますと、「作者は京都・粟田口の錦光山宗兵衛(6代または7代)。明治初期に海外向けに金襴手様式の細密画陶器、いわゆる「京薩摩」を量産し、国内外の博覧会にも積極的に出品、「SATSUMA」として西洋の市場を席巻したとまで謳われる近代京焼を代表する窯元である。小鳥、花弁や葉の描線の描き方には、京焼の伝統を受け継ぐ熟練の技が見られる」とあり、さらに「本作は元々、日本近代最初の迎賓館である延遼館にあり、その後新たに竣工した鹿鳴館に移り、華族会館を経て、現在の霞会館に引き継がれた作品である」とあります。

 そしてさらに「壺の側面に『日本京都 錦光山造』と金文字を入れ、底部には「錦光山」銘が捺されている他、進駐軍GHQ)により接収されたことを物語る朱色のペイント文字「ENG PEERS」(ピアスクラブの意)が入れられている」とあります。

 私も朱色のペイント文字「ENG PEERS」を見せていただきましたが、この「色絵金彩花鳥図花瓶」が、このような数奇な運命にもてあそばれてきたとは知らなかっただけに、その運命の不思議さに感慨深いものがありました。ご参考までに画像を添付いたします。

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 もうひとつは、七代錦光山宗兵衛の「色絵草花文紅茶茶碗セット」(Tea Set ,

Flowering plants design)です。

 学芸員森下愛子様の解説には「四季折々の草花を京薩摩風の繊細な絵付けで表現した紅茶碗と皿(ソーサー)。明治42年(1909)頃に製作されたと考えられ、12客が現存する。7代錦光山宗兵衛は浅井忠などと同36年に図案研究団体遊陶園を結成、アール・ヌーヴォーを伝統的な京焼の意匠に取り入れた」と記されています。なお個人蔵となっております。

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 四季折々の草花とは、一部よくわからないものもありますが、梅、桜、牡丹、つつじ、なでしこ、南天、コスモス、菊、葉鶏頭、つるくさ、モミジなどではないかと思われます。まさに日本の四季を彩り、なつかしさを感じさせる草花です。

 12客の紅茶セットで、四季の移ろいを感じながら、毎月ちがった器で紅茶を楽しむことができれば、それはとても贅沢な時間といえるのではないでしょうか。

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 茶碗と皿の地肌のたまご色が、繊細であたたみがあり、いかに京薩摩の意匠が絢爛豪華なものから、四季の草花まで幅が広いかということを改めて感じます。

  泉屋博古館を見てから学習院大学資料館でも「華ひらく皇室文化」展が開催されていましたので行ってきました。ちょうど卒業式のあった日で、袴姿の卒業生が大勢いて華やかでした。

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 なお、今回の「華ひらく皇室文化」展にちなみまして、七代錦光山宗兵衛と皇室とのご縁のエピソードをご紹介させていただきたいと思います。

 明治38年4月30日発行の「京都芸術協会雑誌」によると、

「京都美術協会においては古美術品展覧会における旧儀装飾十六式図譜の出版なるを告げたり、ここにおいてこれを、両陛下、皇太子同妃殿下、常宮、周宮、富美宮、泰宮の四殿下を初め奉り、同会総裁伏見宮殿下へ献上せんと欲し会頭大森鍾一その用務を帯て東上すべきところやむをえざる職務のため果たすことあたわず、よって会頭代理として評議員錦光山宗兵衛これを携さえ東上せり

 まず宮内省へ出頭し両陛下へ献納方を出願して退出せるが三日を置きて9月28日宮内省内亊課長心得近藤久敬より献上の図譜は御聴許にあいなりたる旨京都府知事へ通報あり、府知事よりさらに同協会へ伝達せり

 次いで東宮御所へ伺候し皇太子同妃両殿下へ献上の儀を出願せしに、御満足に思し召さる旨にて御聴許あらせられたり

 次いで高輪御殿に赴き常宮、周宮両内親王殿下へ献上を出願せるに、御満足思し召され錦光山宗兵衛へは酒肴料の御下賜あり 後略」とあります。

  また同雑誌には「東園侍従来観 4月9日午後2時30分侍従子爵東園基愛氏来館巡覧せられたり出品中錦光山宗兵衛氏の陶器香炉一個購求せられたり」とあります。

 図らずも今回の展覧会で、錦光山宗兵衛と皇室との縁まで思い起こすことができました。

 

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無隣庵(No Neiborfood Garden "Murinan" )の縁の地を巡る

 

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 3月のある日、わたしは、かつて竹林と松にかこまれた清水山のどこかに山県有朋が最初につくった無隣庵の名残りがあるのではないかと思って、吉田清水山を訪れた。

 吉田清水山界隈はのどかなところであった。わたしが山裾にある梅林のそばにたたずみ、たまたま通りかかった人に「清水山はこの山でしょうか、無隣庵の跡を見にきたのですが」と尋ねると、その方が「あそこにある東行庵のあるところに無隣庵があったのです」と答えられた。

 

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 わたしが驚いていると、その人が教えてくれた。

 幕末の頃、山県有朋は、最初の妻とも子と無隣庵で新婚生活を送っていたが、高杉晋作(号、東行)が元治元年(1864)長府の功山寺で決起し、長州藩を幕府恭順から討幕へ変えさせたあと、慶應3年(1867)に結核で亡くなり、明治2年に山県有朋は洋行するさいに、黒髪を断って尼となっていた晋作の愛人うのに、無隣庵を譲ったのだという。それほど山県は、奇兵隊で自分を軍監に引き揚げてくれてた高杉晋作に恩義を感じていたのだそうだ。

 さらに、その方は「よかったら、ご案内しましょう」とおっしゃってくれて、東行庵前の小路を上がって行く。そこに無隣庵の茶室があったのだという。いまはその茶室はないが、「無隣庵」の額がある新しい建物があった。そして、ありがたいことに、東行庵のなかを案内してくださり、東行やうのの位牌、うのが得度するさいに授かった白衣観音菩薩像、無隣庵の扁額などを見せていただいた。

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 そのあと、清水山を散策すると、山の中腹に高杉晋作の陶像があり、墓碑銘が刻まれていた。そのなかに、「奇兵隊の結成、功山寺決起、四境幕長戦争における僕の役目はいずれも遊撃による殊勲であったことを僭称してはばからず、それが詩人の夢を捨て、戦闘者となって果たした僕の仕事のすべてである」とあり、高杉晋作吉田松陰から狂の思想を授けられていたこと、また詩人の夢を持っていたことをはじめて知った。高杉の「面白きこともなき世におもしろく」という言葉は有名であるが、彼が自分のことを「西海一狂生」と呼んでいることは知らなかった。そういえば、山県有朋も幕末の頃、狂介と名乗っている。狂とは普通でないことを成し遂げるという意味のようだ。

 帰りがけに、東行庵の近くに山県有朋の無鄰菴の歌碑があった。

 となりなき世をかくれ家のうれしきは

 月と虫とにあひやとりして

 無隣庵は文字通り、となりのない庭であることを知った。

 

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 その後、長州藩支藩の長府毛利藩の城下町である長府へ向かった。野の草や桜、椿の咲く美しい練塀の道をいくと石垣の美しい長府毛利邸があった。

 

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 長府毛利邸には豪勢な松と馬酔木(あせび)が咲き誇る書院庭園と枯山水と滝のある庭があった。また中庭には黄梅が美しい。

 

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 さらに高杉晋作が元治元年12月決起して下関の萩藩新地会所を襲うことになる功山寺に向かった。この寺の書院には、文久3年(1863)八月の政変によって、都を追われた尊王攘夷派の公家7卿が潜居した居間があり、その前には鯉が泳ぐ池があったがどこか開放感がなく感じられた。

 

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 帰りに忌宮神社により、伊藤若冲が描くような雄鶏を見て、途中、元治元年の下関戦争で外国艦船に砲撃した前田砲台、壇ノ浦の戦いの史跡などを眺めながら、一路下関に向かう。

 

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 壇ノ浦の戦いで8歳で入水された平清盛の孫である安徳天皇を祀っている赤間神宮を参拝して、春帆楼へ向う。そこには日清講和記念館がある。余談ながら、山県有朋が、京都の木屋町二条の第二無隣庵を引き払い、南禅寺界隈の第三の無隣庵を庭師七代小川治兵衛(京都の和菓子店・平安殿のご主人の曾祖父に当たられる方)につくらせている最中の明治27年(1894)日清戦争の第一軍司令官として出征している。翌明治28年4月17日、春帆楼の二階で日清講和会議が開催され、台湾の割譲などが決まった下関条約が締結される。記念館内には日本全権として伊藤博文陸奥宗光、清国全権として李鴻章らが出席した講和会議の様子が再現されていた。

 

  壇ノ浦も悲しいが、日清戦争も悲惨な戦争であったらしい。

 

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○©錦光山和雄 All Rights Reserved

 

#吉田清水山 #東行庵 #無隣庵 #山県有朋 #高杉晋作 #長府 #毛利邸 #功山寺

#吉田松陰 #三条実美 #下関市立長府博物館 #忌宮神社 #伊藤若冲 #鶏 #前田砲台 #壇ノ浦 #源義経 #平知盛 #赤間神宮 #安徳天皇 #春帆楼 #長州藩 #萩藩 #日清戦争 #伊藤博文 #李鴻章 #日清講和会議 #下関条約 #山口県 #下関

#小川治兵衛 #南禅寺 #木屋町  #平安殿 #奇兵隊

 

#KINKOZAN SOBEI PICTURES MUSEUM (#錦光山宗兵衛陶磁器写真美術館)第二弾 Ⅰ 海外編(2)

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(2)オックスフォード大学付属アシュモレアン博物館

        (Ashmolean Museum,University of Oxford)

 1 色絵菊花文透彫花瓶 七代錦光山宗兵衛 1900-1905年

   Earthenware vase Kinkozan SobeiⅦ 1900-1905

 

   アール・ヌーヴォー様式

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 (2)色絵金彩農村風景図大皿 七代錦光山宗兵衛 1900年

   Earthenware dish  Kinkozan SobeiⅦ 1900

 

   「Japanese Decorative Arts of the Meiji Period」には遠近法が使われている

    と解説されている。

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 (3)老農婦像 七代錦光山宗兵衛&沼田一雅 1900-1905年

   Ceramic figure of an elderly female famer  Kinkozan sobeiⅦ&Numata ichga 

          1900-1905

 

   錦光山宗兵衛と沼田一雅のコラボ作品

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(4)青柳の図 七代錦光山宗兵衛 1901年 

  Blue  willow vase Kinkozan SobeiⅦ 1901

 

  これほどはっきりした箱書きがあるのは珍しい。

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(5)色絵金彩鴨図花瓶 七代錦光山宗兵衛

  Earthenware vase  Kinkozan SobeiⅦ

 

  対になった花瓶

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Thank you very much ,D.Phil Clare-san.

2020年にはオックスフォード大学・アシュモレアン博物館で明治日本の美術・工芸展が開催される予定です。

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私の曾祖父・祖父の六代・七代錦光山宗兵衛について詳しくお知りになりたい方は、拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝 世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて」をお読みください。

 The exhibition of Japanese Decorative Arts of the Meiji Period will be held in the Ashmolean Museum in 2020.

 

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma, Kyoto ceramics that touched the world

 

            ○©錦光山和雄All Right Reserved

 

 

#錦光山宗兵衛 #粟田焼  #pottery   #陶器 #陶磁器 #焼物 #陶芸

アール・ヌーヴォー #京薩摩  #薩摩焼   #satsuma   #kinkozan #京焼 #オックスフォード大学 #アシュモレアン博物館 #錦光山宗兵衛伝 #錦光山和雄  #錦光山

#Satsuma #University of Oxford #AshmoleanMuseum #artnouveau

 

 

 

 

 

 

 

#KINKOZAN SOBEI PICTURES MUSEUM (#錦光山宗兵衛陶磁器写真美術館)第一弾

 

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皆さまへ

 

 国内、海外の錦光山宗兵衛(含む錦光山工房)の作品を写真で展示する美術館を立ち上げてみることにいたしました。ここに掲載します画像は、わたしの拙作「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝」の口絵と一部重複しますが、プライベートオンリーの使用であり、商業目的ではございませんので、ほかでの使用はご遠慮くださるようにお願い申し上げます。第一弾としまして海外のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館を取り上げ、順次、展示して行きたいと考えています。進捗状況はカテゴリーでチェックしていただけますと幸いです。

                              錦光山和雄

Ⅰ 海外関係

 

⑴ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(Victoria and Albert Museum)

 

1 色絵金彩山水図蓋付箱 七代錦光山宗兵衛 1905-1910年

  Box and lid     KINKOZAN  SOBEIⅦ 

  Victoria and Albert Museum,London

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2  色絵金彩鴨図香炉  七代錦光山宗兵衛 1905-1910年

 Incense burner and lid  Kinkozan sobei Ⅶ 1905-1910

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3 色絵白鷺図花瓶  七代錦光山宗兵衛 1910年

  Vase   kinkozan Sobei Ⅶ 1910

 

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4 Stand  kinkozan Sobei Ⅵ 1875

    六代錦光山宗兵衛

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5 Vase Kinkozan Sobei    1900-1910

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 Thank you very much , Josephine-San.

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 ○©錦光山和雄All rights reserved

 

 

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京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛 -世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて

Kinkozan Sobei:the story of an Awata Kiln

A study of Kyo-Satsuma,Kyoto ceramics that touched the world

 

 

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現在の世界を予見した天才的ミステリー作家・打海文三の世界

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 2019年1月元旦の日本経済新聞の文芸欄で、文芸評論家の池上冬樹さんが、「平成ベスト5」の小説として、打海文三の「裸者と裸者、愚者と愚者、覇者と覇者」の「応化戦争記シリーズ」を選んでくださった。

 池上冬樹さんは、この小説を「いまなら孤児たちを主人公にしたライト・ノベル風戦争小説といえるだろう。孤児たちは戦争の被害者ではなく、戦争を推進するアナーキーな存在として捉えられているが、実に現代的だ。作者の急逝で断絶したが、いまなお予見にみちている」と絶賛されている。

 打海文三が急逝してから10年以上経つのに、いまだ打海文三の根強いファンがいることがわかってとても嬉しかった。それで、打海文三の愛読者の方々と「打海文三の世界」を共有したくなり、若干の思い出をまじえて、この一文を書いてみることにしました。

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 2007年7月28日午後、わたしは、新宿の喫茶店打海文三と会い、小説をどのように書いたらいいのか、小説作法を教えてもらったことがあるのです。

 そのなかで一番印象に残っているのは、小説というのは、誰かに向かって書く、誰かにこの話を伝えたい、というのが大切で、自分は14歳の男の子、14歳の女の子に向かって、君の知らないこんな世界があるよ、と言っていたことでした。

 わたしは、彼が年若い14歳の少年・少女に向けて書くといったことに驚きましたが、なぜとは問わなかったように記憶してます。いま、どうしてかと考えてみますと、応化戦争記シリーズでも登場人物は少女や少年で、彼らは戦争の被害者としてではなく加担者として描かれ、また2年かけて書いて、大藪春彦賞受賞した名作「ハルビン・カフェ」でも街で客を物色するルカはわずか6歳なのです。みな、切ないくらい若いのです。

 そしてわたしは、そうした彼女たちのなかに、彼の母親にたいする尊敬と憧れを見るのです。彼の小説のなかに、パンプキン・ガールズという女の子のマフィアが登場しますが、なぜか私は若い頃、稲城市の彼の実家を訪れたとき、庭に一杯に広がる、お母様が植えられたカボチャを思い出すのです。

 当時の彼は、薄茶のブレザーの袖口をまくり上げ、少しはにかんだような、涼しげで穏やかな目をして、口数少なく黙って世界を凝視している様子が、いまでも鮮明に思い出されます。

 もう一つは、悪にまみれながら良い社会を望む、アンビヴァレントな人間、好きな人間しか出さないということです。彼の小説を読むと、いつの間にか刷り込まれた、ある意味では薄っぺらな既成概念が、小気味よいほど打ち砕かれいく、爽快感が感じられます。アンビヴァレントな人間とは、ある意味矛盾に満ちているのかもしれませんが、もしかすると、矛盾のある人間のほうが魅力的で真実に近いのかもしれません。

 さらに夏目漱石は偉大だといっていたことです。日本語は語尾がみんな同じになる、相当カットした末に出来た小説。事実、事実を積みかさねている。日本語の小説の技法、文章に悩まなければ、漱石の偉大さは気づかなかったそうです。

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 彼、打海文三はなぜ自分が小説を書くようになったのか、またその作法も丁寧に教えてくれました。

 彼は映画の助監督、八ヶ岳の裾野で農業をやったきたが生活に窮して、一発勝負で一年半かけて横溝正史ミステリー賞優秀作を受賞した「灰姫 鏡の国のスパイ」を書き上げたそうです。そのために、ジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」を地の文、会話などに解体して分析したそうです。彼の発言を箇条書きにしますと,

・初心者は好きな作家のマネをする

・人に読んでもらうように書く。一行目書いて、二行目読んでくれるか不安。最後の一発勝負のラブレターだと思って書いてくれ。

・500枚の小説を書くとする。構成はつくるが、破綻する。プロットを箇条書きする。エピソードを羅列する。最初のエピソードをとりあえず30枚書く。無意識に自分のことが浮かび、親子とはなにか、ラブとか、女とはなにとか一杯浮かんでくる。

・モチーフとは主題。

・語り口は主役に規定される。もの凄い悲劇なんで快活な語り口。

・一人称は嫌い、人間は複雑だから多くの人に語らせる。

ペンネーム、がんじがらめの人間から自由になる。自分以外の人間になることはものすごく大変なことだけど、自分以外の人間なるほうがいい。

・純文学とは今ある日本語を破壊する試み。

・題名は、これはどういう物語か最初にわかったほうがいい。

・映画を見るときは女優を見ている。はっきり覚えていませんが、スカーレット・ヨハンソンがいいといっていたような気がします。小説はほとんど読まない。

 最後に生活のことも話てくれました。山形市で1回アマチュアのおばちゃんを対象に講師をしていて、通常は、毎日5~6時に起床、午前中4時間、午後3時間ほど執筆、水曜日と土曜日は半ドンで午後からプールに行くといっていました。夜は睡眠導入剤を飲んでいるとのことでした。

 またご子息から、エンタメ小説を書きながら売れないというのはどういうことだろう、と言われていて、「ハルビン・カフェ」を出版した年以外は収入的には大変だったといっていました。

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 わたしが打海文三から話を聞いたのは2007年の7月28日でしたが、73日後の10月9日、彼は急逝したのです。プールに行ったときに、心臓がすこし痛かったので医者に行ったそうですが、そのまま帰ってきたようで、就寝中に心筋梗塞で亡くなりました。

 わたしは友人たちと告別式に出るために日立市に向かいました。

 打海文三は、哀しいまでに穏やかで美しい顔でした。枕元には、小さな本箱に10数冊の彼の著作が並べられて置かれていました。家族葬のようで読経などは一切ありませんでしたが、お姉さまが嗚咽していた姿が忘れられません。また新宿の文壇バーなどなにかと支援していた友人のWが後ろを向いて目頭辺りを見るぬぐっていたのが印象的でした。

 2階に上がると、窓際の机の上に、クリップでとめられた原稿が整然と置かれていました。それは応化戦争記シリーズの完結編となる「覇者と覇者」の未完の原稿であり、後に上下巻合本で未完のまま刊行されました。

 彼の硝煙の匂いが漂うような著作は、分断され漂流する現在を予見した衝撃の書だといえるのではないでしょうか。それは彼の繊細で鋭敏な感受性によりなされたものであり、あえていえば彼の優しさが生みだした比類ない傑作だと思います。彼の著作が永く読まれることを祈らざるをえません。

 打海文三よ、

 いや、一作よ、

 安らかに、永遠に眠れ。

 

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